2024-08-26 東京大学
発表のポイント
◆ 日本の全承認医薬品(2022年11月時点での14,649品目)を対象に、含有される添加剤の潜在的供給リスクを元素レベルまでさかのぼって評価しました。
◆ 原材料の偏在性と供給国のガバナンスを考慮して化合物を評価する指標を開発し、化合物・剤形・対象疾患の各レベルでの評価を可能にしました。結果からは、使用する化合物や剤形を、従来とは異なるものにしていくことが具体的な対策として得られました。
◆ 本研究で開発した指標や手順は他産業への応用も可能であり、供給不安の懸念を有する産業全体に成果が波及することが期待できます。
概要
東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻の杉山弘和教授と林勇佑助教、根本耕輔大学院生による研究グループは、日本の全承認医薬品(2022年11月時点での14,649品目)を対象に、含有される添加剤の潜在的供給リスクを元素レベルまでさかのぼって評価しました(図1)。
図1:元素レベルの供給安定性の評価結果(発表論文から抜粋・翻訳)
赤色が強いほど供給リスクが高いことを示している。
医薬品には、錠剤やカプセル剤などのさまざまな剤形(注1)があります。その中には有効成分の他に、品質や成形性を高めるために複数の添加剤が加えられます(図2)。従来、添加剤は主に物性に基づいて経験的に選定されてきました。他方で、近年では多くの産業がサプライチェーンの寸断・停滞という問題に直面しており、製薬産業も例外ではありません。しかし、医薬品の供給安定性を定量的に評価する手法は未確立であり、このことが製剤設計でサプライチェーンの課題を積極的に考慮するための障壁となっていました。
図2:COVID-19治療薬ゾコーバ®を例とした医薬品添加剤とその役割
本研究ではまず、日本の医薬品で使われる全添加剤をリストアップし、その原材料を特定しました。続いて、ハーフィンダール・ハーシュマン指数(注2)と世界ガバナンス指標(注3)の統合指標を採用し、原材料の偏在性と供給国のガバナンスを考慮した供給安定性の評価指標としました。さらにこの指標を、元素レベルから化合物レベルに新たに拡張し、化合物・剤形・対象疾患の各レベルでの評価を可能にしました。結果からは、使用する化合物や剤形を、従来とは異なるものにしていくことが有効な対策として示されました。
本研究で開発した指標や手順は他産業への応用も可能であり、供給不安の懸念を有する産業全体に成果が波及することが期待できます。
本研究成果は、2024年8月26日(日本時間正午)に学術誌「International Journal of Pharmaceutics」のオンライン版(オープンアクセス)で公開されました。
発表内容
① 研究背景
医薬品には、錠剤やカプセル剤などのさまざまな剤形があります。その中には有効成分の他に、品質や成形性を高めるために複数の添加剤が加えられます。従来、添加剤は主に物性に基づいて経験的に選定されてきました。他方で、コロナ禍や国際的緊張の高まりの中で多くの産業がサプライチェーンの寸断・停滞という深刻な問題に直面しており、人命に直接関わる製薬産業も例外ではありません。しかし、医薬品の供給安定性を定量的に評価する手法は未確立であり、このことが、添加剤や剤形の決定も含めた製剤設計でサプライチェーンの課題を積極的に考慮するための障壁となっていました。
② 研究内容と成果
本研究では、医薬品添加剤の潜在的な供給リスクを定量的指標に基づいて評価しました。まず、日本における全承認医薬品(2022年11月時点での14,649品目)を対象に使用されている全添加剤をリストアップし、その原材料を特定しました。続いて、産業における市場の競争度合いを算定するハーフィンダール・ハーシュマン指数と、世界銀行が毎年発表する世界ガバナンス指標を統合した指標を採用し、原材料の偏在性と供給国のガバナンスに基づく供給安定性の評価指標としました。さらにこの指標を、元素だけでなく化合物も評価できるように新たに拡張し、化合物・剤形・対象疾患の各レベルでの分析を可能にしました。
結果からは、製剤設計で供給リスクを低減するための新しい視点を得ることができました。化合物レベルの評価では、滑沢剤(注4)として広く用いられるステアリン酸マグネシウム(注5)が、その高い使用頻度と生産・輸入における特定国への高い依存のために最も高い供給リスクを示し、フマル酸ステアリルナトリウムのような代替化合物への切り替えが推奨されました。剤形レベルの評価では、錠剤やカプセル剤が、成形のために多くの添加剤を必要とする(図3)ことや、ステアリン酸マグネシウムをはじめとする供給リスクの高い添加剤を使用することから、粉薬よりも高い供給リスクを有することが分かり(図4)、剤形の多様化が対策として示されました。最後に、対象疾患レベルの評価では、成人病の治療薬では輸送・処方時の利便性から錠剤が多く採用されるため、供給リスクが高い結果になりました(図5)。今後、成人病に対しては錠剤以外の剤形も考慮していくことが対策として示されました。
