2023-02-21 順天堂大学
理化学研究所脳神経科学研究センターの山本明那 大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時) (東京大学大学院医学系研究科医学博士課程大学院生)、笠原和起 上級研究員(研究当時)、順天堂大学大学院医学研究科の加藤忠史 教授、横溝岳彦 教授、李賢哲 准教授、藤田医科大学医学部の岩田仲生 教授らの研究グループは、双極性障害*1の大規模遺伝解析(GWAS)*2によって同定されたFADS1/2遺伝子に着目し、そのヘテロ欠損マウスが新たなモデル動物として有用であることを明らかにしました。双極性障害では躁とうつという極端な気分変動がみられますが、それに類似した両方向の行動変化を示す世界初のマウスモデルです。また、多価不飽和脂肪酸*3の摂取によって症状の頻度が改善されることを示しました。さらに脳や血液中の脂質変化を捉えた本成果は、双極性障害の病態解明と新たな治療方法の可能性を示すものです。本論文はMolecular Psychiatry誌のオンライン版に2023年2月21日付で公開されました。
本研究成果のポイント
- 躁状態とうつ状態の両方の症状を示す初めての双極性障害のモデルマウス
- DHAの投与によりモデルマウスのうつ状態の出現頻度に改善がみられることを発見
- 多価不飽和脂肪酸代謝と双極性障害との係わり合いに関する理解への第一歩
背景
双極性障害は、躁・うつ状態という極端な気分変動がみられることが特徴的な精神疾患の一つです。双極性障害の特徴である躁・うつ状態といった両方向の行動変化を示すモデルマウスは報告されておらず、その原因解明は困難を極めています。双極性障害には遺伝要因が強く関わっていますが、多くの患者の原因となるような遺伝子は存在しないことがわかっています。小さな遺伝的リスクの積み重ねを一つ一つ明らかにするため、数千〜数万人のゲノム構造を解析する大規模GWASが行われ、いくつかのリスク遺伝子が見出されています。その中でFADS1とFADS2(どちらも多価不飽和脂肪酸不飽和化酵素)遺伝子領域は日本人の解析で双極性障害との関連が最初に報告され、さらに他の人種集団でも関連が確認された領域として注目されています。本研究ではこのGWASの知見に加えて、多価不飽和脂肪酸の代謝に関する基礎研究の成果に基づき、変異マウスを作製しました。
内容
FADS1/2は、多価不飽和脂肪酸の代謝に関わっており、これまで数多くの基礎研究がなされていました。その成果から、GWASで見出された小さな遺伝的リスクを持っているとこれら酵素の活性が低いと予想されるため、本研究では両遺伝子を同時に欠損したヘテロ接合性ノックアウトマウス(以下ヘテロKOマウス)をゲノム編集技術を用いて作製しました。双極性障害に特徴的な気分の変動を捉えるため、マウスにとって目的指向的な行動であり、それ自体に報酬要素もある(つまりマウスが喜んで行う)輪回し行動を半年間にわたり記録しました。その結果、ヘテロKOマウスは、半日〜1日間持続する突発的な高活動(平均すると半年間に約2.4回)に加えて、数週間にもおよぶ低活動(メスでは平均すると半年間に約1.3回)といった一過性の異常行動を示しました(図1a,b)。躁状態を調べる行動実験は現在のところ提唱されていませんが、抗うつ薬の効果やうつ状態を調べる尾懸垂試験(抗うつ薬のスクリーニングやマウスのうつ状態の判定に用いられる試験)を高活動中に行ったところ、うつ状態とは反対の状態であることが示唆されました。また、低活動の期間中は睡眠覚醒リズムが乱れていました。
図1:ヘテロKOマウスの躁うつ行動とリチウムおよびDHA投与による発症頻度の抑制効果
(a) 野生型とヘテロKOマウスの輪回し行動パターン。約半年間の行動を観察すると、オスのヘテロKOマウスでは約半日続く突発的な高活動エピソード(一過性の行動異常; 矢頭)を示すことがわかった。この高活動はマウスが休息している明期にも観察された。(b) 1日あたりの輪回し活動量の変化。メスのヘテロKOマウスでは、高活動エピソード(矢頭)に加えて、数週間持続する低活動エピソード(紫色の太線)を示した。(c)リチウム投与によるエピソード頻度の抑制。双極性障害の治療薬であるリチウムは、メスのヘテロKOマウスにおいてエピソード頻度の抑制効果があることがわかった(P<0.001, 効果量=中ANOVA; **P<0.01, 効果量=大, U検定)。(d) DHAによるエピソード頻度の抑制効果。合成餌(DHAやEPAを含まない)にEPA、DHAを加えた餌で飼育しながら半年間の輪回し行動を記録した。特にDHAを含む餌で飼育すると、メスのヘテロKOマウスで見られる低活動エピソードに対して抑制効果があることがわかった(*P<0.05, 効果量=中)。
双極性障害の治療に用いられるリチウムをヘテロKOマウスに投与したところ、うつ状態の発症頻度が抑制されました(図1c)。また、DHAなどを豊富に含む魚の摂取量が多い国では、うつ病や双極性障害の生涯有病率が低いことが知られており、脂肪酸代謝との関連が示唆されてきました。そこで、DHAなどを含まない合成餌を作り、そこにDHAやEPAを加えた餌をヘテロKOマウスに与えて輪回し行動を測定しました。その結果、DHA投与によってうつ状態の発症頻度が抑制されました(図1d)。
FADS1/2が多価不飽和脂肪酸の代謝に関わっているため、双極性障害様の行動を示したヘテロKOマウスの血漿と脳内でどのような脂質に変化があったのかを調べることにしました。採取した脳と血漿からそれぞれ脂質を抽出し、LC-MS/MS*4を用いて複数の脂質分子種を詳細に調べると、脳と血漿では明らかに異なる組成であることがわかりました。血漿に比べ脳内の脂質は変動が小さいですが、脳内の脂質だけをより細かく解析すると、いくつかの脂肪酸や脂質クラスでは有意に変動しているものがあることもわかりました。
