アリの神経ペプチドを介した乾燥環境耐性の仕組みを解明

ad

神経ペプチドが体表面の炭化水素の合成を制御

2019-03-06 産業技術総合研究所

ポイント

  • 神経ペプチドのイノトシンの発現量がアリ社会の労働分業と関連して変動することを発見
  • 化合物ライブラリーを用いた網羅的スクリーニングでイノトシン受容体の阻害剤を同定
  • イノトシンがアリの乾燥環境耐性に関わる体表炭化水素の合成を制御することを発見

概要

国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門【研究部門長 田村 具博】生物共生進化機構研究グループ 古藤 日子 主任研究員、森山 実 主任研究員らと、国立大学法人 東京大学【総長 五神 真】(以下「東大」という)大学院薬学系研究科 三浦 正幸 教授、創薬機構 岡部 隆義 特任教授、ローザンヌ大学 生物・医学部 生態進化学科 Laurent Keller教授らは、アリでは、神経ペプチドの一つであるイノトシンが、体表面の炭化水素の合成を制御し、労働アリの乾燥環境への耐性向上に寄与することを明らかにした。

社会性昆虫であるアリは、複雑な社会性を備えた集団で生活する。特に、集団の大多数を占める労働アリは、それぞれの個体が異なる仕事を分担する労働分業を示す。一般に若い個体は巣の中で子育てを担当し、老齢個体は野外で餌集めや見回りを担当する。このような労働アリの行動の変化に伴い、個体を取り巻く外的な環境も大きく変化し、特に巣の外で働く老齢個体は、野外の温度・湿度変化を経験し、地表面の乾燥環境に耐えて活動しなければならない。今回、昆虫から、ヒトを含む哺乳類まで進化的に広く保存されたオキシトシン・バソプレシンファミリーペプチドであるイノトシンが、体表面からの水分の蒸発を防ぎ乾燥耐性に重要な役割を果たす炭化水素の合成を制御し、労働アリの社会的な労働分業を支える体づくりの仕組みの一端を担うことが分かった。

なお、この研究成果は近日中にProceedings of the National Academy of Sciences USA(米国科学アカデミー紀要)にオンライン掲載される。

概要図(イノトシン→イノトシン受容体→CYP4G1→体表炭化水素→乾燥環境への耐性向上)

個体識別バーコードを背負った労働アリ(左)とイノトシンを介した乾燥環境耐性の制御機構(右)

開発の社会的背景

われわれヒトを含む多くの生物は社会性を持つ。近年のヒト、霊長類やげっ歯類を対象とした研究から、オキシトシンやバソプレシンといったペプチド性のホルモンが、愛着や子育て、攻撃性などの社会性行動の制御に関わることがわかってきた。

オキシトシンやバソプレシンと同じファミリーに属するペプチド(オキシトシン・バソプレシンファミリーペプチド)は、魚類、鳥類、さらには節足動物である昆虫にも高度に保存されている。このことから、これらのファミリーペプチドの生理的役割、特に社会性行動との関わりの解明は、生物の社会性行動の制御メカニズムと進化を明らかにする上で重要な知見を与えることが期待されている。しかし、哺乳類以外の生物では、オキシトシン・バソプレシンファミリーペプチドによる社会性行動を制御するメカニズムについては不明な点が多かった。

研究の経緯

産総研では、さまざまな昆虫類を対象に、高度な生物機能の解明に取り組み、高度な生物間相互作用をともなう生物現象に着目して研究を行っている。東大は国内最大級の化合物ライブラリーを持ち、それを用いた創薬シーズ探索に実績がある。また、ローザンヌ大学は、個体識別バーコードを用いて、社会性昆虫であるアリやハチなどの社会性行動を定量化するシステムの構築に実績があり、社会性昆虫の生態システムとその制御メカニズムの解明に取り組んできた。今回、各研究機関のこれまでの研究蓄積を生かし、ヒトとは進化的に遠く離れた昆虫であるが、特に高度な社会性を持つアリに着目し、オキシトシン・バソプレシンファミリーペプチドであるイノトシンの生理機能の解明に取り組んだ。

なお、今回の研究開発は、文部科学省科学研究費補助事業 新学術領域研究「共感性の進化・神経基盤」領域(課題名:個体間相互作用に依存したアリの社会性行動を制御する神経メカニズムの解明)、国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)の革新的先端研究開発支援事業(PRIME)「全ライフコースを対象とした個体の機能低下機構の解明」研究開発領域における研究開発課題「社会環境が個体の機能低下に及ぼす影響とそのメカニズムの解明」(研究開発代表者:古藤 日子、JP18gm6110014)、AMED創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業(JP17am0101086)による支援を受けた。

