2022-12-21 基礎生物学研究所,生命創成探究センター
脊椎動物の内耳にある前庭器官は頭部の傾きや動きを受容します。前庭器官には頭部の傾きや振動などの直線的な動きを受容する耳石器官と、回転を受容する三半規管があります。それぞれの器官では感覚受容細胞である有毛細胞が頭部の傾きや動きを受容し、前庭神経節ニューロンを介して脳へ信号伝達します。
基礎生物学研究所 神経行動学研究部門/生命創成探究センター 神経ネットワーク創発研究グループの谷本昌志助教、東島眞一教授らは、生物試料と対物レンズを一緒に傾けたり振動させながらイメージングを行うことが可能な「対物レンズ傾斜顕微鏡」を作製し、生体観察に適したゼブラフィッシュ仔魚の耳石器官の有毛細胞と前庭神経節ニューロンの活動を生体内カルシウム(Ca2+)イメージングによって可視化することに成功しました。頭部を前後方向や左右方向へ傾斜あるいは振動させながら神経活動を計測した結果、頭部の傾きや動きの「方向」が、異なる場所の有毛細胞・前庭神経節ニューロンによって受容し分けられること、そして速い振動/遅い傾斜などの頭部の「動き方」も、異なる場所の有毛細胞によって受容し分けられていることが明らかになりました。前庭器官の構造と機能は脊椎動物種間で共通性が高いため、私たちヒトの耳石器官でも同様の仕組みで頭部の傾きや振動が受容し分けられていることが示唆されます。本研究成果は英国科学雑誌『Nature Communications』に、2022年12月21日付で掲載されます。
図:本研究成果のまとめ
【研究の背景】
内耳の前庭器官は、頭部の傾きや動きの「方向」や「動き方」の情報を脳へ伝達します。重力や直線的な頭部の動きは耳石器官で受容され、頭の回転は三半規管で受容されます。いずれの器官においても、感覚受容細胞である有毛細胞の感覚毛に存在する機械受容チャネルが重力や頭部運動によってもたらされる力で開き、陽イオンが有毛細胞内へ流入することで頭部の傾きや動きが生体電気信号へと変換され、前庭神経(前庭神経節ニューロン)を介して脳へ情報伝達されます。感覚毛は短いものから長いものまで階段状に整列しており、それぞれの毛先は先端糸と呼ばれる紐状のタンパク質で隣の感覚毛とつながっています。毛が短い側から長い側へ倒れたときに先端糸に生じる張力が最大となり、機械受容チャネルが開く確率も最大となることから、感覚毛の並び方(極性)が有毛細胞の方向選好性(どちらの方向の動きに大きく応答するのかを表す性質)を決定することが知られています(図1)。
図1 内耳の前庭器官で頭部の傾斜や動きが受容・伝達されるメカニズムと耳石器官の有毛細胞の極性
耳石器官では、感覚毛の極性が近隣の有毛細胞同士で似た方向、かつ少しずつ異なっており、極性反転線を境目に180度反対向きに反転しています。したがって、頭部の傾きや動きの方向は、それによってもたらされる力の向きに合致した方向の感覚毛の極性をもつ有毛細胞によって受容されると考えられています。しかし、内耳の中にある有毛細胞の活動を頭部運動中に調べることは極めて難しく、個々の有毛細胞が頭部運動中に生体内でどのように活動するのかを調べられていませんでした。また、これまでの研究では計測対象となる細胞を特定しながら一度に多数の細胞の活動を計測することが困難だったため、頭部の傾斜や運動の方向についての情報が、どの前庭神経節ニューロンによって脳へ伝達されるのかについても詳しく理解されていませんでした。
