乳がん患者さんの再発に対する恐怖をスマートフォンアプリを用いて軽減することに世界ではじめて成功

ad

2022-11-03 国立がん研究センター

研究のポイント

  • 患者さんが、スマートフォンで遠隔的に臨床研究に参加できる分散型臨床試験の基盤を患者市民参画で開発しました。
  • 認知行動療法のアプリを用いて、世界で初めて、乳がん患者さんの再発に対する恐怖感を軽減することに成功しました。
  • 将来、通院しなくても自分のスマートフォンを使って、場所や時間を選ばず苦痛を和らげる医療を受けることにつながることが期待されます。

概要

名古屋市立大学大学院精神・認知・行動医学分野の明智龍男教授、愛知県がんセンター乳腺科の岩田広治部長、国立がん研究センターがん対策研究所の内富庸介研究統括、京都大学大学院健康増進・行動学の古川壽亮教授などの共同研究グループは、患者さんが通院しなくても遠隔的に臨床研究に参加できる分散型臨床試験(注1)という新しい臨床研究の基盤を患者市民参画(Patient and Public Involvement: PPI)(注2)で開発し、乳がん患者さんの再発に対する恐怖感を自身のスマートフォンにダウンロードした心理療法のアプリを用いて軽減することに世界で初めて成功しました。

現在では、多くのがん患者さんが仕事をしながら通院したり、さまざまな心理的苦痛を抱えながら生活しているなか、今回の研究は、自分のスマートフォンのアプリを使うことで通院等の負担を大きく軽減でき、また場所や時間を選ばず苦痛を和らげるための医療を受けることができる可能性を示しています。

本研究は、がん領域の支持療法(注3)の恒常的な多施設共同臨床試験・臨床研究体制の構築を目指す日本がん支持療法研究グループ(J-SUPPORT)(注4)による研究支援と、日本医療研究開発機構(AMED)の革新的がん医療実用化研究事業による支援を受け実施したもので、研究成果は11月3日(日本時間)に国際学術雑誌「ジャーナル・オブ・クリニカル・オンコロジー(Journal of Clinical Oncology)」オンライン版に掲載されました。

J-SUPPORT 研究の詳細について

乳がん患者の再発不安・恐怖に対するスマートフォン問題解決療法および行動活性化療法の有効性:無作為割付比較試験(J-SUPPORT1703)

背景

現在毎年9万人以上の方が乳がんに罹患しており、この数は年々上昇しています。がん医療の進歩により乳がんの治癒率は改善されており、およそ9割以上の方が10年以上の生存が可能となっています。一方では、再発すると完治が難しく、多くの患者さんが再発に対する不安感や恐怖感を経験しており、本症状は日常生活の質を大きく悪化させるもので(Simard S, et al. J Cancer Surviv 2013)、6割を超える乳がん患者さんが再発に対する恐怖を軽減する治療を希望していることがわかっています(Akechi T, et al. Psycho-Oncology 2011)。

再発に対する恐怖を軽減する治療は、薬剤では有効なものがなく、認知行動療法(注5)が期待されていましたが、一般的には、「がんになったんだから仕方がない」「どうしようもない」と考えられ、ケアや治療の対象として扱われることはほとんどなく、専門的な治療を提供できる精神科医や心療内科医、公認心理師など医療者の人員不足や、仕事や子育てなどで忙しい患者さんの負担などの問題もあり、ほとんどの患者さんが適切な治療を受けることなく、我慢せざるを得ない状況でした。

そのため研究チームは、患者さん自身で認知行動療法を実施できるアプリの開発とその有効性を確認するため本研究を実施しました。

研究方法

先行研究において、スマートフォンで実施可能な認知行動療法のアプリとして問題解決療法アプリ「解決アプリ」と行動活性化療法アプリ「元気アプリ」(図1)を京都大学、精神・神経医療研究センターと共同で開発し、乳がん患者さんの再発に対する恐怖が和らぐ可能性があることを小規模の臨床試験で示しました(Imai F, et al. Jpn J Clin Oncol 2018)。

本臨床試験においては、参加者の募集を、病院でのポスター掲示、リーフレットの配布や各種メーリングリスト、SNS(フェイスブック)、インターネット検索サイトの広告などを用いて行い、その後の研究参加への同意説明や本人確認もすべてデジタルデバイスを用い遠隔で実施する研究の仕組み(分散型臨床試験)を開発して行いました(図2)。

参加対象は、50歳未満の手術後1年以上再発のない女性の乳がん患者さんとし、通常の治療に加えてこの2つのアプリを使用する群と使用しない群に無作為に割り付け、8週間後に再発に対する恐怖が和らぐかどうかを検討しました(図3)。

