2024-10-25 日本原子力研究開発機構
【発表のポイント】
- 近年、放射線被ばく線量を計算するために用いる人体モデルやシミュレーション計算技術の発達は目覚ましく、これまで困難だった個人の体格や姿勢の違いを反映した詳細な被ばく線量評価を、近い将来、実現できるところまで来ています。
- 国際放射線防護委員会(ICRP)は、最新の科学的知見に基づき、放射線感受性が高い幹細胞領域の被ばく線量評価の必要性を提言していますが、それらはミクロサイズで構造が複雑なため、従来のボクセル型人体モデルでは評価できませんでした。
- そこで、ポリゴン技術に基づき、眼球組織や幹細胞領域等の複雑な構造をミクロサイズで再現し、標準成人日本人の体格及び臓器質量の特性を反映した男性(JPM)及び女性(JPF)のポリゴン型人体モデルを新たに開発しました(図1)。
- 令和6年10月24日より、ポリゴン型人体モデル(JPM及びJPF)をソースコード管理プラットフォーム「GitHub web」上で無償公開します。これにより、医療や原子力分野等での被ばく線量評価及び放射線防護研究への活用が期待されます。
図1.開発した標準成人日本人のポリゴン型人体モデル。
【概要】
本研究では、放射線防護に関する最新の科学的知見に基づき、成人日本人の体格特性を反映した被ばく線量評価を行うことを目的として、標準成人男性(JPM)及び女性(JPF)のポリゴン型人体モデルを新たに開発しました。
放射線被ばく線量は、人体を模擬した人体モデルをシミュレーション計算コードに組み込んで計算されます。国際放射線防護委員会(ICRP)1)は、最新の科学的知見を反映させた結果、水晶体や皮膚等において、放射線感受性が高く、ミクロサイズで複雑な構造を持つ幹細胞2)領域(図1)の被ばく線量を評価する必要があることを示しました。その中で、1年間に水晶体が受ける等価線量3)の限度を従来の150mSvから20mSvに引き下げることを2011年の声明4)で提言しました。現在、線量評価に用いられている成人日本人の人体モデルには水晶体の幹細胞領域は定義されていません。そのため、ICRPの提言に対応するためには、線量管理に必要となる様々な被ばく状況における水晶体の等価線量を正確に評価できる人体モデルが必要でした。
そこで原子力機構では、標準成人日本人の体格及び臓器質量の特性を考慮しつつ、水晶体等の幹細胞領域の被ばく線量も評価可能なポリゴン型人体モデル(JPM及びJPF)を新たに開発しました。開発したJPM及びJPFは、ミクロサイズで複雑な構造を持つ幹細胞領域から全身までの異なる大きさの臓器や組織の表面形状を、ポリゴン技術5)を用いて詳細に再現しています。また、原子力機構が中心となって開発を進めるモンテカルロ放射線挙動解析6)コードPHITS7)と組み合わせることで、様々な被ばく条件における人体内での放射線の挙動を正確にシミュレーションすることができます。これにより、従来の線量評価に用いていた人体モデルでは評価できなかったミクロサイズの構造を持つ幹細胞領域の被ばく線量評価を可能にしました。JPM及びJPFの人体モデルデータは、下記のGitHub8)上のwebページで公開され、同webページへアクセスすることにより無償でダウンロードして入手することが可能です。
・https://github.com/JapanesePolygonPhantom/JPM-JPF-Phantom
本研究で採用したポリゴン技術は、物体の形状やサイズを容易に変化させることが可能です。現在、原子力機構では、このポリゴン技術を用いてJPM及びJPFの姿勢や体格を変化させるための人体モデル変形技術の開発を進めています。この人体モデル変形技術とJPM及びJPFを組み合わせることにより、個人の姿勢や体格の特性を考慮した被ばく線量評価が可能になります。特に、放射線治療においては、患者や施術者の姿勢や体格を考慮することで、効果的な治療計画の立案及び適切な線量管理が可能です。これにより、患者及び施術者の被ばく防護の最適化が期待されます。
本研究は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 小口正範、以下「原子力機構」という。)原子力基礎工学研究センター放射線挙動解析研究グループの佐藤薫研究主幹、古田琢哉研究主幹、佐藤大樹研究主幹、津田修一グループリーダーによる研究です。
