2019-1-28 理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センターケミカルバイオロジー研究グループの本山高幸専任研究員、野川俊彦研究員、長田裕之グループディレクターらの研究チームは、「イネいもち病菌[1](かびの一種)」において、二次代謝産物[2]であるネクトリアピロン類[3]の生産誘導を引き起こし、ネクトリアピロン類の生合成遺伝子クラスター[4]を同定することに成功しました。
本研究成果は、他のかびにおける二次代謝活性化および有用な生理活性物質取得への応用や、イネいもち病菌と他の微生物との相互作用メカニズムの理解への貢献が期待できます。
今回、研究チームは、植物病原糸状菌[5]の一種であるイネいもち病菌の細胞内情報伝達系を撹乱することにより、ネクトリアピロン類の生産誘導を引き起こし、その生合成遺伝子を同定しました。ネクトリアピロン類は、さまざまなかびが生産する二次代謝産物として知られていましたが、イネいもち病菌での生産を確認したのは初めてです。生合成遺伝子を同定したことで、化合物の大量生産や生理機能の解析が可能になりました。さらに、ネクトリアピロン類がイネへのイネいもち病菌の感染に必要とされないこと、および放線菌[6]との相互作用に関与することを見いだしました。
本研究は、欧州化学会の科学雑誌『ChemBioChem』への掲載に先立ち、アクセプト版(2018年11月15日付け)、オンライン版(2019年1月23日付け)に掲載されました。
図 イネいもち病菌におけるネクトリアピロン類の生産誘導
※研究支援
本研究は、農業・食品産業技術総合研究機構生物系特定産業技術研究支援センター「イノベーション創出強化研究推進事業」の研究課題「植物保護を目指した天然物ケミカルバイオロジー研究(研究統括:長田裕之)」などの支援を受けて行われました。
背景
糸状菌は二次代謝産物の宝庫であり、ペニシリン[7]やスタチン[7]など、多くの有用な化合物の供給源となってきました。ところが、実験室条件での培養ではほとんどの二次代謝産物は生産されず、二次代謝活性化の方法の開発が求められてきました。
研究チームはこれまで、植物病原糸状菌であるイネいもち病菌を用いて、二次代謝活性化のための研究を推進してきました。2015年には、かび毒[8]として知られる二次代謝産物のテヌアゾン酸の生産誘導を引き起こし、その生合成遺伝子を同定し、生産誘導メカニズムを明らかにすることに成功しています注1)。また2017年には、テヌアゾン酸の生産誘導条件として、①環境変化への適応に関与する情報伝達系因子の一つ「OSM1[9]」の遺伝子を欠損させること、②溶媒の一つジメチルスルホキシドによる処理をすることを見いだしました(図1)注2)。
今回は、異なる細胞内情報伝達系因子の撹乱により、別の二次代謝産物の生産誘導を試みました。
注1)2015年10月27日プレスリリース「かび毒テヌアゾン酸の生合成遺伝子を同定」
注2)2017年10月6日プレスリリース「かび毒の生産制御機構」
研究手法と成果
糸状菌の二次代謝産物の遺伝子(二次代謝遺伝子)の大部分は、実験室条件ではほとんど発現しません。研究チームは、二次代謝遺伝子が特別な環境条件下で発現するように厳密に制御されていることがその原因の一つであると考え、環境応答に関与する情報伝達系を撹乱することにより、二次代謝産物の生産誘導を引き起こすことを目指しました。
糸状菌では環境応答に関与する情報伝達系として、「二成分情報伝達系」が知られています(図2)。研究チームは既に、二成分情報伝達系の下流の情報伝達系因子の一つOSM1の遺伝子を欠損させることで、テヌアゾン酸の生産誘導が引き起こされることを見いだしていました(図1)。そこで今回は、二成分情報伝達系のOSM1を含む2種類の因子の遺伝子を欠損させることにより、別の二次代謝産物であるネクトリアピロン類の生産誘導を試みました。ネクトリアピロン類は、ポリケタイド化合物[10]で、植物内共生菌や植物病原菌などの共生・寄生菌が主に生産する二次代謝産物として知られています。
今回、イネいもち病菌から二成分情報伝達系の二つの因子(OSM1:リン酸化酵素HOG MAPキナーゼとPoYPD1:HPtの一種)の遺伝子を欠損させたところ、情報伝達系が撹乱され、ネクトリアピロンおよび類縁化合物1個の生産誘導が引き起こされることが分かりました。この結果から、OSM1の遺伝子を欠損させることと、OSM1とPoYPD1の遺伝子を同時に欠損させることは、二次代謝産物生産にそれぞれ異なる影響を及ぼすことが示されました。
次に、この生産誘導条件で発現誘導される遺伝子の中から、ネクトリアピロンの生合成遺伝子の同定を行いました。その結果、ポリケタイド合成酵素遺伝子NEC1およびメチル基転移酵素遺伝子NEC2がネクトリアピロン生合成遺伝子のクラスターを作っていることが明らかになりました(図3)。そして、この二つの遺伝子を大量発現させることにより、ネクトリアピロンと1種類の新規化合物を含む6種類のネクトリアピロン類を大量生産・精製しました(図3)。
ネクトリアピロンの生合成遺伝子クラスターが同定できたことにより、ネクトリアピロン類の生理活性の解析が可能になりました。まず、ネクトリアピロン類がイネへのイネいもち病原菌の感染に必要かどうかを明らかにするため、生合成遺伝子NEC1の欠損株を用いて感染実験を行ったところ、感染可能であったことから、ネクトリアピロン類は感染には必要とされないことが分かりました。
一方、ネクトリアピロン類の構造は、放線菌が生産する自己生育阻害物質ジャーミシジン類と構造が類似していたため、放線菌に対する生育阻害効果を評価しました。その結果、6種類のネクトリアピロン類の中で、ネクトリアピロンが放線菌の一種であるストレプトマイセス グリセウス(Streptomyces griseus)の生育を抑制する効果を持つことを見いだしました。
今後の期待
細胞内情報伝達系は糸状菌の二次代謝制御に関与していますが、二成分情報伝達系の関与については他の経路(cAMP/PKA経路、フェロモン経路、細胞壁完全性経路)と比較してあまり研究されてきませんでした。二成分情報伝達系に関与する因子の操作は、二次代謝産物の生産誘導において有効な手段の一つです。
