睡眠中の脳の学習理論~伝達情報量最大化で神経回路の変化・記憶の定着を説明する~

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2023-01-12 理化学研究所

理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター数理脳科学研究チームの吉田健祐研修生、豊泉太郎チームリーダーの研究チームは、睡眠中の徐波[1]の間に起こる神経活動と神経回路の変化(シナプス可塑性[2])、記憶の定着や忘却に関する複数の実験結果を「情報量最大化[3]」によって統一的に説明する理論を構築しました。

本研究成果は、睡眠中に脳内で起こる情報処理の解明や睡眠の効果を組み込んだ学習アルゴリズムの開発に貢献すると期待できます。

今回、研究チームは、睡眠中のシナプス可塑性が神経細胞間の情報伝達を最大化するように起こると仮定しました(情報量最大化学習則)。この学習則は神経細胞の平均発火率[4]による影響を受け、睡眠中に観測される徐波(脳波などの低周波数成分)のアップ・ダウン状態や空間スケールに依存して変化しました。その変化は、これまで実験的に報告されていた徐波のアップ・ダウン状態とシナプス可塑性の関係、徐波の空間スケールと記憶再編成(覚醒中に学習した内容の定着や忘却)の関係と合致していました。

本研究は、科学雑誌『PNAS Nexus』オンライン版(1月11日付)に掲載されました。

背景

動物の状態は脳波や筋電図を用いて、覚醒、ノンレム睡眠[5]、レム睡眠[5]に分けられますが、特にノンレム睡眠は脳波中の「徐波」と呼ばれる低周波数成分で特徴付けられます。徐波に対応して、大脳皮質の各神経細胞は発火率が高いアップ状態と発火率が低いダウン状態とを遷移することが観察されています。

ノンレム睡眠中には、覚醒中に学習した内容の定着や忘却(記憶再編成)が起こることが知られていますが、それには「神経活動の再活性化」が関与することが示唆されています。神経活動の再活性化は、覚醒時の行動中に脳内で観察される神経活動と類似した活動がノンレム睡眠中に再度見られる現象です。徐波と神経活動の再活性化は、いずれも記憶再編成を促進すると報告されているため、これらがどのようなシナプス可塑性を通して記憶再編成を誘導するか研究が進められてきました。

そのような中で近年、同じ刺激パターンを与えても徐波のアップ状態とダウン状態では観測されるシナプス可塑性が異なること注1)、グローバルな徐波[6]のアップ状態は記憶の定着を、ローカルな徐波[6]のアップ状態は記憶の忘却を誘導すること注2)が実験的に報告されました。しかし、このような状態依存的なシナプス可塑性および記憶再編成が持つ意義や、それらを統一的に説明する枠組みは、これまで分かっていませんでした。

注1)González-Rueda A, Pedrosa V, Feord RC, Clopath C, Paulsen O. (2018). Activity-dependent downscaling of subthreshold synaptic inputs during slow-wave-sleep-like activity in vivo. Neuron. 97:1244-1252.
注2)Kim J, Gulati T, Ganguly K. (2019). Competing roles of slow oscillations and delta waves in memory consolidation versus forgetting. Cell. 179:514-526.

研究手法と成果

研究チームは、ノンレム睡眠中のシナプス可塑性が神経細胞間の情報伝達を最大化している(情報量最大化学習則、図1)という仮定から、徐波の空間スケール(グローバル・ローカル)やアップ・ダウン状態に依存するシナプス可塑性および記憶再編成を理論的に導きました。

睡眠中の脳の学習理論~伝達情報量最大化で神経回路の変化・記憶の定着を説明する~

図1 徐波において情報伝達を最大化するシナプス可塑性

徐波のアップ状態やダウン状態において、シナプス前細胞のスパイク列Xとシナプス後細胞のスパイク列Yの伝達情報量(相互情報量)を最大化するようなシナプス強度の変化を計算した。


まず、これまで一般的な状況で研究されてきた情報量最大化学習則注3)を徐波のアップ状態とダウン状態において計算しました。すると、情報伝達に最適なシナプス強度(情報伝達効率)の変化はベースラインの発火率(平均発火率)に依存することが分かりました。徐波のアップ状態は平均発火率が高い状態であるため、注目している刺激(シグナル)以外にも多数の発火が存在し、いわばノイズが大きい状態となっています。そのため、同じ刺激パターンをシナプス前細胞やシナプス後細胞に与えた場合でも、アップ状態ではシグナルノイズ比[7]が小さくなります。その結果、ノイズに埋もれた刺激パターンの情報的意義が低く見積もられ、誘導されるシナプス強度変化はダウン状態と比較して減少方向にシフトしました(図2中段)。これは、実験的に観測されたアップ・ダウン状態のシナプス可塑性と合致していました。

次に、徐波の空間スケールを含むモデルにおいて、シナプス可塑性を検証しました。複数の興奮性神経細胞[8]および抑制性神経細胞[8]の集団を含む数理モデルにより、グローバルな徐波とローカルな徐波を再現できました。このモデルを解析すると、興奮性神経細胞と抑制性神経細胞の相互作用により、ローカルな徐波では、興奮性神経細胞の平均発火率がグローバルな徐波よりも高くなっていました。これは、ローカルな徐波において、ノイズが大きくシグナルノイズ比が小さくなることを示唆しています。それにより、このモデルにおいて情報量最大化学習則によるシナプス可塑性を考えると、ローカルな徐波により誘導されるシナプス強度変化が相対的に抑圧方向にシフトしていました(図2下段)。これは、グローバルな徐波のアップ状態が記憶の定着を、ローカルな徐波のアップ状態が記憶の忘却を促進するという実験結果を再現するものとなっています。