本研究成果は、国際科学誌「PLOS ONE」に10月24日にオンライン掲載されました。
【研究開発の背景と目的】
放射線は、原子力、医療、農業、工業等の様々な分野において幅広く利用されています。一方、放射線に被ばくすると発がん等の有害事象が発生します。その発生頻度と重篤度は、放射線の被ばく線量と密接な関係があることが知られています。また、放射線による影響は臓器によって異なることから、人体を構成する多くの臓器毎に被ばく線量を正確に評価することで、有害事象の発生が許容レベル以下になるように適切に管理することが必要となります。しかし、実際に生きている人の臓器の被ばく線量を直接評価することはできません。そのため、被ばく線量は、人体における臓器の形状、配置、材質(元素組成、密度)等をコンピュータ上に再現した人体モデルを用いて評価します。
従来の放射線防護分野における被ばく線量評価では、国際放射線防護委員会(ICRP)がボクセル技術9)に基づいて開発した、日本人よりも大柄な標準欧米人男女の特性を持つボクセル型人体モデルが用いられてきました。一方、体格は被ばく線量に影響することから、日本人の体格特性を反映した人体モデルの開発が必要で、これまで原子力機構では、標準成人日本人の体格及び臓器質量特性を持つ男性及び女性のボクセル型人体モデル等を開発し、国内におけるCT診断による患者の被ばく線量評価等に利用してきました。
近年ICRPは、最新の科学的知見に基づき、水晶体や皮膚等の放射線感受性が高い幹細胞領域の被ばく線量を評価する必要性を提言しました。しかし、従来のボクセル型人体モデルの内部にミクロサイズで複雑な構造を持つ幹細胞領域を再現する場合、人体モデルのデータ容量が膨大になるため、シミュレーション計算コードにおける取扱が困難になるという問題がありました。加えて、ICRPは、水晶体の等価線量3)の限度を従来の年間150mSvから20mSvに引き下げることを2011年の声明4)で提言しました。しかし、これまでの成人日本人の人体モデルでは、水晶体の幹細胞領域が定義されていません。そのためICRPの提言に対応するためには、線量管理のために必要となる、様々な被ばく状況における水晶体の等価線量を正確に評価できないことが課題でした。
そこで本研究では、ポリゴン技術5)に基づき、標準成人日本人の体格及び臓器質量の特性を持ち、ミクロサイズで複雑な構造の幹細胞領域も詳細に再現した男性及び女性のポリゴン型人体モデルを新たに開発することを目的としました。
【従来の日本人人体モデル】
これまでに原子力機構では、標準成人日本人のボクセル型の男性(JM-103:adult Japanese Male phantom-103)及び女性(JF-103: adult Japanese Female phantom-103)の人体モデルを開発しました。これらの人体モデルは、実際に人を撮影して得たCT画像データ上の臓器領域を画像処理により抽出・加工することで開発したものです。JM-103及びJF-103は、約1ミリメートル角の直方体(ボクセル)を約6000万個組み合わせることで全身の臓器の形状を表現しています。約1ミリメートル角という小さなボクセルを採用することで、甲状腺や副腎等の比較的小さな臓器についても形状を十分に再現しており、標準成人日本人体格を考慮した線量評価にこれまで利用されてきました。その一方で、ICRPが提言した最新の評価方法において、被ばく線量の評価対象として新たに追加された水晶体や皮膚等の放射線感受性が高い幹細胞領域は、さらに小さなミクロサイズで複雑な構造を持つため、JM-103及びJF-103の体内に作成することはできませんでした。
【開発した人体モデル】
本研究では、アニメーション作成等において用いられる3次元コンピュータグラフィックス技術の一つであるポリゴン技術に基づき、成人日本人男女の標準ポリゴン型人体モデルを新たに開発しました。この男性及び女性のポリゴン型人体モデルを、それぞれJPM(adult Japanese Polygon mesh-type Male phantom)及びJPF(adult Japanese Polygon mesh-type Female)と名付けました。JPM及びJPFは、JM-103及びJF-103の臓器の輪郭データを抽出した後に、ポリゴンの重なりや穴等のエラーを修正して滑らかな臓器表面を作成することで開発しました。輪郭データのみで臓器形状を表現するため、拡大・縮小や変形等の画像処理が容易になりました。その結果、従来のJM-103及びJF-103の臓器質量は成人日本人の平均値と最大で10%程度の差があるのに対して、JPM及びJPFの臓器質量は成人日本人の平均値と完全に一致させることができました。
