2022-11-21 理化学研究所
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター 親和性社会行動研究チームの篠塚 一貴 研究員、黒田 公美 チームリーダーらの国際共同研究グループは、霊長類(サル)の子育ての寛容性に必要な脳部位を特定しました。
本研究成果は、将来的に児童虐待やネグレクトなど、不適切な子育ての科学的な理解と対策に貢献すると期待できます。
霊長類のコモン・マーモセット[1]は樹上で生活しますが、新生児は自分で移動できないため、父母と上のきょうだいが代わる代わる背負う必要があります。コモン・マーモセットの育児は、家族の協力を必要とする重労働なのです。
今回、国際共同研究グループはコモン・マーモセットの子育てには、背負いを求めて鳴く子に対応する「感受性」と、背負いの忍耐強さである「寛容性」という二つの要素があり、これらの個体差が子育ての個性を作っていることを見いだしました。また、子育てをするときには前脳底部の内側視索前野中央部(cMPOA)[2]において、カルシトニン受容体(Calcr)[3]を発現する神経細胞が活性化すること、cMPOAの機能を抑制すると子に対する寛容性がなくなり、子をすぐに拒絶して背負わなくなってしまうことを明らかにしました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Communications Biology』(11月21日付:日本時間11月21日)に掲載されました。
霊長類で育児の忍耐強さ(寛容性)に必要な脳部位(cMPOA)を発見
背景
子どもへの虐待やネグレクトなど、不適切な養育(子育て)が大きな社会問題となっています。ヒトに限らず、子が未発達な状態で生まれる哺乳類では、親がほぼ毎日長期間にわたって子育てをしますが、子育ては親にとって負担が大きく、生活に必要な他の行動(餌の確保、外敵からの防御など)との両立は容易ではありません。環境が厳しい場合には、子を放棄したり攻撃したりしてしまうこともあります。ヒトへの科学的な子育て支援のためには、ほどよい子育てを続けるために必要な脳の仕組みを知ることが重要です。
黒田 公美 チームリーダーらは2021年にマウスを使った研究により、子育てには前脳底部にある内側視索前野中央部(cMPOA)の特定の神経細胞が必要であることを明らかにしました注1)。しかし、進化的にヒトにより近い霊長類(サルや類人猿)では、脳のメカニズムはほとんど分かっていませんでした。比較的子育てがよく研究されているニホンザルなどのマカクザルやチンパンジーでは母親がひとりで子育てをするため、家族で育てるヒトとは異なる面もあります。そこで本研究では、家族で子育てを分担しながら育てるコモン・マーモセット(以下、マーモセット)を対象に、子育ての具体的な方法やそれに必要な脳部位を調べました。
注1)2021年6月2日プレスリリース「危険を冒して子を助ける親の脳」
研究手法と成果
マーモセットの繁殖ペアは、およそ5カ月ごとに約2頭の子を産み育てます。授乳するのは母親だけですが、父親や上のきょうだいたちは新生児を背負うことで積極的に子育てに参加します。国際共同研究グループはマーモセット家族の子育てを詳細に観察し、以下のことを見いだしました。
(1)生後4週間までの新生児は、背負われていないときは盛んに鳴く。すると家族の誰かが近づき、子を背負う。このようにして1日の大半の時間、新生児2頭はまとめて誰かに背負われている。
(2)生後4週の子2頭の合わせた重さは親の体重の30%、すぐ上のきょうだいの体重の40%を超える。そのため親やきょうだいが子を背負っている間は、移動する、餌を食べる、社会的遊び(他の個体との追いかけっこや組み合い)をするなどの普段の行動が制限される(図1上段)。
(3)背負っている個体は数分から数十分程度たつと、子を壁にこすりつけたり噛んだりして、子を拒絶する。すると子は盛んに鳴くため、他の個体が集まってきて、次の個体に子が受け渡される。
(4)子が成長するにつれて、1回あたりの背負い時間が短くなり、子が頻繁に他の個体に受け渡されるようになる。
(5)家族内に年上のきょうだいが2頭以上いると、その分親の背負いは減る。
これらの観察から、子を背負う世話は子が重くなるにつれ負担が大きくなり、長時間は背負っていられなくなること、年上のきょうだいの手伝いが親にとって助けになることが分かりました。
さらに、子を背負う量は個体差が大きく、父母でもきょうだいでも、非常によく背負う個体と、あまり背負わない個体がいるようでした。家族全体でみると、ある個体の行動は他の個体の影響を受けるため、測定が複雑になります。そこで、個体それぞれの子育て行動の特性を調べるために、特定の個体と子の2頭だけにして関係を調べる「子の回収テスト」を行いました。このテストでは、新生児1頭とその家族1頭を連結された隣同士のケージに入れ、家族個体がひとりにされた子を背負いに行く行動を記録しました。
