2022-04-26 東京大学 大気海洋研究所,三重大学
発表のポイント
♦三重県熊野灘沖などで採集されたヤドカリの「宿」(注1)を作るイソギンチャクが、キンカライソギンチャク属の新種であることを突き止めました。
♦キンカライソギンチャク属の発見は日本近海では初であり、本研究では摂餌やヤドカリとの共生様式に関する世界初の動画記録とともに新種記載しました。
♦柔らかいイソギンチャクによる「ヤドカリの貝殻」形成は大変興味深い現象です。深海(注2)での共生の獲得に伴う新規能力の進化を理解する上で、本種は貴重な研究材料となることが期待されます。
発表者
吉川 晟弘(東京大学 大気海洋研究所 附属国際・地域連携研究センター 特任研究員)
泉 貴人(研究当時:琉球大学 理学部海洋自然科学科生物系 日本学術振興会特別研究員
PD/現:福山大学生命工学部 海洋自然科学科 講師)
森滝 丈也(鳥羽水族館 飼育研究部 学芸員)
木村 妙子(三重大学 大学院生物資源学研究科 教授)
柳 研介(千葉県立中央博物館 分館海の博物館 主任上席研究員)
発表概要
東京大学大気海洋研究所附属国際・地域連携研究センターの吉川特任研究員、福山大学の泉講師(研究当時:琉球大学)らを中心とする研究チームは、三重県熊野灘沖および静岡県駿河湾沖の深海底生生物相調査によって、ヤドカリの棲む貝殻の上で暮らし、自身の分泌物によりその貝殻構造を増大させる特殊なイソギンチャクを採集しました。
外部・内部形態、および分子系統解析により、本イソギンチャクがキンカライソギンチャク属の未記載種(注3)であることが判明したため、ヒメキンカライソギンチャクStylobates calciferとして新種記載しました(図1)。同時に、生体のビデオ記録による行動観察も行い、本種が海底に降り注ぐ有機物を摂餌している可能性を見出しました(図2)。
放射相称動物(注4)であり、かつ全身が軟体であるイソギンチャクにおいて、前後左右の認識を前提とする硬い貝殻構造(螺旋構造)を形成することは非常に珍しいと言えます。本種は、他のキンカライソギンチャク種に比べて比較的容易に採集されることからも、将来的には方向・空間認識能力の進化を理解する良いモデルになるかもしれません。
発表内容
研究の背景・先行研究における問題点
イソギンチャクは刺胞動物門花虫綱に属する生物で、体は全体的に軟体部のみで構成されています。しかし、ごく一部のイソギンチャクは(これまで3属のみが知られています)、自身の分泌物で貝殻のように固い構造を作ることが知られています。特にキンカライソギンチャク属(Stylobates属)の種は、本物の巻貝と見まがう程の殻を作るユニークなグループで、実際に一時は作った殻自体が軟体動物・腹足綱(注5)の1種として記載されていた事もあるほどです。
このように進化学的に興味深い現象を持つ本種ですが、イソギンチャク自体の分類学的研究の遅れ、及び生体の採集・維持の難しさから、その生態研究は進んでいませんでした。そこで本研究では、調査船で採集されたキンカライソギンチャク属の分類の精査に加えて、摂餌様式や、ヤドカリとの共生様式に関する行動観察も行い、その自然史学的知見の拡充を目指しました。
研究内容
東京大学大気海洋研究所附属国際・地域連携研究センターの吉川晟弘研究員、現・福山大学の泉貴人講師(研究当時:琉球大学理学部海洋自然科学科生物系日本学術振興会特別研究員PD)、鳥羽水族館飼育研究部の森滝丈也学芸員、三重大学大学院生物資源学研究科の木村妙子教授、千葉県立中央博物館分館海の博物館の柳研介主任上席研究員らからなる研究チームは、三重県熊野灘および静岡県駿河湾の水深200~400mの深海底において、ジンゴロウヤドカリが棲む貝殻上に共生するイソギンチャクを採集しました。採集された個体を用いた外部形態の観察、組織学的観察、刺胞の検鏡および複数DNA領域を用いた系統解析により、本種がキンカライソギンチャク属であり、かつ同属の他4種とは形態的にも遺伝的にも識別できることを突き止めました。一方、他の種と同様に、自身の分泌物によりその貝殻構造を増大させていることが確認されたため、本種もまた、深海でのヤドカリ共生に特化した代謝能力を進化させていると言えます。
並行して実施した行動観察では、本種は深海底に降り注ぐ有機物(マリンスノー(注6)など)を効率よく摂餌できるように、口を上に向けた状態で貝殻上に付着している可能性が高いと示唆されました。また宿主ヤドカリの貝殻の引っ越し行動も観察され、その後イソギンチャクを新しい貝殻へと持ち運ぶ行動も確認されました。自然下でも、本種がジンゴロウヤドカリ以外のヤドカリと共生する例が見当たらないことから、これらの種は強い共生関係にあると示唆されます。
以上を踏まえ、本種に関して、特定の1種のヤドカリと共生し、かつその家となる構造を作ることから、スタジオジブリの映画「ハウルの動く城」の原作となった小説「Howl’s Moving Castle(日本語タイトル: 魔法使いハウルと火の悪魔)」に登場する火の悪魔「カルシファー」に因んで、Stylobates calciferと命名し、新種として記載しました。
社会的意義・今後の予定
これまでキンカライソギンチャク属の種は、世界中から4種のみ知られており、本種は5種目、かつ日本近海からは初の報告となります。比較的浅い深海域に生息している本種は、深海トロール漁などにより頻繁に混獲されるため、その他の種に比べて手に入れることが簡単です。そのため本種は、今後刺胞動物における方向・形状認識メカニズムの解明において重要なモデルになることが期待され、生物における新規代謝能力、空間認識能力の進化過程を明らかにするためにも大変意義深いものとなります。
加えて本種は、一般書であるイソギンチャクガイドブック(内田・楚山, 2001)にて「ヒメキンカライソギンチャク」という和名(注7)で既に紹介されていましたが、これまで形態観察・分子系統解析が行われることなく、その正確な分類学的位置は長らく不明でした。イソギンチャク類は標本作成(注8)が難しいことから、詳細な分類学的検討が行われないまま一般書に紹介されることが多々あり、一般的な認識と、学術的な記録との間に大きな隔たりがあります。今回のように、和名があるのにも関わらず未記載種である場合もあることから、学術的に無名な種が、日本にはまだ数多く潜んでいると思われます。今後さらに多くの種が学術的に発表されることにより、その進化学的研究の進展や、生態的機能など、彼らの未知なる部分が解明されることが期待されます。
発表雑誌
雑誌名:「Biological Bulletin」(4月25日付)
論文タイトル:Carcinoecium-forming sea anemone Stylobates calcifer sp. nov. (Cnidaria, Actiniaria, Actiniidae) from the Japanese deep-sea floor: a taxonomical description with its ecological observations
著者:Akihiro Yoshikawa*, Takato Izumi*, Takeya Moritaki, Taeko Kimura, Kensuke Yanagi
DOI番号:https://doi.org/10.1086/719160
問い合わせ先
東京大学 大気海洋研究所 附属国際・地域連携研究センター
特任研究員 吉川 晟弘(よしかわ あきひろ)
用語解説
- 注1:ヤドカリの「宿」
- ほぼすべてのヤドカリは貝殻を住み場所にする。貝殻はすでに死んでいて成長しないので、ヤドカリは自身が成長するとより大きな貝殻に引っ越しする必要がある。そのため、貝殻は「宿」とよばれる。
- 注2:深海
- 明確な定義は無いが、生物学においては200mより深い海域を「深海」と呼ぶ。
- 注3:未記載種
- 学名の付いていない生物の種を「未記載種」と呼ぶ。そして本研究のように、論文にて名前を付けると初めて「新種」と呼ばれる。
- 注4:放射相称動物
- 体の構造が左右で等しくなる切断面を、放射状に引くことができる構造を持つ動物(クラゲなど)を「放射相称動物」という。
- 注5:軟体動物・腹足綱
- 巻貝の仲間(サザエやアワビなど)が属する無脊椎動物のグループを差す。
- 注6:マリンスノー
- 海洋表層から深海底に雪のように降り注ぐ、植物プランクトンや動物プランクトンなどの生物の死骸や排出物など、肉眼で観察できる海中懸濁物のことを「マリンスノー」という。
- 注7:和名
- 生物の名前には、世界共通の学名(ラテン語)の他に、日本語の名前がついていることがある。これを和名といい、一般にはこちらの方が有名であることが多い。
- 注8:標本作成
- イソギンチャクの標本は、触手を出した元気な状態で少しずつ麻酔をかけて丁寧に固定するという作業が必要である。過去の標本はこの手順を踏んでいないものも多く、使い物にならない標本も多数存在する。
添付資料
図1. ヒメキンカライソギンチャクStylobates calcifer sp. nov.の外観および、本種が貝殻を作り出す過程。イラスト・きのしたちひろ
図2. ヒメキンカライソギンチャクStylobates calcifer sp. nov.の摂餌行動。細かな有機物が口や触手に降り注いだ際に、極めて反応良く収縮し、摂餌行動を行う。