火星からのサンプルリターンで有効な微生物不活化技術の開発に成功

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塩化カルシウム浸け1分でウィルスを不活化

2020-08-06 東京大学

幸塚 麻里子(地球惑星科学専攻 特任研究員)
末岡 優里(地球惑星科学専攻 修士課程2年生)
鈴木 庸平(地球惑星科学専攻 准教授)

発表のポイント

  • 火星生命の存在を証明するには、帰還試料を地球で高感度・高精度分析する必要があるが、火星生命の地球への拡散を防ぐため、帰還試料は分析前に滅菌する必要がある。
  • 炭酸カルシウムの結晶粒に微生物を封じ込める処理が、微生物の不活化と高感度・高精度分析を両立させる新たな手段になることが明らかとなった。
  • 従来の滅菌法と異なり、生体由来分子の破壊を最小限にする一方で、ウィルスの感染能力を1分間で喪失させる効果から、感染症防止の安価な消毒方法としての利用も期待される。

発表概要

火星の地殻上部は37億年前の大規模な火山活動で噴出した溶岩で覆われる。最近の衛星観測により、火星の地下深部に生命活動に必要な液体の水が存在することが明らかになったことから、火星に地球外生命が存在する可能性が指摘されている。火星はプレートテクトニクスによる地殻変動が不在のため、表層の岩石は地球の同年代のものと比較すると、熱や圧縮による変質の度合いが極端に低い。火星は30億年前まで地上に水が存在したことも明らかになっており、仮に火星に生命が誕生して30億年前まで地上で生息していた場合、宇宙空間の真空と低温による凍結乾燥効果も加わり、生命の痕跡が良い保存状態で発見されると期待される。

火星生命が存在する決定的な証拠を得るためには、地球に帰還した岩石試料を高感度・高精度分析(注1)により調べる必要がある。しかし、地球に帰還後は隔離施設(注2)で厳重に管理され、高感度・高精度分析を行う際には、隔離施設から帰還試料を持ち出す必要がある。その場合は、火星生命の地球生態系への飛散を防ぐため、加熱とアルカリ処理による二重の滅菌方式が検討されている。しかし、試料帰還の主目的である有機物から成る生体由来分子(注3)が、二重滅菌により破壊される可能性があり、技術上の問題となっている。

東京大学大学院理学系研究科の鈴木庸平准教授の研究グループは、火星の地表を覆う溶岩と類似する海洋地殻上部の玄武岩コア試料を用いて、岩石内部の微生物細胞を可視化し、細胞密度の測定に成功した(関連文献参照)。この手法は、帰還試料に生命が現存するかだけでなく、過去の生命活動の痕跡検出にも応用できるため、火星の生命探査において活用が検討されている。しかし、この分析手法を適用するためには、帰還試料を隔離施設外に持ち出す必要があり、帰還試料を滅菌した後でも分析可能な技術を開発する必要があった。そこで、炭酸カルシウム(注4)の結晶粒に微生物を封じ込めることで不活化し、封じ込めた微生物を上記の分析手法で細胞検出可能か研究を行った。その結果、炭酸カルシウムを形成する手順で加える飽和した塩化カルシウム(注5)の溶液中で、細菌とウィルス(注6)が1分以内で不活化し、増殖能と感染能力が喪失することが明らかとなった(図1)。また、炭酸カルシウムの結晶粒に封じ込まれた細菌を可視化し、密度測定にも成功したため、生命検出と不活化を両立する技術であるといえる(図2)。

図1:バクテリオファージT4に感染させた大腸菌の増殖曲線。炭酸カルシウムの処理をしないウィルスを感染させた大腸菌は増殖が停止したが(青丸)、塩化カルシウムと反応させた(緑×)、および炭酸カルシウムを形成させたウィルスは感染能力を失い、感染開始後もウィルスを感染させない大腸菌(赤三角)と同様に増殖を継続した。

図2:炭酸カルシウムの結晶粒に封じ込められた微生物細胞(白矢印)の蛍光顕微鏡写真。薄い緑色の領域が炭酸カルシウムの結晶粒、オレンジ色は炭酸カルシウム粒に取り込まれた鉱物粒子。白の点線は樹脂と結晶粒の境界を示す。

