2018-03-07 国際電気通信基礎技術研究所(ATR),カリフォルニア大学 ロサンゼルス校(UCLA),科学技術振興機構(JST),内閣府政策統括官(科学技術・イノベーション担当)
ポイント
- これまで、ニューロフィードバック法はさまざまな精神疾患の治療、行動変容への応用が期待されてきた一方で、得られる効果はプラセボーではないかという批判がありました。
- 二重盲検法を用いた本研究の成果は、こうした批判を完全に払拭し、最先端のニューロフィードバック技術であるデコーディッドニューロフィードバック法(以下DecNef)の有効性を実証するものです。
- DecNefを応用すると、被験者が無自覚のうちに恐怖記憶を消去することができます。しかし、従来のDecNefは、個人ごとに恐怖の対象を実際に見せて、その時の脳活動を調べる必要があり、いわばテーラーメードの手法でした。
- 本研究では、ハイパーアラインメント手法により、ほかのヒトの脳活動から個人の脳活動を推測することに成功し、従来のDecNefで必須であった「最初に恐怖の対象である画像を見せる」といった工程を省くことができました。その結果、いわばレディーメードの脳情報解読により、被験者に一切の苦痛を与えず恐怖反応を減弱させることに成功しました。
株式会社 国際電気通信基礎技術研究所(略称ATR) 脳情報通信総合研究所(所長 川人 光男)、カリフォルニア大学 ロサンゼルス校(Hakwan Lau 准教授)らのグループは、二重盲検によるDecNefの実施により、恐怖記憶の消去に成功、神経活動が原因で行動が変容することを証明し、非恐怖対象の刺激を使い対象者とほかの人の脳活動の対応関係を調べ、恐怖対象を表す対象者の脳活動をほかの人の脳活動から予測することに成功しました。
これまで、ニューロフィードバック注1)法はさまざまな精神疾患の治療、行動変容への応用が期待されてきた一方で、得られる効果はプラセボー注2)ではないかという批判がありました。本研究成果は、こうした批判を完全に払拭し、DecNef法注3)の有効性を実証するものです。
具体的には、今回、Vincent Taschereau-Dumouchel研究員らは、機能的磁気共鳴画像(functional Magnetic Resonance Imaging,fMRI)注4)から脳情報を解読する人工知能技術であるスパースロジスティック回帰アルゴリズム注5)と、実時間ニューロフィードバック法とを組み合わせたDecNef法により、例えば蛇の嫌いな人に対し、蛇の画像を見せること無く、恐怖反応を消すことに世界に先駆けて成功しました(図1)。
本成果は、以下のプログラムによって得られました。
内閣府 革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)
プログラム・マネージャー
山川 義徳
研究開発プログラム
脳情報の可視化と制御による活力溢れる生活の実現
研究開発課題
携帯型BMI
領域総括責任者
川人 光男
研究期間
平成26年度~平成30年度
本研究開発課題では、具体的な社会応用を視野に入れた携帯型ブレインマシンインターフェース(BMI)の開発と、その脳科学的な妥当性の検証を行っています。
<山川 義徳 ImPACTプログラム・マネージャーのコメント>
ImPACTプログラム「脳情報の可視化と制御による活力溢れる生活の実現」では、脳情報の可視化と制御の技術開発を進め、健康な脳をいつまでも維持できる社会を実現することを目指しています。
川人 所長(ATR)が牽引するプロジェクトは、本プログラムの要となる携帯型ブレインマシンインターフェース(BMI)の開発を進め、特に、中高年層の認知機能の低下防止と回復を実現するサービス提供を目指すものです。
今回の成果は、脳情報を解読する人工知能技術とデコーディッドニューロフィードバック法とを組み合わせ、2016年に被験者の恐怖記憶を消去することに世界に先駆けて成功した研究から、ストレス軽減などにつながるトランスレーショナルな研究と位置づけられます。新たな脳情報サービスへ向けた大きな一歩を踏み出せたと考えています。
<研究の背景>
強い恐怖を伴う記憶は、忘れることが難しく人を苦しめることがあります。例えば、赤い車に衝突された人は、赤い車を見るたびに恐怖がよみがえってしまうかもしれません。また、そうした恐怖記憶は、トラウマとなり、恐怖症や心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症につながる可能性もあります。恐怖記憶を和らげる従来法の1つは、恐怖対象(赤い車)を繰り返し見せる、あるいはイメージさせるという手法です。この手法は、とても効果的ですが、それ自体がストレスになりえます。
