2022-04-22 東京大学
発表のポイント
◆空間的トランスクリプトーム(注1)と一細胞トランスクリプトームのデータを統合的に解析することで、ラットの腎臓における空間情報を伴う細胞レベルの詳細なカタログを構築しました。
◆同一の細胞種であっても、腎臓内の領域ごとに遺伝子発現上異なる性質を有していることを示しました。
◆腎臓内で薬剤応答に不均一性がある可能性を示し、新しい薬理評価手法としての有用性を示しました。
発表概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科の鈴木 絢子准教授と鈴木 穣教授らのグループは、空間的トランスクリプトームと一細胞トランスクリプトームのデータの統合解析により、ラットの腎臓の空間情報を伴う細胞レベルの詳細なカタログを構築しました。さらに、このカタログを用いて、組織内で薬剤応答に不均一性が存在することを示しました。
一細胞トランスクリプトーム解析は、単一細胞の遺伝子発現解析が可能な手法として有用ですが、組織上での位置情報を参照することはできません。近年開発された、空間的トランスクリプトーム解析は位置情報を参照しながら遺伝子発現解析が可能ですが、その空間分解能には制限があり、腎臓のような複雑な臓器への適用は限られていました。
今回、ラットの腎臓を用いて空間的トランスクリプトームデータと一細胞トランスクリプトームデータを同時に取得し、それらを統合的に解析することで、空間情報を伴う一細胞レベルの網羅的な遺伝子発現情報のカタログを構築しました。さらに、空間情報を参照した薬理評価によって、糸球体(注2)間で薬剤応答に不均一性が存在することを示し、本手法の新規薬理評価手法としての有用性を示しました。
本研究成果は、2022年3月23日(水)に「DNA Research」のオンライン版に掲載されました。
発表内容
研究の背景・先行研究における問題点
一細胞トランスクリプトーム解析は、単一細胞の遺伝子発現解析が可能な手法として近年著しい発展を遂げ、様々な研究領域で応用が進んでいます。しかし、組織由来の細胞を解析するためには、細胞を分散する過程が必要となるため、本来の組織における位置情報を参照した解析はできません。空間的トランスクリプトーム解析は、組織切片上の位置情報を参照しながら網羅的な遺伝子発現解析が可能な新規技術として、近年注目を集めています。しかし、空間分解能に制限がある(~数十細胞)ため、がんや脳組織などのマクロな構造と機能の関連が知られる組織への応用が中心となっていました。
腎臓は、微細な尿細管構造と血管系が複雑に連携し、多数の細胞が組織内の位置に応じて多様な役割を果たすことで、臓器として機能しています。その複雑さ故に、詳細な生物学的情報についても未だに明らかになっていない部分が多く、様々な疾患に関わる臓器の一つとして非常に高い創薬ニーズが残っています。また、その空間的な複雑性が薬理効果にどのような影響を及ぼすかについても明らかになっていません。腎臓の複雑性を理解するために、詳細かつ網羅的なデータの蓄積は必須ですが、他の組織と比較してヒトおよび各種モデル動物の腎臓のオミクスデータの蓄積は乏しいことが知られています。
研究内容
今回、初めてラットの腎臓の空間的トランスクリプトームデータと一細胞トランスクリプトームデータを同時に取得し、それらを統合的に解析することで、空間情報を伴う一細胞レベルの網羅的な遺伝子発現情報のカタログ化を行いました(図1)。
図1. 空間的トランスクリプトームと一細胞トランスクリプトームデータの統合的な解析
ラットの腎臓を用いて空間的トランスクリプトーム(左)と一細胞トランスクリプトーム(右)データを取得し、両者を統合的に解析しました。空間的トランスクリプトームデータでは、組織切片上のスポットごとに遺伝子発現データが取得されています。一細胞トランスクリプトームデータでは一つ一つの腎構成細胞の遺伝子発現データが取得されています。
このカタログを用いて、同一の細胞種において空間的な分布による遺伝子発現の性質に違いが見られるかを確認しました。腎臓の領域は大きく皮質側と髄質側に分けることができます。解析の結果、集合管の介在細胞において、髄質側で低酸素への応答を生じていること(図2)や、活発にアンモニアの再吸収が起きていることを示しました。
図2. 同一細胞種(集合管介在細胞)における組織上の位置による性質の違い
空間的および一細胞トランスクリプトームデータの統合解析により、集合管の介在細胞に皮質側と髄質側で異なる亜集団が見いだされ、髄質側では低酸素への応答が生じていることが分かりました。特定の細胞の周辺環境の差に応じた性質の違いを確認できました。
また、今回の統合解析手法を詳細な薬理評価に応用するために、腎臓の創薬研究における対照薬として頻用されるロサルタン(注3)を投与したラットのデータも並行して取得しました。空間情報を参照することで、従来の一細胞トランスクリプトーム解析では同定が困難な希少な細胞集団であるマクラデンサ細胞(注4)や傍糸球体細胞(注5)をデータ内に同定することができ、各細胞におけるロサルタンへの応答を捉えることができました(図3)。
