2024-08-05 長崎大学
⻑崎⼤学、国⽴国際医療研究センター、国⽴病院機構⻑崎医療センター(NHO 肝ネット共同研究班)、厚⽣労働省難治性の肝・胆道疾患に関する調査研究班、九州⼤学⽣体防御医学研究所との共同研究の成果を⽶国肝臓学会学術誌 Hepatology で発表しました。
■ポイント
● 原発性胆汁性胆管炎(PBC: primary biliary cholangitis)1)は、厚⽣労働省により難病に指定された
疾患で、中⾼年に多く⾒られ、その数は年々増加傾向。
● ⽇本⼈の PBC の患者のゲノム解析から、その発症に関わる⽇本⼈特有の遺伝⼦領域(PTPN2︓protein
tyrosine phosphatase non-receptor 2)を同定。
● PTPN2 遺伝⼦のプロモーター領域に位置する⼀塩基バリアント 2) (rs2292758)におけるアレルがチミン(T)の⼈は、シトシン(C)の⼈と⽐べ PTPN2 の発現量が低く、PTPN2 によるインターフェロンガンマ(IFNγ)シグナル伝達経路の抑制が不⼗分なために PBC を発症しやすくなることを解明。
● PTPN2〜IFNγの間のネガティブフィードバック機構の是正が、PBC の新しい治療法の開発に繋がる可能性を⽰唆。
■概 要
⻑崎⼤学⼤学院医⻭薬学総合研究科の中村稔教授(NHO⻑崎医療センター客員研究員・九州⼤学⽣体防御医学研究所 学術研究者)と国⽴国際医療研究センター研究所疾患ゲノム研究部疾患ゲノム研究室⻑の⼈⾒祐基博⼠らは、⽇本⼈のPBCの患者を対象としたゲノムワイド関連解析(GWAS: genome-wide
association study)3)から、PBCの発症に関わる⽇本⼈特有の遺伝⼦領域としてPTPN2を同定し、PTPN2
の遺伝⼦発現量の低下がPBCの発症に関与することを世界で初めて明らかにしました。
また、PTPN2のプロモーター領域の中に位置する⼀塩基バリアント (rs2292758)において、発症リスクの⾼いアレル(rs2292758-T)を持つ患者では、免疫担当細胞(樹状細胞)でPTPN2の発現量が低下することによって、PTPN2によるIFNγシグナル伝達の抑制機構(ネガティブフィードバック機構)が⼗分に働かなくなりPBCを発症しやすくなることも明らかにしました。このことから、PBCでは、PTPN2〜IFNγの間のネガティブフィードバック機構の是正が新しい治療法となる可能性が⽰唆されました。
本研究は、主に以下の研究組織による全国共同研究として実施されました。
〇 ⻑崎⼤学⼤学院医⻭薬学総合研究科新興感染症病態制御学系専攻肝臓病学講座 中村稔 教授
〇 国⽴国際医療研究センター研究所疾患ゲノム研究部 ⼈⾒祐基 疾患ゲノム研究室⻑
〇 国⽴国際医療研究センター研究所ゲノム医科学プロジェクト 植野和⼦ 研究員、河合洋介 副プロジェクト⻑、徳永勝⼠ プロジェクト⻑
〇 NHO ⻑﨑医療センター臨床研究センター 相葉佳洋 研究員、⼩森敦正 難治性疾患研究部⻑(⻑崎⼤学⼤学院医⻭薬学総合研究科新興感染症病態制御学系専攻肝臓病学講座医療政策学分野教授)
〇 理化学研究所⽣命医科学研究センターヒト免疫遺伝研究チーム 河野通⼤ 特別研究員、⽯垣和慶チームリーダ
〇 東京医科⻭科⼤学ゲノム機能多様性分野 ⻄⽥奈央 准教授
〇 九州⼤学⽣体防御医学研究所バイオメディカル情報解析分野 ⻑崎正朗 教授
〇 NHO 肝ネットワーク共同研究 “PBC の新しい病型分類と創薬のための⻑期観察研究” (中村班)
参加施設(NHO 熊本医療センター、NHO 呉医療センター、NHO ⾼崎医療センター、NHO 九州医療センター、NHO 信州まつもと医療センターなど計 30 施設)
〇 厚⽣労働省難治性の肝・胆道疾患に関する調査研究班(坪内班、滝川班)参加施設