さらに、JM-103及びJF-103を含むボクセル型人体モデルは、人体の断面を一定の間隔で断層撮影することで得られたCTやMRI等の医療画像を用いて構築されたため、構築された胃腸等の薄い膜状臓器は不連続となり、例えば胃壁や膀胱壁等は穴だらけの構造として表現されていました(図2)。そのため、胃壁や膀胱壁により周囲を囲まれているはずの内容物が、近傍の他の組織等と直接接触することになり、放射線の種類によっては、被ばく線量を正確に評価できない問題がありました。これに対してJPM及びJPFの胃壁や膀胱壁は、その内容物を完全に囲む正確な形状が再現できており、この問題が解消されました。
図2.膜状臓器の比較の例。頭頂部方向から見た図。
加えて、JM-103及びJF-103を構成する約1ミリメートル角サイズのボクセルでは再現できないミクロサイズな消化管、皮膚、膀胱や水晶体の幹細胞領域の構造についても、JPM及びJPFの体内に精緻に再現することに成功しました(図3)。その結果、JPM及びJPFを用いることで、成人日本人の体格特性を考慮しつつ、ICRPが提言するミクロサイズで複雑な水晶体の幹細胞領域の被ばく線量を正確に評価することが初めて可能になりました(図4)。
図3.ポリゴン型人体モデル(JPM)に構築した幹細胞領域(胃の例)。
図4.女性ポリゴン型人体モデル(JPF)を用いた眼球への被ばく線量の評価。
【今後の展開】
本研究で人体モデル(JPM及びJPF)の開発に採用したポリゴン技術は、物体の形状やサイズを容易に変化させることが可能であるという特長を持ちます。現在、この特長を生かしてJPM及びJPFの姿勢や体格を変化させるための人体モデル変形技術の開発を進めています。今後、この人体モデル変形技術とJPM及びJPFを組み合わせることにより、様々な個々人の姿勢や体格に合わせた被ばく線量評価技術を確立することが可能になります。特に、放射線治療においては、患者や施術者の姿勢や体格を考慮した被ばく線量評価が必要となります。今後開発する被ばく線量評価技術は、個々人に合わせた効果的な治療計画の立案及び適切な線量管理に役立つと考えられます。これにより、患者及び施術者の被ばく防護の最適化が期待されます。
一方、人体モデルは、専門的知識や技術を持つ開発者が、比較的長い期間をかけて開発する必要があります。そのため、人体モデル開発の効率化は、大きな課題でした。そこで今回、JPM及びJPFのデータをGitHubのwebページ上で無償公開することにしました。プログラマーや開発者向けのソースコード管理プラットフォームとして広く利用されているGitHubを活用し、例えば、原子力機構及び他の人体モデル開発者が開発途上の人体モデルデータを共有し、協力して開発を進める環境を整備することが可能になります。これにより、JPM及びJPFをベースとした高機能な線量評価用人体モデルの共同開発や、これらの人体モデルを利用した個々人の被ばく線量の低減のための合理的な放射線作業管理システムの開発等の応用研究の進展が期待されます。
【論文情報】
雑誌名:PLOS ONE
論文タイトル:Construction of new polygon mesh-type phantoms based on adult Japanese voxel phantoms
著者:K. Sato, T. Furuta, D. Satoh, and S. Tsuda
DOI:https://doi.org/10.1371/journal.pone.0309753
【用語解説】
1)国際放射線防護委員会
国際放射線防護委員会(ICRP: International Commission on Radiological Protection)とは、専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う非営利の国際学術組織です。1928年設立の「国際X線及びラジウム防護委員会」を基に、1950年に対象を電離放射線全般に広げ、現在の体制となりました。科学的知見に基づいて、放射線防護上の基本的な考え方、線量評価方法に関する技術、リファレンスとなる線量換算係数等の報告を行っています。これら報告は、各国の法令策定や防護の実務に活用されています。