研究の内容

社会性昆虫であるアリは、繁殖を行う女王や雄アリといった生殖階級と、繁殖能力をもたない労働アリと呼ばれる非生殖階級から構成される社会集団(コロニー)で生活する。労働アリの中には、それぞれのメンバーが異なる仕事を担当する労働分業があり、若齢時には巣の中に長時間滞在し子育てなどの内勤労働に従事し、加齢に伴い野外で餌捕りや見回りなどを行う外勤行動へ労働が転換する。そこで、両階級のアリにおけるイノトシンとイノトシン受容体の発現量を調べたところ、女王アリや雄アリといった生殖階級よりも、労働アリの方において高く発現していた(図1A)。特に、労働アリの中でも、外勤の仕事を担う老齢個体において、より高く発現していた(図1B)。

図1(図の下部にキャプションを記載)

図1 社会階級間でのイノトシンとその受容体の発現量比較

労働アリでは、加齢と労働分業は密接に関連している。そこで、これらの遺伝子発現の変化が個体の加齢に伴うものか、それとも労働行動の変化に伴うものかを明らかにするため、人為的に社会環境を変化させて、若い労働アリに外勤行動をスタートさせるという実験を行った。元のコロニーで内勤行動をしていた労働アリだけを10匹集めて小さな箱で飼育し、個体識別バーコードを用いて個体の6日間の餌場での滞在時間、移動距離、巣内の滞在時間を測定した(図2A)。その結果、10匹の中で2~3匹が速やかに餌集めや見回りなどをはじめ(図2B)、10匹の若い労働アリの中で新しい労働分業が行われた。また、移動距離の長い個体ほどイノトシンの発現量が高く正の相関を示した(図2C)ことから、イノトシンの発現量は個体の行動パターンと何らかの関わりをもつことが推測された。一方、イノトシン受容体の発現量と移動距離との相関は認められなかった。

図2(図の下にキャプションを記載)

図2 労働分業に伴うイノトシン発現量の変化
(C)の各色は異なるコロニーの実験結果を示す。

イノトシン受容体は労働アリ腹部のエノサイトと呼ばれる細胞に特異的に発現していた(図3A)。そこで外勤行動を示す労働アリでのイノトシンの役割を調べるため、エノサイトの主要機能である体表炭化水素の合成に着目した。昆虫は体表からの水分の蒸発を抑え、乾燥環境に耐えて生き抜くために、体の表面に炭化水素を分泌する。エノサイトはこの体表炭化水素を合成する細胞であることが、さまざまな昆虫で示されている。イノトシンと体表炭化水素合成の関係性を調べるため、2本鎖RNA(dsRNA)を用いたRNA干渉(RNAi)による遺伝子ノックダウン法を用いてイノトシン受容体の発現を抑制すると(図3B)、体表炭化水素の合成に必須な酵素でシトクロムP450と呼ばれる酸化還元酵素の一つであるCYP4G1の発現量が低下した(図3C)。

図3(下部にキャプションを記載)

図3 エノサイトにおけるイノトシン受容体(A)とイノトシン受容体ノックダウンによるイノトシン受容体(B)、とCYP4G1遺伝子(C)の発現変動

さらに、培養細胞を用いてイノトシンシグナルの活性を測定する実験系を構築し、東大が保有するおよそ22万種の化合物ライブラリーの中から、イノトシン受容体を阻害する3つの化合物を同定した(図4A、B)。これらの化合物を労働アリに投与したところ、RNAiによる遺伝子ノックダウン実験と同様にCYP4G1の発現量が低下し(図4C)、さらに体表炭化水素の量が低下した(図4D)。

イノトシンシグナルによる体表炭化水素量の変化が労働アリにおいてどのような生理的な役割をもつのかを検証した。通常、労働アリは餌がない状態でも数日にわたり生存できるが、水が摂取できない環境には弱く生き延びることができない。そこで、湿度を変化させ、摂取可能な水分量を制限した状況での生存率を測定した(図4E)。その結果、湿度が55 %では、阻害剤を投与しなかった個体群(コントロール群)と阻害剤を投与した個体群共に生存率に差はなく、水分摂取が制限され、さらに湿度も比較的低い環境では労働アリは生存できないことがわかった。一方、85 %の高湿度条件下では55 %湿度条件下に比べてコントロール群は生存率が著しく改善した他方、阻害剤投与群ではコントロール群ほど寿命延長の効果はなかった。以上により、阻害剤投与群は体表炭化水素量が低下することで、体表からの水分の蒸発を十分に防ぐことができないと考えられる。