このテストにおける育児(背負い)の総量は、ひとりにされて鳴いている子への対応の早さ(感受性)と、拒絶せずに背負い続ける忍耐強さ(寛容性)という、二つの相互に独立な変数によって総合的に決まることが分かりました(図1下段)。この「感受性」や「寛容性」の高さは個体によりまちまちで、何度目かの子育てであっても、子育てをあまり分担しない父や母もいました。従って、感受性と寛容性は個々のマーモセットの子育て特性を表現しているといえます。
図1 マーモセットの育児
(上)背負っている子の数が0頭のときに比べ、1頭でも背負っていると、その個体の普段の活動は制限される。
(下)子の回収テストで測定される、子に対する感受性と寛容性のイメージ図。
前述のように、黒田 公美 チームリーダーらの共同研究グループはマウスを用いて、視床下部前方にある内側視索前野中央部(cMPOA)という領域において、子育て中に最も高い比率で活性化するカルシトニン受容体(Calcr)を発現する神経細胞群の機能が子育て意欲に重要であることを見いだしています注1)。そこで、マーモセットでcMPOAに相当する脳部位を調べたところ、やはりCalcrを発現する神経細胞が存在し、子育てによって神経活動活性が上昇していることが分かりました(図2)。
図2 子育てによるマーモセット内側視索前野中央部(cMPOA)の神経細胞活性
内側視索前野(MPOA)に分布しているCalcr分子を緑色の蛍光で描出、神経細胞の転写活性化マーカーであるc-Fosを赤色の蛍光で描出した。子を背負っていた個体(右)では、内側視索前野中央部(cMPOA)相当領域(左上の白四角)にCalcr神経細胞があり、核が赤色に染色され活性化している。
そこで、きょうだい個体でcMPOAを薬理学的に機能抑制すると、抑制前に比べ子への寛容性が下がり、子を背負う総量が著しく低下することが分かりました。一方、子への感受性や子以外の家族との関わり、その他の行動はほとんど変化しなかったことから、cMPOAが子育ての寛容性に選択的に重要であることが示されました(図3)。
図3 マーモセット内側視索前野中央部(cMPOA)の抑制による寛容性の低下
(左)cMPOAの機能抑制マップ。赤い領域ほど抑制の度合いが大きかった。
(中)子の回収テストの結果。子を背負うまでの時間(感受性)は変化せず、背負った子への拒絶率が有意に増加(つまり、寛容性が低下)した。***p<0.001
(右)家族内で子を背負った割合。どの個体も、機能抑制後は子の背負い行動が観察されなかった。*p< 0.05
今後の期待
ヒトは誰でも無力な赤ん坊として生まれ、誰かに育てられなければ成長することができません。従って、子育てや親子関係は誰にとっても他人事ではないはずですが、子育て行動の脳科学的な研究は他の行動の研究に比べて遅れています。
本研究は、霊長類の子育てに選択的に重要な脳部位としてcMPOAを初めて示しました。cMPOAは父母マウスや若いマウスの子育て意欲にも重要であり、げっ歯類と霊長類に共通する子育ての神経回路機構としてのcMPOAの重要性が一層確かなものになりました。マウスでは、cMPOAに発現するCalcr分子自体も母マウスがリスクを冒して子を助ける行動に必要ですが、今回の研究は実験的操作がマウスよりも難しい霊長類のため、Calcr分子の重要性に直接的に迫ることはできておらず、さらなる研究が必要です。
ヒトの親行動の心理学的研究では、親が子の困りごとに対応する「感受性Sensitivity」と、子にしつけをしたり行動をコントロールしたりする「要求性Demandingness」の2軸で、親の「子育てスタイル」が定義されています。げっ歯類ではこうした複雑な子育ての特性は知られていませんが、今回マーモセットの子育てには、感受性と寛容性という2特性があることが示されました。このうち、感受性はヒトと定義がほぼ同じです。また、寛容性の逆である拒絶行動を、子の自立を促すしつけ、すなわち要求行動と捉える欧米の研究者もおり、寛容性と要求性にも共通点があります。従って、今後マーモセットの子育ての特性の脳内機構が明らかになれば、ヒトの子育ての個性を理解することにもつながると期待できます。
さらにヒトの子育てスタイルは、子の情緒的・認知的発達に重要な影響を与えるとされます。そこで国際共同研究グループは、現在マーモセットにおいても子育て特性が親子関係や子の発達に与える影響の研究に取り組んでおり、ヒトの子育てをより科学的に理解する土台を築くことで、将来的に客観的かつ効果的な育児支援の開発に役立つことを目指しています。
補足説明
1.コモン・マーモセット
