2024-11-18 早稲田大学
発表のポイント
- 日常生活の中で物をつかむ時などに「左右どちらの手を使うか」という選択は、無意識に行われているが、極めて短時間の電気刺激を事前に一方の手首に与えると、刺激された側の手が選択される確率が高まることを発見した。
- この電気刺激による手の選択は、無意識に麻痺した手を使用することを促すことになるため、脳卒中等片麻痺患者の新しいリハビリテーションへの応用が期待される。
- 日常生活での意思決定に関する今回の知見は、脳神経機序の解明に大きく貢献すると考えられる。
早稲田大学人間科学学術院の平山 健人(ひらやま けんと)研究員、同髙橋 徹(たかはし とおる)研究員と大須 理英子(おおす りえこ)教授の研究グループ(以下、本研究グループ)は、左右一方の手首に極短時間(85ミリ秒)の電気刺激を与えることで、刺激側の手を使用する頻度を高めることに成功しました。私たちの日常生活では、物をつかむ際にどちらの手を使用するかを無意識に選択しており、右側の物には右手、左側の物には左手を使うのが一般的ですが、中央にある物の場合、状況に応じて選択が変わります。最近の研究では、脳波計を用い、物を認識する前から脳活動が手の選択に影響を与える可能性が示唆されていました。本研究グループは、対象物が提示される直前に片方の手首に「瞬間的な電気刺激」を与えることで、手の選択にどのような影響があるかを調査し、その結果、刺激を与えた側の手を使う確率が増加し、判断にかかる時間が短縮されることを明らかにしました。
図1:使う手の選択について
さまざまな位置に提示されるターゲットに、左右どちらかの手をのばす。点線は体の中心を示し、赤線は右手と左手を半々の確率で使う選択均衡線を示す。右利きの人は、選択均衡線が体の中心よりも左側にくることが分かっている。事前に片方の手首に短時間の刺激を与えることで、刺激側の手を使うエリアが拡大した。
麻痺した手を使用しないと、回復した手の動きが悪化するため、リハビリテーションにおいて手の使用を促すことは重要です。これまでのリハビリでは、日常生活で麻痺手の使用を促すために、当事者に麻痺手の使用に関する目標設定や日記の記載を求めるなど、当事者の意識的な努力に任されており、継続が難しいという問題点が指摘されていました。一方で、無意識に生じる手の選択に関する脳メカニズムは明らかになっていないことが多く、脳メカニズムに基づいて無意識のうちに麻痺手の使用を促すことができるリハビリテーションは実施されていませんでした。今回の知見を活かすことで、例えば脳卒中患者の新しい治療法を提案できる可能性があります。
本研究成果はSpringer Nature社が出版する『Scientific Reports』(論文名:Somatosensory stimulation on the wrist enhances the subsequent hand-choice by biasing toward the stimulated hand)にて、2024年9月30日(月)にオンラインで掲載されました。
(1)これまでの研究で分かっていたこと
私たちは生活のなかで、目の前のカップをつかむなど、物をつかむことはしばしばありまが、その際に「左右どちらの手を使うか」は意識せずに、右にある物は右手を、左にある物は左手を使う場合が多いかと思います。また、真ん中(中央)にある物は、その時々で、無作為に右手か左手を使うことが過去の実験から分かっています。また、ちょうど半々の確率で右手と左手を使うライン(選択均衡線)※1を引いた場合、右利きの場合は右手をより頻繁に使うエリアが広くなるため、このラインは、少し左によったところとなります(図1および※1)。このラインの左側が、「主に左手担当エリア」、右側が、「主に右手担当エリア」と言うことができます。脳卒中によって体の片側が麻痺した場合には、麻痺した手を使わなくなるため、このラインが真ん中から大きく麻痺側にずれてしまいます。
これまでの研究において、端にある対象物(ターゲット)に対する手の選択は、主にターゲットの位置の情報によって決まることが報告されています(Schweighoferら、2015)。しかし、真ん中のエリアでは、ターゲットの情報に関係なく、そのときどきに右手を使ったり、左手を使ったりします。脳活動をはかる装置(脳波計)を使用した研究により、真ん中のエリアに対する手の選択は、ターゲットが出現する時の脳の活動状態に影響を受けることが報告されました(Hamel-Thibaultら、2018)。このことは、ターゲットが提示される前の脳活動の状態が、一方の選択に偏っている可能性を示唆しています。しかし、この事前の脳活動に間接的に影響を与えた場合に、手の選択の傾向を変えるかどうかは明らかとなっていませんでした。
(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
私たちは手首にある正中神経と尺骨神経※2への極短時間の電気刺激が、刺激側の手に関する脳部位の神経活動に変化を生じさせることに着目しました。実験参加者は、パソコン画面の様々な場所に出現する1つの黒い丸(ターゲット)に、左右一方の手をすばやく選択して到達させる(リーチ)課題を行いました。ターゲットが提示される直前(0~600ミリ秒前)に、片方の手首から極短時間(85ミリ秒)の電気刺激を行いました(図2)。刺激の強さは筋肉の収縮を生じさせず、刺激感覚のみ生じさせる強さとしました(電気刺激装置※3)。この電気刺激が、図1の「右手と左手を半々の確率で使うライン(選択均衡線)」と反応時間(ターゲットが提示されてから手を選択してリーチを開始するまでの時間)に、変化を及ぼすかを調べました。
結果は、刺激しない条件および両手首に刺激する条件と比較して、片方の手首への刺激によって、選択均衡線が反対側にずれ、刺激側の手の選択エリアが広がりました(図3)。さらに、過去の研究で、反応時間は手の選択に関する難易度を表す指標として使われ、反応時間が短いほど、手の選択が容易であることを示します。本研究では、片手刺激条件で、反応時間が著しく短くなったことから、手の選択のプロセスを促進する効果が認められました(図4)。これらの結果より、ターゲットが出現する直前の手首への電気刺激が、刺激側の手の選択を促すことが明らかになりました。
図2:実験手順
9つのランダムな位置に提示される黒い丸(ターゲット)に対して、左右どちらかの手をすばやく到達させる。ターゲットが提示される前0、300または600ミリ秒のランダムなタイミングで手首の刺激電極から85ミリ秒の電気刺激を与えた。刺激条件は、左手、右手、両手、刺激なしの4条件とした。ターゲットに対してどちらの手を選択してリーチしたか計測した。
図3:結果(左右手の選択均衡線の角度変化)
縦軸は、刺激なし条件からの左右手の選択均衡線の角度変化を示しており、0度が体の中心で、プラスになるほど左手担当エリアが大きくなり、マイナスになるほど右手担当エリアが大きくなることを示す。赤が左手刺激、青が右手刺激、緑が両手刺激の結果を示す。赤と青の片手に刺激した条件において、刺激なしと両手刺激条件と比較して、均衡線の角度が対側に変化し、刺激側の手の選択が著しく増加したことがわかる。右側の図は、刺激によって最も変化を認めた1名の代表例を示す。
図4:結果(反応時間)
反応時間は、ターゲットが提示されてから手を選択して、リーチを開始するまでの時間とした。縦軸は、刺激なし条件からの反応時間の変化を示している。赤が左手刺激、青が右手刺激、緑が両手刺激の結果を示す。赤と青の片手に刺激した条件において、刺激なしと両手刺激条件と比較して、反応時間が著しく減少したことが分かる。反応時間は、手の選択の難しさを表す指標として考えられており、反応時間が短いほど、手の選択が容易であることが過去の研究で報告されている。本研究結果は、片手への刺激が、手の選択プロセスを容易にしたことを示す。
(3)研究の波及効果や社会的影響
本研究では、ターゲット提示前に片方の手首に極短時間の電気刺激を行うことで、刺激側の手の選択を増加させることを明らかにしました。この結果は脳卒中によって片側の体が麻痺した当事者に対して、麻痺した手を使うことを促す治療として応用できる可能性があります。リハビリテーションの現場では、麻痺した手を再び動くように治療しますが、ある程度動くようになっても、麻痺した手は、麻痺していない健康な手と比べると使いにくくなるため、健康な手で全てのことをやってしまい、麻痺した手を使用しなくなってしまうことがあります。生活の中で麻痺した手を使用しないと、せっかく回復した手の動きが悪くなり、さらに使用しなくなってしまうのです。そのため、リハビリテーションにおいて、手の使用を促す治療はとても重要となります。刺激によって、無意識的に麻痺した手を使用することを促すというアイデアは、新しいリハビリテーションのコンセプトを提案するものでもあります。
