クモ糸形成の秘密を解き明かす~疎水性の異なるクモ糸タンパク質の自己組織化~

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2024-08-28 理化学研究所,京都大学

理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チームの沼田 圭司 チームリーダー(京都大学大学院 工学研究科 教授)、マライ・アリ・アンドレス 上級研究員らの研究チームは、クモ糸が複雑な階層構造[1]を持つ固体繊維に変化する過程を解明しました。

この成果は、超高性能かつ低環境負荷の次世代型繊維材料の開発に貢献することが期待されます。

研究チームは、クモの牽引(けんいん)糸[2]の主要なタンパク質成分であるMaSp1を生産するための新しいプラットフォームを開発しました。さらに、MaSp1が無秩序なタンパク質から、より複雑な構造へと段階的に組み立てられる要因を明らかにし、クモ体内での糸形成過程を模倣しました。この過程には、イオンの勾配に応じた液-液相分離(LLPS)[3]、水素イオン指数(pH)の勾配に応じたナノ繊維の形成、機械的変形に応じたβシート構造[4]の誘導が含まれており、これらの変化が相乗的に作用して、ナノ繊維が配向(一定方向に配列)した内部構造を持つ糸繊維の自己集合[5]を可能にしています。特に、MaSp1の自己集合が迅速に進行することが、新たに開発されたモニタリング技術を用いて観察されました。

本研究は、科学雑誌『Advanced Functional Materials』オンライン版(8月28日付、日本時間8月28日)に掲載されました。

クモ糸形成の秘密を解き明かす~疎水性の異なるクモ糸タンパク質の自己組織化~
クモ糸タンパク質の液-液相分離から誘起される繊維構造

背景

クモが生成する糸は、自然界で見つかる驚異的な材料の一つです。生分解性でありながら、強く弾力性があり、最も丈夫で強い人工材料と比較してもその力学特性は傑出しています。そのため、多くの科学者が人工のクモ糸を開発し、さまざまな用途を模索してきましたが、その試みの多くは天然のクモ糸と比較して、劣った結果となっていました。これは、クモの糸のユニークな力学特性が、ナノスケールからマクロスケールにわたる複雑な繊維の階層構造によって生み出されているためです。自然のクモの糸の複雑な構造は、自己集合という過程を通じて生じ、そこでは成分となる糸タンパク質(スピドロイン[6])が環境の微妙な変化に応じてその環境と相互に作用し、遺伝子にプログラムされた指示に従って秩序のある繊維を素早く形成します。スピドロインの自己集合を駆動するメカニズムを理解し制御できれば、理論的には、極めて高い機械的特性を持つ人工のクモの糸繊維を生産できると考えられます。

本研究では、MaSp1というスピドロインの最も一般的な成分を生産するためのプラットフォームを作成し、その自己集合の挙動を明らかにすることに挑戦しました。

研究手法と成果

本研究では、クモ牽引糸の主要な成分であり、その50~80%を占めることもあるMaSp1に注目しました。MaSp1は、高度な繰り返し配列と、両末端にドメインと呼ばれる小さな領域を持つスピドロイン(クモの糸タンパク質)です。この配列の異なる二つの部分は、クモの糸の形成においてそれぞれ異なる重要な役割を果たします。そのため、最初の課題は、自然のMaSp1スピドロインの本質的な機能を保ちながらも、簡略化された配列で人工的なMaSp1を設計することでした。特に、繰り返し配列は凝集しやすいため、繊維形成の前にMaSp1の可溶性を保持しながらも、繊維化可能な分子設計を実現することが課題でした。また、人工MaSp1の異なる領域、特に両末端のドメインが正しい3次元構造を維持し、その機能を確保できるかを確認する必要がありました。このようにして、六つの構造的に無秩序な繰り返しドメインと秩序化された小さなドメインを持つMaSp1 N-R6-C構造体が設計・合成されました。その結果、分子量82キロダルトン(kDa:kはキロ、Daはダルトンで質量数12の炭素を基準とした相対的な質量)の二量体として溶液中で安定的に得られることを示しました(図1)。

