2023-04-24 産業技術総合研究所
学校法人関西文理総合学園長浜バイオ大学バイオサイエンス学部 今村比呂志 助教(元学校法人立命館立命館大学 助教、元国立研究開発法人産業技術総合研究所 博士研究員)と国立研究開発法人産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門 本田真也 招聘研究員らの研究グループは、変性して小さくなるタンパク質を発見しました。これまでタンパク質は変性すると例外なく大きくなると考えられており、従来のタンパク質の常識を覆すものです。本研究成果は、2023年4月24日に米国化学会の国際学術誌「The Journal of Physical Chemistry Letters」に掲載されました。
ポイント
- タンパク質は変性すると大きくなるという教科書的な常識を覆し、抗体タンパク質は酸に浸されると小さくなることを発見
- タンパク質の科学における新発見であるとともに、抗体医薬品の安定化技術につながる知見
図1. 抗体は、Y字の形で正常に働いています。一般的に、タンパク質が変性すると大きく広がることが知られていますが、逆に抗体は例外的に小さくまとまった構造になることが今回の研究で初めて見つかりました。この発見は、タンパク質の科学における前提を覆す重要なものです。(注:ネコの絵はタンパク質の構造変化のイメージを伝えるものです。)
概要
タンパク質は生物の体の中で働く大事な分子です。医薬品としても使われ、人為的に生物の機能をコントロールできるようになってきました。タンパク質は特定の形(天然構造)であることが必要なため、形が崩れると正常に働かなくなることがあります。これを変性といいます。
最近の研究では、変性した形(変性構造)でも生物学的に重要な効果があることがわかってきました。しかし、変性構造の詳細は不明です。天然構造については、最新のAI技術を用いて予測できるようになってきました。しかし、タンパク質の変性構造の予測は困難です。変性構造に関する研究やデータが十分でないためです。
これまで、タンパク質は、加熱、酸・アルカリ処理などが原因で変性し、例外なく分子のサイズ (回転半径)が大きくなると考えられていました。生物学の教科書には、図1の左図のようなイメージで描かれています。しかし、今回の研究で、今村助教らの研究チームは、変性して小さくなるタンパク質を発見しました(図1の右図)。このタンパク質は免疫グロブリン(IgG)という抗体の一種です。抗体は、体内で病気やウイルスに対抗するために作られるタンパク質です。最近は工場で作られた抗体が、医薬品としても使われています。
今回、IgGを酸に浸すと、Y字の形をした天然構造から、より小さな構造に変化することがわかりました。従来の経験則では説明できないため、今村助教らの研究チームは、この現象を解釈するため、新しいモデルを提案しました。今回の成果は、IgG以外の他の大型タンパク質(マルチドメインタンパク質)でも同じことが起こる可能性も示していることから、タンパク質科学上の重要な発見です(図1)。変性して小さくなった抗体の生物学的な意味は十分明らかになっていませんが、胃内での消化耐性向上(受動免疫の促進)、抗体生産細胞からの分泌(生産性の向上)などとの関連が考えられます。
また、医薬品として利用されている抗体で本現象が見つかった点も重要です。変性した抗体の副作用の原因の解明や抗体医薬品の製造コストを改善するための抗体の安定化技術への応用が期待されます(図2)。
図2. 抗体は、長い期間保存されたり、何らかの刺激を受けたりすると、変性したり、その結果凝集したりします。これを劣化と言います。抗体医薬品が劣化すると、効き目がなくなったり、副作用を引き起こしたりすることがあるので、安定させる必要があります。今回の研究から、抗体医薬品が劣化する原因を解明し、安定させるための技術を開発することが期待されます。
経緯
「変性して小さくなるタンパク質」を発見することは当初の目的ではなく、医薬品を製造するときに使われる酸性溶液が原因で、抗体が変性したり凝集したりする仕組みを調べることが目的でした。変性すると構造が広がるはずなので、どの部分が壊れやすいかなどを観測しようと考えていました。
実は1990年代、抗体を酸に浸すと、天然状態とも典型的な変性状態とも異なる分光学的性質や抗原抗体反応を示すなどの不思議な現象が報告されていました。しかし、当時は不純物である凝集体を分離して観測することができず、その実体は謎のままでした。
今回の研究では、凝集体の混入を防ぎながら、タンパク質構造を観測する新しい技術であるサイズ排除クロマトグラフィー小角X線散乱法を用いて、溶液中の抗体の変性構造の観測に成功しました。その結果、抗体が本来の形とは別の形で存在することが明らかになりました。
論文名 : Getting smaller by denaturation: acid-induced compaction of antibodies