また、患者さんに研究計画段階から参加いただく患者市民参画(Patient and Public Involvement: PPI)も実践しました。

図1 問題解決療法アプリ「解決アプリ」と行動活性化療法アプリ「元気アプリ」

乳がん患者さんの再発に対する恐怖をスマートフォンアプリを用いて軽減することに世界ではじめて成功

「解決アプリ」では、構造化された方法によって、患者さんの日常生活上の問題を分類し、具体的に達成可能な目標を定めます。そして、解決策をブレインストーミングし、解決策のメリットとデメリットを比較して、最終的に実際にやってみたい解決策を選ぶ方法を習得していきます。

「元気アプリ」では、“行動が変われば気分も変わる”という原理に基づいて、喜びや達成感のある活動をすることの重要性についての学習を行います。そのうえで、やめてしまった楽しい活動や今までやったこともない楽しそうな新しそうな活動を実際にやってみて、その結果を評価するということを繰り返すシンプルな治療法です。

図2 デジタルデバイスを用いた分散型臨床試験のシステム

図2

図3 試験デザイン

図3

研究結果

最終的に447人の乳がんの患者さんが研究に参加し、アプリを使用する群223名とアプリを使用しない群224名に割付けられました。研究に参加した方の年齢の中央値は45歳で、約半数の方はフルタイムで就労している方でした(図4)。

本研究の結果、アプリを使用した患者さんは、開始から4週後で再発に対する恐怖が統計学的に有意にさがり、その効果は8週後でもそのままみられました。また8週後と24週後時点における再発恐怖に差はみられなかったことから、その効果は24週後も継続している可能性が示唆されました(図5)。同様の結果が、抑うつと心理的ニード(心理的側面に関するケアの必要性)にもみられました(図6)。一部の参加者に聞き取り調査を行った結果、副作用はみられませんでした。

図4 研究に参加した患者さんの背景

図4

図5 再発に対する恐怖の評価

図5

図6 抑うつ・心理的ニードの評価

図6

研究の意義と今後の展開や社会的意義など

2018年に国立がん研究センターが行った患者体験調査では、身体の苦痛や気持ちのつらさを和らげる支援(支持療法)は十分であったと回答したがん患者さんは全体の43%にとどまっており、我が国におけるがん患者さんへの支持療法は十分であると言える状態ではありません。がん罹患者数が毎年100万人を超える今、がん患者さんへの支持療法は今後、より不可欠なものになってきます。また、スマートフォンの利用者の増加に伴い、デジタル技術を用いた新しい医療やヘルスケア領域の開発は今後も重要性を増すのではないかと思います。

また今回、分散型臨床試験という新たな研究基盤を開発して研究を行った結果、多くのフルタイムで就労されている方にご参加いただくことができました。これは、がんの治療のみならず、患者さんの生活の質の向上に必要な支持療法を受けながら、仕事も両立させることを可能とすることを意味しています。今後、分散型臨床試験の基盤を広く社会に実装していくことで、患者さんの負担を、体力的な側面のみならず、時間的にも経済的にも軽減しながら、支持療法の開発を加速することが可能です。また、今回のデジタルデバイスを用いた研究を分散型臨床試験で行う取り組みは、内閣府が提唱する目指すべき未来社会(Society 5.0:サイバー空間[仮想空間]とフィジカル空間[現実空間]を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会)の実現を目指すという目標に合致しています。

用語解説

注1)分散型臨床試験 (Decentralized clinical trial)
ホームページ上の研究説明ビデオや文書で研究内容を紹介したり、電磁的な方法でインフォームドコンセントを取得したり、スマートフォンを通して必要な情報を得たりなど、患者さんが来院しないでも遠隔的に臨床研究に参加できる仕組みをさします。この仕組みを使うことで、以下のメリット・デメリットがあることがいわれています。

メリット

  • 患者さんの通院の負担と医療者の労力を大幅に軽減
  • 研究の質の向上が見込まれる

デメリット

  • 患者さんのICTに関するリテラシーの差が結果に反映される

注2)患者市民参画(Patient and Public Involvement: PPI)
医学研究・臨床試験プロセスの一環として、研究者が患者・市民の知見を参考にすることです。

PPIを推進することにより以下のことを実現することを理念としています。

  • 患者さんにとってより役に立つ研究成果を創出する
  • 医学研究・臨床試験の円滑な実施を実現する
  • 被験者保護に資する(リスクを低減する)

