2023-07-28 京都大学
がんは我が国を含む多くの先進諸国で死因の第一位を占め、我々の健康に重大な影響を及ぼす疾患です。近年、その発症は増加の一途をたどっており、我が国においては、男性の3人に一人、女性においても2人に一人が一生のうちにがんと診断されると推定されています。これまでの研究から、がんは細胞のゲノムに異常が生ずることによって惹起される疾患であることが明らかとなっており、近年のゲノム解析技術の革新を背景として、過去10年間に、ヒトの主要ながんについては、その発症に関わるゲノムの異常(ドライバー変異)が明らかにされています。しかし、その病態については、なお多くが解明されていません。がんは、ドライバー変異を獲得した一つの起源の細胞にはじまり、その子孫の細胞が次々に新たなドライバー変異を獲得することによって、数百億から数千億個からなる集団、いわゆる「がん」を発症すると考えられています。しかし、この最初の変異がいつ獲得されるのか、また、その最初の変異を獲得した細胞が、いつ、どのような変異を獲得して、最終的に「がん」と診断されにいたるのか、というがんの発症経過の全体像についてはよくわかっていませんでした。
今回、小川誠司 医学研究科教授、戸井雅和 同教授(現:東京都立駒込病院長)、西村友美 同特定助教、および垣内伸之 白眉センター特定准教授らを中心とする研究グループは、宮野悟 東京医科歯科大学特任教授および佐藤俊朗 慶應義塾大学教授らとの共同研究により、近年増加の一途を辿っている乳がんについて、思春期前後に生じた最初の変異の獲得から数十年後の発症にいたるまでの全経過を、最先端のゲノム解析技術を駆使することによって、世界で初めて明らかにすることに成功しました。
本研究グループは、まず、加齢にともなって単一乳腺細胞に変異が蓄積していく過程を解析することにより、全ての乳腺細胞には閉経にいたるまでに毎年約20個の変異が蓄積すること、また、閉経後には、蓄積速度が約1/3に低下すること、さらに、一回の妊娠出産で約50個変異が減少することを見いだし、変異の蓄積が女性ホルモン(エストロゲン)に依存していること、妊娠出産後には、それまで休眠状態にあった細胞から新たに乳腺組織が再構築される可能性があることが示唆されました。続いて、本研究グループは、このようにして決定された変異の獲得速度に基づいて、乳がんとその周りの良性の増殖性病変や正常上皮との遺伝学的な関係性を調べることで、乳がんの初期の変異の獲得からその発症にいたる経時的な経過を推定しました。その結果、(1)乳がん全体の約20%を占める「der(1;16)転座陽性の乳がん」の起源は、思春期前後に当該転座を獲得した単一の細胞に由来すること、(2)同細胞は分裂増殖を繰り返し、数十年後に乳がんを発症するころまでには、乳腺内の広い領域にわたって拡大するに至ること、(3)こうした拡大の過程を通じて、30歳前後までには、その後乳がんを発症することになる複数の起源の細胞が生じ、これらの細胞から多中心性に発がんが生じたこと、が推定されました。今回の研究結果は、人生の極めて早期に変異を獲得した細胞からがんが発症するまでの全体像を初めて明らかにしたものであり、今後、乳がんの発症予防や早期発見、早期治療の開発に貢献すると期待されます。
本研究成果は、2023年7月26日に、国際学術誌「Nature」にオンライン掲載されました。
乳がんの進化の歴史を解明するための系統樹解析
研究者のコメント
「今回の研究によって、乳腺の細胞がいつどのような遺伝子異常を獲得し、どのような変化を経て乳がんの発症に至るのか、という発がんの詳細な歴史が明らかになりました。乳がんは多くの日本人女性の健康・生命を脅かす重要な疾患ですが、今回の研究成果を手がかりとして乳がんが発生するメカニズムの解明に取り組んでいます。私たちの研究が乳がんの予防や治療の向上に貢献し、乳がんで亡くなる女性を減らすために資することができればと考えています。」(小川誠司)
詳しい研究内容について
乳がん発生の進化の歴史を解明―ゲノム解析による発がんメカニズムの探索―
研究者情報
研究者名:小川 誠司
研究者名:西村 友美
研究者名:垣内 伸之