イノトシンシグナルにより体表炭化水素の量が増加し、体表からの水分の蒸発を抑える効果があることが今回の研究で明らかになったことで、イノトシンはアリの乾燥環境耐性を向上させる効果があると考えられる。

図4(図の下にキャプションを記載)

図4 新規阻害剤投与によるイノトシンと体表炭化水素合成と乾燥耐性の評価

(A)新規イノトシン阻害剤A、B、C。

(B)それぞれの阻害剤の用量依存的なイノトシンシグナルの活性阻害。

(C)労働アリに対するイノトシン阻害剤A(ピンク)、B(橙)、C(黄緑)の投与によるCYP4G1の発現低下。

(D)労働アリに対するイノトシン阻害剤B(橙)の投与による炭化水素の発現低下。

(E)労働アリに対するイノトシン阻害剤B(橙)の投与による生存率の変化。

今回、イノトシンとその受容体はアリの社会階級の中でも、外勤行動を示す労働アリで多く発現することがわかった。また、イノトシン受容体は体表炭化水素の合成を担うエノサイトで特異的に発現することや、イノトシンは体表炭化水素の合成を制御し、労働アリの乾燥耐性の向上に寄与することがわかった。外勤行動を担う労働アリは温度や湿度が比較的安定した地中の巣を離れ、野外で長時間活動することから、高温や乾燥、UV照射などさまざまなリスクにさらされる。このような環境ストレスに耐えて外勤行動する労働アリの生理状態の制御に、イノトシンが関わることが示唆された。

社会性昆虫において、体表炭化水素は乾燥耐性のみならず、集団内外の巣仲間識別をはじめとする社会的コミュニケーションにも関わることがわかっている。本研究成果は哺乳類とは進化的に縁遠い節足動物において、オキシトシン・バソプレシンファミリーペプチドと社会性の関わりを示唆する新知見であり、社会性の進化に新たな視点を与えるものである。

今後の予定

今後はアリにおけるイノトシンの機能のうち、特に社会性行動との関連に着目して、節足動物における社会性とオキシトシン・バソプレシンファミリー遺伝子の関わりをより詳細に調べる。

論文情報

論文名:Oxytocin/vasopressin-like peptide inotocin regulates cuticular hydrocarbon synthesis and water balancing in ants
著者:古藤 日子1、2、本山 直人3、田原 拓樹3、Sean McGregor4、森山 実1、2、岡部 隆義5、三浦 正幸3、Laurent Keller4
所属:1. 産業技術総合研究所 生物プロセス研究部門、2. 産業技術総合研究所 生体システムビッグデータ解析オープンイノベーションラボラトリ(CBBD-OIL)、3. 東京大学 大学院薬学系研究科 遺伝学教室、4. ローザンヌ大学 生物・医学部 生態進化学科、5. 東京大学 創薬機構
雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences USA(米国科学アカデミー紀要)
DOI:10.1073/pnas.1817788116

用語の説明

◆労働分業
アリの社会においてメスでありながら生殖能力を有さない個体は労働アリと呼ばれ、集団において労働アリはさらに細かい分業体制を備えている。子育て行動に専念する個体、また巣の外にでて見回りや餌捕りに専念する個体といったように、個体間で仕事を割り振り分業するシステムのこと。
◆オキシトシン・バソプレシンファミリーペプチド
オキシトシンとバソプレシンは哺乳類におけるペプチド性のホルモンで、オキシトシンは子宮収縮や乳汁分泌を促し、またバソプレシンは血管収縮や抗利尿などの体液調節に関わる機能を持つことが知られている。またいずれもが中枢神経系においては社会性行動の制御に関わることも知られている。オキシトシンやバソプレシンと近縁なペプチドは哺乳類以外の魚類、鳥類や節足動物、一部無脊椎動物においても広く保存されており、これらのペプチドを総称してオキシトシン・バソプレシンファミリーペプチドと呼ぶ。
◆エノサイト
昆虫に広く観察される表皮細胞の一つ。体表炭化水素を合成する細胞。
◆RNA干渉(RNAi)
二本鎖RNA(dsRNA)が遺伝子の発現を阻害する現象のこと。
◆シトクロムP450
ほぼ全ての生物に存在する酸化還元反応を触媒する酵素のグループ。
ad

細胞遺伝子工学生物化学工学生物環境工学
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました