2022-08-09 京都大学,国立精神・神経医療研究センター
概要
京都大学大学院医学研究科の花川隆 教授(国立精神・神経医療研究センターIBIC先進脳画像研究部特任部長)と産業技術総合研究所の笠原和美 研究員らの共同研究グループは、Brain-Computer Interface(BCI)*1の操作が得意な人と苦手な人では脳の神経回路の使い方が異なることを発見しました。BCIとは、身体を動かさずとも情報機器が使えるようになることを目指し、動作を想像する際などに脳が発する信号を解読して意図を判定する発展途上の医工学技術です。しかし、脳に電極を埋め込まない非侵襲脳信号測定*2によるBCIの操作能力には個人差が大きく、上手く使えない人も多いのが現状です。
本研究では、手の動きを想像する際に大脳表面の運動野が発する脳波信号を解読しパソコンのカーソルを操作する「脳波BCI」と、脳全体の活動を深部まで可視化する「機能的MRI*3」計測を同時に実施し、BCIが上手く操作できるときには「大脳基底核*4」と呼ばれる大脳深部にある神経核が活発に活動していることを発見しました。さらに操作が得意な人では「大脳基底核」が脳波BCIの信号源である運動野と機能的に繋がっていたのに対し、苦手な人では「大脳基底核」が運動野だけでなく認知や情動に関わる複数の大脳領域と複雑な繋がりを持っていました。このことからBCI操作に得手不得手のある理由の少なくとも一部は、BCIを操作する際の脳の神経回路の使い方の個人差によることが示唆されます。本研究成果は、将来、脳回路の使い方に合わせた訓練法の開発など、個人の特性に合わせたテーラーメイドBCI技術開発への応用が期待できます。
本成果は、2022年7月16日に、国際学術誌の「Communications Biology」にオンライン掲載されました。
大脳基底核を起点としたBCI操作中のネットワーク
1.背景
Brain-Computer Interface(BCI)技術は脳機能を代替する技術として期待が高まっています。BCI技術が完成すれば、病気や怪我によって手足の動作が不自由になった人が、身体を動かさなくても頭のなかで想像するだけでパソコンなどの情報機器を使えるようになるかもしれません。また、BCIで駆動するロボットアーム等で脳卒中患者のリハビリテーションを補助し、効果を高めることを目指す研究も盛んに行われています。ただし解決すべき問題も多く残っています。脳に電極を埋め込まない非侵襲的脳信号計測によるBCIの操作能力には個人差が大きく、上手く使いこなせない方も多いのが現状です。このような個人差が生まれる原因はよくわかっていません。
2.研究手法・成果
われわれは、身体の動きを想像した際に脳表面の運動野に出現する脳波信号を解読する非侵襲「脳波BCI」と、「機能的MRI」計測を同時に実施する技術を開発しました。MRI撮像に伴い脳波に生じるアーチファクト*5をオンライン除去しつつ、脳波信号処理と状態判別を行います。今回はBCI操作能力の個人差に関係する神経回路を調べることを目的として、様々な程度のBCI操作能力を持つ24名の健康な成人男女がBCIを操作する際の脳回路活動を、空間解像度と部位同定能に優れた非侵襲脳信号測定法である「機能的MRI」を用いて測定しました。なお、どの参加者も同じ程度BCIの練習をしており、BCI操作能力の差は練習の差によるものではありません。
「機能的MRI」によりBCI操作が成功した時と失敗した時の脳活動を比較すると、成功した時には「大脳基底核」の一部である「被殻」の活動が活発でした。次にBCI操作が成功した時に「被殻」との機能的な繋がりが上昇している神経回路を調べると、「視床」及び「運動野」と「被殻」の間に機能的繋がりの増加が見出されました。さらにBCIの操作が得意な人と苦手な人の間で「被殻」とそれ以外の脳領域の機能的繋がりを比較すると、BCIの操作が得意な人の「被殻」はBCI中に「運動野」と繋がっていたのに対し、BCIの操作が苦手な人の「被殻」は運動野だけでなく認知や情動に関わる広範な大脳領域と繋がっていました。
「脳波BCI」は運動野に発する信号により駆動されていますから、BCIの操作が得意な人の「大脳基底核(被殻)」がBCIの成否を直接左右する「運動野」と集中的に繋がっていたことは合理的です。一方で、BCIの操作が苦手な人の「大脳基底核(被殻)」が繋がりを示した「運動野」以外の広範な大脳領域の活動はBCIの操作に寄与しません。BCIの操作が得意な人は練習なしに最初から適切な神経回路を選択できていたことになります。大脳基底核は、試行錯誤から学んだ運動の選択など経験に基づく直感的な行動や思考を支える領域です。BCIをうまく操作するには、脳認知領域を駆動する「考える」戦略よりも、「大脳基底核」と「運動野」の神経回路を駆動する直感的に「感じる」戦略が有利なのかもしれません。