このように、睡眠中のシナプス可塑性および記憶再編成は、情報伝達の最大化として統一的に説明できる可能性を提案しました。

グローバルな徐波とローカルな徐波におけるシナプス可塑性の図

図2 グローバルな徐波とローカルな徐波におけるシナプス可塑性

シナプス前細胞・後細胞に一定間隔で刺激を与えた場合(上段)の情報量最大化学習則におけるシナプス強度の変化を示す。平均発火率が低いときはノイズレベルが低いため、情報量項に由来するシナプス増強(シナプス強度が増加すること)が大きい一方、平均発火率が高いときはノイズレベルが高いため、情報量項に由来するシナプス増強が小さくなる(中段)。コスト項によるシナプス抑圧(シナプス強度が減少すること)は一定であるため、合計のシナプス強度変化は平均発火率が低い場合にシナプス増強、高い場合にシナプス抑圧となる(下段)。徐波を生成する数理モデルにおいて、興奮性神経細胞の平均発火率はローカルな徐波の方がグローバルな徐波よりも高くなるという結果と合わせると、情報伝達に最適なシナプス強度変化は「グローバルな徐波>ローカルな徐波」、「ダウン状態>アップ状態」となる(下段)。

注3)Toyoizumi T, Pfister JP, Aihara K, Gerstner W. (2005). Generalized Bienenstock-Cooper-Munro rule for spiking neurons that maximizes information transmission. Proc Natl Acad Sci USA. 102:5239-5244.

今後の期待

本研究では、ノンレム睡眠中の徐波、シナプス可塑性、記憶再編成の関係を情報量最大化の観点から統一的に説明する理論を提案しました。特に、これまで十分に明らかになっていなかったアップ・ダウン状態の役割の違い、徐波の空間スケールに応じた役割の違いを提案しました。徐波はノンレム睡眠と記憶再編成の関係を明らかにする上で実験的にも着目されてきた歴史があり、今回構築したモデルは今後実験的検証とともにさらに発展していくと期待できます。

また、本研究は睡眠の機能を「情報量最大化」のような原理から説明した点が特徴的で、睡眠の意義は何かという問いに対して、「情報伝達の向上」という新しい可能性を提案しているといえます。睡眠は非常に多くの動物で保存されている現象であり、今回の理論が今後より高度な人工知能を開発することに役立つ可能性があります。また近年、意識に関連した脳の高次な機能を数学的に記述するような「脳の理論」を構築しようという試みがされていますが、本研究が提案した「睡眠中の学習理論」はより一般的な脳の理論を考えることへとつながっていくかもしれません。

補足説明

1.徐波
脳波や局所集合電位(LFP)中の0.5~4.0Hz程度の低周波数成分で、ノンレム睡眠時に観察される。それに対応して、大脳皮質の各神経細胞は高電位・高発火率のアップ状態と低電位・低発火率のダウン状態を、複数の神経細胞で同期しながら遷移している。徐波は同期の空間スケールに応じて、グローバルな徐波とローカルな徐波に分けられることが報告されている。

2.シナプス可塑性
複数の神経細胞はシナプスという接合部位を介して情報伝達を行うが、その情報伝達効率(シナプス強度)の変化をシナプス可塑性と呼ぶ。シナプス可塑性を介した学習により、動物の複雑な行動が可能になっていると考えられている。

3.情報量最大化
神経細胞はスパイク(活動電位)を発することで情報をやり取りしている。情報量最大化は複数の神経細胞が発する信号(スパイク列)の間の伝達情報量(相互情報量)を最大化するというアイデアである。伝達情報量は情報理論において用いられる複数の確率変数の相互依存に関する尺度であり、神経細胞同士の情報伝達を定量的に議論するのに有用である。

4.発火率
神経細胞がスパイク(活動電位)を発することを発火と呼ぶ。発火率は神経細胞の単位時間あたりの発火回数のこと。

5.ノンレム睡眠、レム睡眠
動物の睡眠はノンレム睡眠とレム睡眠に分けられ、脳波上異なる特徴を持つ。ノンレム睡眠中の脳波は低周波数成分(徐波)が特徴的であるのに対して、レム睡眠中の脳波は覚醒時と同様に高周波数成分を多く含むパターンを示す。

6.グローバルな徐波、ローカルな徐波
この先行研究では大脳皮質の一次運動野をターゲットにしており、グローバルとは一次運動野の中でより広域に広がっていること、ローカルとは一次運動野の中でより局所的であることを意味する。

7.シグナルノイズ比
シグナル(信号)とノイズ(雑音)の比。シグナルノイズ比が高いことは、情報伝達におけるノイズの影響が小さいことを意味する。

8.興奮性神経細胞、抑制性神経細胞
神経細胞のうち、他の神経細胞に発火を促進する信号を送るものを興奮性神経細胞、発火を抑制する信号を送るものを抑制性神経細胞と呼ぶ。興奮性神経細胞と抑制性神経細胞は、相互に信号を送り合って機能を発揮している。

研究支援

本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型)「マルチスケール精神病態の構成的理解(領域代表者:林(高木)朗子)」、同特別研究員奨励費、孫正義育英財団による助成を受けて行われました。

原論文情報

Kensuke Yoshida, Taro Toyoizumi, “Information maximization explains state-dependent synaptic plasticity and memory reorganization during non-rapid eye movement sleep”, PNAS Nexus, 10.1093/pnasnexus/pgac286

発表者

理化学研究所
脳神経科学研究センター 数理脳科学研究チーム
チームリーダー 豊泉 太郎(トヨイズミ・タロウ)
研修生 吉田 健祐(ヨシダ・ケンスケ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

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