2023-08-25 理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター 植物脂質研究チームの中村 友輝 チームリーダーらの研究チームは、植物細胞の小胞体[1]がストレスに応答してその機能を維持するために重要な因子の働きを明らかにしました。
本研究成果は、「小胞体ストレス[2]」を引き起こすことが知られる気温上昇や塩害などに対して、農作物の生産性を保つ技術の開発に重要な知見を提供するものと期待できます。
自由に動き回ることのできない植物は、過酷な環境にさらされた際に細胞の働きを維持するため、さまざまなストレス応答機能を持ち合わせています。例えば、小胞体にストレスがかかると、合成されたタンパク質が正しく折り畳まれないなどの異常が起こります。この小胞体ストレスに植物が応答する際の分子メカニズムには、まだ不明な点が多く残されています。
今回、研究チームは、モデル植物のシロイヌナズナ[3]に存在するSVBタンパク質ファミリー[4]に着目し、SVBとSVBLという構造が類似した二つのタンパク質が共同で小胞体ストレス応答に関わるという仮説を立てました。実際、これらのタンパク質を両方とも破壊した二重変異株を作出したところ、小胞体ストレスに対して野生株よりも脆弱になることが明らかになりました。特に、SVBは根で小胞体ストレスに応答し、気温上昇や塩害を土中から感知する際に重要な役割を果たしている可能性が示されました。
本研究は、科学雑誌『Journal of Experimental Botany』オンライン版(8月25日付:日本時間8月25日)に掲載されました。
背景
小胞体は植物細胞の中に存在する細胞小器官[5]の一つで、脂質やタンパク質を合成する重要な機能を持っています。脂質は、細胞内のエネルギー源として生物の生育に必要であるだけでなく、私たちの生活を支えるさまざまな産業で利用される重要な化合物です。実際、環境中の二酸化炭素を光合成により植物に取り込み、有用な脂質に変換する代謝改変技術は「バイオものづくり[6]」の一環として、低炭素社会の実現に貢献すると期待されています。
昨今の気候変動で問題となっている気温上昇や塩害は、細胞内で小胞体が正しく機能せず、折り畳みが不完全なタンパク質が小胞体内に蓄積する「小胞体ストレス」と呼ばれる状態を引き起こすことが知られています。従って、こうした気候変動の中で植物が小胞体の働きを維持する仕組み(小胞体ストレス応答)の解明は、環境変化に対して頑健なバイオものづくりを植物体内で持続的に行うために重要な課題であるといえます。しかし、小胞体ストレス応答が起こる仕組みの詳細にはまだ不明な点が多く残されています。
研究手法と成果
研究チームは、モデル植物のシロイヌナズナに存在するSVBタンパク質ファミリーに着目し、SVBとSVBLという構造が類似した二つのタンパク質が共同で小胞体ストレス応答に関わるという仮説を立てました。まず、ツニカマイシンという薬剤を用いて、シロイヌナズナに小胞体ストレスを起こす処理をしたところ、わずか数時間のうちにSVBとSVBLの合成が誘導され、特にSVBは根で著しく合成されることが分かりました(図1)。これは、SVBが気温上昇や塩害といったストレスを土中から感知する際に重要な役割を果たしている可能性を示しています。
図1 小胞体ストレス処理を施す前後のシロイヌナズナの根
ツニカマイシンで小胞体ストレスを起こす処理をした植物体の根では、SVBの蓄積(青色)が見られる。
また、SVBとSVBLの両方を破壊した二重変異株を作出し、野生株とともに小胞体ストレスを起こす処理をしました。すると、二重変異株は野生株よりも小胞体ストレス耐性が弱くなることが明らかになりました(図2)。
図2 野生株とSVB/SVBL二重変異株の小胞体ストレス処理の結果
シロイヌナズナ野生株に対し、二重変異株では小胞体ストレスに脆弱になった。
さらに、これらのタンパク質は、小胞体ストレス応答に重要な役割を果たすことが知られているNAC089という転写制御[7]に関わる因子に応答して合成されることも分かり、小胞体ストレス応答のシグナル伝達経路[8]において重要な働きをすることが明らかになりました。
今後の期待
本研究により、これまでに知られていた植物の小胞体ストレス応答にSVBとSVBLという二つの新たな因子が必要であることが初めて明らかになりました。
小胞体で主に合成される脂質は、植物の成長に重要であるばかりでなく、バイオディーゼル[9]をはじめとするさまざまな工業製品の原料として活用されています。脂質は、植物の光合成で二酸化炭素から作られる糖分に由来します。そのため本研究成果は、気候変動の中でも脂質を安定して植物体内に蓄積させる技術開発を通じて、低炭素社会の実現に向けて環境中の二酸化炭素を植物体内で有用な油に変換して活用するバイオものづくりに貢献すると期待できます。