本研究は、⽶国肝臓学会の学術誌である Hepatology 10 ⽉号に掲載される予定です
(URL: https://doi.org/10.1097/HEP.0000000000000894)
1. 研究の背景と⽬的
原発性胆汁性胆管炎(PBC)は、中年⼥性に好発する慢性の胆汁うっ滞性の肝疾患で、進⾏すると肝不全・⻩疸が出現し、肝移植以外には治療法がない難病です。肝内の⼩型胆管が胆汁酸の毒性や⾃⼰免疫的機序によって破壊されることが主な原因と考えられていますが、その詳細については未だ明らかになっていません。疫学的調査から、PBC の発症には強い遺伝的要因が関与することが⽰唆されていました。
2005 年頃より、疾患の発症に関わる遺伝⼦領域を網羅的に探索する⽅法として GWAS が利⽤可能となり、私たちもこの⽅法を⽤いて、2012 年に⽇本⼈で初めて PBC の発症に関わる遺伝⼦領域(HLA、TNFSF15、POU2AF1)を同定しました。その後も国内外の GWAS 研究を継続し、2021 年には欧⽶や中国との国際PBC-GWAS 共同研究で約 70 か所の遺伝⼦領域を同定しました。
今回、⽇本⼈の解析症例数を増やした GWAS を実施したことにより、PBC の発症に関わる⽇本⼈に特
有の遺伝⼦領域 PTPN2 を同定するとともに、PTPN2 による PBC 発症制御機構を明らかにしました。
2. 研究⼿法と得られた知⾒
⽇本⼈ PBC 患者 2,181 例と健常⼈コントロール 2,699 例の DNA 検体(計 4,880 検体)を対象として、全ゲノム中に存在する約 580 万か所の⼀塩基バリアントの遺伝⼦型を決定しました。これらの⼀塩基バリアントについて、それぞれのアレルを保有する割合を PBC 患者とコントロール群の間で網羅的に⽐較することにより、18 番染⾊体に位置する PTPN2 遺伝⼦の近傍が PBC の発症との統計学的に有意な関連を⽰すことを、世界で初めて⽰しました。
また、GWAS で同定された遺伝⼦領域がどのようなメカニズムで疾患発症に関わっているかを解析(post-GWAS 解析) 4)し、PTPN2 遺伝⼦のプロモーター領域に位置する⼀塩基バリアントである発症リスクアレル(rs2292758-T)が、PTPN2 遺伝⼦の発現量を低下させること、即ち、rs2292758 の発症リスクアレルを持つヒトにおいては、免疫担当細胞(樹状細胞)での PTPN2 発現量が低下していることや、
ゲノム DNA の rs2292758 の塩基配列を⼈為的に改変したゲノム編集細胞 5)においても、発症リスクア
レルが PTPN2 遺伝⼦の発現量を低下させることを明らかにしました。さらに、PBC 患者の肝臓における
IFNG 遺伝⼦と PTPN2 遺伝⼦の発現相関解析から、発症リスクアレルを持つ患者の PTPN2 による IFNγ
シグナルの抑制は、リスクアレルを持たない患者より弱いことも明らかとなりました。
この PBC 発症リスクアレルは、⽇本⼈集団においては約3割の頻度で検出されるのに対して、欧⽶⼈集団ではほとんど検出されません。このことが、PTPN2 が欧⽶⼈では PBC との関連を⽰さずに、⽇本⼈で PBC の疾患感受性遺伝⼦として初めて発⾒された原因と考えられました。
これらのことから、PTPN2 による IFNγシグナルのネガティブフィードバック機構の是正が PBC の新たな治療法となる可能性が⽰唆されました。
3. 研究助成
<研究費・研究⽀援>
1) R4 – R8 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)難治性疾患実⽤化研究事業「難病のゲノム医療実現
に向けた全ゲノム解析の実施基盤の構築と実践(研究代表者 國⼟ 典宏、分担者 徳永勝⼠、