注3) 支持療法
支持療法とは、がんそのものによる症状やがん治療に伴う副作用、合併症、後遺症による症状を軽減させるための予防、治療、およびケアのことであり、これにはがんの診断・治療・リハビリテーション・終末期ケアの全経過の身体的および心理的な症状緩和や副作用の管理が含まれます。口腔ケアやリハビリテーションの強化、二次がんの予防、サバイバーシップ、終末期ケアは、支持療法に不可欠な要素です。

注4) J-SUPPORT
J-SUPPORT (Japan Supportive, Palliative, and Psychosocial Oncology Group)は、支持療法の開発戦略をもちオールジャパン体制で開発から普及・実装を支援する研究組織です。国立がん研究センター研究開発費(27-A-3、30-A-3, 2021-A-22)により 2016 年 2 月に設立され、国立がん研究センター中央病院支持療法開発センターとがん対策研究所に事務局を置いています。

J-SUPPORT ではこれまでに、全国から研究支援依頼を受け、その結果、19 件をアンメットニーズに応える質の高い支持療法研究として承認し、診療ガイドラインなどに導出してきました。また、本試験は、患者さんの研究への早い段階からの参画を後押しし解析結果が得られた、初めての臨床試験の成果となります。詳細は以下をご覧ください。

J-SUPPORT 

注5)認知行動療法 (Cognitive behavioral therapy)
人が悩みを抱え込んでいる状態では、多くの場合、対処方法、つまり考え方や行動パターンが狭くなり行き詰まっています。そこで、認知行動療法では、考え方や行動のレパートリーを広げることにより、心理的な苦痛を軽減します。

研究助成
  • 日本医療研究開発機構 革新的がん医療実用化研究事業

「乳がん患者の再発不安・恐怖に対するスマートフォン問題解決療法および行動活性化療法の有効性:無作為割付比較試験」主任研究者 明智龍男

  • 日本医療研究開発機構 革新的がん医療実用化研究事業

「がん患者の抑うつ・不安に対するスマートフォン精神療法の最適化研究:革新的臨床試験システムを用いた多相最適化戦略試験」主任研究者 明智龍男

  • 文部科学省科学研究費補助金 基盤B

「致死的疾患の再発・転移の不安、恐怖の評価法の確立おおよび新規心理学的介入方法の開発」 主任研究者 明智龍男

  • 名古屋市立大学特別研究奨励費

「乳がんサバイバーの再発不安・恐怖に対するInformation and communication technology(ICT)を応用した問題解決療法の有用性に関する予備的検討」主任研究者 明智龍男

論文情報

タイトル
Smartphone psychotherapy reduces fear of cancer recurrence among breast cancer survivors: a fully decentralized randomized controlled clinical trial (J-SUPPORT 1703 Study)
スマートフォンによる乳がんサバイバーの再発恐怖の軽減:完全分散型無作為割付比較試験(J-SUPPORT 1703研究)

学術誌名
ジャーナル・オブ・クリニカル・オンコロジー(Journal of Clinical Oncology)

著者
明智龍男1)、山口拓洋2)、内田恵1) 、今井文信1) 、樅野香苗3)、香月富士日3)、桜井なおみ4)、宮路天平5)、益子友恵6)、堀越勝7)、古川壽亮8)、吉村章代9)、大野真司10)、植弘奈津江10)、檜垣健司11)、長谷川善枝12)、赤羽和久13)、内富庸介6)、岩田広治9)

所属

  1. 名古屋市立大学大学院医学研究科精神・認知・行動医学
  2. 東北大学大学院医学系研究科
  3. 名古屋市立大学看護学部
  4. キャンサー・ソリューションズ(株)
  5. 東京大学大学院医学系研究科 臨床試験データ管理学講座
  6. 国立がん研究センターがん対策研究所
  7. 国立精神・神経医療研究センター
  8. 京都大学大学院医学研究科健康増進・行動学
  9. 愛知県がんセンター乳腺科部
  10. 癌研有明病院乳腺外科
  11. ひがき乳腺クリニック
  12. 八戸市立市民病院乳腺外科
  13. 赤羽乳腺クリニック

DOI番号
https://doi.org/10.1200/JCO.22.00699

問い合わせ

研究に対する問い合わせ
名古屋市立大学 大学院医学研究科 教授 明智龍男

広報窓口

名古屋市立大学病院
病院管理部経営課

愛知県がんセンター
運用部経営戦略課企画・経営グループ

国立がん研究センター
企画戦略局 広報企画室

京都大学
総務部広報課国際広報室

医療・健康
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました