2024-09-25 旭川医科大学,基礎生物学研究所
■概要
ヒトを含む多くの真核生物は、精子や卵子などの配偶子を形成する過程で減数分裂を行い、遺伝的多様性を獲得します。精巣における精子形成の過程では、染色体を構成する「ヒストン」などのタンパク質が大規模に入れ替わることで、相同染色体の対合や組換えが可能となります。「ヒストン」と呼ばれるDNAに結合するタンパク質は様々な化学修飾を受けて、遺伝子の発現制御、染色体の機能並びに立体構造に深く関わっています。私たちは以前の報告で、精巣だけで発現するヒストンH3の異型種であるH3t(tはtestisの略)が精子形成過程に必須であることを報告しました(Ueda et al., Cell Rep, 2017)(図1)。しかし、H3tは他のH3と僅か数アミノ酸しか違わないため(図2)、H3tの機能を詳細に解析することは困難でした(Cheng et al., eLife, 2020)。
このたび、基礎生物学研究所の川口隆之助教、中山潤一教授、旭川医科大学の上田潤准教授らのグループは、マウスのゲノムを改変し、H3tに「タグ」と呼ばれる小さなしるしを付けた新規のバイオリソースを開発しました(図3~5)。このバイオリソースを用いることによって、これまで解析が困難であった、H3tに対する化学修飾の違いを質量分析法※1によって明らかにすることに成功しました(図6)。この研究によって、H3tが他のH3タンパク質に比べて、特徴的な化学修飾を受けていることが判明しました。今後、このバイオリソースを用いて、精子形成に必須の役割を果たすH3tタンパク質の詳細な機能解析が可能となることが期待されます。
本研究成果は、2024年9月12日に英国の学術誌「Scientific Reports」に掲載されました。
■研究の背景
私たちヒトを含むすべての真核生物のゲノムDNA(ヒトの場合、長さは約1.8メートル)は、ヒストンと呼ばれるタンパク質に巻かれるように存在し、直径10マイクロメートルほどの微小な細胞核内空間に非常にコンパクトに収納されています。ヒストンタンパク質はH3、H4、H2A、H2Bの4種類のコアヒストンが8量体を形成し、その周りをDNAが約2回転することでヌクレオソームと呼ばれる構造を形成しています。ヌクレオソームは、すべての真核生物に共通するクロマチンの基本的構成単位で、エピジェネティクス※2にも深く関わっています。近年、ヒストンタンパク質に異型種(バリアント)が存在し、各々が独自の機能や組織特異性を持っていることが明らかとなってきました(図2)。
精巣にのみ発現するヒトのH3T遺伝子は1996年に発見されており、2010年に東京大学の胡桃坂仁志教授のグループによって立体構造と生化学的性質が解明されました(Tachiwana他, Proc Natl Acad Sci U S A, 2010)。しかし、H3T遺伝子の生体内での機能は長らく不明のままでした。その理由は、ゲノムプロジェクトが2002年に完了していたにも関わらず、ヒトのH3Tに相当する遺伝子がマウスで見付かっていなかったからです。このような中、2015年に九州大学の大川恭行教授のグループによって新規のヒストン遺伝子のバリアントが多数発見され、偽遺伝子※3だと考えられていたものの一つがH3t遺伝子であることが明らかとなりました(図2)(Maehara, Harada, et al., Epigenetics & Chromatin, 2015)。その後、上田准教授(当時・中部大学・助教)らは、偽遺伝子だと思われていたH3t遺伝子がタンパク質をコードし、精子幹細胞が分化するとH3tタンパク質が発現し、精子を作るのに必要不可欠であることを明らかにしました。ところが、驚いたことに、成熟した精子からはH3tタンパク質が消えていました。このことから、H3t遺伝子は精子を作るためだけに特化した(精子作りが完了するとなくなる)ヒストンタンパク質をコードしていると考えられました(図1)(Ueda et al., Cell Rep, 2017)。
次に、精子形成過程でのH3tタンパク質の機能を調べるために、カナダのトロント大学のJinrong Min教授らと国際共同研究を行い、H3tタンパク質だけに存在する1アミノ酸の違いを認識して結合するタンパク質を明らかにしました(Cheng et al., eLife, 2020)。しかし、抗H3t抗体以外、1アミノ酸の違いを区別する実験手法がなかったため、生体内においてH3tタンパク質の詳細な機能を明らかにするまでには至りませんでした。
今回我々は、マウスのゲノムを改変し、H3tに「タグ」と呼ばれる小さなしるしを付けた新規のバイオリソースを開発しました(図3~5)。このバイオリソースを用いることによって、これまで解析が困難であった、H3tに対する化学修飾の違いを質量分析法によって解析することが可能になり、実際にH3tが他のH3タンパク質に比べて、特徴的な化学修飾を受けていること明らかにしました(図6)。
■本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
現在我が国では、男性不妊症が大きな問題となりつつありますが、その多くが未だ原因不明です。国立社会保障・人口問題研究所が2023年8月末に発表したデータによると、2021年現在で日本においては、実に4.4組に1組が不妊治療を受けています。その半分は男性側が原因であり、多くは無精子症を含む乏精子症のケースです。本研究を発展させることで、H3tタンパク質の精子形成過程での機能を明らかにし、その知見を利用した男性不妊症の診断ツールの開発や男性不妊症の原因解明に繋がることが期待されます。