中村 稔)︓JP22ek0109617」
2) R2-R7 年度 国⽴病院機構共同臨床研究(代表︓中村 稔)
研究課題名︓原発性胆汁性胆管炎の新しい病型分類と創薬のための⻑期観察研究
3) R5-7年度 ⽂部科学省科学研究費基盤研究(C)(23K07366)(代表︓中村 稔)
研究課題名︓原発性胆汁性胆管炎の新たな病態解明と治療標的の同定を⽬指した臨床ゲノム解析
4) H29-31(R1)年度 ⽂部科学省科学研究費基盤研究(B)(17H04169)(代表︓中村 稔)
研究課題名︓原発性胆汁性胆管炎の発症と重症化機構解明のためのGWASを基盤とした統合解析
5) H29-31(R1)年度 国⽴病院機構共同臨床研究(代表︓中村 稔)
研究課題名︓原発性胆汁性胆管炎の発症と重症化機構解明のための多施設共同研究
6) R5-R7 年度 国際医療研究開発事業(23A1007)(代表︓⼈⾒祐基)
研究課題名︓免疫疾患共通の遺伝要因に起因する分⼦病態研究および治療標的の同定
7) R4-R6 年度 ⽂部科学省科学研究費基盤研究(C)(22K08065)(代表︓⼈⾒祐基)
研究課題名︓新たなpost-GWAS⽅法論による原発性胆汁性胆管炎の発症機序の全貌解明
8) H31(R1)-R3 年度 ⽂部科学省科学研究費基盤研究(C)(19K08413)(代表︓⼈⾒祐基)
研究課題名︓原発性胆汁性胆管炎の発症機序解明および個別化医療展開を⽬指す分⼦遺伝学的解析
9) R5-R7 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)難治性疾患等実⽤化研究事業「構造異常・スプライシ
ング異常・メチル化異常の⾰新的検出系による未診断疾患患者の診断率向上とN-of-1創薬への導出
(研究代表者︓⼩崎健次郎 分担者︓⻑﨑正朗)︔ JP23ek0109672」
10) H28-R2 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業(先端
ゲノム研究開発)「⽇本⼈⼤規模全ゲノム情報を基盤とした多因⼦疾患関連遺伝⼦の同定を加速する
情報解析技術の開発と応⽤(研究代表者︓徳永勝⼠ 分担者︓⻑﨑正朗)︔ JP16km0405205」
11) R2-R4 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)難治性疾患実⽤化研究事業「筋萎縮性側索硬化症克
服のためのDeep-Phenotyping の統合解析を通じた治療開発研究(研究代表者︓祖⽗江元 分担者︓
⻑﨑正朗)︔JP20ek0109492」
12) R3-R6 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)脳とこころの研究推進プログラム「孤発性筋萎縮性
側索硬化症の双⽅向トランスレーショナル研究による病態介⼊標的の同定と核酸医薬の開発研究(研
究代表者︓祖⽗江元 分担者︓⻑﨑正朗)︔JP21wm0425009」
13) R2-R4 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)難治性疾患実⽤化研究事業「⻑鎖・短鎖シークエン
シング技術の統合による構造変異の検出と⾮翻訳領域情報を駆使した未診断症例の解決(研究代表
者︓⼩崎健次郎 分担者︓⻑﨑正朗)︔JP20ek0109485」
14) R3-R5 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)難治性疾患実⽤化研究事業「難病プラットフォーム
の利活⽤による難病医療に資する成果の創出と社会実装(研究代表者︓松⽥⽂彦 分担者︓⻑﨑正朗)︔
JP21ek0109548」