今後、この処理法をさまざまな生物で試験し、滅菌技術(注7)として確立できれば、火星から採取した試料に適用し、地球への帰還時の安全性確保につながる。また、新規のウィルスの不活化技術として、新型コロナなどのウィルスに対する感染症対策への応用も期待される。

発表内容

火星の表層環境の復元を主目的として、NASAの探査車「キュリオシティー」が踏査を行っているが、2020年7月17日から8月5日の期間にケネディー宇宙センターで打ち上げ予定のNASAの探査車「パーサヴィアランス」は、過去の生命活動の痕跡を調査するための分析装置群「シャーロック」が搭載されている点で過去の探査車と異なる。重点調査地域であるイェゼロ(ジェゼロ)・クレーターは、かつては湖または扇状地で、そこに溜まった堆積物から、生命の痕跡が見つかる可能性が期待されている。また、30億年より古い溶岩や、岩石と水が反応して形成する鉱物も豊富な地域である。

探査車には「シャーロック」と共に新たな試みとして、ドリルで固い岩石を掘削し、採取岩石を収納するチューブ状容器と、チューブ状容器を密封するカプセルも搭載されている。このカプセルは、2026年から開始予定の火星サンプルリターン計画において、新たな探査車でカプセルを回収し、小型のロケットで火星の周回軌道に打ち上げ、欧州宇宙機関(ESA)の探査機を使い、軌道上で捕まえたカプセルを、地球に帰還させることが想定されている。

現在、帰還試料の安全審査のための分析手順の策定や、帰還試料の保管と初期分析をするための隔離施設の仕様、隔離施設外への試料持ち出し時の滅菌方法について検討されている。このような状況下で認識されはじめた問題として、ドリルで採取する固い岩石コア中での生命検出技術の不備、サンプルリターンの主目的である高感度・高精度分析のために滅菌することで生体由来分子が破壊されるなどがあげられた。

本研究グループは、固い岩石コア内部の生命分析技術を世界に先駆けて開発し、火星の溶岩と類似した岩石コア試料から、腸内と同等の高い細胞密度で岩石の亀裂に生息する微生物を発見した(関連文献参照)。この最先端の岩石内生命分析技術を火星生命探査で用いるために、生体由来分子の破壊を最小限にした滅菌技術の開発と、開発した方法を実施した微生物細胞が分析可能かの点について実験を行った。具体的には、炭酸カルシウムの結晶粒に微生物を封じ込め、かつ不活化できるかについて試験した。

試験には、感染症研究のモデル生物として重点的に研究が行われている大腸菌(学名:Escherichia coli)と細菌にのみ感染するウィルスであるバクテリオファージT4を用いた。炭酸カルシウムの結晶を形成させる際に、まず飽和塩化カルシウム溶液(重量パーセントで50%)に反応させた。反応直後に大腸菌の増殖能やバクテリオファージT4の感染能力を調べた結果、1分間の反応時間で、これらの能力が喪失することが明らかとなった(図1)。また、塩化カルシウム溶液に、重曹として知られる炭酸水素ナトリウムを加えて、炭酸カルシウムの結晶を形成させた結果、岩石内生命分析技術を用いて結晶粒へ封じ込められた大腸菌の状態が確認された(図2)。細胞の形状が明確に維持されており、DNA分子も保存されていることが明らかになった。これらの結果から、本研究により生命検出と不活化を両立する技術の開発に成功したといえる。

大腸菌はグラム陰性(注8)の細菌で細胞が二重の膜に包まれる。バクテリオファージT4は、エンベロープタイプ(注9)の新型コロナウィルスと異なるノンエンベロープタイプで、食中毒を起こすことで知られるノロウィルスと同じタイプである。エンベロープタイプは、ノンエンベロープタイプよりエタノール消毒に弱いとされるが、本研究で用いた処理法を新型コロナウィルスや、グラム陽性の細菌、休眠胞子など、さまざまな生物で不活化効果を実証する予定である。塩化カルシウムは食品添加物として溶液の重量パーセントが1%までならば摂取しても人体に影響がないことが知られる。本研究では使用濃度が50%と高いが、消毒液として利用した後、水で薄めれば安全に扱うことができる。エタノールと比べると安価であり、発展途上国や経済的に通常の消毒液を購入できない人々の感染症防止対策の切り札となることが期待される。