耳石器官は、頭部のゆっくりとした傾斜や急速な振動などの異なる「動き方」の情報も脳へ伝達します。これらの情報は、異なる種類の前庭神経節ニューロンによって伝達されると考えられています。耳石器官には「分水嶺」と呼ばれる領域があり、分水嶺に存在する有毛細胞は分水嶺外の有毛細胞と形態や生理学的性質が異なっています(図2)。同様に、分水嶺の有毛細胞から信号を受け取る前庭神経節ニューロンは、分水嶺外の有毛細胞から信号を受け取る前庭神経節ニューロンと形態や生理学的性質が異なっています。それぞれの前庭神経節ニューロンの活動を調べた研究から、前者の前庭神経節ニューロンは、急速な頭部振動などの高周波数の動的な頭部運動情報を伝達し、後者の前庭神経節ニューロンは、ゆっくりとした頭部傾斜などの低周波数の静的な頭部運動情報を伝達する、すなわち頭部運動の異なる「動き方」がそれぞれ異なるニューロン集団によって脳へ伝達されることが示唆されていました。しかし、この異なる「動き方」の情報が前庭神経節ニューロンではじめて分離されるのか、それとも有毛細胞の段階で受容し分けられるのか不明でした。
図2 耳石器官の分水嶺
これらの問いに答えるためには、頭部運動中に多数の有毛細胞やニューロンの活動を生体内で同時に計測することが必要です。そこで本研究グループは、頭部の傾斜や振動中に神経活動を計測することが可能な「対物レンズ傾斜顕微鏡」を作製して、生体内イメージングによる神経活動の可視化を試みました。有毛細胞やニューロンが活動するとCa2+が流入して細胞内Ca2+濃度が上昇するため、Ca2+と結合すると蛍光強度が上昇するセンサーを使ったカルシウムイメージングによって活動を可視化することができます。独自の顕微鏡を用いて、組織の透明度が高く内耳も小さい体長4 mmほどの小さなゼブラフィッシュ仔魚をイメージングすることで、頭部傾斜・振動中の有毛細胞と前庭神経節ニューロンの活動を可視化することを目指しました。
【研究の成果】
生物試料を傾斜/振動させながらイメージングを行うために、電動回転ステージやスピンディスク共焦点スキャナ、カメラ等を組み合わせた「対物レンズ傾斜顕微鏡」をデザインし組み立てました(図3-1)。電動回転ステージで生物試料と対物レンズを一緒に動かしながらイメージングすることができます(動画1[等倍速])。ゆっくりと大きな角度で回転させると生物試料には静的な傾斜刺激が与えられ、すばやく小さな角度で往復させると振動刺激が与えられます。この顕微鏡を用いて試料の蛍光をカメラで撮影しました。ステージの回転中にカメラの位置は動かないため、撮影した画像はステージの回転に伴って回転することになります。画像の回転は実験後にコンピュータ上で逆回転させることで取り除きました。
図3-1 対物レンズ傾斜顕微鏡
まず、蛍光ビーズを試料として撮影すると、ステージ回転中に止むを得ず生じてしまう光学系の歪み等によって大きなアーティファクト(生体応答に起因しない人工的な蛍光強度変化)が発生し、このままでは神経活動の計測が難しいことが分かりました。そこで、蛍光強度比イメージングと呼ばれる手法を導入しました。この手法では、分光装置(イメージスプリッティング装置)を用いて異なる色(例えば緑色と赤色)の画像を同時に取得し、その蛍光強度比を計算することでアーティファクトを低減させることができます。これによってアーティファクトを小さく抑えることができました(図3-2)。
図3-2 蛍光強度比イメージング
この対物レンズ傾斜顕微鏡で耳石器官の有毛細胞の活動をイメージングしました。耳石器官のなかで水平面の動きや前後左右方向への傾斜を受容すると考えられている卵形嚢の有毛細胞をイメージングしました。有毛細胞に緑色蛍光のCa2+センサー(GCaMP)と赤色蛍光タンパク質を発現する遺伝子組換え魚を作成し、魚を前後方向や左右方向へ傾斜させながら全ての有毛細胞の活動をカルシウムイメージングしました。傾斜させると、その傾斜方向に応じて異なる場所の有毛細胞で蛍光強度比の上昇が観察され、方向選好的な活動が可視化されました(図4、動画2[4倍速])。個々の有毛細胞の方向選好性をベクトルで表すと、その方向は感覚毛極性に合致していました。さらに、応答の大きさが耳石器官内の場所ごとに異なっていることが明らかになりました。
図4 傾斜中の有毛細胞の活動イメージング
