2021-08-02 理化学研究所
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター視覚意思決定研究チームのディミトリィ・リャムジン研究員、青木亮基礎科学特別研究員、アンドレア・べヌッチチームリーダーらの研究チームは、マウスが提示された二つの視覚刺激のうち、どちらがより垂直もしくは水平に近いか弁別する「視覚方位弁別課題」を学習できることを示しました。
本研究成果は、複雑な視覚に基づく意思決定について脳内メカニズム研究の動物モデルを確立することで、加齢や神経変性疾患を含め、正常な知覚情報処理が損なわれる障害などのメカニズムの解明につながる臨床研究の推進に貢献するものと期待できます。
これまで、マウスが特定の傾きを学習できることは知られていたものの、傾き具合の比較など、より複雑で抽象的な課題を解決できるかは不明でした。
今回、研究チームは視覚方位弁別課題を確立し、マウスが二つの方向を示す視覚刺激を比較しました。そして、二つの視覚刺激の絶対的な方位ではなく相対的な方位に基づいて、学習した方位に近いものを選び出す、という複雑な選択ができることを示しました。さらに、この課題におけるマウスの意思決定は確率的法則に基づいており、課題に対してマウスがどの程度注意を払っているかが影響することも明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)』オンライン版(7月23日付)に掲載されました。
マウスは視覚情報と注意・バイアス・過去の選択などの内部情報を用いて意思決定を行う
背景
動物は、日常的にさまざまな知覚に基づいて意思決定をしています。なかでもヒトは、特に視覚情報に依存した判断や意思決定が重要な役割を果たしています。視覚情報の中でも、線の傾きは物体の輪郭を構成しており、物体を知覚、または弁別するための手掛かりとなります。実際に、傾き情報の重要さを反映して、視覚処理を担う脳領域には、特定の傾きの線に反応する神経細胞が存在することが知られています。しかし、脳がどのように傾き情報を比較し、意思決定するのかは理解できていませんでした。
視覚研究において、ヒトを対象とした実験では細胞レベルの神経活動を観察できないなど、研究手法に限界があります。その点マウスを対象とした場合は、遺伝子操作が可能であり、また多数の神経細胞の活動をリアルタイムで記録し、特定の神経回路の活動を操作できるため、視覚の神経基盤を調べる上で有用なモデルと考えられてきました。ところが、マウスが特定の傾きを学習できることは知られていたものの、傾きの比較など、より複雑で抽象的な課題をできるかは不明でした。
そこで研究チームは、先行研究で独自に開発したマウスの自動化訓練装置注1)を用いて、マウスを対象とした「視覚方位弁別課題」の確立を目指しました。
注1)2017年10月30日プレスリリース「マウス用自動訓練装置の開発」
研究手法と成果
研究チームが開発したマウスを対象とした複雑な視覚方位弁別課題では、前面のスクリーンに提示される二つの縞のうち、どちらの傾きがより垂直に近いかをマウスに選ばせます(図1上)。多くの場合、どちらの縞も完全に垂直ではないため、マウスはそれまでの試行学習をもとに、提示された縞の傾きを比較し、より垂直に近い縞を選択する必要があります。研究チームは、個々のマウスの方策のばらつきを説明できる数理モデルを用いて、マウスがどのようにこの課題を解くのかを調べました。この数理モデルでは、マウスの縞の傾きの知覚は一定のばらつき(誤差)を伴う確率分布に従うと仮定しました(図1下)。
図1 マウスの自動化訓練装置(上)とマウスに提示される線の傾きと選択の確率(下)
(上)マウスはスクリーンに提示された二つの傾いた縞のうちより垂直な方を、ホイールを左右に回転させることで選ぶ。
(下)x軸に右の刺激の傾きを、y軸に左の刺激の傾きを取り、マウスに提示される全ての可能な傾きの組み合わせと、それぞれの組み合わせにおけるマウスの選択の確率を色(赤:右、青:左)で表した。この情報から、マウスの選択におけるバイアス(偏り)を推定し、また数理モデルにより定式化できる。
このばらつきによりマウスの「どちらがより垂直か」といった縞の傾きの比較は、実際に提示された傾き情報ではなく、誤差を伴う知覚に対して行われます。また、この数理モデルは個々の動物が持つ「バイアス(偏り)」、例えば提示されている傾きを常に実際よりも大きく、もしくは小さく見積もったり、一方の傾きから得られる情報を他方より重視したり、単純に一方を多く選んだり、といったマウスにとって準最適な一連の方策も見つけ出し、定量化できます。さらに、この数理モデルは、例えば一度報酬を得た選択に対しては連続して同じ選択をしがち、といった動物の連続的な選択傾向も説明できます。
