2024-12-12 早稲田大学
発表のポイント
- ヒトの温熱感覚に関わる脳の部位とその活動パターンを明らかにすることを目的に、簡便なウエアラブル型脳波計を用いた解析を実施したところ、温刺激や冷刺激を指先に行うと、共通する脳部位での活動が見られることを発見しました。
- 脳活動は温冷刺激各々に特異的な活動パターンがあるため、分別可能であり、さらには脳波計測から暑さや寒さの感覚(温熱感覚)の客観的評価につながると考えられます。
- 温熱感覚が主観的評価でしかなしえない現状に対して、本研究成果は個体間の感受性の違いによる健康被害(特に冷房空調空間での寒さ)を改善するための評価方法や制御技術の進化に貢献することが期待されます。
早稲田大学人間科学学術院の永島 計(ながしま けい)教授、同持続的環境エネルギー社会共創研究機構環境エネルギーシステム総合研究所の渡邊 裕宣(わたなべ ひろのり)次席研究員らの研究チームは、ウエアラブル型の簡便な脳波計を用い、ヒトの温熱感覚に関わる脳の部位と活動パターンを発見しました。
「暑い」「寒い」「熱い」「冷たい」などと表現される温熱感覚は、われわれの日常生活の中でも身近な意識にのぼる感覚です。末梢神経での温度受容の分子機構は明らかになっているものの、ヒトが温度情報をいかに認知し、評価するかは未だ不明な部分が多くあります。
本研究チームによる以前の研究で、機能的MRI※1を用いて、熱さ、冷たさに関わる共通する脳部位を同定しました。しかし、これらの2つの感覚がいかに分別されているかは不明のままでした。本研究ではウエアラブル型の簡便な脳波計を用い、指先に刺激した温冷刺激時に活動する脳部位と脳活動パターンを明らかにしました。脳部位のいくつかは以前に明らかにされたものと共通でしたが、温、冷刺激各々に特徴的な活動パターンが観察されました。
本研究成果は『Neuroscience』(論文名:Spatial and temporal patterns of brain neural activity mediating human thermal sensations)にて、2024年11月24日(日)にオンラインで掲載されました。
(1)これまでの研究で分かっていたこと
温熱感覚は、われわれの生活において非常に身近な感覚ですが、その仕組みは不明な部分が多いままです。1990年代にDavid Julius博士らが、唐辛子成分(カプサイシン)の細胞膜受容体であるTRPV1のクローニングに成功するとともに、侵害的な熱(熱傷を起こすような43˚C以上の熱)による灼熱感を生み出す分子機構であることを明らかにしました(2021年ノーベル医学・生理学賞)。この研究は、生物学的な温熱感覚研究の始まりを意味しました。実際、多くの末梢での温度受容の仕組みが明らかになっています。しかし、われわれが「暑い」「寒い」「熱い」「冷たい」などと表現する高次の温熱感覚の脳内機序は未だ明らかではありません。
ヒトの温熱感覚は、「熱い」「冷たい」などの比較的客観的なもの、「暑い」「寒い」で表現される快適性を加味した情動的なものに大まかに分類されています。後者は、衣服や代謝、性差、年齢など個体側の要因で強い影響を受けることが知られています。屋内の至適環境の創出(空調)のための基準として、温熱的な快適感が用いられますが(アメリカ暖房冷凍空調学会)、未だ主観的な申告に基づいており、客観的かつ科学的手法による評価が必須であると考えていました。この解決のため、本研究チームは機能的MRIを用いて研究を行い、いくつかの脳領域が快適感を含めた温熱感覚に関わることを明らかにしました。ところが、刺激する温度を変えても、同様な脳活動が見られ、温度の違いを区別するメカニズムは不明でした(Aizawa et al. 2016, Nagashima et at. 2019)。
(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
本研究では脳波※2を用いた温熱感覚の解明、特に意識にのぼる熱さや冷たさに関わる脳活動の時空間パターンの解明を目指しました。脳波は脳活動の根源である神経の電気活動を反映するため、より高い時間分解能が得られます。これにより、温熱感覚(熱い、冷たい)に応じた刺激温度特異的な活動を記録・解析(ERSP解析※3)できることを予想しました。解析技術の進歩により、脳波の発生部位の同定(dipole解析※4)も可能であり、この2つの手法の組み合わせにより、時間・空間的に特徴的な脳活動のパターンの特定を目指しました。また、今回の脳波計測には、無線技術を用いた簡便なウエアラブル型脳波形を用いることで、将来的にさまざまな環境における脳波の記録・解析が可能かを検証しました。実験では、座位にした実験協力者の指に、ペルチエ素子を用いた温刺激、あるいは冷刺激を間欠的に行い、その際の脳波を記録しました(図1:本文Fig1を改変)。
図1:実験方法(温刺激または冷刺激時に脳波取得)
図2:楔前部(けつぜんぶ)の角周波数帯域(シータ,ミュー,ベータ)の活動パターン
次に、取得したdipole解析を行い、温冷刺激に共通した脳の活動部位を同定しました(高度認知に関わる楔前部、前帯状回、内側前頭回、温熱探索や逃避行動にかかわる可能性のある前頭回)。特徴的なのは、温冷刺激によって生じるさまざまな脳活動の周波数成分の時間パターンが異なっていたことです。楔前部の活動では、温刺激(赤)、冷刺激(青)でパターンが異なることが示されました(図2、本文Fig4を改変)。これらの結果から、温冷刺激は脳の共通部位の活動を引き起こし、その一部は温冷感の認知を反映するものであることが分かりました。また、これらの活動パターンの違いにより、温度の違いが分別され、異なる行動の惹起につながることが予想されます。さらに、本研究で用いた測定および解析方法は、さまざまな実験や調査環境の温熱感覚の評価に有用であることが明らかとなりました。
(3)研究の波及効果や社会的影響
意識にのぼる温熱感覚に関わる脳機構は未だ明らかでない部分が多く、本研究は新しい方法論や知見を導いた意味で大きなステップとなると信じています。また、温熱感覚の評価は未だ質問紙や点数化した評価申告などの主観的評価が用いられており、大きな問題を抱えています。特に室内環境の維持に重要な空調技術の進化は目覚ましいものがありますが、一方で、その制御目標となるパラメーターである温熱感覚が主観的評価でしかなしえない、という大きなギャップがある状態です。主観的評価の曖昧さや個体間の感受性の違いによる健康被害(特に冷房空調空間での寒さ)を改善するための評価方法や制御技術の進化に本研究は貢献できると考えています。
(4)今後の課題
今後の課題は、ヒトの温熱感覚の重要な位置を占める温熱的快適感が形成される脳内の機序と、個人差の評価方法を明らかにする研究を行うことだと考えています。前者については、すでに結果を部分的に得ており、近い将来に公開する予定でいます。後者については、これまでの研究で得た生理学的知見と、AIなどの情報工学技術とのコラボレーションにより、ブレインインターフェイス型の快適性の簡易評価システムの開発を目指しています。
(5)研究者のコメント
意識にのぼる温熱感覚は、ヒトの行動や適切な屋内環境を決定する上で重要な因子です。本研究の代表者は、長く温熱感覚の脳機構の解明、モニタリング法の開発に取り組んできましたが、良い答えを見つけることができずにいました。今回の研究は、空調や脳波研究の専門家の協力を得て完成し得たものです。今後の研究や産業創出の大きな流れの起爆剤になる結果であると信じています。
(6)用語解説
※1 機能的MRI
脳の活動や活動部位をMRI(核磁気共鳴画像法)によって可視化する方法。脳の活動部位には、酸素が豊富な血流が多く流れるため、この血流分布の変化を測定することで間接的に脳活動を評価します。脳の活動部位を知るためには有用ですが、短時間の活動変化の評価にはあまり適していない方法です。
※2 脳波
脳の活動は内在する多くの神経の電気活動に由来します。脳波は、これら神経群の微弱な電気活動を頭部の皮膚(脳の表面や鼓膜などから採取する場合もある)から電極(代表的なものは21個)を用いて採取・記録します。活動波形の周波数や刺激に対する活動パターンから脳活動を解析します。
※3 ERSP解析
脳波の解析方法の一つ。刺激に対して反応して見られる脳波を周波数成分分析し、時間の変化とともに、出力された電力を解析する方法。
※4 dipole解析
脳波の発生源を解析する方法。記録された脳波が脳内のいくつかの部位から発生していると想定して統計的解析により同定します。
(7)論文情報
雑誌名:Neuroscience
論文名:Spatial and temporal patterns of brain neural activity mediating human thermal sensations
執筆者名(所属機関名):渡邊 裕宣*(早稲田大学)、渋谷 賢(杏林大学)、増田 雄太(京都府立大学)杉 泰佑(早稲田大学)、齋藤 潔(早稲田大学)、永島 計**(早稲田大学)*筆頭著者 **責任著者
掲載日時:2024年11月24日(日)
掲載URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S030645222400633X
DOI:https://doi.org/10.1016/j.neuroscience.2024.11.045
(8)研究助成
研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(A) JSPS JP 19H01128
研究課題名:湿度の感性、生理への影響の探索
研究代表者名(所属機関名):永島 計(早稲田大学)