図3:剤形ごとの添加剤の使用頻度(発表論文から一部抜粋・編集・翻訳)
青色の棒が長いほど使用頻度が高いことを示す。
図4:剤形ごとの添加剤の供給安定性評価結果(発表論文から一部抜粋・編集・翻訳)
三角形の各頂点は生産(上)、埋蔵(左)、輸入(右)の評価結果を示し、黄色い面積が大きいほど供給リスクが高いことを示している。
図5:対象疾患ごとの添加剤の供給安定性評価結果(発表論文から一部抜粋・編集・翻訳)
本研究の成果は、医薬品研究開発の早期段階(ヒトを対象とする臨床試験(注6)や、さらにその前の動物を対象として行う非臨床試験(注7))で、剤形や添加剤の決定に供給安定性の定量的評価を組み込んでいくための第一歩になります。本研究で開発した指標や手順は他産業への応用も可能であり、供給不安の懸念を有する産業全体に成果が波及することが期待できます。
③ 今後の展望
本研究では、日本の全承認医薬品を対象に、添加剤の潜在的な供給リスクを元素レベルまでさかのぼって定量的に評価しました。今後は、サプライチェーンにおける輸送や貯蔵などの中間プロセスも評価の範囲に含めていくことで、より現実的・即時的なリスクの評価を目指します。本研究を通じて、いかなる時も医薬品にアクセスすることができるような、持続的な健康社会の実現に貢献していきます。
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院工学系研究科 化学システム工学専攻
根本 耕輔 修士課程
林 勇佑 助教
杉山 弘和 教授
論文情報
雑誌名:International Journal of Pharmaceutics
題 名:Indicator-based assessment of potential supply risks for pharmaceutical excipients: method and application
著者名:Kosuke Nemoto, Yusuke Hayashi, Hirokazu Sugiyama* * 責任著者
DOI:10.1016/j.ijpharm.2024.124498
URL:https://doi.org/10.1016/j.ijpharm.2024.124498
研究助成
本研究は、科研費基盤研究(B)「パンデミック治療薬の迅速生産支援システムの構築(課題番号:23K21057)」(代表:杉山弘和)の研究として行われたものです。
用語解説
(注1)剤形:目的に応じて使い分けられる医薬品の形のこと。主な剤形としては錠剤、カプセル剤、粉薬、シロップ剤などが挙げられ、それぞれ長所と短所を有する。
(注2)ハーフィンダール・ハーシュマン指数:HHI(Herfindahl-Hirschman index)とも呼ばれ、産業における市場の競争度合いを表す指標。各国および企業等の市場シェアの2乗和として定義され、値が高いほど市場の集中度が高いことを示す。本研究では生産・埋蔵・輸入の観点から各物質の偏在性をHHIにより評価した。
(注3)世界ガバナンス指標:WGI(the worldwide governance indicators)とも呼ばれ、世界銀行が毎年発行する、各国のガバナンスの評価指標。「国民の声(発言力)と政治責任」、「政治的安定と暴力の不在」、「政府の有効性」、「規制の質」、「法の支配」、「汚職の抑制」の6つの観点それぞれで数値化される。
(注4)滑沢剤:製造プロセス中で、原料粉体の流動性の改善や滑沢性の付与、壁面への粉体の付着防止を主な目的として使用される添加剤の一種。
(注5)ステアリン酸マグネシウム:植物または動物由来の固体混合脂肪酸のマグネシウム塩。代表的な滑沢剤である。
(注6)臨床試験:ヒトを対象として、開発候補品の安全性及び有効性を確認するために行われる。少数の健康な成人男性を対象とする第1相試験、少数の患者を対象とする第2相試験、多数の患者を対象とする第3相試験からなる。
(注7)非臨床試験:ヒト以外の動物(ラットやイヌ、サルなど)を対象として、開発候補品の安全性及び有効性を確認するために行われる。
プレスリリース本文:PDFファイル
International Journal of Pharmaceutics:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0378517324007324?via%3Dihub