図3. 一細胞レベルかつ空間的なロサルタンの薬理評価
ロサルタンはアンジオテンシンII受容体の拮抗作用により、マクラデンサ細胞と傍糸球体細胞における遺伝子発現変動を引き起こします。今回の統合解析によってこの変動を確認でき、局所的な薬剤応答を一細胞レベルかつ空間的に評価できました。
さらに、薬剤への応答に空間的な不均一性があるかを確かめるために、各糸球体におけるロサルタンへの応答遺伝子の発現分布を調べたところ、一部の糸球体が高い応答状態にあることを示しました(図4)。希少な細胞集団における薬効の検出、および空間的な薬剤送達性の不均一性の評価が可能であることから、新規の薬理評価法としての本手法の有用性を示しました。
図4. 糸球体間における薬剤応答の不均一性
ロサルタン投与によって変動する遺伝子の発現量を指標に、各糸球体の薬剤応答性を比較しました。その結果、一部の糸球体で薬剤に対してより強く応答している可能性が示唆されました。今回の統合解析により、薬剤応答における空間的な不均一性が評価できました。
社会的意義・今後の予定など
今回、腎臓の複雑性に迫るために有用な、空間情報を伴う一細胞レベルの網羅的な遺伝子発現情報のカタログを構築しました。さらに今回の統合解析手法は、腎臓のように複雑な臓器における詳細な薬理評価手法の一つとなり得る可能性があります。
本研究は、学内教育プログラムData Scientist Training / Education Program (DSTEP)および、文部科学省科学研究費助成事業 新学術領域研究(16H06279及び17H06306)の支援を受けて行われました。本研究でカタログ化したラット腎臓の空間情報を伴う一細胞レベルの網羅的な転写情報は、科学技術振興機構(JST)バイオサイエンスデータベースセンター(NBDC)統合推進化プログラムにより支援されているデータベースDBKERO(https://kero.hgc.jp/)より公開予定です。
発表雑誌
雑誌名:「DNA Research」(オンライン版:3月23日)
論文タイトル:Spatial and single-cell transcriptome analysis reveals changes in gene expression in response to drug perturbation in rat kidney
著者:Naoki Onoda, Ayako Kawabata, Kumi Hasegawa, Megumi Sakakura, Itaru Urakawa, Masahide Seki, Junko Zenkoh, Ayako Suzuki, Yutaka Suzuki
DOI番号:10.1093/dnares/dsac007
アブストラクトURL:https://doi.org/10.1093/dnares/dsac007
発表者
小野田 直記(東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 博士後期課程3年生/協和キリン株式会社 研究開発本部 研究ユニット 創薬基盤研究所)
川端 彩子 ( 協和キリン株式会社 研究開発本部 研究ユニット 創薬基盤研究所)
長谷川 久美(協和キリン株式会社 研究開発本部 研究ユニット 創薬基盤研究所)
坂倉 恵 (協和キリン株式会社 研究開発本部 研究ユニット 創薬基盤研究所)
浦川 到 (協和キリン株式会社 研究開発本部 研究ユニット 創薬基盤研究所)
関 真秀 ( 東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 特任准教授)
善光 純子 (東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 特任研究員)
鈴木 絢子 (東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 准教授)
鈴木 穣 (東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 教授
用語解説
(注1)トランスクリプトーム:
細胞内に存在するすべての転写産物の総称。マイクロアレイやRNAシーケンスによって計測することで、対象となる集団の遺伝子発現情報を網羅的に取得することができます。
(注2)糸球体:
腎臓において血液のろ過が行われる部位で、細い毛細血管からなる球状の構造を、尿細管の始点となる上皮細胞が袋状に包んでいる、特徴的な構造をとっています。
(注3)ロサルタン:
高血圧を伴う腎臓病への治療薬として承認されている降圧剤の1つで、腎領域の研究における対照薬として頻用される薬剤です。
(注4)マクラデンサ細胞:
糸球体近傍に位置している特殊な遠位尿細管細胞で、尿細管内の塩濃度の変化を感知することで、糸球体内の血圧を調整する重要な機能の一部を担っています。
(注5)傍糸球体細胞:
糸球体に隣接して存在する細胞で、血圧の調整に重要なレニンという物質の分泌を担うことで、マクラデンサ細胞と連携して糸球体内の血圧を調整する重要な機能の一部を担っています。
お問い合わせ
新領域創成科学研究科 広報室