マウス全脳の神経回路構造解明へ一歩前進
内容
動物の感覚・運動などの多様な情報は、脳内の神経細胞が織りなす「神経回路」で処理されています。世界の脳科学研究者は、このような神経回路の構造や機能を詳しく知るべく、特に神経細胞の間で信号のやりとりをしているシナプスという構造に着目しています。シナプスという微細な構造を調べるには、電子顕微鏡を使ってミクロレベルで観察する必要があります。しかし、従来までの方法では、0.01 ミリメートル四方程度といった極めて小さな構造ですら、観察するのに大変な労力と時間を要していました。今回、私たちの研究グループが開発した最新の脳の神経回路構造を観察解析する方法は、従来とは比べ物にならないくらい容易に、高解像度かつ立体的な脳組織の微細構造の観察を実現しました。そしてこの革新的な新しい技術によって、より大きな脳の組織の電子顕微鏡画像の撮影が可能になります。
近い将来、この技術をさらに拡張し、マウスの脳のように大きな組織全体の神経回路構造を包括的に明らかにする研究を、今後は進める予定です。
本研究結果は、Nature Communications誌にオンライン掲載されました(2018年1月30日、日本時間19時)。
現代の脳科学では、電子顕微鏡という最も空間解像度の高い撮影装置を用いて、あらゆる動物の脳全体の神経回路網を描出する試みが世界中で行われています。電子顕微鏡で脳の微細構造を立体的に把握するためには、50 nm(ナノメートル、人の髪の毛のおよそ1/2000)程度の超薄切片を専用の超薄切装置(ウルトラミクロトーム)で作成し、それらを丹念に手仕事で回収していました。連続して回収した超薄切片は電子顕微鏡で観察・撮影され、さらに手動で画像同士をつなぎ合わせることで、立体画像を構築していました。つまり、主要な作業は全てが手作業であったため、とても小さな領域を観察するだけでも、非常に甚大な時間と労力を必要としていたのです。
私たちの研究グループは、まず初めにテープ自動回収型連続超薄切片切削装置(ATUMtome)*用語説明1を用いて、特殊な樹脂で固めたラットの脳のブロックから、25~50nmの厚さの連続超薄切片を自動でテープの上に回収し、走査型電子顕微鏡*用語説明2を用いて観察・撮影することを試みました。電子顕微鏡は、電子を高圧で超薄切片に当て、跳ね返って来た信号を検出し画像にします。高画質の画像を撮影する一つの重要な要件として、その画像信号以外の余分な電子をいかに効率的に接地(アース)経路で逃がすことができるかということがあります。導電性が高いテープの上に切片を乗せて観察することが、一つの有効な手段です。従来は、「カプトンテープ」というプラスチック系のテープの表面にカーボン蒸着処理を施して導電性をもたせたものを使っていました。ところが、このカーボンコートカプトンテープは導電性が十分でなく、高解像度画像の撮影には最適とはいえませんでした。そこで今回私たちは、非常に優れた導電性をもつ素材であるカーボンナノチューブに注目し、カーボンナノチューブコートPETフィルム*用語説明3をATUMtome用に加工処理しました。さらに、このカーボンナノチューブフィルムとほぼ同時期に開発していた、特殊な組織処理技術によって処理を施したラットの脳組織から超薄切片を作成し、このテープに回収した上で、高解像度で広範囲をほぼ自動で撮影する新型走査型電子顕微鏡で観察しました。結果、脳組織の広範囲にわたり、鮮明な微細構造を高解像度で観察撮影することに成功しました。
現在世界中で開発が進められている新型の走査型電子顕微鏡や画像処理ソフトウェアと、今回開発したフィルムや組織処理の技術をうまく拡張・融合させることで、今後は哺乳動物が持つ大きな脳全体の高解像度画像撮影と、その画像から再構築した立体構造構築を使った神経回路構造を解析する研究が、より一層高速化すると考えられます。さらに、精神・神経疾患患者やそのモデル動物の神経回路構造を迅速に可視化することにより、疾病の発生機序の解明や診断技術の向上に貢献する可能性を秘めています。
