2022-04-15 基礎生物学研究所
新潟大学 佐渡自然共生科学センター臨海実験所の豊田賢治特任助教(研究当時:基礎生物学研究所 分子環境生物学研究部門 大学院生)と基礎生物学研究所 神経生理学研究室の渡辺英治准教授と横浜市立大学大学院生命ナノシステム科学研究科の井口泰泉特任教授(研究当時:基礎生物学研究所 分子環境生物学研究部門 教授)、宇都宮大学 オプティクス教育研究センターの八杉公基特任准教授(研究当時:基礎生物学研究所 神経生理学研究室 NIBBリサーチフェロー)、愛媛大学 農学部環境計測学研究室の鑪迫典久教授の共同研究グループは、淡水性動物プランクトンであるオオミジンコの行動解析から本種のメスが均一で無方向性の拡散を示すのに対して、オスは水平方向に偏った拡散を示すことを発見しました。さらに、コンピュータシミュレーション解析から遊泳時の旋回行動頻度によってオスの水平方向への遊泳拡散が説明できることを明らかにしました。本成果で明らかになったオオミジンコの雌雄で異なる遊泳拡散能は、湖沼生態系においてミジンコ類の遺伝的多様性の創出に貢献している可能性が示唆されました。本成果は2022年4月13日付けでJournal of Experimental Zoology Part A誌に掲載されました。
オオミジンコの雌雄の遊泳拡散方向
[本研究の背景]
動物は様々な状況下において運動系を適切に制御することで、摂食、逃避、性行動など様々な行動をとる必要があります。それは湖沼生態系に生息する微小甲殻類であるミジンコ類も例外ではありません。ミジンコ類は、ヒトのように滑らかな動作で動くことはできませんが、原始的なセンサーやモーターを使って餌を探したり、捕食者から逃げたりと状況に合わせて適切な行動をとることができます。なかでもミジンコ類の交配行動は古くから研究対象として注目されていました。ミジンコ類は通常、メスのみで繁殖する単為生殖によって短期間で爆発的にその数を増やすことができますが、短日化や低水温、貧栄養などの生息環境の悪化に伴ってオスを産生し(環境依存型性決定※注1)、単為生殖から有性生殖へと繁殖戦略を切り替える周期性単為生殖と呼ばれる生活史を持っています。有性生殖では、通常発生卵とは異なり、休眠卵と呼ばれる乾燥や凍結に高い耐性を有する卵が産生されます。我々のグループはこれまでにミジンコ類の環境依存型性決定に関わる因子を多数見出してきました(過去のプレスリリース:https://www.nibb.ac.jp/press/2015/03/31-2.html, https://www.nibb.ac.jp/press/2016/04/26.html)。このように外部環境に依存したミジンコ類の柔軟な繁殖システムや有性生殖に関する研究は数多くされていますが、ミジンコ類の遊泳行動の性差に関する知見はほとんどありませんでした。そこで本研究では、ミジンコ類の中でも大型種であるオオミジンコ(Daphnia magna)を用いて、そのオスとメスの遊泳行動を記録・解析しました。さらに、観測された特徴的な行動パターンをコンピュータシミュレーションによって再構築することに挑みました。
[本研究の成果]
本研究では、ビデオカメラを使ってミジンコの雌雄それぞれの遊泳パターンを録画しました。そして各個体の遊泳軌道を解析することで雌雄の特徴量の抽出を試みました(図1)。
[図1]オオミジンコのメスとオスの遊泳軌道解析の例。各軌道の色は異なる個体を示しています。
記録したオオミジンコの行動パターンデータから、垂直方向と水平方向に対してある一定の始点から終点を結んだ直線距離(net displacement)と実際の移動量の総和(gross displacement)の比(net-to-gross displacement: NGDR)を求めたところ(図2A)、メスでは垂直方向も水平方向も同程度のNGDRでしたが、オスでは垂直方向に比べ2倍以上水平方向に対するNGDRが大きいことを見出しました(図2B:オオミジンコの観測データ)。これは、メスは無方向性の遊泳拡散パターンを、オスは水平方向に大きく偏った遊泳拡散パターンを有していることを意味しています。続いて、このオス特有の水平方向の遊泳拡散を説明できる要因を明らかにするために、マルコフ連鎖(Markov chain: MC)モデル※注2を用いて遊泳速度(MC1)、移動距離長(MC2)、旋回行動の頻度(MC3)に注目してシミュレーションをおこないました。旋回とは遊泳行動中に移動方向を大きく変えることで、ミジンコ類の遊泳行動の中で頻繁に観察されるためモデルに採用しました。シミュレーションの結果、遊泳速度(MC1)と旋回行動の頻度(MC3)はメスでは垂直・水平方向間でほぼ等しかったのに対し、オスでは水平方向でより大きな値をとることを見出しました。一方で、単位時間あたりの移動長(移動速度の絶対値)の頻度(MC2)は、雌雄間でも垂直・水平方向間でもほぼ等しいことが分かりました。そこで、遊泳速度(MC1)と旋回行動の頻度(MC3)のMCモデルを使ってNGDRを計測したところ、オオミジンコの観測データと同様に水平方向のNGDRが垂直方向と比較して顕著に大きくなることを明らかにしました(図2B)。しかし、遊泳速度の度数分布解析から垂直方向も水平方向のどちらにも明瞭な雌雄差が検出されたことから、遊泳速度だけではオス特有の水平方向への拡散能を説明することができませんでした(図3)。以上のことから、オスは旋回行動の頻度を変えることで水平方向に対して優位に拡散している可能性が高いことを示しました。
[図2]ある一定の始点から終点を結んだ直線距離(net displacement)と実際の移動量の総和(gross displacement)の比(net-to-gross displacement: NGDR)。オオミジンコの観測データとMC1とMC3によるコンピュータシミュレーションによって、雌雄それぞれの垂直方向と水平方向に対するNGDRを算出した。
[図3]移動距離の頻度分布。
移動距離の平均は垂直方向も水平方向に対してもオスに比べてメスの方が大きい。
[成果の意義]
1)オオミジンコ成体の雌雄の行動解析から、遊泳行動パターンにはメスは無方向性、オスは水平方向に偏るという明確な性差があることを明らかにしました。ミジンコ類は単為生殖によってメスもオスも産生されることから同一の親から生まれた雌雄は遺伝的に同一なクローンです。本成果により外部形態だけでなく、同一のゲノム情報から行動の性差を創出するメカニズムの理解が進むことが期待されます。
2)マルコフ連鎖モデルにより、オス特有の水平方向への遊泳拡散には旋回行動頻度が重要なパラメータであることを示しました。本成果はミジンコ類の行動パターンの記載に留まっていた先行研究とは一線を画しています。
3)ミジンコは環境指標生物として古くから湖沼などの淡水環境のモニタリングに供されてきました。近年では、農薬などのヒトの活動によって排出される化学物質の毒性影響を調べるモデル動物としても活用されており、化学物質の曝露による遊泳阻害率や繁殖力の低下率などがその指標として採用されています。本成果により、ミジンコ類の行動解析技術が普及すれば、遊泳阻害という強い遊泳行動パターンの変化だけでなく、遊泳速度や旋回行動頻度など別の定量的なパラメータで化学物質の生体影響を評価できるようになる可能性があります。
[今後の展望]
研究グループの豊田賢治特任助教は今後の展望について、次の様に語っています。「なぜ、オスが水平方向へ高い拡散能を有しているかは今後の野外調査を含む研究が必須ですが、もしかするとこの拡散能の性差は湖沼生態系においてミジンコ類の遺伝的多様性創出に大きく貢献しているのかもしれません。ミジンコ類は好適環境下では、集団中にメスが優先して単為生殖で個体数を増やします。メスの拡散方向は無方向性のため、大きく生息地が変わることは少ないと予想されます。一方で、環境条件が悪化すると単為生殖によるオスの産生率が増加しますが、同一集団内のメスとは遺伝的差異に乏しく、有性生殖を経ても遺伝的多様性を高められる可能性が低いことが予想されます。しかし、水平方向への拡散能が高いオスは遠く離れた別の遺伝子型を有する集団に到達することができるのかもしれません。今後はこの壮大な仮説にも挑みつつ、オオミジンコの成体だけでなく幼生期の遊泳行動や雌雄を混合飼育した時の遊泳パターン、さらには3次元の遊泳軌道の解析などを進めていきたいと考えています。」
注1) 環境依存型性決定とは、オスとメスの発生運命が性染色体などの遺伝的要因によらず日朝時間や温度などの環境要因によって決まる性決定様式のことである。ミジンコ類の他にはワニやカメなどの一部の爬虫類の性は卵の孵化温度で決まることが知られている。
注2) マルコフ過程とは、未来の挙動が現在の値だけで決定され、過去の挙動と無関係な過程のことである。マルコフ過程の中でも、離散的な(デジタル的な)過程のことをマルコフ連鎖という。例えば、双六はプレイヤーが現在いる位置だけで次の位置がサイコロの目で決まる離散的なマルコフ過程であり、典型的なマルコフ連鎖である。
[掲載誌情報]
雑誌名: Journal of Experimental Zoology Part A
掲載日: 2022年4月13日
論文タイトル: “Laterally biased diffusion of males of the water flea Daphnia magna.”
著者: Kenji Toyota, Masaki Yasugi, Norihisa Tatarazako, Taisen Iguchi,and Eiji Watanabe
DOI: https://doi.org/10.1002/jez.2595
[研究グループ]
本研究は新潟大学 佐渡自然共生科学センター臨海実験所の豊田賢治特任助教(研究当時:基礎生物学研究所 分子環境生物学研究部門 大学院生)、基礎生物学研究所 神経生理学研究室の渡辺英治准教授と横浜市立大学大学院生命ナノシステム科学研究科の井口泰泉特任教授(研究当時:基礎生物学研究所 分子環境生物学研究部門 教授)、宇都宮大学 オプティクス教育研究センターの八杉公基特任准教授(研究当時:基礎生物学研究所 神経生理学研究室 NIBBリサーチフェロー)、愛媛大学 農学部環境計測学研究室の鑪迫典久教授による成果です。
[本件に関するお問い合わせ先]
新潟大学 佐渡自然共生科学センター臨海実験所
特任助教 豊田 賢治(トヨタ ケンジ)
基礎生物学研究所 神経生理学研究室
准教授 渡辺 英治(ワタナベ エイジ)
[報道担当]
基礎生物学研究所 広報室
新潟大学 広報室
宇都宮大学 広報室