関連文献

– Suzuki, Y., Yamashita, S., Kouduka, M., Ao, Y., Mukai, H., Mitsunobu, S., Kagi, H., D’Hondt, S., Inagaki, F., Morono, Y., Hoshino, H., Tomioka, N., Ito, M. (2020) Deep microbial proliferation at the basalt interface in 33.5-104 million-year-old oceanic crust. Communications Biology,
DOI: 10.1038/s42003-020-0860-1.
プレスリリース https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/6766/

– Sueoka, Y., Yamashita, S., Kouduka, M., Suzuki, Y. (2019) Deep microbial colonization in saponite-bearing fractures in aged basaltic crust: Implications for Subsurface Life on Mars. Frontiers in Microbiology,
DOI: 10.3389/fmicb.2019.02793.
プレスリリース https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6646/

– Yamashita, S., Mukai, H., Tomioka, N., Kagi, H., Suzuki, Y. (2019) Iron-rich Smectite Formation in Subseafloor Basaltic Lava in Aged Oceanic Crust. Scientific Reports, 9,
DOI: 10.3389/fmicb.2019.02793.
プレスリリース https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6492/

発表雑誌

雑誌名
Journal of Astrobiology and Space Science Research論文タイトル
Planetary Protection, Mars Soil Sample Return, and the Inactivation of Martian Microorganisms著者
Mariko Kouduka, Yuri Sueoka, Yohey SuzukiDOI番号
10.37720/jassr.07202020

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用語解説
注1 高感度・高精度分析

メタンガス、有機物、炭酸塩、黄鉄鉱などの安定同位体組成、微生物の形状をした構造とその内部の化学組成を調べるための分析で、探査車や注2の隔離施設内では分析が困難な場合が多い。

注2 隔離施設

地球で知られる最小の生物は大きさが17nmのため、火星試料にも同様の大きさ生物がいた場合を想定して、施設内部からの大気の放出を制限可能なバイオセーフティーレベル4の実験施設。バイオセーフティーは実験で扱う生物の危険度によって階層分けされており、レベル4は最高度安全実験施設で、エボラウィルスなどの人間の致死率の高い病原体などを実験できる施設。

注3 有機物から成る生体由来分子

アミノ酸、脂質、核酸などの地球上の生物で知られる生体由来分子のほかにも、隕石などに含まれる有機高分子も分析の対象となる。

注4 炭酸カルシウム

真珠や珊瑚の骨格の材料で、石灰岩の主成分。

注5 塩化カルシウム

塩カルとも呼ばれ、除湿剤、融雪剤、豆腐用凝固剤、食品添加物などに使用される。水に溶けると発熱し、弱アルカリ性になる。

注6 細菌とウィルス

細菌とウィルスには感染症を引き起こす病原体が含まれるが、大きさや構造が異なる。ウィルスは自己増殖できず、他の生物に感染して増殖し、感染した生物の細胞を破壊する。

注7 滅菌技術

滅菌とは細菌とウィルスを問わず、すべての菌を死滅させる処理で、ある特定の菌を死滅させる殺菌よりも厳しい対応である。今回の処理法では死滅した菌の種類が限定的なため、滅菌技術までいたっていない。

注8 グラム陰性

細胞周りが二重の膜で覆われている細菌の総称で、グラム陽性は一重の膜と細胞壁で覆われている細菌の総称。

注9 エンベロープタイプ

スパイクというトゲ状の突起をもつエンベロープによりヒトに感染するが、このエンベロープが壊されると感染力を失う。エンベロープは胃酸に弱いので腸までは届きづらい。一方、エンベロープを持たないタイプのノロウィルスは、酸にも強く腸内に到達して食中毒などを起こす。

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

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