2022-08-11 東京大学
大矢 恵代(生物科学専攻 博士課程 (研究当時))
角谷 徹仁(生物科学専攻 教授)
稲垣 宗一(生物科学専攻 准教授)
発表のポイント
- ヒストン修飾の1つである、H3K4メチル化を担うメチル化酵素には、ゲノムの転写と共働するタイプと、特定のクロマチン修飾やDNA配列を標的として働くタイプがあることを見出しました。
- 見解が分かれていた、H3K4メチル化 をゲノム上の適切な位置に導入する仕組みについて、新しい研究アプローチから、説明を提供しました。
- 多くの遺伝子の発現に関わるH3K4メチル化の制御メカニズムについて理解を進める成果であり、将来的に発現エンジニアリング等への応用も期待できます。
発表概要
クロマチン修飾(注1)の1つであるヒストンH3タンパク質の4番目のリジンのメチル化(H3K4メチル化)は、進化的保存性が高く、ゲノムの中でも特に発現レベルの高い遺伝子領域に分布してします。H3K4メチル化が遺伝子の発現を促進しているのか、あるいは遺伝子発現の結果導入されるものなのかといった点や、H3K4メチル化が特定のゲノム領域に導入される仕組みについては、いくつもの仮説が提案され、議論が続いていました。
東京大学理学系研究科の大矢恵代大学院生(研究当時)、角谷徹仁教授、稲垣宗一准教授らのグループは、複数あるH3K4メチル化酵素それぞれのゲノム中の分布を実験的に決定し、局在パターンを機械学習によりモデル化する手法から、遺伝子の転写装置(注2) と共働するタイプのメチル化酵素と、特定のクロマチン修飾やDNA配列を標的にするタイプのメチル化酵素の2つが分業してH3K4メチル化を制御していることを見出しました。
H3K4メチル化 は多くの遺伝子発現を調節する修飾であり、H3K4メチル化の制御ルールを示すこの研究は、発現エンジニアリング等への将来的な応用が期待できます。
発表内容
クロマチン修飾は、遺伝情報の適切な調節に不可欠です。H3K4メチル化は、調べられている全ての真核生物が共通して持つクロマチン修飾の一種であり、ゲノムの中でも特に発現レベルの高い遺伝子をコードする領域ほどH3K4メチル化が密に分布しています。
H3K4メチル化が、どのようなルールで特定のゲノム領域に導入されるのかは、見解が分かれていました。例えば、H3K4メチル化酵素は転写装置と物理的に相互作用することが知られており、H3K4メチル化は転写の結果として導入されるという見方の根拠となっています。一方でいくつかの実験では、H3K4メチル化は先立つ転写なしに導入されることも観察されていました。
研究チームはまず、モデル生物シロイヌナズナ(注3)において、H3K4メチル化酵素を標的としたChIP-seq 法(注4)によって、H3K4メチル化酵素のゲノム上の分布を観測しました。次に、どのような法則によって特定のゲノム領域へのメチル化酵素の局在が決まるのかを探るために、 機械学習を用いて局在を説明するモデルを探索しました。具体的には、任意の領域のクロマチンの状態(局所的なクロマチンの緩み具合(注5)、クロマチン修飾量など)やDNA配列情報などを手がかり(特徴量)として、そこにメチル化酵素が局在するか否かを対応づけるよう、2種類の機械学習アルゴリズム(random forest と support vector machine)を訓練しました。
このアプローチを3つのH3K4メチル化酵素に対して適用したところ、うち1つ(SET1タイプ酵素:(注6))は転写装置の結合する場所に局在していたことから、転写に伴ってメチル化を行うことが示唆されました(図1左)。対照的に、他の2つのメチル化酵素(Trx/Trrタイプ酵素:(注6))が局在する場所には、他のゲノム領域とは異なる特徴的なクロマチン修飾セットとおよび特徴的なDNA配列セットが見出されました(図1中)。
図1:(左、中)縦軸に示すクロマチン特徴群を特徴量(手がかり)にして、ATXR7、ATX1、ATX2 という3つのシロイヌナズナH3K4メチル化酵素の局在をrandom forestによりモデル化した。横軸(Importance;相対寄与度)は、モデル中で各特徴がどれだけATX(R)の局在を説明するかを反映した相対値。左に示すATXR7 は遺伝子を転写するRNAP2 (RNA Polymerase 2)によく説明され、中図のATX1(とATX2; 図省略)はクロマチン修飾によく説明されている。別の解析から、ATX1とATX2の局在領域のDNA配列にも特徴があることがわかった。
(右)本研究のモデル。H3K4 メチル化酵素は進化的にSET1タイプ と Trx/Trrタイプ に分けられるが、前者は転写装置と協働し、後者は局所的なクロマチン修飾やDNA配列を目印にして働く。
これらの結果から、H3K4メチル化酵素には少なくとも2種類の機能様式があると考えられます。片方は転写を 「記録」するかのように振る舞い、もう片方は、特定のDNA配列とクロマチン修飾をいわば 「解読」してメチル化を行います。これら2パターンの制御を裏付けるように、前者のメチル化酵素を欠損した変異体では、転写量の多い領域ほどH3K4メチル化が分布するという相関関係が弱まり、後者の酵素を欠損すると強まりました。
