ミトコンドリア相同的組換え酵素Mhr1の活性増強が重要
2019-04-17 理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センターケミカルゲノミクス研究グループの凌楓専任研究員らの研究チーム※は、出芽酵母[1]のミトコンドリアゲノム[2](mtDNA)の欠失を阻止する新たなメカニズムを発見しました。
本研究成果は、ヒトの健康寿命を延ばすことや、遺伝病の一種であるミトコンドリア病[3]対策に貢献すると期待できます。
ミトコンドリア[2]は、酸素呼吸を通して細胞エネルギーを生産する役割を担っており、そのゲノムであるmtDNAは細胞の呼吸機能に不可欠なタンパク質群をコードしています。そのため、mtDNAの一部が欠失する変異が起こると、呼吸機能に欠かせない遺伝子が欠落した小さなmtDNA分子が生成され、生物の呼吸機能に悪影響を及ぼします。ヒトでは、加齢に伴って欠失変異型mtDNAが増加し、細胞内に蓄積していきます。この現象は、パーキンソン病やがん、ミトコンドリア病の発症と密接に関連することが知られています。
今回、研究チームは、モデル生物である出芽酵母を用いて、ミトコンドリア相同的組換え[4]酵素「Mhr1」の活性増強が、ミトコンドリアゲノムの欠失変異による細胞呼吸機能の喪失を阻止することを発見しました。
本研究は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』オンライン版(4月1日付け:日本時間4月1日)に掲載されました。
※研究チーム
理化学研究所 環境資源科学研究所センター ケミカルゲノミクス研究グループ
専任研究員 凌 楓(リン フォン)
テクニカルスタッフⅡ ブラッドシャウ・エリオット(Elliot Bradshaw)
グループデイレクター 吉田 稔(よしだ みのる)
※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金 基盤研究C「DNA損傷時における酵母ミトコンドリアDNAの組換え依存型複製開始制御機構」(研究代表者:凌 楓)、同「ヒトミトコンドリアDNAホモプラスミー化の分子基盤に関する研究」(研究代表者:凌 楓)による支援を受けて行われました。
背景
ミトコンドリアは、細胞の呼吸機能を果たしており、呼吸に不可欠なタンパク質群はミトコンドリアゲノム(mtDNA)がコードしています。そのため、生物が呼吸機能を維持するためには、mtDNAのコピー数と塩基配列の完全性が常に保たれることが重要です。mtDNAの一部が欠失する変異が起こると、呼吸機能に欠かせない遺伝子が欠落した小さなmtDNA分子が生成され、生物の呼吸機能に悪影響を及ぼします。ヒト細胞においては、加齢に伴って欠失変異型mtDNAの割合が増加し、細胞内に蓄積していくと、やがてパーキンソン病、がん、そして遺伝病の一種であるミトコンドリア病の発症につながることが知られています。
従って、mtDNA欠失変異の発生を抑えることができれば、ヒトの健康寿命を延ばすことに貢献できると考えられます。しかし現時点で、欠失変異型mtDNAの発生を抑える方法はありません。
mtDNAの複製機構については不明な点が多く残されていましたが、研究チームは、従来のモデルではなく、DNA相同的組換えによるmtDNA複製が主要なメカニズムであることを提唱してきました注1)。最近、欧米の複数の研究者たちによって、このモデルがmtDNA複製の主要なものであることが確認されています注2)。
これまで凌専任研究員らは、理研で発見されたmtDNAの相同的組換え酵素「Mhr1」が、mtDNAの組換え依存型複製(ローリングサークル型複製[5])とゲノム分配に必要であることなどを明らかにしてきました注1,3,4)。しかし、Mhr1がmtDNA欠失変異の発生に対してどのように作用するのかは不明でした。
注1)2006年12月5日プレスリリース「ミトコンドリアDNA複製の常識の一端が覆る」
注2)Prasai et al., Nucleic Acids Res 45, 7760-7773,(2017). Fritschet al., Genetics 198, 755-771,(2014).