本研究の成果により、他のかびにおける二次代謝活性化への応用が期待できます。例えば、最近ゲノム解読が進んできているさまざまな糸状菌で同様のアプローチを行うことにより、新規の有用生理活性物質を取得できる可能性があります。
また、イネいもち病菌と他の微生物との相互作用メカニズムの理解を可能にすることにより、植物病害の新たな防除法の開発につながる可能性もあります。
原論文情報
Takayuki Motoyama, Toshihiko Nogawa, Tioshiaki Hayashi, Hiroshi Hirota, Hiroyuki Osada, “Induction of Nectriapyrone Biosynthesis in the Rice Blast Fungus Pyricularia oryzae by Disturbance of the Two-Component Signal Transduction System”, ChemBioChem, 10.1002/cbic.201800620
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター ケミカルバイオロジー研究グループ
専任研究員 本山 高幸(もとやま たかゆき)
研究員 野川 俊彦(のがわ としひこ)
グループディレクター 長田 裕之(おさだ ひろゆき)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
補足説明
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- イネいもち病菌(Pyricularia oryzae(Magnaporthe oryzae))
- 病原性の糸状菌(かび)の一種。イネにいもち病を引き起こす。いもち病はイネの最重要病害であり、大幅な減収と食味の低下を引き起こす。
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- 二次代謝産物
- 生物体を構成、維持する上で重要な物質を一次代謝産物と呼ぶ。一方、生育そのものには必要とされない代謝産物を二次代謝産物と呼び、抗生物質などが含まれる。
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- ネクトリアピロン類
- かびが生産する二次代謝産物で、1975年に初めて報告された。さまざまなかびがネクトリアピロン類を生産することが明らかになってきている。
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- 生合成遺伝子クラスター
- ある二次代謝産物の生合成に関与する遺伝子群が、染色体上に塊(クラスター)を形成したもの。二次代謝遺伝子クラスターとも呼ばれる。イネいもち病菌のような糸状菌の二次代謝産物の生合成遺伝子はほとんどの場合、二次代謝産物ごとに生合成遺伝子クラスターを形成している。
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- 植物病原糸状菌
- 植物に対して病気を引き起こす糸状菌(かび)。
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- 放線菌
- バクテリアの一種。主に土壌中に生息し、さまざまな抗生物質を生産する。
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- ペニシリン、スタチン
- ペニシリンは世界初の抗生物質であり、感染症の治療に用いられてきた。スタチンはコレステロール生合成の阻害剤で、高脂血症治療薬として広く使用されてきた。
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- かび毒
- マイコトキシンとも呼ばれ、糸状菌の二次代謝産物として生産される毒の総称。アフラトキシン、トリコテセンなどが知られ、農産物の汚染による健康被害や植物病害を引き起こすため経済的損失が大きく問題となっている。
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- OSM1
- 細胞内情報伝達系因子の一つであり、高浸透圧環境応答などに関与する。酵母のHog1と相同性が高い酵素であり、MAPキナーゼ(リン酸化酵素)の一種である。
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- ポリケタイド化合物
- 微生物や植物の二次代謝産物の中の主要なグループであり、さまざまな生理活性物質を含む。ポリケチド化合物とも呼ばれる。
図1 イネいもち病菌とテヌアゾン酸
イネいもち病菌は植物病原糸状菌の一種であり、イネに感染してイネいもち病を引き起こす。イネいもち病菌は他のいくつかの植物病原糸状菌と同様に、かび毒であるテヌアゾン酸を生産する。ジメチルスルホキシド処理あるいはOSM1の遺伝子欠損によりテヌアゾン酸の生産誘導が引き起こされる。
図2 イネいもち病菌の二成分情報伝達系
真核生物の二成分情報伝達系はヒスチジンキナーゼ(HK)、ヒスチジン含有リン酸転移タンパク質(HPt)、レスポンスレギュレーター(RR)からなり、環境シグナルを感知して、下流に情報を伝え、細胞内応答を引き起こす。イネいもち病菌はHKを10種類、HPtを1種類、RRを2種類持つ。RRの一つPoSSK1の下流にはMAPキナーゼの1種であるOSM1が働く。イネいもち病菌において、OSM1の遺伝子欠損によりテヌアゾン酸の生産誘導を引き起こすことができる。
図3 ネクトリアピロン類の生産誘導
イネいもち病菌において、OSM1の遺伝子欠損によりテヌアゾン酸の生産誘導が引き起こされる。一方、OSM1とPoYPD1の遺伝子欠損により、ネクトリアピロン類の生産誘導を引き起こすことが可能なことを見いだした。ネクトリアピロンの生合成遺伝子クラスターは2遺伝子(NEC1とNEC2)からなり、これらの遺伝子の大量発現により、ネクトリアピロンを含む6種類のネクトリアピロン類の大量生産が可能になった。