さらに、ヒストンタンパク質は様々な翻訳後修飾(化学修飾)を受けて、エピジェネティクス※2に深く関わることが知られています。ヒストンタンパク質にも多様性があり、ある特定の細胞種(今回の場合は精子)への分化に必須の役割を果たしているヒストンタンパク質が特定の翻訳後修飾を受けているという事実は、エピジェネティクスの階層性を理解する上で学術的にも重要な概念になっています。
■特記事項
本研究は大阪大学・微生物病研究所の伊川正人教授、理化学研究所・生命機能科学研究センターの中川れい子博士との共同で行ったものです。
■用語解説
※1 質量分析法
分子をイオン化し、その質量電荷比を測定することによってイオンや分子の質量を測定する分析法で、試料中の成分を特定できる分析技術です。
※2 エピジェネティクス
我々の体を構成する細胞は同じ遺伝情報(ゲノムDNA)を持っているにも関わらず、機能の全く異なる200種類以上の細胞に分化することが知られています。このように、遺伝情報の変化を伴わないで細胞の個性が生み出される仕組みを研究する研究分野はエピジェネティクスと呼ばれています。
※3 偽遺伝子(ぎいでんし)
かつては遺伝子産物(特にタンパク質)をコードしていたと考えられますが、現在はその機能を失っているもののことを指し、「遺伝子の残骸」や「遺伝子の化石」とも呼ばれています。
図1.精子形成過程でどのようにヒストンH3バリアントが置き換わっているかを示した模式図(Ueda et al., Cell Rep, 2017を一部改変)。H3tタンパク質は分化と共に発現し、DNA複製の過程でH3.1/H3.2タンパク質と置き換わります。減数分裂が完了し、半数体となると、H3tタンパク質はゲノム中から除かれ、プロタミンと呼ばれるタンパク質に置き換わります。
図2.ヒストンには構成されるアミノ酸が一部異なる異型種が存在します。2015年に新規ヒストンH3遺伝子がマウスとヒトで多数発見され、その内の一つがマウスのH3t遺伝子でした(図は同定されたヒストンのアミノ酸配列の一部を示している。赤字はH3.3タンパク質と異なるアミノ酸を示しています。Maehara, Harada et al., Epigenetics & Chromatin, 2015を一部改変)。H3tタンパク質と特によく似ているH3.1タンパク質は、H3tタンパク質と僅か3つのアミノ酸しか違いがありません。このことから、H3tタンパク質を他のH3タンパク質と生体内で区別するのは極めて困難でした。
図3.本研究で新規に開発したH3tタンパク質にタグを付けたノックインマウスの作製手順を示した模式図。ゲノム編集技術を用いて、H3tタンパク質のカルボキシル末端にFLAGタグと呼ばれる小さなタンパク質を挿入しました。FLAGタグのアルファベット(橙色でハイライトしたもの)は、アミノ酸の1文字表記を表しています(Kawaguchi et al., Scientific Reports, 2024を一部改変)。
図4.H3tタンパク質にFLAGタグと呼ばれるタンパク質を付けたことによって、分子量が大きくなり、内在性のH3tタンパク質(緑色矢印)とタグの付いたH3tタンパク質(橙色矢印)を明瞭に区別することが可能となりました。図はウェスタン・ブロッティング(WB)の結果を示しています(Kawaguchi et al., Scientific Reports, 2024を一部改変)。
図5.精細管内の抗H3t抗体(H3tタンパク質の24番目のバリン残基を認識する抗体)と抗FLAG抗体の免疫染色画像。H3tタンパク質は細胞核タンパク質のため、細胞核だけが染まっています。Hoechstは細胞核を染める試薬で、比較対象として使っています。
図6.本研究で新規に開発したバイオリソースを用いて明らかになった、H3tタンパク質と比較対象となるH3タンパク質の翻訳後修飾のまとめ。丸の大きさは、存在比の大小を表しています。H3tタンパク質に特徴的な翻訳後修飾が一部存在しました。
【掲載誌】
Scientific Reports(2024年9月12日掲載)
【論文タイトル】
Comprehensive posttranslational modifications in the testis-specific histone variant H3t protein validated in tagged knock-in mice
【著者】
Takayuki Kawaguchi1, 2, Michihiro Hashimoto3, Reiko Nakagawa4, Ryunosuke Minami3, Masahito Ikawa5, 6, Jun-ichi Nakayama1, 2*, Jun Ueda3*
【所属】
1 大学共同利用機関法人・自然科学研究機構・基礎生物学研究所
2 国立大学法人・総合研究大学院大学
3 国立大学法人・旭川医科大学
4 国立研究開発法人・理化学研究所・生命機能科学研究センター
5 国立大学法人・大阪大学・微生物病研究所
6 国立大学法人・東京大学・医科学研究所
* 責任著者
【DOI】https://doi.org/10.1038/s41598-024-72362-7
【研究支援】
本研究はMEXT/JSPS科研費(JP16H06276 [AdAMS], JP19K06452, JP22K06063, JP18H05532, JP24H02324)、AMED研究費 (JP22ym0126801)、基礎生物学研究所個別共同利用研究 (21NIBB229, 22NIBB330, 22NIBB325, 23NIBB319, 24NIBB333)などの支援を受け行われました。
■本件に関する問い合わせ先
【研究に関するお問い合わせ】
旭川医科大学 先端医科学講座
上田 潤(准教授)
基礎生物学研究所 クロマチン制御研究部門
中山 潤一(教授)E-mail: jnakayam@nibb.ac.jp
川口 隆之(助教)
【報道に関するお問い合わせ】
旭川医科大学 総務課広報・社会連携係
基礎生物学研究所 広報室