図2:ヘテロKOマウスにおける脂質解析のワークフロー
(a)マウスから脳と血液を採取して総脂質を抽出し、(b,c) LC-MS/MSを用いて400種以上の脂質分子を測定した。(d)得られた大量のデータを、(e〜h)さまざまな統計学的・情報科学的手法で解析した。脳と血漿の脂質パターンは大きく異なっており、血漿の脂質は個体差が大きいのに対して、脳の脂質は一定に保たれている。しかし、正常マウスとヘテロKOマウスでは有意に異なり、その違いについてクラスタリング、エンリッチメント解析、判別分析などの解析を行い、濃度が変化している脂質分子種、脂肪酸、脂質クラスが明らかになった。
今後の展開
今回、研究グループは遺伝学的な知見に基づいて作製したFads1/2ヘテロKOマウスが、双極性障害に特徴的な躁状態・うつ状態に類似する行動変化を示す世界で初めての動物モデルであることを明らかにしました。この変異マウスでは脳の脂質パターンが異なっており、またDHAが行動変化に対して効果的であることから、双極性障害の発症の原因や症状について脂肪酸代謝を切り口とした新しい理解の第一歩になりました。今回着目した小さな遺伝的リスクは約半数の患者さんが持っており、このヘテロKOマウスを用いた研究開発によって、より広く効果的な新しい治療法・治療薬につながるかもしれません。
用語解説
*1 双極性障害: 気分が高揚する躁状態または軽躁状態と、気分が落ち込むうつ状態を繰り返す精神疾患の一つで、人口の1%前後が罹患する。躁状態のときには攻撃性が高まったり、社会的な逸脱行為をおこなったりするために、本人の社会的な生命に損害を与えることがある。抑うつ状態による本人の苦痛とともに、解決すべき医療上の課題となっている。激しい躁状態を伴う双極Ⅰ型障害と、相対的に軽度な軽躁状態を伴う双極Ⅱ型障害に分類される。
*2 大規模遺伝解析(GWAS): 疾患の有無や、身長・体重などの形質と関連するDNA多型を網羅的に解析するゲノムワイド関連解析。Genome-wide association studyの略。
*3 多価不飽和脂肪酸: 二重結合を2つ以上含む不飽和脂肪酸。生体内で重要な働きをするものが多く、必須脂肪酸であるリノール酸やリノレン酸、アラキドン酸、魚に多いエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)などがある。
*4 LC-MS/MS: 高速液体クロマトグラフィー(HPLC)と三連四重極型質量分析(MS/MS)を組み合わせることで、生体試料から高精度かつ高感度で数多くの脂質を一度に検出することができる。
研究者のコメント
精神疾患の臨床研究では、ゲノム解析と脳画像解析が主で、脳内で実際どのような分子生物学的な変化が起きていることが原因なのかを調べる方法は限られています。そのため、動物モデルが必要ですが、躁・うつの症状を示す双極性障害の動物モデルはこれまで存在しませんでした。今回の、躁・うつの症状を示すモデルマウスは、双極性障害研究の突破口になると期待しています(順天堂大学大学院医学研究科精神・行動科学 教授 加藤忠史)。
原著論文
本研究はMolecular Psychiatry誌のオンライン版に2023年2月21日付で公開されました。
タイトル: GWAS-identified bipolar disorder risk allele in the FADS1/2 gene region links mood episodes and unsaturated fatty acid metabolism in mutant mice.
タイトル(日本語訳): ゲノムワイド関連解析により同定されたFADS1/2遺伝子領域の双極性障害リスクアレルと、変異マウスにおいて観察された気分変動エピソードおよび多価不飽和脂肪酸代謝の関連
著者:Hirona Yamamoto1,2,3, Hyeon-Cheol Lee-Okada4, Masashi Ikeda5, Takumi Nakamura2,6, Takeo Saito5, Atsushi Takata2,7, Takehiko Yokomizo4, Nakao Iwata5, Tadafumi Kato1,6, Takaoki Kasahara1,8,9,10
著者(日本語表記): 山本明那1,2,3)、李賢哲4)、池田匡志5)、中村匠2,6)、齋藤竹生5)、髙田篤2,7)、横溝岳彦4)、岩田仲生5)、加藤忠史1,6)、笠原和起1,8,9,10)
著者所属:1)理化学研究所脳神経科学研究センター精神疾患動態研究チーム、2)理化学研究所脳神経科学研究センター分子精神病理研究チーム、3)東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻精神医学分野、4)順天堂大学大学院医学研究科生化学・細胞機能制御学、5)藤田医科大学医学部精神科、6)順天堂大学大学院医学研究科精神・行動科学、7)順天堂大学大学院医学研究科老人性疾患病態・治療研究センター、8)理化学研究所脳神経科学研究センターキャリア形成プログラム、9)理化学研究所脳神経科学研究センター神経変性疾患連携研究チーム、10)現所属:カール・フォン・オシエツキー大学オルデンブルク数学・自然科学部
DOI: 10.1038/s41380-023-01988-2
本研究は日本医療研究開発機構(AMED)脳科学研究戦略推進プログラム(16dm0107098、20dm017097)および脳とこころの研究推進プログラム(21wm0425008、22dm0207074)などの助成を受けて行われました。