一方、前後方向や左右方向への振動中に有毛細胞の活動をイメージングすると、耳石器官内の特定の場所の有毛細胞が活動することがわかりました(図5、動画3[4倍速])。この場所が分水嶺と呼ばれる領域である可能性があります。そこで、分水嶺をラベルする遺伝子組換え魚を作成し、分水嶺と分水嶺外の有毛細胞の応答をイメージングしました。その結果、頭部の振動は分水嶺の有毛細胞によって、傾斜は主に分水嶺外の有毛細胞によって受容し分けられることが明らかになりました(図6)。
図5 振動中の有毛細胞の活動イメージング
図6 分水嶺と分水嶺外の有毛細胞の応答性の違い
さらに、頭部の傾きの情報が有毛細胞から脳へどのように伝達されるのかを調べるため、前庭神経節ニューロンの活動をイメージングしました。魚を傾斜させると、有毛細胞と同様に傾斜方向に応じて異なる場所で方向選好的なニューロン活動が観察されました(図7)。このことは、有毛細胞から前庭神経節ニューロンへ、場所ごとに異なる傾斜方向についての感覚情報が伝達されていることを示唆しています。そこで、遺伝子組換え魚を使って前庭神経節ニューロンの有毛細胞への神経投射を可視化し、実際にそのような神経投射パターンになっていることを実証しました。
図7 前庭神経節ニューロンの傾斜中の活動と神経投射パターン
以上の研究結果から、頭部の傾きや動きの「方向」が異なる場所の有毛細胞・前庭神経節ニューロンによって受容し分けられること、また、速い振動/遅い傾斜のような「動き方」も異なる場所の有毛細胞によって受容し分けられていることが明らかになりました。
【今後の展望】
対物レンズ傾斜顕微鏡は、透明度の高い生物試料を傾斜/振動させながら観察することができ、ゼブラフィッシュ仔魚を用いることで内耳だけでなく脳や脊髄の神経活動も可視化することができます。本研究で確立したイメージング解析手法を用いることで、頭部の傾斜や動きについての感覚入力が脳の神経回路でどのように情報処理されるのか、また傾斜時に姿勢がどのように保持されるのか、といった研究課題への貢献が期待されます。
【映像】
動画1[等倍速] https://www.nibb.ac.jp/pressroom/news/uploads/20221221/movie01.mp4
動画2[4倍速] https://www.nibb.ac.jp/pressroom/news/uploads/20221221/movie02.mp4
動画3[4倍速] https://www.nibb.ac.jp/pressroom/news/uploads/20221221/movie03.mp4
【発表雑誌】
雑誌名 Nature Communications
掲載日2022年12月21日号
論文タイトル: Tiltable objective microscope visualizes selectivity for head motion direction and dynamics in zebrafish vestibular system
著者:Masashi Tanimoto, Ikuko Watakabe, Shin-ichi Higashijima
DOI:10.1038/s41467-022-35190-9
【報道解禁日時】
日本時間2022年12月21日19時。新聞は22日朝刊より情報をご利用頂けます。
【研究グループ】
基礎生物学研究所 神経行動学研究部門/生命創成探究センター 神経ネットワーク創発研究グループの谷本昌志 助教、渡我部育子 技術支援員、東島眞一 教授の研究グループにより行われました。
【研究サポート】
本研究は、文部科学省科学研究費助成事業(JP18KK0215, JP19H03333, JP20K06866)のサポートを受けて行われました。
【本研究に関するお問い合わせ先】
自然科学研究機構 基礎生物学研究所 神経行動学研究部門
自然科学研究機構 生命創成探究センター 神経ネットワーク創発研究グループ
助教 谷本 昌志(たにもと まさし)
【報道担当】
基礎生物学研究所 広報室
自然科学研究機構 生命創成探究センター 研究戦略室