社会脳の活動を計測し養育ストレスが深刻化する前兆を早期発見する評価法の開発
2018-02-05 福井大学,科学技術振興機構(JST)
ポイント
- 子育て中の養育者の抑うつ気分に関連して相手の気持ちを推測する能力に関わる脳部位の働きが低下することを明らかにした。
- fMRI(機能的磁気共鳴画像法)で捉えた脳活動から抑うつ気分が深刻化する前の徴候を把握できる新たな評価法を見いだした。
- 子育て困難を予防する養育者支援ツールやシステムの開発に寄与すると期待される。
福井大学 子どものこころの発達研究センター(センター長 上田 孝典) 友田 明美 教授、島田 浩二 特命助教らの研究グループは、脳の機能画像から、子育て中の養育者の抑うつ気分が深刻化する前の徴候を把握できる新たな評価法を見いだした。養育者のメンタルヘルスの重要性が指摘されているが、抑うつ気分が高まり過ぎると子育て困難、そして最悪の事態として子ども虐待(不適切養育)につながる懸念がある。健康な養育者で普段は見落とされがちな抑うつ気分の深刻化に先立つ徴候があることを利用した評価法(未公開特許出願)は、脳の活動を見える化することにより、養育者本人や周囲の支援者の間で心の疲れを客観的・定量的にわかりやすく共有することができる。そして養育者支援につなげやすくなり子育て困難の予防に寄与することが期待される。今後、この評価法を組み入れた子育て困難を防ぐシステムを自治体などとも連携して確立し、実効性ある社会システムとして提示する。
本成果は、以下の事業・研究開発領域・研究開発プロジェクトによって得られました。
戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)
研究開発領域 | 「安全な暮らしをつくる新しい公/私空間の構築」 領域総括:山田 肇(東洋大学 名誉教授/NPO法人情報通信政策フォーラム 理事長) |
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研究開発プロジェクト名 | 「養育者支援によって子どもの虐待を低減するシステムの構築」 |
研究代表者 | 黒田 公美(理化学研究所 脳科学総合研究センター 親和性社会行動研究チーム チームリーダー) |
研究期間 | 平成27年11月~平成30年11月 |
<社会問題の現状:子育て困難を防ぐため、養育者のメンタルヘルスへの対応が望まれる>
少子化や核家族化の進行、地域のつながりの希薄化など、社会環境が変化する中で、身近な地域に相談できる相手がいないなど、子育てが孤立化することにより、その負担や不安が増大している※1。こうした子育ての環境の変化は、養育者のメンタルヘルスの問題が生じやすい要因にもなっていると考えられるが、近年は子育て困難そして最悪な事態として子ども虐待や妊産婦の自殺等の予防という観点からも、メンタルヘルスの重要性が指摘されている※2。子どもへの身体的虐待、性的虐待、暴言による心理的虐待、ネグレクトなど、子ども虐待につながりうる子育て困難を防止するためにも養育者のメンタルヘルスへの対応が望まれる。
<社会問題の解決に向けた成果:養育者への適切な支援につながりやすい新たな抑うつ気分の評価法>
本研究開発プロジェクトでは、たとえどんなに子ども思いの養育者であっても、体の疲れだけでなく、目に見えない心の疲れの蓄積から子育て困難(そして最悪な事態として子ども虐待)に陥ってしまうリスクの線上にいると考えている。子育て困難や子ども虐待は急に起こるのではなく、「養育準備」、「健全養育」、「養育困難」、「養育失調」という過程を経て進行していくものと捉え、深刻な事態を招かないために、段階に応じた予防的な養育者支援を提案することを目指している(図1)。
その中で、福井大学 子どものこころの発達研究センター 友田教授、島田特命助教らの研究グループでは、子育ての負担や不安から、ほぼすべての養育者が感じる気分の落ち込みといった心の疲れを表す抑うつ気分注1)の程度差に注目し、「健全養育」段階の養育者の抑うつ気分の高まりが「養育困難」段階への過程の進行を促進する一因とみなして、予防的な養育者支援の研究開発を進めている。
これまでに、ボランティアで参加した就学前の子どもを育児中の健康な養育者(女性30名、平均年齢35.3±4.3歳;範囲27~43歳)を対象にfMRI(機能的磁気共鳴画像法)注2)を使用した実験を行った。実験参加者にMRI装置のベッドの上に仰向けになってもらい、社会能力に関わる課題を遂行しているときの脳活動を測定した。「大人の気持ちを推測する能力を測定する課題(RMET注3))」では、その能力に選択的に関与する脳活動領域の同定を行うために、「感情推測課題」として、大人の顔写真、特に目の領域に範囲が限定された写真を見せ、実験参加者にその人物が表す感情状態を推測するテストを行った。その回答は感情語の二肢強制選択(例:混乱している、憎しみを持っている)で行った。統制課題の「性別判断課題」として、上記同様の写真を見せて性別を判断するテストを行った。その判断は性別語の二肢強制選択(男性、女性)によるものとした。「感情推測課題」時の脳活動から「性別判断課題」時の脳活動を差し引くことで、相手の気持ちを推測する能力に選択的に関与する脳活動推定値を算出した。また、実験参加者の抑うつ気分は、過去2週間の気分に関する質問に自記式で回答する「ベック抑うつ質問票注4)」で測定し点数化した。
fMRIによる脳機能計測実験の結果、抑うつ気分の点数が高い実験参加者ほど、大人の気持ちを推測する能力に関与する右下前頭回の脳活動がより低下することが分かった(図2)。一方で、課題遂行時の正答率や反応時間に関しては抑うつ気分の点数と関連して低下することはなかった。この結果は、健康な養育者で普段は見落とされがちな抑うつ気分の深刻化の徴候が、日常で目に見える認知行動面の変化では把握されないが脳機能面の変化を指標とすることで把握されうることを示唆し、心の疲れの深刻化に伴う対人関係性の問題(例えば家族間の感情のこじれ)などを含む子育て困難の予防的指標の開発に資するものといえる。
<社会問題の解決に向けた成果の活用:本評価法の活用場面>
この研究開発においては、脳の活動を調べるために脳機能計測技術の1つであるfMRIを用い、実験参加者の脳の活動が低下していることが一目で分かる画像(統計値画像)が得られた。実験参加者である養育者からは「普段は気にかけなかった(心の)疲れを自覚するきっかけとなる」、「深刻化してうつになる前に適切な休息やストレス対策を取りたい」などの意見が得られており、健康な養育者が抑うつ気分の深刻化の徴候があることを受け入れやすく早期の適切な支援につながりやすい新たな評価法を見いだしたといえる。また、子育て支援者からは「目に見えない心の疲れが客観的・定量的に評価され、本人との間で共有でき適切な助言や支援につながりやすい」などの意見が得られており、市区町村などの母子健康保健事業、例えば定期健康診査(1歳6ヵ月や3歳児健診)などにおいて利活用されることが想定される。この方法を取り入れた養育困難リスク評価注5)は、養育者の脳の画像を通じて状態を分かりやすく示すことができ、さらに抑うつ気分が軽くなる経過も把握できるため、リスクが高い養育者が養育者支援を拒否することなく、積極的に受ける事例が増えることが期待される。
<今後の展開:養育者支援に向けた今後の展開>
このような脳機能計測技術による抑うつ気分の評価法は養育者自身の脳の画像を示すことから動揺を引き起こす等の危険性も想定されるため、養育者の心理面には十分な配慮が必要である。また、画像情報の取り扱いには細心の注意が必要となることから、この評価法を用いるためのガイドラインを整備する。また、fMRIを用いた脳機能計測技術にはMRI装置といった大型で高価な装置が必要であるが、利用可能な場所には制限が存在する。そのため、比較的に安価で小型で計測場所に制限が少ない装置、例えばfNIRS(機能的近赤外分光法)注6)などを用いた評価法の並行した利用・展開(技術移転)も視野に入れる。さらなる脳機能計測技術の発達・進歩に伴い簡便化が可能となれば、目に見えない心の疲れを自己および他者がモニタリングすることができる。両親だけで無く祖父母や周囲の大人などの共同養育者や子育て支援者らと客観的かつ定量的な社会的シグナル(言い換えれば潜在的な援助希求)を共有でき、子育ての孤立化・困難化の事前予防につながりうる。そして、市区町村や児童相談所などと連携し、このような客観的かつ定量的な評価法を組み込んだ養育者支援システム注7)を確立しメンタルヘルスを重視した実効性のある社会システムとして提示することを目指す。
<参考図>
図1 「養育機能低下の進行・予防モデル」
子育て困難や関連する深刻な事態(不適切養育)は急に起こるのではなく、「養育準備」、「健全養育」、「養育困難」、「養育失調」という過程を経て進行していくものととらえ、深刻な事態を生まないために段階に応じた予防的な養育者支援を提案することを目指している(※下記資料の図を改変した:①平成11年度厚生科学研究『虐待の予防、早期発見および再発防止に向けた地域における連携体制に関する研究』(主任研究者:松井一郎);また、下記資料を参考にした:②中板育美(2016)『周産期からの子ども虐待予防・ケア:保健・医療・福祉の連携と支援体制』(明石書店);③滝川一廣(2017)『子どものための精神医学』(医学書院))。
「養育困難」や「養育失調」につながりうる、養育から(心の)ゆとりを奪うリスク要因としては、主に、(1)経済困難、(2)家族間の不和、(3)養育者の疾病、(4)子どもの障害、(5)養育者の子育ての不得手さ、が挙げられる(池田,1987;滝川,2017)。本研究グループでは、関連研究に基づき、養育機能低下の進行・予防モデルの4段階を以下の通り定義している:
- 養育失調:養育リスク要因が比較的多くあり不適切な病的養育を行う者を含む。
- 養育困難:養育リスク要因が少なからずあり適切な養育を行うのが難しい者を含む。
- 健全養育:養育リスク要因がほとんどなく適切な養育を行う者を含む。
- 養育準備:未養育者、これから養育を行う者、養育を行って間もない者を含む。
図2 大人または子どもの気持ちを推測する課題時に選択的な脳活動と抑うつ気分の間で関連を示した脳領域
実験参加者の抑うつ気分が高まると、共同子育てをする上で重要な社会能力に関連する大人の気持ちを推測する課題(RMET)遂行時には右半球の下前頭回の活動が低下した。一方で、抑うつ気分に伴い課題成績(正答率など)が低下することはなかった。