研究チームは次に、クモの体内で糸形成の際に見られる化学的および物理的環境の変化に対するMaSp1の挙動を調査しました。クモ糸の大瓶状腺(だいびんじょうせん:糸の成分をためる分泌腺の一つ)で見られるイオンの濃度勾配に応じて、MaSp1が、液-液相分離(LLPS)を容易に行うことが明らかになりました。興味深いことに、MaSp1のLLPSの傾向は他のスピドロインであるMaSp2と比較しても強いことが分かりました。この研究から得られる一つの結論は、異なるスピドロイン成分が同様の環境変化に対して全く異なる相分離挙動を示す可能性があるということです。これは、将来の研究で、異なるスピドロイン(アミノ酸配列の異なるMaSp)が化学的および物理的な環境変化に対して独立に応答し、別々の構造に自己集合するのか、それともすべての場合において相乗的に作用するのかといった重要な問題を解決する必要があることを示唆しています。

人工的に設計および合成したクモの糸タンパク質MaSp1の模式図の画像
図1 人工的に設計および合成したクモの糸タンパク質MaSp1の模式図
クモ糸タンパク質MaSp1を模倣し、新しい生産プラットフォームを構築することで、MaSp1を合成した。N末端ドメインがpHの低下により酸性条件で二量化したところを示している。


さらに重要な発見として、わずかに酸性の条件(pH5.0~5.5)でLLPSが誘導されると、MaSp1が微細なマイクロ繊維ネットワーク構造を形成することが分かりました(図2)。これらのマイクロ繊維ネットワーク構造の形成は迅速に行われるため、これまでの研究では観察されませんでした。

MaSp1の3次元マイクロ繊維ネットワークの図
図2 MaSp1の3次元マイクロ繊維ネットワーク
環境の微細な変化に対するMaSp1の反応を解析した結果、MaSp1が自己集合し、特徴的なマイクロ繊維ネットワーク構造を形成することを示した。


画期的な成果として、研究チームはMaSp1の自己集合をモニタリングする方法を開発しました。蛍光標識されたMaSp1と高速顕微鏡を使用して、バイオミメティック(生物模倣)な化学的勾配の形成を誘導し、形態の微細な変化をリアルタイムで観察することに成功しました。リン酸塩イオン水溶液の界面に応じて、MaSp1はLLPSを経て、タンパク質液滴の成長と融合を徐々に進行させました(図3上)。対照的に、酸性条件下でのイオン水溶液の界面においては、MaSp1のタンパク質液滴がわずか数秒で微細なマイクロ繊維ネットワークに変換されました(図3下)。

これらの結果には二つの重要な点があります。一つは、このような迅速な高次構造の形成が人工スピドロインシステムでは初めて観察されたことです。もう一つは、LLPS状態と階層的な繊維構造の形成との明確な関係が確立されたことで、これはマクロスケールのクモの糸の組織の基礎となるものです。将来的には、空間的および時間的により高い解像度を持つ機器を使用して、糸の自己集合メカニズムの最初の段階についてのより深い洞察が得られると期待されます。

MaSp1構造のリアルタイムモニタリングの図
図3 MaSp1構造のリアルタイムモニタリング
イオンとpHの濃度勾配により、MaSp1がマイクロ繊維形成を含む複雑な階層構造を急速に自己組織化する様子が観察された。スケールバーは10マイクロメートル(μm、μmは100万分の1メートル)。


天然のクモ糸形成条件を参考にし、イオン強度[7]やpHといった化学的条件に対するMaSp1の応答の違いをマッピングしました。その結果に基づき、研究チームは濃縮MaSp1水溶液を使用してマクロスケールの人工のクモ糸を調製しました。この繊維は、期待通り、マイクロ繊維の束を持つ階層構造を示しました(図4)。また、引っ張りなどの力学変形に応じて、βシート構造が形成されることもラマン分光法[8]により示されました。これは、βシート構造の形成がクモ糸の優れた力学物性、特に高い靭性の原因であると理解されているため、重要な結果です。

階層的な構造を持つ人工クモの糸繊維の製造の図
図4 階層的な構造を持つ人工クモの糸繊維の製造
クモ糸の紡糸過程を模倣した手法により、本研究で設計・合成したMaSp1水溶液から、ナノスケールの特徴を持つ不溶性の繊維を調製することに成功した。スケールバーは10μm。