2016年に、DecNefの応用として、小泉 愛 研究員らのチームが恐怖の対象を表す脳活動パターンを検出した時に被験者に報酬を与えるという手法により、人工的に作り出した恐怖を消去することに成功しました。本研究は、この成果に基づいており、理論的には有効であると考えられていました。さらなる工夫として、研究グループは顔認証にも使用されている、最先端の人工知能技術を駆使し、無意識下で浮かんできたメンタルイメージを読み出すことに成功しました。具体的には、被験者が無意識にヘビを思い浮かべている時(これは私たちの脳で意識の外で絶えず起こっています)研究者はそれを言い当てることができました。ヘビの表象が頭に浮かぶごとに、被験者に報酬を与えることで、ヘビはプラスの感情と結び付けられ、ヘビが怖くなくなり不快感も徐々に減少しました(図2)。
この手法はストレスなく恐怖を消去できるという点で大きな期待が持たれますが、臨床応用に際して2つの課題がありました。1点目はニューロフィードバック全般に指摘されている効果がプラセボーではないかという批判を完全には払拭できないこと。2点目はDecNefの前段階として個人ごとに恐怖の対象を実際に見せ、その時の脳活動を調べる必要がある、いわばテーラーメードの手法で、またその過程で被験者にストレスを与えるという点です。
本研究は、1点目の課題を克服するため二重盲検法注6)で実施されました。また、2点目の課題を克服し、ハイパーアラインメント注7)手法により、ほかのヒトの脳活動から個人の脳活動を推測し、テーラーメードの手法からレディーメードの手法に転換を試みました。
本技術は健常者を対象とした基礎研究の段階にありますが、さらに慎重に検討を重ねることにより、従来法よりも治療中のストレスが少ない、新たなPTSDの治療法につなげられる可能性が期待できます。
<研究の内容>
図3に示すように、まず、ほかのヒトの脳活動を手掛かりに、被験者が恐怖対象の写真を見ている時の脳活動を推測します(①ハイパーアラインメントを用いた脳活動の推定)。次いで、複数の恐怖対象および非恐怖対象の生物に対する恐怖反応を測定します(②事前評定)。恐怖反応の指標として、身体的な恐怖反応である皮膚発汗反応と、fMRIで計測した恐怖をつかさどる脳領域(扁桃体)の活動量という2種類の代表的な指標を用いました。その後、被験者が恐怖を感じる生物の中から、DecNefの対象となる生物をランダムに選択します。この際、被験者と実験者はどの恐怖対象が選択されたかを知ることはできません(二重盲検法)。DecNefでは、選択された恐怖対象を見ている時の脳活動パターンを、被験者に自分で自分の腹側頭皮質注8)に誘導してもらう訓練を5日間行います(③DecNef訓練)。最後に、前述の複数の恐怖対象および非恐怖対象の生物に対する恐怖反応を再び測定し、結果を事前評定と比べることで、DecNef訓練によって恐怖反応が軽減したか検討します(②再評定)。
次に、①〜③のステップを、さらに詳しく説明します。
①ハイパーアラインメントを用いた脳活動の推定
被験者の脳活動を推定するために29名の脳活動を参考にしました。具体的には、非恐怖対象の生物を見ている時の脳活動を、被験者と残りの29名の間で比較し、互いの腹側頭皮質の活動の関係性を解析しました。この関係性を利用して、29名が被験者の恐怖対象の生物を見ている時の脳活動を参考に、被験者が恐怖対象を見ている時の脳活動を推定しました。
②DecNef訓練前後の恐怖反応のテスト
DecNef訓練に恐怖記憶を消去する効果があったのかを確かめるためのテストを、訓練前後に実施します。具体的には、複数の恐怖対象の生物と、非恐怖対象の生物に対して被験者がどのくらい恐怖反応を示すかを測定します。DecNefでは複数の恐怖対象の生物のうち、1種類の生物に対する脳活動パターンだけが報酬と結び付けられます。もし、DecNef訓練を受けた生物への恐怖反応が選択的に低下していた場合は、DecNef訓練に恐怖記憶を消去させる効果があると考えられます。
③恐怖消去を目的としたDecNef訓練
被験者が恐怖を感じる生物のうち1つの生物への恐怖反応を緩和する目的で、健常者17名を対象に、DecNef訓練を5日間行います。DecNef訓練の対象となる恐怖対象の生物はランダムに選択され、被験者や実験者には知らされませんでした。DecNefでは、腹側頭皮質野の活動パターンがDecNef対象に選ばれた恐怖対象の生物を見ている時の脳活動に近づくと金銭的報酬を受け取ります。
被験者には、「無色の円盤の図形が画面に出てきたら、何らかの方法で自身の脳活動を操作し、後に画面に提示される灰色の円を大きくするようにしてください」と教示します。被験者には、灰色の円の大きさが、訓練後に実際に受け取る金銭報酬の大きさに対応することをあらかじめ知らせます。しかし、被験者は報酬の大きさがどのように計算されているかは知らされません。また、DecNef訓練の目的が恐怖記憶の消去であることも伝えません。つまり、被験者は無自覚のまま、恐怖記憶を消去する訓練に取り組むこととなります。
・ハイパーアラインメントを用いた脳活動の推定