本研究成果は、国際連合が2016年に定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[10]」のうち、「2.飢餓をゼロに」「3.すべての人に健康と福祉を」「13.気候変動に具体的な対策を」「15.陸の豊かさも守ろう」に貢献するものです。
補足説明
1.小胞体
細胞内で特定の役割を果たす構造(細胞小器官)の一つで、脂質やタンパク質の合成などを担う。細菌やラン藻などのDNAを包む膜を細胞内に持たない生物(原核生物)を除き、植物に限らずさまざまな生物の細胞に広く存在する。
2.小胞体ストレス
環境変化により小胞体にストレスがかかり、タンパク質の折り畳みが正しく行われなくなるなど、正常な機能を果たさなくなっている状態を指す。
3.シロイヌナズナ
アブラナ科の一年生植物。ゲノムサイズが小さいこと、世代が短いこと、栽培や遺伝子導入が容易であることなどから、種子植物のモデル生物として研究に用いられる。
4.SVBタンパク質ファミリー
SMALLER TRICHOMES WITH VARIABLE BRANCHES(SVB)と名付けられたタンパク質およびこのタンパク質と構造的に類似したタンパク質群の総称。SVBは最初、トリコーム(植物のあらゆる器官の表面に形成される毛状の突起物)を形作るために必要なタンパク質として発見されたが、のちに小胞体ストレスに関わることが明らかになった。その他の機能については不明点が多い。
5.細胞小器官
細胞の中で一定の形態や機能を持つ構造体の総称。例えば、光合成を行う葉緑体、エネルギーを生産するミトコンドリアなどはいずれも細胞小器官の一つである。
6.バイオものづくり
生物の持つ機能を活用し、必要に応じてその機能を改変することで、工業的に難しい物質生産を可能にする取り組み。従来の化学合成に比べて省エネで、環境に優しい。工学的技術によって生物の持つ潜在的な機能を引き出すことができ、さまざまな事業活動で注目されている。
7.転写制御
遺伝子DNAの配列の一部から、その配列を鋳型にしたRNAという核酸を合成する転写と呼ばれる過程を制御する仕組みのこと。RNAはさらに翻訳と呼ばれる過程を通してタンパク質の合成に使われるため、転写制御はタンパク質の合成に重要な役割を果たす。
8.シグナル伝達経路
生体内である種のシグナルが他のシグナルに変換され、連続して伝わる過程のこと。
9.バイオディーゼル
動植物などに由来する生物資源から作る燃料のうち、ディーゼルエンジン用の燃料に適したものをバイオディーゼルと呼ぶ。例えば油脂トリアシルグリセロールは、バイオディーゼルの原料である脂肪酸メチルエステルを豊富に含む。
10.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。SDGsはSustainable Development Goalsの略。
研究チーム
理化学研究所 環境資源科学研究センター 植物脂質研究チーム
チームリーダー 中村 友輝(ナカムラ・ユウキ)
(東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 教授)
訪問研究員(研究当時)游 詔淵(Chao-Yuan Yu)
研究支援
本研究は、台湾国家科学及技術委員会海外ポストドクター支援事業 (Postdoctoral Research Abroad Program, National Science and Technology Council, Taiwan) (受領者:游詔淵)による助成を受けて行われました。
原論文情報
Chao-Yuan Yu and Yuki Nakamura, “SMALLER TRICHOMES WITH VARIABLE BRANCHES (SVB) and its homolog SVBL act downstream of transcription factor NAC089 and function redundantly in Arabidopsis unfolded protein response.”, ChemBioChem, 10.1093/jxb/erad296
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 植物脂質研究チーム
チームリーダー 中村 友輝(ナカムラ・ユウキ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当