注3)2009年2月24日プレスリリース「酵母ミトコンドリアでは二重らせんをひねらずにDNA組み換えを開始」
注4)2016年4月28日プレスリリース「ミトコンドリアゲノムの初期化機構を発見」
研究手法と成果
モデル生物である出芽酵母のAbf2は、mtDNAに結合するタンパク質の一種で、mtDNAをコンパクトにまとめる役割を持ちます。ABF2遺伝子を欠損させた酵母では、ミトコンドリアゲノムが不安定になることが知られています。ヒトにも、Abf2に相同するタンパク質(TFAM)が存在します。
発酵性炭素源培地[6]では、酵母は解糖系を通してエネルギーを生産するため、呼吸をしなくても生育できることから、mtDNAの変異によって呼吸機能が阻害された酵母でも生存でき、観察が可能です。
研究チームはまず、ABF2遺伝子を欠損させた∆abf2変異体や、ABF2遺伝子を欠損させ、かつMHR1遺伝子に点突然変異を持たせた∆abf2 mhr1-1二重変異体を作製し、非発酵性炭素源培地[6]で呼吸機能を持つ酵母だけ生育させました。次に、二重変異体を発酵性炭素源培地に移しました。そして、mtDNA相同的組換え酵素Mhr1がmtDNA欠失変異の生成を抑制するか否かについて、抑制的ミトコンドリアDNA複製の解析法[7]、サザンブロット解析法[8]、四分子解析[9]により調べました。その結果、∆abf2変異体では、mtDNAの欠失変異が高頻度に引き起こされることを確認しました。さらに、∆abf2 mhr1-1二重変異体においては、mtDNAの欠失変異が一層増加し、細胞の呼吸機能が失われることを見いだしました。
一方で、非発酵炭素源培地で呼吸機能を維持した∆abf2 mhr1-1二重変異体を発酵炭素源液体培地で生育させると呼吸機能を維持できなくなりましたが、正常型のMhr1を大量発現させて活性を増強させると、呼吸機能を持つ酵母が顕著に増加しました(図1)。
これらのことから、Mhr1を介するmtDNAの相同的組換えが、mtDNA欠失によるミトコンドリアゲノムの不安定化を防ぐことで、細胞の呼吸機能を維持することが示されました(図2)。
今後の期待
mtDNAの相同的組換え酵素であるMhr1が、mtDNA複製だけでなくmtDNAの欠失変異も抑制するという本研究の成果は、mtDNAの完全性を維持する上でのDNAの相同組み換えの重要性をさらに強く示すものです。
mtDNAの欠失変異は、老化、発がん、神経疾患、ミトコンドリア病の発症と深く関連しているにもかかわらず、これまでその発生を抑える方法はありませんでした。本研究成果が手がかりとなって、mtDNAの欠失変異を防ぎ、ヒト健康寿命の維持に資する新しい方法の開発につながると期待できます。
原論文情報
Feng Ling, Elliot Bradshaw, Minoru Yoshida, “Prevention of mitochondrial genomic instability in yeast by the mitochondrial recombinase Mhr1”, Scientific Reports, 10.1038/s41598-019-41699-9
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター ケミカルゲノミクス研究グループ
専任研究員 凌 楓(リン フォン)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
補足説明
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- 出芽酵母
- 出芽によって増える酵母。パン酵母やビール酵母などが知られている。パン酵母は、細胞生物学や遺伝学実験のモデル生物として広く使われている。
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- ミトコンドリア、ミトコンドリアゲノム
- 遺伝子のほとんどは細胞の核内の染色体のDNA(核ゲノム)にあり、両親から受け継ぐ。しかし、細胞内小器官の一つであるミトコンドリアは、ミトコンドリアDNAと呼ばれる独自のDNAを持つ。これは、太古の昔に細胞の中に細菌が共生したことの名残と考えられている。ミトコンドリアで働くタンパク質を作る遺伝子の一部は、ミトコンドリアDNAに記されている。このミトコンドリアDNAは、ミトコンドリアゲノムとも呼ばれる。核の染色体DNAと異なり、すべて母親から受け継ぐことが一般的に広く知られている。但し、父親からも同時に受け継ぐケースがあることが最近報告された。一つの細胞には多数のミトコンドリアDNA分子が存在するが、その一部に異常があると、ミトコンドリア病が引き起こされる。