1名の脳活動を推定するためには、本人の脳活動だけを利用するよりも、30名分の脳活動を利用した方が正確に脳活動を推定できることがわかりました。さらに、恐怖症の診断基準を満たす被験者の脳活動も、健常者の脳活動から予測できることがわかりました(図4)。
・DecNef訓練による恐怖反応の低下
図5に、実験中に実際に観測された恐怖反応として、扁桃体活動量(上)と皮膚発汗(下)を示します。上下共に、図の左側はDecNefの訓練を経た恐怖対象、右側は訓練を経ない恐怖対象です。この時点では、例えばヘビとゴキブリに対する恐怖反応の強さには違いはありませんでした。(訓練の対象となる動物は被験者により異なりました)。訓練を受けた動物への恐怖反応は、受けなかった動物よりも低下していました。つまり、DecNef訓練には、恐怖記憶の対象への恐怖反応を緩和する効果があることが確認されました。
・DecNef訓練中、被験者は恐怖記憶に無自覚であった
実験後に実施した調査により、恐怖対象の生物を表す脳活動が報酬に関連していることに、被験者は無自覚であったことが確かめられました。すなわち、DecNef訓練中、被験者がそうとは知らないうちに、あたかも恐怖対象の生物を見ているかのような脳活動パターンが、腹側頭皮質野に起こっていたことになります。DecNef訓練は、被験者へのストレスが少ない恐怖記憶消去の手法と考えることができます。
<本研究の意義と今後の展望>
・科学的意義
これまで、ニューロフィードバック法はさまざまな精神疾患の治療、行動変容への応用が期待されてきた一方で、得られる効果はプラセボーではないかという批判がありました。二重盲検で実施した本研究により、こうした批判を完全に払拭し、神経活動が原因で行動が変容するというDecNef法の有効性を実証することができました。
・臨床的意義
本人が自覚することなく、恐怖記憶を変容可能なDecNef技術は、極度の恐怖体験が原因で発症するPTSDの治療法として、将来的に応用できる可能性があります。最も効果的なPTSDの治療法とされる曝露療法では、恐怖記憶を和らげるために恐怖記憶を思い起こさせるものを見せたり、イメージさせたりする必要があります。恐怖記憶を思い起こすことはそれ自体患者にとって苦痛であり、治療に踏み出せない、踏み出せたとしても脱落してしまう、などの問題があります。従来の曝露療法や薬物療法などと合わせて、DecNef訓練を実施すれば、ストレスを軽減した治療につながる可能性が期待できます。しかし、従来のDecNefで必須であった「最初に恐怖の対象である画像を見せる」といった工程はPTSD患者ではそれ自体耐えられない苦痛である場合がありました。この工程を省くことに成功した本研究は、実患者へのDecNef応用実現に向けた大きな一歩であるといえます。
・今後の展望
前述のように、本技術には臨床的意義がありますが、現段階では、健常者を対象とした基礎研究の段階にあります。臨床現場で応用するには、いくつかの技術的な改善が必要となります。本研究では、デコーダを作成するために、ほかのヒトの脳活動から個人の脳活動を推測しました。恐怖症患者の脳活動も健常者の脳活動から推測することには成功していますが、PTSDのような症状が劇的な疾患に応用できるかは不明です。例えばPTSD患者では、恐怖刺激を見ている時は脳内で劇的な反応が生じ、健常者が同じ刺激を見ている時の脳活動とはかけ離れている可能性があります。今回の手法とは別の工夫も含めて、PTSDへの応用の研究を既に開始しています。
・倫理面での懸念に対する対応
DecNefが基礎研究や臨床応用に広く浸透する過程で、倫理面に最大限の注意を払う必要があります。本研究では、DecNef訓練中、被験者はフィードバックである灰色の丸を大きくするよう教示されたのみで、脳活動パターンの変化の内容については無自覚でした。被験者が自分で行っている脳活動パターン誘導の内容に無自覚であることは、これまでのDecNef研究に共通して見られる特徴です。この特徴は、基礎研究として有用であり、PTSDなどの治療にとって福音となり得る一方で、今後研究が進展するにともない、一歩間違えれば洗脳とみなされる可能性も考えられます。研究グループは、生命倫理の有識者とも協力し、慎重な検討を実施しています。また、医療応用としても新しい技術であるため、DecNef介入の副作用や、症状が逆に悪化するなど有害事象の可能性を慎重に排除する必要があります。
このような懸念に対応するため、有害事象の有無を確認、倫理・安全委員による審議を実施し、常に安全性を確認しながら研究を継続しています。
今後、実験や臨床介入を通して得られた知見について随時検討・議論し、その過程において適切な時期に情報公開を実施しながら、新しい基盤技術であるDecNefが安全に社会に浸透するための道筋を整備します。
参考図
図1 DecNefを用いた恐怖反応の克服
図2 DecNef法の概要
図3 本研究の流れ