窪田准教授は「今回の研究開発で、脳の中にある神経回路の詳細な構造を効率的に解析することができるようになりました。今後は、0.5 mm大の動物の脳組織の微細構造を観察撮影して解析を進め、脳の局所神経回路構造の解析を進めたいと考えています。そして近い将来、センチメートル単位のマウス脳や、さらに大きな動物の脳神経回路地図の作成につながる技術の開発を進めていきます。」と話しています。
本研究は文部科学省科学研究費補助金、ノバルティス科学振興財団研究補助金、岡崎オリオンプロジェクト研究補助金、自然科学研究機構新分野創成センターイメージングサイエンス研究分野プロジェクトの助成を受けて行われました。
用語説明
1. テープ自動回収型連続超薄切片切削装置
(ATUMtome: Automated Tape-collecting Ultra Microtome)
電子顕微鏡観察のために、組織標本を20-100 ナノメートル厚程度の薄さに超薄切片を切り出す装置に、テープ自動回収装置を装備した新しい電子顕微鏡切片作成装置。アメリカのハーバード大学のJeff Lichtman教授らにより開発されました。世界中で50台程度、日本では4台が設置導入されています。
2. 走査型電子顕微鏡
1-10 keV程度の高圧に加速した電子ビームを組織切片や構造物に投射し、そこから反射して来た電子を検出器で読み取り、画像化する装置。生物の微細構造の観察のみならず、半導体チップが正確に制作されているかどうかを確認することにもよく使われています。
3. カーボンナノチューブPETフィルム
カーボンナノチューブは、カーボン(炭素)分子が六員環構造に連なり数ナノメートル直径のサイズのチューブ(円筒)を形成した構造をしています。導電性が非常に高く柔軟性にも優れている新素材であり、NEC基礎研究所の、飯島澄男主席研究員(現在名城大教授兼任)らが1993年に世界に先駆けて報告しました。これを、PETフィルムの表面にコートして導電性をもたせたものが東レによって開発されました。
今回の発見
1.新素材のカーボンナノチューブをコートしたテープを電子顕微鏡観察法に使用した結果、高解像度の脳組織の微細構造写真を撮影することに成功しました。
2.電子顕微鏡観察に最適化した組織処理方法に改善を加え、より鮮明なシナプス結合画像の撮影に成功しました。
図1 シナプスの微細構造を示した電子顕微鏡写真
シナプスは、神経細胞が次の神経細胞に信号を伝える構造のことを言う。神経終末に多くあるシナプス小胞の中には神経伝達物質が入っており、信号を伝える際に、シナプス間隙中に放出される。その直下にある棘突起の後シナプス肥厚の表面に分布する受容体で感受することで信号が次の神経に伝わる。
この研究の社会的意義
本研究は、脳の局所神経回路の構造を解析する新しい戦略方法の技術確立に貢献するものであると考えられます。近い将来、アルツハイマー変性疾患や統合失調症などといった、脳の構造自体が変化するさまざまな疾患に罹患した脳の、局所的な神経回路構造の異常を解析する上で重要になる技術であると考えます。
論文情報
Carbon nanotube tape for serial-section electron microscopy
Yoshiyuki Kubota, Jaerin Sohn, Sayuri Hatada, Meike Schurr, Jakob Straehle, Anjali Gour, Ralph Neujahr, Takafumi Miki, Shawn Mikula, Yasuo Kawaguchi
2018年 1月30日 日本時間19時オンライン掲載
お問い合わせ
<研究について>
自然科学研究機構 生理学研究所 大脳神経回路論研究部門
准教授 窪田芳之 (クボタヨシユキ)
<広報に関すること>
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
リリース元
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
関連部門
関連研究者
准教授 窪田 芳之
KUBOTA, Yoshiyuki