中南米を原産とする小型の新世界ザル。夫婦と子どもたちで生活し、分担して新生児の世話をしたり、多彩な音声コミュニケーションを行うなど、高い社会性が注目されている霊長類である。
2.内側視索前野中央部(cMPOA)
前脳底部、視床下部前方にある視索前野の中の小領域。この部分の機能を阻害すると、特異的に子育てができなくなる。マウスのほか、サルにも同じ領域が存在する。cMPOA はMedial preoptic area, the central partの略。
3.カルシトニン受容体(Calcr)
カルシトニン受容体は骨ではカルシトニンと結合し、骨へのカルシウム沈着を促進する。脳にもCalcrがあり、後脳ではアミリンと結合して食欲を抑える機能がある。黒田公美チームリーダーらの共同研究グループは、CalcrがcMPOAにおいては子育てを促進する機能を報告した。同じ分子が異なる脳部位で、食欲と子育てのような異なる目的で利用されていることは一見不思議だが、他にもそのような分子は多く存在する。例えば、オレキシンは食欲と睡眠の両方に調節力がある。Calcrは、calcitonin receptorの略。
国際共同研究グループ
理化学研究所 脳神経科学研究センター 親和性社会行動研究チーム
チームリーダー 黒田 公美(クロダ・クミ)
研究員 篠塚 一貴(シノヅカ・カズタカ)
研究員(研究当時)矢野(梨本)沙織(ヤノ(ナシモト)・サオリ)
研究員 吉原(根本)千尋(ヨシハラ(ネモト)・チヒロ)
研究員(研究当時) 時田 賢一(トキタ・ケンイチ)
研究員 倉地 卓将(クラチ・タクマ)
京都大学大学院 医学研究科 生体情報科学講座
教授 渡邉 大(ワタナベ・ダイ)
助教(研究当時)松井 亮介(マツイ・リョウスケ)
京都大学 ヒト行動進化研究センター 統合脳システム分野
教授(研究当時)高田 昌彦(タカダ・マサヒコ)
助教 井上 謙一(イノウエ・ケンイチ)
東京都医学総合研究所 脳・神経科学研究分野
室長(研究当時)徳野 博信(トクノ・ヒロノブ)
研究員 守屋 敬子(モリヤ・ケイコ)
University of New Mexico, Department of Psychology(米国)
Research Professorマイケル・ニューマン(Michael Numan)
上智大学 総合人間科学部 心理学科
准教授 齋藤 慈子(サイトウ・アツコ)
研究支援
本研究は、理化学研究所運営費交付金(脳神経科学研究センター)により実施し、日本医療研究開発機構(AMED)脳科学研究戦略推進プログラム・柔軟な環境適応を可能とする意思決定・行動選択の神経システムの研究(意思決定)における研究開発課題「社会行動選択に必要なマーモセット視床下部内意思決定回路機構の解明」20dm0107144(研究開発代表者:黒田公美)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業研究活動スタート支援26893327(研究代表者:篠塚一貴)、同若手研究(B)16K19788(研究代表者:篠塚一貴)、同基盤研究(C)20K12587(研究代表者:篠塚一貴)、同若手研究19K16901(研究代表者:矢野沙織)、同基盤研究(B)18KT0036(研究代表者:黒田公美)、同基盤研究(B)22H02664(研究代表者:黒田公美)、同挑戦的研究(萌芽)22K19486(研究代表者:黒田公美)の助成を受けました。
原論文情報
Kazutaka Shinozuka, Saori Yano-Nashimoto, Chihiro Yoshihara, Kenichi Tokita, Takuma Kurachi, Ryosuke Matsui, Dai Watanabe, Ken-ichi Inoue, Masahiko Takada, Keiko Moriya-Ito, Hironobu Tokuno, Michael Numan, Atsuko Saito, Kumi O. Kuroda, “A calcitonin receptor-expressing subregion of the medial preoptic area is involved in alloparental tolerance in common marmosets”, Communications Biology, 10.1038/s42003-022-04166-2
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 親和性社会行動研究チーム
研究員 篠塚 一貴(シノヅカ・カズタカ)
チームリーダー 黒田 公美(クロダ・クミ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当