図4 ハイパーアラインメントによる判別精度の向上
図5 DecNef訓練による恐怖反応の低下
<用語解説>
- 注1)ニューロフィードバック
- ニューロフィードバックは、脳の状態をモニタリングしながら、特定の脳の状態を誘導する方法です。一般的なニューロフィードバックでは、対象とする脳領域の活動を上げたり下げたりします。
- 注2)プラセボー
- 「治療を受けているので症状が改善するはずだ」などの思い込みにより症状改善(または実験による介入に対する反応性)が観察される現象です。思い込みにより本当に症状が改善することに加え、実験者・治療者による無意識下での誘導が被験者に及ぼす影響や、症状申告時の被験者の忖度などがプラセボー効果に含まれます。
- 注3)Decoded Neurofeedback(DecNef)法
- fMRI(注4を参照)と人工知能技術を組み合わせ、対象とする脳領域に特定の活動パターンを誘導する方法です。従来のニューロフィードバックと異なる点として、脳領域の総和としての活動の多寡ではなく、脳領域を細かく分解して「この部分は活動が上がっているけれどもここは下がっている」、というように、脳領域内の活動パターンを誘導する点です。ATRで実施された先行研究(Shibata et al., Science, 2011)において、世界に先駆けて開発されました。
- 注4)機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Imaging,fMRI)
- 酸化型と還元型ヘモグロビンの磁化率の違いを利用して、粗く言えば、脳全体の血流量の変化を画像化する技術です。酸化型と還元型ヘモグロビンの量の違いは脳活動の度合いを反映しているため、この画像を解析することで、各脳部位の活動度合いを推定することができます。
- 注5)スパースロジスティック回帰アルゴリズム
- ATRとNICT 脳情報通信融合研究センターで開発された人工知能技術の1つ(Yamashita et al., NeuroImage, 2008; Hirose et al., Journal of Neuroscience Methods, 2015)。計測したfMRIデータは、ボクセルとよばれる非常にたくさんのデータ点を含みます。しかし、すべてのボクセルが被験者の認知状態についての情報を持っているわけではありません。fMRIデータを用いて被験者の認知状態を精度よく推定するためには、この推定に関わるボクセルのみうまく選別する必要があります。スパースアルゴリズムを用いることによって、自動的かつ効率的にボクセルを選別することが可能になります。
- 注6)二重盲検法
- 介入研究の結果に、プラセボーの影響を排除するために用いられる研究デザインで、非常に信頼度が高いとされています。介入を受ける被験者も、介入を実施する実験者も自分がどのような介入を受けているか知らされないため、双方の思い込みや実験者の誘導などにより結果が左右されることがありません。
- 注7)ハイパーアラインメント
- 特定の課題Aを実施している時の個人の脳活動を、本人ではなくほかのヒトが課題をしている時の脳活動から予測するために開発された手法です。脳の活動には個人差が大きく、複数の被験者が同じ課題をしている時の、同じ場所の脳活動は微妙に異なります。この問題を克服するため、課題Bを個人とほかのヒトで比較し、互いの脳活動の対応関係を調べます。この対応関係を基に、ほかのヒトが課題Aをしている時の脳活動から対象者が課題Aをしている時の脳活動を推測します。
- 注8)腹側頭皮質
- 脳領域の1つで、視覚情報が処理される視覚経路の一部です。浮かんできたメンタルイメージのカテゴリーなどに関する情報についても処理されると考えられています。
<論文情報>
タイトル:“Towards an unconscious neural reinforcement intervention for common fears”
<参考文献>
Koizumi A, Amano K ,Cortese A, Shibata K, Yoshida W, Seymour B, Kawato M , Lau H: Fear reduction without fear through reinforcement of neural activity that bypasses conscious exposure, Nature Human Behaviour, 1:0006,2016
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR) 経営統括部 企画・広報チーム
<ImPACT事業に関すること>
内閣府 革新的研究開発推進プログラム担当室
<ImPACTプログラム内容およびプログラム・マネージャーPMに関すること>
科学技術振興機構 革新的研究開発推進室
<報道担当>
科学技術振興機構 広報課