今後の期待

本研究は、クモの糸の主要な成分であるMaSp1という、これまで報告のあるクモ糸タンパク質とは疎水性やLLPSの挙動が異なるタンパク質に着目し、MaSp1の自己組織化挙動を明らかにすることに成功しました。MaSp1の自己集合から複雑な階層構造を持つ繊維への組み立て(自己組織化)を決定するパラメータを特徴付けることで、自然のクモ糸の構造と力学特性を模倣した人工クモ糸の生成という目標に一歩近づくことができます。従来の繊維製造方法は、環境負荷が高く、天然クモ糸の特異的な力学物性を再現できないため、新たな紡糸技術が求められている現状に鑑みると、本研究は重要な成果を含んでいます。

また、本研究から得られる知見は、他の自己集合型のバイオ素材や生体模倣材料の設計にも応用できます。将来的には、MaSp1と他のスピドロインおよび関連タンパク質との相互作用に関する研究や、タンパク質の修飾反応に関する研究、人工クモ糸のスピニング方法のスケールアップ技術の開発などが必要になることが予測されるため、今後もこれらの研究を継続する予定です。

本研究成果は、国際連合が定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[9]」のうち、「11.住み続けられるまちづくりを」「12.つくる責任つかう責任」「15.陸の豊かさも守ろう」に貢献するものです。

補足説明

1.階層構造
バイオマテリアルの分野で階層構造は、小さな構造が集合しより大きな構造が形成され、これを繰り返すことで次第に組み合わされる複雑な構造。

2.クモの牽引(けんいん)糸
クモが張る糸の中でも強靭であることが知られ、クモの巣の縦糸やクモがぶら下がるときのライフラインとして利用される。

3.液-液相分離(LLPS)
液体中の分子が相互作用して互いを排除し合った結果、界面を挟んで成分比の異なる複数の液相に安定的に分離する現象。LLPSはliquid-liquid phase separationの略。

4.βシート構造
タンパク質の2次構造の一種で、シルクではタンパク質鎖間の水素結合を高めることで構造安定性をもたらす。

5.自己集合
分子が熱力学的に安定な状態へ移行するために、分子同士が自発的に集まる現象。

6.スピドロイン
クモの糸の主成分となる高分子量の構造タンパク質。

7.イオン強度
溶液中のイオンの働きの強さを示し、イオンの濃度と電荷の2乗を使って計算する。

8.ラマン分光法
光子の非弾性散乱に基づく計測技術で、試料の化学組成や構造に関する詳細な情報を得ることができる。

9.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された、2016年から2030年までの15年間で達成する国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。SDGsはSustainable Development Goalsの略。

研究チーム

理化学研究所 環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ヌマタ・ケイジ)
(京都大学 大学院工学研究科 教授、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授)
上級研究員 マライ・アリ・アンドレス(Malay Ali Andres)
研究員(研究当時)ヌル・アリア・オクタビアニ(Nur Alia Oktaviani)
(現 客員研究員、京都大学 大学院工学研究科 特定助教)
特別研究員(研究当時)チェン・ジャンミン(Chen Jianming)
(香港理工大学 Research Institute for Intelligent Wearable Systems, Research Centre of Textiles for Future Fashion, School of Fashion and Textile 助教)

研究支援

本研究は、文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業「バイオ・高分子ビッグデータ駆動による完全循環型バイオアダプティブ材料の創出(研究総括:沼田圭司)、科学技術振興機構(JST)共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)「ゼロカーボンバイオ産業創出による資源循環共創拠点(プロジェクトリーダー:沼田圭司)」による助成を受けて行われました。

原論文情報

Ali D. Malay, Nur Alia Oktaviani, Jianming Chen, Keiji Numata, “Spider silk: Rapid, bottom-up self-assembly of MaSp1 into hierarchically structured fibers through biomimetic processing”, Advanced Functional Materials, 10.1002/adfm.202408175

発表者

理化学研究所
環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ヌマタ・ケイジ)
(京都大学 大学院工学研究科 教授)
上級研究員 マライ・アリ・アンドレス(Malay Ali Andres)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
京都大学 渉外・産官学連携部広報課国際広報室

生物工学一般
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