2023-11-22 東京大学
中村 真悠子(研究当時:博士課程)
佐藤 大介(研究当時:生物科学専攻修士課程、現:同専攻博士課程)
加藤 寿美香(研究当時:生物学科学部生、現:同大学院博士課程)
小口 晃平(生物科学専攻 特任助教)
岡西 政典(研究当時:生物科学専攻 特任助教、現:広島修道大学 助教)
林 良信(慶應義塾大学 専任講師)
M. Teresa Aguado(ドイツ ゲッティンゲン大学 教授)
三浦 徹(生物科学専攻 教授)
発表のポイント
- 日本近海に広く分布するゴカイの仲間のミドリシリスにおいて、体の一部が繁殖のためにちぎれて泳ぎ出す「ストロナイゼーション」という繁殖様式における発生過程と遺伝子発現を明らかにした。
- 身体の後方に新たに頭部ができ、生殖巣を含む尾部が「1個体」として泳ぎだすストロナイゼーションという、他の動物の発生では考えられない未知の現象について、その発生過程と遺伝子発現の様式が解明された。
- 日本の沿岸に見られる小さな動物にも、未知の生物学的知見がまだ多数あること、その中に常識を覆す重要な発見が他にも眠っていることが期待される。
ミドリシリス。尾部に遊泳繁殖個体(♀)が発達している。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の三浦教授らによる研究グループは、日本近海に広く分布する環形動物(注1)であるミドリシリスMegasyllis nipponicaでのストロナイゼーション(注2)の発生過程を形態学的および組織学的に観察し、詳細な発生ステージを定義しました。さらに発生ステージに従った発生制御に関わる遺伝子群の発現動態を明らかにしました。その結果、体軸の後半部分にもかかわらず頭部形成遺伝子(注3)の発現が上昇することが示されました。また、前後軸に沿って体節を決めるHox遺伝子群(注4)の発現も同様に変化することが予想されましたが、興味深いことに、Hox遺伝子群の発現パターンはこの過程で変化がないことが示されました。本研究により通常の発生過程がどのように修飾されることで、特異な繁殖様式を持つ動物の生活史が進化するのかということが示され、生物多様性を作り出すメカニズムの一端が明らかとなりました。
発表内容
海の中には、数多くの生物が棲息していますが、それらの生物の中には、生物学の常識では考えられないような珍奇な様相を示すものも存在しています。ゴカイやミミズなどの環形動物に属するシリスという動物は、「ストロナイゼーション」という類い稀な繁殖様式を行います(図1)。
図1:ミドリシリスの生活史
ストロナイゼーションでは、親個体の体の後方に生殖腺(卵巣または精巣)が発達し、その部分の前端に眼点や触角を有する頭部ができて、親個体から分離して遊泳個体(ストロン注5)となり、異性と出会うと放卵・放精を行いその後死亡します。この現象自体は既に知られていましたが、多細胞動物の成長や性成熟の過程で、体の途中に新たな頭部ができる現象は他に類を見ず、どのような発生機構がその根底にあるのか、全くの謎でした。
本研究チームは、ミドリシリスMegasyllis nipponicaという北海道から本州全域に分布する種に着目し、ストロナイゼーションを分子発生学的に解明するため、2016年ごろより採集および飼育を試み始めました。その結果、研究室での維持に成功するとともに、分子生物学的ツールの整備も行ってきました。
本研究成果ではまず、ストロナイゼーションの過程で見られる変化を詳細に記載して、発生ステージの整理を行いました。その結果、生殖腺が尾部に発達した後に、ストロンの眼点や触角が形成され、更にその後に遊泳剛毛(注6)が発達してストロンの分離が起こることが明らかになりました。また、眼点や触角が形成される頭部領域の内部には神経が発達して、ストロンの知覚と行動を司るであろう「脳」が発達することもわかりました。
更にこの発生過程に基づき、リアルタイム定量PCR法(注7)による遺伝子発現解析を行った結果、前後軸の情報を担うHox遺伝子群は本体(親個体)の前後軸に沿った発現を示し、ストロン形成過程での発現変化は見られませんでした。その一方、通常の初期発生時には体の前端側のみで発現する頭部形成遺伝子が体の途中に異所的に発現することが示されました。このようにストロナイゼーションは、「頭部」のみが身体の途中に異所的に形成され「自律的に遊泳可能な生殖腺」を作りだすことで、本体を危険にさらすことなく効率的に有性生殖を行うことができる特殊な現象であり、シリスの系統で独自に進化してきたと考えられます。身体が分岐し同時に複数のストロンを放出するキングギドラシリス(注8)などについても同様のメカニズムが見られると考えられるため、今後は種間比較なども期待されます。
本研究により、通常の発生過程が修飾され、特異な繁殖様式を持つ動物の生活史が進化するメカニズムが明らかになりました。海岸近くの潮間帯や潮下帯に生息する小さな海産無脊椎動物の中にも、シリスのような珍奇な性質を示す生物が存在する可能性があること、またその中には生物学の常識を覆すような現象があることを本研究は示しています。
図2:ミドリシリスにおけるストロナイゼーションの過程(上)と体軸形成に関わる遺伝子の発現パターン(下)
〇関連情報:
「体が分岐する環形動物の新種発見:佐渡島のキングギドラシリス」(2022/1/20)
論文情報
- 雑誌名
Scientific Reports論文タイトル
Morphological, Histological and Gene-Expression Analyses on Stolonization in the Japanese Green Syllid, Megasyllis nipponica (Annelida, Syllidae)著者
Mayuko Nakamura, Kohei Oguchi, Daisuke S. Sato, Sumika Kato, Masanori Okanishi, Yoshinobu Hayashi, M. Teresa Aguado, Toru Miura
研究助成
本研究は、科研費・基盤研究(A)「環形動物シリスにおける無性生殖様式「ストロナイゼーション」の分子発生基盤の解明(課題番号:18H04006)」の支援により実施されました。
用語解説
注1 環形動物
環形動物門に属する動物の総称。原則として多くが原則として体節制をもち、体は環状の柔らかい体節に分かれている蠕虫状の動物。ゴカイ、ミミズ、ヒルなどのなかま。↑
注2 ストロナイゼーション
シリス科の一部の種が行う特異な有性生殖の様式。親個体の身体の後半部が新たな一個体として親個体から遊離して放精・放卵を行う。↑
注3 頭部形成遺伝子
左右相称動物に共通する頭部領域を規定して、初期発生で頭部の形成を誘導する遺伝子群。↑
注4 Hox遺伝子群
左右相称動物の前後軸を規定し、各体節がどの部位になるのかについての位置情報を与える遺伝子群。↑
注5 ストロン
シリス科のストロナイゼーションにおいて、親個体から遊離する遊泳繁殖個体。↑
注6 遊泳剛毛
環形動物の遊泳繁殖個体に発達する遊泳のための剛毛。↑
注7 リアルタイム定量PCR法
PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)を用いて組織内のDNAまたはRNAの存在量を定量する方法。これにより、特定の遺伝子の発現が起こっているかの判別が可能となる。↑
注8 キングギドラシリス
2022年に同研究チームが佐渡島から報告した新種のシリス。カイメンの中に共生しており、細長い身体が無数に分岐した体制を持つ。そのため、キングギドラの名がついた。