(4)今後の課題
今後は、本研究の電気刺激が、手の選択に関する脳のメカニズムにどのように影響したのかを、脳波計やfMRIなどの脳活動を計測する手法を活用し検討する予定です。さらに、リハビリテーションにおいて、実際に脳卒中患者に対し効果があるか否かを検証し、臨床応用に向けた検討を行います。
(5)研究者のコメント
意思決定は意識にのぼらないプロセスも多く、その脳内機序は明らかになっていないことも多くあります。「手の選択」という、日常生活での意思決定を通じて得られた今回の知見は、その機序の解明に大きく貢献すると考えます。また、リハビリテーションにおいても、脳卒中患者の麻痺した手を使うように促す介入法として応用できる可能性があります。麻痺した手を積極的に使うことは、手の機能を維持・向上させるために重要です。このため、本研究は神経科学とリハビリテーション科学のどちらの分野からも注目される知見となっています。
(6)用語解説
※1 半々の確率で右手と左手を使うライン(左右手の選択均衡線)
今回の実験での各ターゲットは、実験台の手前(四角いスタート位置の中心)を中心として、半径27cmの半円の円周上に、さらに垂直方向を0度(体の左右中心)として、左右対称に±8, 25, 45, 75度の9つの位置に提示した。各ターゲットに対する左右の手の選択率を測り、右手の選択率をターゲット位置ごとにプロットすると図のような青いシグモイド曲線で近似できる。この曲線に対して、右手選択50%、左手選択50%のところが「半々の確率で右手と左手を使うライン(左右手の選択均衡線)」をしめす角度となる。
A(上):ターゲット提示位置(角度)
B(下):各ターゲットの右手の選択率に対してシグモイド曲線で近似したもの。
右手の選択率50%のターゲット提示位置を左右手の選択均衡線の角度とした(赤線(上図)と赤丸(下図))。
※2 正中神経と尺骨神経
正中神経と尺骨神経は、腕を走行する神経である。正中神経は、親指から薬指の半分までの手のひら側の感覚機能と手首や指の運動に関わる。尺骨神経は、小指と薬指の半分までの感覚機能と手首や指の運動に関わる。本研究では、感覚を生じさせる強さで電気刺激を行った。
※3 電気刺激装置(左図:Electric Stimulator SEN、日本光電社)
刺激の波形や強さ、タイミングなどを正確にコントロールすることができる刺激装置。2つの刺激電極を皮膚に貼付して刺激を行う。リハビリテーションなどの臨床現場では、より小型で軽量な操作性を高めた機器が開発されている。臨床用の機器は、安全性が高く、比較的安価なため、リハビリテーションの治療として広く使われている(右図:DRIVE、デンケン社)。
(7)論文情報
雑誌名:Scientific Reports
論文名:Somatosensory stimulation on the wrist enhances the subsequent hand-choice by biasing toward the stimulated hand
執筆者名(所属機関名):平山 健人(早稲田大学、University of Southern California)、髙橋 徹(早稲田大学、Laureate Institute for Brain Research)、Xiang Yan(早稲田大学)、古賀 敬之(早稲田大学)、大須 理英子(早稲田大学)
掲載日時:2024年9月30日(月)
掲載URL:https://www.nature.com/articles/s41598-024-73245-7
DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-024-73245-7
(8)研究助成
- 研究費名:JSPS Kakenhi 21H04425、22H04785
研究課題名:身体モジュレーションと神経モジュレーションによる心身機能の改善、空間認知の超適応的変容
研究代表者名(所属機関名):大須 理英子(早稲田大学) - 研究費名:JSPS Kakenhi 21K20293、内藤記念海外研究留学助成金
研究課題名:使用する手の選択に関する神経基盤の解明:前頭・頭頂葉ネットワークに着目して
研究代表者名(所属機関名):平山 健人(早稲田大学)