2)幹細胞
幹細胞は、私達の体を構成する皮膚、筋肉、血液、脳、肝臓等の多様な臓器・組織の細胞の大もとになる細胞のことです。一般に、細胞分裂が盛んで、分化の程度の低い細胞ほど、放射線感受性が高いため、放射線被ばくによる影響が大きくなります。例えば、骨髄にある造血幹細胞は盛んに分裂しながら、血中の各種血液細胞に分化する細胞です。幹細胞が分裂した未分化な造血細胞の放射線感受性は極めて高く、分化した細胞よりも少量の放射線で細胞死が起こります。その結果、血液細胞の供給が止まり、血中の血液細胞数が減少します。同様に、消化管の上皮も常に新しい細胞に置き換わる分裂が盛んな組織なので、放射線感受性が高くなります。
3)等価線量
人体に対する放射線の影響は、放射線の種類やエネルギーによって異なります。例えば、臓器の被ばく線量が同じであっても、アルファ線による影響は、ベータ線やガンマ線に比べて20倍大きいとされています。等価線量は、臓器の被ばく線量に対して、放射線の種類やエネルギーによって異なる影響の大きさを反映して重み付けした放射線加重係数を乗じることで評価することができます。このように計算した等価線量は防護量であり、低線量被ばくによって生じる確率的影響を防止するために利用される実効線量の計算に用いられます。
4)ICRPによる2011年の声明
ICRPは、原爆被爆者やその他の疫学的調査に基づいた最新の科学的知見を取り入れた「組織反応に関する声明」を2011年4月に発表しました。従来、水晶体に対する放射線の生物学的影響である水晶体混濁や白内障の発症が見られる線量(しきい線量)は、それぞれ8Gy以上、5Gyとされてきましたが、この声明において、これらのしきい線量を双方とも0.5Gyに引き下げることになりました。水晶体のしきい線量の引き下げに伴い、ICRPは、職業被ばくに関する水晶体のそれまでの等価線量限度(年間150mSv)を、「定められた5年間の平均で20 mSv/年、かつ、いずれの1年においても50 mSv を超えないこと」と改訂しました。
5)ポリゴン技術
ポリゴンと呼ばれる多角形の面を組み合わせることで物体の形状を近似的に再現する手法です。コンピュータグラフィックスにおいて用いられるポリゴンは、三角形と四角形が主に用いられます。ポリゴンを用いて物体の表面形状のみを再現したサーフェスデータは比較的に容量が小さく、その形状を容易に変形させることが可能である等の特長があります。
6)モンテカルロ放射線挙動解析
個々の放射線の挙動を乱数により確率的に再現し、その平均的な振る舞いを推定する手法です。物質内での放射線挙動を第一原理的に再現するため、2次粒子の発生や挙動まで含めて精度の良い計算が実行できます。
7)PHITS
PHITS(Particle and Heavy Ion Transport code System)は、任意の3次元体系中の様々な放射線の挙動を最新の核データや核反応モデルを用いてシミュレーションする汎用のモンテカルロ放射線挙動解析コードです。放射線施設の設計、医学物理計算、放射線防護研究、宇宙線・地球惑星科学における放射線研究などの様々な応用研究で用いられ、工学、医学、理学の様々な分野で国内外1万名以上の研究者・技術者に利用されています。
https://phits.jaea.go.jp/indexj.html
8)GitHub
GitHub(ギットハブ)とはプログラムやデータベースのソースコードの保存、変更、追跡、管理に役立つ開発者向けのクラウドベースのサービスです。利用者はプログラムのソースコードをGitHubへアップロードし、複数のユーザーと共有して共同作業を行ったり、ソフトウェア開発プロジェクト等を管理したりすることができます。GitHubを用いることで、ソフトウェア開発の効率化が期待できる他、成果物(プログラムやデータベース等)をweb上で保存、公開することができます。
9)ボクセル技術
ボクセル(Voxel: Volume pixel)と呼ばれる直方体の体積要素を組み合わせることで物体の形状を再現する手法です。ボクセルのサイズが小さい程、正確に形状を再現可能な反面、物体の内部も同一サイズのボクセルで埋める必要があるため、データ容量が大きくなるという特長があります。