この結果から、養育者が他者の気持ちを推測する能力の認知行動面の指標が低下する前に、脳機能面の指標としてその能力に関与する神経基盤の一部の右下前頭回の脳活動が低下することが示唆される。親以外の周囲の大人たちとの共同養育が、子育ての孤立化を予防し負担や不安を低減するといえるが、今回明らかにされた社会脳機能(相手の気持ちを推測する能力)の低下現象は、それらの大人との対人関係性の問題(例えば家族間の感情の拗れ)へとつながりうる徴候として、子育て困難の予防的指標の開発・展開に資するものといえる。
<参考文献>
※1 内閣府『平成25年版 子ども・若者白書』185ページ(http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h25honpen/pdf/b2_04_04.pdf)。『我が国の少子化の現状について(新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会(第1回)平成26年11月11日配布資料2)』(http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/taikou/k_1/pdf/s2-2.pdf)
※2 厚生労働省 雇用均等・児童家庭局 総務課『子ども虐待対応の手引き(平成25年8月改正版)』(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/dl/120502_11.pdf)、公益社団法人 日本産婦人科医会『妊産婦メンタルヘルスケアマニュアル』2017年3月
<用語解説>
- 注1)抑うつ気分
- 気分が落ち込んでふさぎ込む、悲しい気持ちになる、希望を感じられなくなる、などといった状態を示す。
- 注2)fMRI(機能的磁気共鳴画像法)
- 核磁気共鳴現象(静磁場中の原子核にある特定の電磁波を当てると、原子核、静磁場および電磁波が共鳴する現象)を利用して、生体内の情報を画像化する方法の一種。全脳領域の局所的な神経活動に伴う脳血流動態(血液中のヘモグロビンの動態)を測定して脳の活動を把握できる。数ミリメートル程度の空間的解像度で、秒単位で計測することが可能であり、脳機能画像法の中でも最も普及している手法の1つである。
- 注3)RMET
- "Reading the Mind in the Eyes Test(「まなざしから心を読むテスト」)":大人の目の写真からその人の感情状態を推測するテスト。
- 注4)ベック抑うつ質問票
- ベック抑うつ質問票(Beck Depression Inventory II:BDI-II)は国際的に広く普及している質問紙調査票である。過去2週間の気分に関する21の質問項目(4選択肢から1つを選択)から構成され、合計点数が0~13が極軽症、14~19が軽症、20~28が中等症、29~63が重症とみなされる。関連研究に基づき、うつ病の診断基準は満たしていないが、質問票の10点以上を示す場合は「準臨床域」と定義される。
- 注5)養育困難リスク評価
- 未公開特許出願:特願2017-39071『ストレス評価装置およびストレス状態の評価方法』(発明者:島田 浩二・友田 明美;出願人:国立大学法人 福井大学;出願日:2017年3月2日)に基づき、社会脳の活動信号から養育者の抑うつ気分といったストレス状態を客観的・定量的に計測可能なストレス評価方法の一種。
- 注6)fNIRS(機能的近赤外分光法)
- 近赤外光を利用して、脳表面の大脳皮質の局所的な神経活動に付随する脳血流動態(血液中の酸素化ヘモグロビンおよび脱酸素化ヘモグロビンの濃度変化)を計測する方法の一種。
- 注7)養育者支援システム
- 養育者の養育機能に関して、健全養育の維持・促進または養育困難・失調の予防・支援・介入を、個体内要因(例えば、個人の心理・病理の支援に重点を置く)と個体外要因(例えば、環境・生活の調整に重点を置く)の多面性に基づき実現可能とするシステムの一種。
<論文情報>
タイトル | “Subclinical maternal depressive symptoms modulate right inferior frontal response to inferring affective mental states of adults but not of infants” |
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著者名 | Koji Shimada, Ryoko Kasaba, Takashi X. Fujisawa, Nobuko Sakakibara, Shinichiro Takiguchi, Akemi Tomoda |
掲載誌 | Journal of Affective Disorders(ジャーナル・オブ・アフェクティブ・ディスオーダーズ)2017年12月26日電子版掲載、2018年3月15日雑誌版掲載予定 |
doi | 10.1016/j.jad.2017.12.031 |
<お問い合わせ先>
<研究内容に関すること>
福井大学 子どものこころの発達研究センター
教授 友田 明美(トモダ アケミ)
特命助教 島田 浩二(シマダ コウジ)
<JST事業に関すること>
科学技術振興機構 社会技術研究開発センター 企画運営室
加藤 豪(カトウ ゴウ)、二上 日向子(フタガミ ヒナコ)、藤井 麻央(フジイ マオ)
<報道担当>
福井大学 総合戦略部門 広報室
科学技術振興機構 広報課