2024-10-08 東京大学
発表のポイント
- 熱力学的な散逸(エントロピー生成率)と振動現象をつなぐ関係式を新たに発見した。
- 本研究で導いた関係式を用いることで、脳活動における熱力学的散逸の由来が安静状態と麻酔状態で大きく異なることを示した。
- 本研究の成果は、脳を含む様々な生命システムで普遍的に観測される振動現象を非平衡熱力学の観点から理解することにつながると期待される。
熱力学的散逸の振動モード分解
概要
東京大学大学院総合文化研究科の関澤太樹 大学院生、大泉匡史 准教授、東京大学大学院理学系研究科 伊藤創祐准教授らは、熱力学的な散逸(エントロピー生成率)(注1)の一部の項が振動モードごとの寄与に分解できることを明らかにしました。また、得られた分解をサルの脳活動のECoGデータ(electrocorticography)(注2)に適用することで、麻酔状態では熱力学的散逸のほとんどが遅い振動であるデルタ波に由来する一方、安静時ではデルタ波より速い振動であるシータ波やアルファ波等の脳波成分(注3)がより大きく寄与することを明らかにしました。これらの成果は今後、脳に限らず様々な生命システムで普遍的に観測される振動現象を非平衡熱力学の観点から理解することに役立つと期待されます。
発表内容
非平衡熱力学では近年、熱力学散逸を示す量であるエントロピー生成率と情報処理との関係性が明らかになってきました。このような理論的発展から、本研究が対象とする脳を含む様々な生命システムにおける情報処理の理解に向けても、非平衡熱力学が応用されるようになってきました。
一方、様々な生命システムのダイナミクスの特徴として、振動現象がよく観測されています。脳の神経活動のダイナミクスにおいても、アルファ波やデルタ波といった脳波の振動現象は古くから注目されてきました。しかし、エントロピー生成率と振動現象がどのように関係するかは未だ分かっていませんでした。そこで本研究では、振動とエントロピー生成率の間の関係式を新たに導きました。また、得られた関係式を脳波の実データに適用することで、アルファ波やデルタ波といった異なる周波数を持った脳波の成分がエントロピー生成率にどのように寄与しているのかを明らかにしました。
具体的には線形のLangevin系(注4)において、エントロピー生成率の一部の項である維持エントロピー生成率が振動モードごとの寄与に分解できること(図a、b)を示しました。この分解によると、エントロピー生成率への各振動モードの寄与は周波数の二乗と振動強度の積で定まります。つまり、周波数が高いか強度が強い振動モードほど、エントロピー生成率への寄与が大きいことが分かります。また、系に働くノイズが次元ごとに独立である時、各次元が持つ寄与の大きさも分かります。これは脳活動データの解析においては各電極の寄与が振動モードごとに分かることを意味します(図c)。
我々はこの分解をサルの脳活動のデータ(Neurotycho(注5))に適用することで、アルファ波やデルタ波のような脳波成分がエントロピー生成率にどのように寄与するのかを調べました。その結果、麻酔状態ではエントロピー生成率のほとんどが遅い振動であるデルタ波に由来している一方、安静状態ではデルタ波より速い振動であるシータ波やアルファ波のような脳波成分も全体の半分程度の寄与を持つことが分かりました(図d)。
我々の手法は、生命システムのダイナミクスにおいてよく観測される振動現象を、非平衡熱力学の観点から理解することにつながります。また、非平衡熱力学において知られるエントロピー生成率と情報処理の関係を踏まえると、我々の発見した関係式はアルファ波やデルタ波といった脳波成分が脳の状態によって変化することで、脳の情報処理にどのような影響を与え得るかを解明することにつながる可能性があります。
図:本研究の外観(a)我々が導いた、エントロピー生成率と振動の関係式。(b)維持エントロピー生成率の分解の例。6.91Hzや5.90Hzの振動モードの寄与が存在し、これらの和が維持エントロピー生成率になる。(c)分解を脳活動データに適用した際の、各電極のエントロピー生成率への寄与。(d)脳活動におけるエントロピー生成率の由来の安静状態と麻酔状態での比較。
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院総合文化研究科
関澤 太樹 博士課程/日本学術振興会特別研究員
大泉 匡史 准教授
大学院理学系研究科 生物普遍性研究機構
伊藤 創祐 准教授
論文情報
雑誌名:Physical Review X
題名:Decomposing Thermodynamic Dissipation of Linear Langevin Systems via Oscillatory Modes and Its Application to Neural Dynamics
著者名:Daiki Sekizawa, Sosuke Ito, Masafumi Oizumi*
DOI:10.1103/PhysRevX.14.041003
URL:https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevX.14.041003
研究助成
本研究は、JPSP科研費(23KJ0799、19H05796、21H01560、22H01141、23H00467、24H00834、20H05712および23H04834)、JSTムーンショット型研究開発事業(JPMJMS2012)、JST ERATO(JPMJER2302)、JST CREST(JPMJCR1864)、UTEC-UTokyo FSI Research Grant Programの支援により実施されました。
用語説明
(注1)熱力学的な散逸(エントロピー生成率)
物理的過程の不可逆性を表す量。
(注2)ECoG(electrocorticography)
脳活動の記録方法の一種で、脳の表面に配置した電極から脳の電気信号を記録する。
(注3)シータ波やアルファ波等の脳波成分
脳波は特徴的な振動現象を示すことがある。そのうち0.5〜4Hz程度のものはデルタ波、4〜7Hzのものはシータ波、7〜13Hzのものはアルファ波と呼ばれる。
(注4)線形のLangevin系
確率的な外力を受ける線形の力学系で、状態ベクトルxの時間発展がdx=DAxdt+√2D dBのようにかけるものを指す。Aは行列、Dは正定値対称行列でdBは標準ブラウン運動を表す。
(注5)Neurotycho
サルのECoGの公開データセットで、安静状態や麻酔状態での脳活動が記録されている。
関連情報(English Site)
[Research News]Decomposing Thermodynamic Dissipation of Linear Langevin Systems via Oscillatory Modes and Its Application to Neural Dynamics――Toward a Thermodynamic Understanding of Neural Dynamics――
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/eng_site/info/news/topics/20241008140000.html