この知見の普遍性を確認するために、公開されているデータを利用してマウスのH3K4メチル化酵素の局在について同様の解析を行いました。その結果、シロイヌナズナの場合と同様に、SET1タイプのメチル化酵素の局在パターンは転写装置の局在で説明でき、Trx/Trrタイプのメチル化酵素は局所的なクロマチン修飾で説明できることがわかりました。「記録」と「解読」の2種類のH3K4メチル化の仕組みが、マウスとシロイヌナズナという進化的に遠く離れた生物種間で保存されていることが示唆されます(図1右)。
H3K4メチル化 は転写を多面的に調節する修飾であり、H3K4メチル化自身も発生や環境応答の過程でダイナミックに調節されます。また、H3K4メチル化の制御不良を原因とする疾患も知られています。今回示されたH3K4メチル化を導入する仕組みは、望ましい遺伝子発現を人工的に作り出す技術に将来的に応用できる可能性を持ちます。
本研究は科学技術振興機構(JST)さきがけ(課題番号:JPMJPR17Q1、研究代表者:稲垣宗一)、CREST(課題番号:JPMJCR15O1、研究分担者:角谷徹仁)、日本学術振興会科学研究費助成事業(課題番号:JP26221105、JP15H05963、JP19H00995、角谷徹仁;JP20H05913、JP22H02299、稲垣宗一)、日本学術振興会特別研究員奨励費(課題番号:JP19J21882、大矢恵代)などの支援を受けて行われました。
発表雑誌
- 雑誌名
Nature Communications論文タイトル
Transcription-coupled and epigenome-encoded mechanisms direct H3K4 methylation著者
Satoyo Oya*, Mayumi Takahashi, Kazuya Takashima, Tetsuji Kakutani* & Soichi Inagaki*
用語解説
注1 クロマチン修飾
遺伝情報の実体であるDNAは長い紐状の分子だが、真核生物の核内では、DNAにはさまざまなタンパク質がビーズのように規則的にびっしり結合している。この「DNA+DNA結合タンパク質」の複合体をクロマチンと呼ぶ。クロマチンの機能として、長大なDNAを小さな核に効率よく収納すること、DNAを保護することなどが知られている。
クロマチンに付加する化学修飾群をまとめてクロマチン修飾と呼ぶ。例えばDNA分子自身にはメチル基を代表とする化学修飾が付加する。DNA結合タンパク質のうち最も量が多いヒストンタンパク質も、タンパク質上のさまざまな場所に、メチル化、アセチル化、ユビキチン化といった多種類の修飾を受け、ヒストン修飾と呼ばれる。このような、クロマチン修飾は、遺伝情報の適切な読み出し、継承等に不可欠であることが知られている。
注2 転写装置
遺伝子の情報をRNAに転写する装置。DNAを鋳型にRNAを合成するRNAポリメラーゼを含むタンパク質巨大複合体である。
注3 シロイヌナズナ
代表的な実験植物。シロイヌナズナはゲノムサイズが小さく、世代時間が短く、遺伝子組換え等も容易で、また、真核生物に存在するクロマチン修飾のほとんどを持つため、クロマチン修飾制御の研究に適している。
注4 ChIP-seq
Chromatin Immunoprecipitation sequencing(クロマチン免疫沈降シーケンス)の略称。注目するタンパク質が結合しているゲノム上の位置を特定する手法。注目するタンパク質と特異的に結合するような抗体をクロマチンと混合後に回収することで、そのタンパク質に結合しているDNAを得ることができる。回収したDNAの配列をシーケンサーで決定してゲノム配列と比較することで、結合領域を決定する。
注5 クロマチンの緩み具合
核内にはクロマチンが密につまっていてタンパク質などのアクセスが制限された領域と、クロマチンが緩んでいてタンパク質などがアクセスしやすい領域が存在し、このクロマチンの高次構造は遺伝情報の適切な読み出しに重要な役割を持つことが知られている。クロマチンの緩み具合を調べる方法としてAssay for Transposase-Accessible Chromatin using sequencing (ATAC-seq)などいくつかの方法があり、本研究ではATAC-seqのデータを利用した。
注6 SET1 タイプ酵素とTrx/Trrタイプ酵素
真核生物の共通祖先は、少なくとも2つのH3K4メチル化酵素を持っていたと考えられている。その2つに起源するメチル化酵素群を、ここではそれぞれSET1タイプとTrx/Trr タイプと呼びわけている。動物と植物が進化する間に、SET1タイプとTrx/Trrタイプも、動物・植物独自に「かたち」が変わったり、重複したり一部の種で失われたりするなど変化を経てきたが、現代の動物植物でも共通して、SET1タイプとTrx/Trrタイプ酵素の全体の特徴は保存されている。ヒトはTrx/Trr タイプのメチル化酵素遺伝子を4つ持ち、MLL1 から MLL4 と呼ばれるそれらの遺伝子の異常は急性白血病の原因の1つである。