15) R5-R7 年度 ⽇本医療研究開発機構(AMED)難治性疾患等実⽤化研究事業「統合オミックス解析
による多因⼦型難病の発症機構の解明と創薬シーズの導出(研究代表者︓松⽥⽂彦 分担者︓⻑﨑正
朗)︔JP23ek0109675」
16)電算機資源として、学際⼤規模情報基盤共同利⽤・共同研究拠点の⽀援「ハイブリッドクラウドを⽤
いたゲノム情報に基づく構造多型パネルの構築とアノテーション(研究代表者︓⻑﨑正朗)︔jh230016」
また、今回の解析には、情報・システム研究機構国⽴遺伝学研究所が有する遺伝研スーパーコンピュータ
システムを利⽤しました。
4. 出版の詳細
“A genome-wide association study identified PTPN2 as a population-specific susceptibility gene
locus for primary biliary cholangitis (https://doi.org/10.1097/HEP.0000000000000894)で読むこ
とができます。
5.注 釈
*1 原発性胆汁性胆管炎(primary biliary cholangitis︓PBC)
中年⼥性に好発する⽐較的稀な慢性の肝疾患で、胆汁酸毒性や⾃⼰免疫的機序によって肝臓内の⼩さな胆管が破壊されることが原因と考えられていますが、その詳細は未だ明らかではありません。進⾏すると肝硬変、⻩疸・肝不全となり、肝移植しか治療法がなく難病に指定されています。
*2 ⼀塩基バリアント
ヒトの遺伝⼦は、30億個の塩基配列からできていますが、個⼈間で⼀塩基のみ異なる多様性のことを⼀塩基バリアントと呼び、それぞれのバリアントにおいて観察される複数の塩基のそれぞれをアレルと呼びます。⼀塩基バリアントは、⾝⻑、体重、⽪膚の⾊などの体質だけでなく、様々な病気への罹りやすさにも影響することが知られています。
*3 ゲノムワイド関連解析(Genome Wide Association Study︓GWAS)
疾患の発症に関わる遺伝⼦領域を全ゲノム中から網羅的に探索するために開発された⽅法です。具体的には、ある疾患などの患者群と健常者群の間で、数⼗万〜数百万ヶ所の⼀塩基バリアントにおけるそれぞれのアレルの割合を網羅的に⽐較し統計学的な検定をすることより、発症のしやすさに関係した遺伝的素因(疾患の発症に関わる遺伝⼦領域)を同定することができます。
*4 post-GWAS解析
上記のGWASにより、これまでに疾患の発症に関わる多くの遺伝⼦領域が同定されてきました。次のステップとして、これらの遺伝⼦領域内に位置するどのバリアントが、どのようなメカニズムを経て病気の発症に関わるかを調べることが重要課題となっています。本論⽂でも⽤いられた転写因⼦の結合予測、ゲノム編集技術、発現量的形質遺伝⼦座(eQTL)解析、GWASとトランスクリプトームとの統合解析などを活⽤したpost-GWAS解析⽅法を⽤いることによって、様々な疾患の病態の理解や新しい治療法の開発などが、今後⾶躍的に進むと期待されています。
*5ゲノム編集細胞
ゲノム編集技術の⼀つであるPrime Editorという⼿法を⽤いることによって、細胞が持つゲノムDNAにおける⽬的の部位を、思い通りの配列に変更することができます。本研究においては、T細胞株JurkatのゲノムDNAに対してrs2292758のそれぞれのアレルを導⼊した細胞を作成しました。rs2292758のCアレルを導⼊した細胞株とTアレルを導⼊した細胞株では、全ゲノム(30億塩基対)に対してrs2292758のみ塩基配列が異なるため、これらの細胞株におけるPTPN2発現量を⽐較することで、rs2292758が有するPTPN2発現量への効果を検討することができます。