3.波及効果、今後の予定
本研究によって、BCI操作の秘訣が脳深部の大脳基底核にあり、BCIの得意な人と苦手な人の間では大脳基底核と大脳の機能的繋がりが異なることが示されました。すなわちBCI操作の得手不得手の理由の少なくとも一部は脳の神経回路の使い方(あるいはその背景にあると想定される「感じる」か「考える」かの戦略の違い)の個人差によることが示唆されます。今後、BCIを練習することで、BCIの操作成績とともに脳の神経回路がどの様に変化するかを調べる予定です。本研究成果は、将来、個人の脳の神経回路の使い方に合わせたテーラーメイドBCI開発への応用が期待できます。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、著者らが国立精神・神経医療研究センター神経研究所に在籍していた当時に開始されたものです。本研究は、国立精神・神経医療研究センターのほか、京都大学大学院医学研究科、産業技術総合研究所 人間情報インタラクション研究部門の共同研究として実施されました。
また、本研究は、日本学術振興会(JSPS)科研費(JP19H05726、JP19H03536、JP20H04236)、日本医療研究開発機構(AMED)(JP19dm0207070s0001、JP19dm0307003h0002)、科学技術研究振興機構(JST)創発的研究支援事業(JPMJFR206G)、JST CREST(JPMJFR206G)の助成を受けたものです。
用語解説
*1 脳波Brain-Computer Interface(BCI):運動想像による脳波律動の低下は事象関連脱同期と呼ばれ脳波BCIに広く利用されている。本研究では、運動野のα帯域(10Hz程度)の事象関連脱同期の左右差を利用して、パソコン上のカーソルを左右に制御した。
*2 非侵襲的脳信号測定:脳波、磁気共鳴画像、脳磁図など脳を傷つけずに脳信号を計測する技術。本研究では、BCI操作に脳波、神経回路の解明にはMRIを利用した。侵襲的脳信号測定の例として、外科手術により脳内に埋め込んだ電極によるBCIがある。
*3機能的MRI:MRIは強い磁石のなかで弱い電磁波を生体に照射することで生じる核磁気共鳴現象を用いた生体画像技術。機能的MRIでは、脳の活動に必要な酸素を供給する赤血球ヘモグロビンの酸素化の程度の差による局所磁化率の変化を神経活動の代用マーカーとして画像化している。
*4大脳基底核:脳のほぼ中心に位置し、大脳皮質と視床、脳幹を結ぶ神経核の集まり。運動制御、学習、動機付けなど、しばしば行動を制御する司令塔のような役割をもつ。本研究では、大脳基底核のなかでも運動制御に関わる「被殻」がBCI成功時に特異的に活動した。
*5 アーチファクト:BCI操作に必要な脳波は微弱な電気信号(μボルト単位)である。MRIは強い磁石と弱い電磁波を照射し、その信号の大きさは脳波の数十倍である。そのため、脳波と機能的MRIの同時計測を行うと、脳波の計測システムでは、大きなMRI信号のなかに微弱な脳波信号が埋もれてしまう。本研究では、脳波計測システム上に現れたMRI信号をオンラインで除去する手法をBCIオンライン処理と連続的に行うことで、MRI内でBCIを行うことができた。
研究者のコメント
BCI開発が進めば、運動麻痺で動けない患者さんが「考える」だけでロボットや車椅子を操作することが可能になると言われています。一方、現在の非侵襲BCIの操作は容易ではなく、操作能力の個人差が医工学技術としても治療技術としても応用への壁となっています。今回、脳波と機能的MRIの同時計測によって、BCI操作能力の個人差の一部を神経回路の違いとして明らかにすることが出来ました。BCIの操作は一生懸命「考える」よりも直感的に「感じる」のが良いのかもしれません。本研究成果が、BCI発展の一助となり、将来的には治療技術として広く利用されることを期待しています。(京都大学大学院医学研究科・花川隆、産業技術総合研究所・笠原和美)
論文タイトルと著者
タイトル:Basal ganglia-cortical connectivity underlies self-regulation of brain oscillations in humans.(大脳基底核皮質神経回路はヒト脳律動の自己制御に関わる)
著 者:Kazumi Kasahara, Charles Sayo DaSalla, Manabu Honda, Takashi Hanakawa
掲 載 誌:Communications Biology DOI:10.1038/s42003-022-03665-6
お問い合わせ
<お問い合わせ先>
花川 隆(はなかわ たかし)
京都大学大学院医学研究科 脳統合イメージング分野・教授
<報道・取材に関するお問い合わせ先>
京都大学 総務部広報課国際広報室
国立精神・神経医療研究センター 総務課広報室