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- ミトコンドリア病
- 細胞エネルギーを生産するミトコンドリアの機能低下に起因する病気の総称。脳卒中や精神症状、認知症、心筋症、糖尿病など種々の症状を呈する。
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- ミトコンドリア相同的組換え
- 真核生物の細胞において、多コピー存在するミトコンドリアDNAの類似、あるいは相同部位(DNAの塩基配列がよく似た部位)で起きる遺伝情報の再編成のこと。ミトコンドリアDNAの二本鎖切断も、相同的組換えによって修復されることが可能である。
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- ローリングサークル型複製
- 環状DNAを鋳型として頭-尾結合(head to tail)の線状多量体(コンカテマー)を合成していく複製様式。切断酵素による二重鎖切断の過程で生じた単鎖DNAが、環状DNAと相同対合し、この単鎖DNAをプライマーとして複製が進行する。バクテリオファージがこの複製様式をとることが知られている。
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- 発酵性炭素源培地、非発酵性炭素源培地
- グルコース、ガラクトース、ラフィノースのような糖類を炭素源とする培地。発酵性炭素源培地で生育する酵母は、解糖系を通して細胞エネルギーATPを生産する。このことから、mtDNA欠失変異が蓄積し、呼吸機能が失われた酵母でも生育できる。これに対して、非発酵製炭素培地はグリセロールを炭素源とする培地で、ミトコンドリアの機能によりATPを生産する。
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- 抑制的ミトコンドリアDNA複製の解析法
- 欠失により短くなった変異ミトコンドリアDNAは、その長さに応じて、正常型よりも速く複製する。特に、複製開始配列を持つ欠失変異ミトコンドリアDNAは、正常型より著しく速く複製することが知られている。これを、超抑制現象と呼ぶ。「抑制的ミトコンドリアDNA複製の解析法」とは、この現象を、掛け合わせで形成した呼吸機能を持つ二倍体子孫の割合をもとにして解析する方法。
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- サザンブロット解析法
- 32Pなどの放射性同位元素で標識した短いDNA配列をプローブとして、プローブと相補的な塩基配列を持つDNA断片を特異的に検出する手法。
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- 四分子解析
- 胞子形成・減数分裂における染色体の相同的組換えを利用した遺伝的解析手法の一つ。酵母の二倍体から形成される四つの胞子を顕微鏡下で分離し、それぞれの表現型を観察することにより目的遺伝子を解析する。
図1 mtDNAの欠失変異による酵母の呼吸機能喪失を阻止するMhr1の大量発現
上段:非発酵性炭素源の液体培地で呼吸機能を維持した二重変異体∆abf2 mhr1-1は、発酵性炭素源の液体培地で呼吸機能を喪失しても生育する。全ての酵母細胞における呼吸機能を持つ細胞の割合は、発酵性と非発酵性炭素源の固体培地上で形成コロニーの数で算出できる。
下段:Mhr1の発現レベルを上げ、活性増強させると、mtDNA欠失変異の生成が阻止され呼吸機能を持つ細胞由来のコロニーが多く現れる。
図2 mtDNAの欠失変異を阻止するMhr1主導のmtDNAの相同的組換えと複製モデル
二重変異∆abf2 mhr1-1は、細胞の呼吸機能を喪失させるmtDNAの欠失変異を誘起する。ミトコンドリアの相同的組換え酵素Mhr1の通常発現レベルでは、mtDNAの複製を促進するが、過剰発現させると相同的組換えを高めることでmtDNA欠失変異の生成を阻止し、mtDNAの完全性維持に寄与する。