(変性して小さくなるタンパク質: 酸による抗体のコンパクト化)
著者 : 今村 比呂志a,b,c, 大石 郁子b, 本田 真也b
所属 : a長浜バイオ大学 バイオサイエンス学部
b産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門
c立命館大学 生命科学部
発表雑誌 : The Journal of Physical Chemistry Letters
掲載日 : 2023年4月24日
DOI : 10.1021/acs.jpclett.3c00258
URL : https://doi.org/10.1021/acs.jpclett.3c00258
※本研究は、独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金(JP19H03363、JP21K06503)の助成を受け実施しました。サイズ排除クロマトグラフィー小角X線散乱測定は、高エネルギ加速器研究機構のフォトンファクトリー BL-10Cを使用して実施されました。
用語の説明
- (1) 変性
- タンパク質や核酸の天然状態の構造(具体的には二次構造、三次構造、四次構造)の一部または全てが変化しその生物活性が失われることを言います [1,2]。熱やpHなどの外的因子がなくてもタンパク質は変性しますが、通常その確率は小さいです。熱、pHなどを変化させると変性の確率が上がります。外的因子の種類によって変性構造に違いがあるかどうかは、変性構造の研究における重要な関心事となっています。
- (2) (タンパク質が変性して小さくなる)新しいモデル
- 今回の研究では、抗体分子内のドメインが互いに相互作用して会合するモデルを提案しました。その様式が凝集と共通することから、「分子内凝集」と呼んでいます。ドメインとは独立に存在できるタンパク質の構造単位で、IgGには12個存在します。
- (3) タンパク質科学
- タンパク質科学はタンパク質に関する学際的な学問分野です。タンパク質の構造・機能・進化などの基礎からタンパク質デザイン、医薬品などへの応用まで、化学、生物学、物理学、情報科学など幅広い領域・観点から研究が行われています。詳しくは日本蛋白質科学会のホームページ(https://www.pssj.jp/)などが参考になります。
- (4) 抗体医薬品
- 抗体医薬品は、疾患関連分子に特異的に結合する抗体(タンパク質)を医薬品としたものです。バイオ医薬品(生物学的製剤)に分類されます。多くの場合、遺伝子組み換え技術によって人為的に作製された細胞を培養し、その後、発現させた抗体を高純度に精製して製品化されます。がん細胞などに対して高い特異性を示し、高い治療効果が得られます。抗体医薬品は、哺乳類動物細胞に抗体遺伝子を導入し、培養して抗体を細胞外に分泌させ、アフィニティーカラムに抗体だけを吸着させて洗浄し、カラムに酸性溶液を投入して抗体を溶出・回収することにより製造します。この酸性溶液の投入で変性した抗体は、中和操作によって天然構造に戻りますが、一部は凝集体になります。変性した抗体が凝集体を形成すると、患者さんの体内でアレルギー反応(副作用)を引き起こす可能性があることが指摘されています[2]。
- (5) (タンパク質の)凝集
- タンパク質分子同士がくっつく(分子間で会合する)ことです。その様式は様々ですが、変性したタンパク質が凝集すると元に戻らないことが多いことがわかっています[2]。
- (6) 劣化
- 天然構造が壊れることを物理劣化といい、加水分解など化学的に変化することを化学劣化といいます[2]。変性や変性を伴う凝集は物理劣化にあたります。抗体医薬品の物理劣化は好ましくないため、抗体医薬品の開発においては、候補となる抗体分子の物理劣化のしやすさが試験されています。
- (7) サイズ排除クロマトグラフィー小角X線散乱法
- サイズ排除クロマトグラフィー(SEC)法と小角X線散乱(SAXS)法を組み合わせた方法をいい、SEC-SAXS法とも呼ばれます。SECはタンパク質を分子量の違いによって分離する方法で、分子篩(ふるい)とも呼ばれます[2]。SAXS法はX線散乱の中でも小さな角度の散乱を観測する方法で、その散乱パターンから、タンパク質のサイズ(回転半径)や分子形状などを調べることができます。SAXS法は分子量の大きい凝集体がわずかでも混入すると正しい結果が得られない弱点があります。SEC法を組み合わせたSEC-SAXS法では凝集体の混入を防ぎながら、タンパク質の構造を解析することができます。
参考文献
[1] Vert et al., Pure Appl. Chem. 84, 377–410 (2012).
[2] 津本, 石井, 内山, 本田 編, 品質評価のカギをにぎるバイオ医薬品の分析法 知っておきたい基礎×一歩進んだ応用, じほう (2022).
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