このように一見複雑な動物個体間の行動のばらつきは、数理モデルなしでは明確に解釈することが困難ですが、数理モデルを用いて個体の行動パターンをさまざまなバイアスの組み合わせとして統一された枠組みで説明することで、一般化された方策が明らかになります。この数理モデルの解析から、課題の成績が良い個体では知覚のばらつきが小さく、逆に成績が悪い個体ではばらつきが大きいことを発見しました。また一部のマウスでは、一方の方位の情報を他方よりも重視する傾向を示すことが分かりました。
さらに、マウスが試行ごとにどれだけ課題に集中しているか、その注意の程度によって、成績が左右されることが明らかになりました。例えば、マウスが短い反応時間で意思決定をした試行では、提示された視覚情報よりも習慣的な選択傾向のバイアスに従って意思決定を行う頻度が高いことが分かりました。
傾きの角度を変えて試した結果、最終的には、マウスが9度以下という非常に微妙な角度の違いを弁別できることが示されました。これはマウスがヒトと比べて視覚依存的でない動物であることを考えると、驚くべき能力であるといえます。
以上の結果から、マウスが高レベルな視覚能力を持ち、認知的負荷の高い視覚方位弁別課題を実行できること、また個体ごとの方策の違いや課題への集中の度合いが課題の成績に影響を与えることが明らかになりました。
今後の期待
本研究により、縞の”垂直さ”のような抽象的な知覚情報を利用する能力がマウスに備わっていることが実証され、比較的複雑な視覚情報処理能力に基づく意思決定の仕組みの一端が解明されました。
今回開発した複雑な視覚方位弁別課題をマウスに実行させながら、遺伝子操作や神経活動の操作技術をマウスに適用することで、感覚情報が意思決定プロセスにどのように反映されるか、また個体ごとの方策の違いやバイアス、課題への集中などの要素がどのように課題の成績に影響を及ぼすかを探ることが可能になります。こうした研究により、今後ヒトを含めた哺乳類の意思決定を担う認知過程の神経基盤の全容が明らかになると期待できます。
また、多くの神経変性疾患は、意思決定に利用可能な情報の減少を含む認知機能の低下を伴います。本研究成果は、知覚情報に基づく意思決定に異常を認める疾患での損傷部位の同定や、その治療につながる研究開発に貢献すると期待できます。
研究チーム
理化学研究所 脳神経科学研究センター 視覚意思決定研究チーム
研究員 ディミトリィ・リャムジン(Dmitry Lyamzin)
基礎科学特別研究員 青木 亮(あおき りょう)
研究員 モハマド・アブドラマニ(Mohammad Abdolrahmani)
チームリーダー アンドレア・べヌッチ(Andrea Benucci)
(東京大学 大学院情報理工学系研究科 数理情報学専攻 連携教授)
研究支援
本研究は日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(B)「Optogenetic control of visual perception(研究代表者:ベヌッチ アンドレア)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「Using recurrent neural networks to study neural computations in cortical networks(研究代表者:ベヌッチ アンドレア)」、「Learning perceptual representations in biological and artificial neural networks(研究代表者:べヌッチ アンドレア)」および富士通株式会社との共同研究の研究費支援を受けて行われました。
原論文情報
Dmitry R Lyamzin, Ryo Aoki, Mohammad Abdolrahmani, Andrea Benucci, “Probabilistic discrimination of relative stimulus features in mice”, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 10.1073/pnas.2103952118
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 視覚意思決定研究チーム
研究員 ディミトリィ・リャムジン(Dmitry Lyamzin)
基礎科学特別研究員 青木 亮(あおき りょう)
チームリーダー アンドレア・ベヌッチ(Andrea Benucci)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当