2023-11-13 基礎生物学研究所,東京工業大学
約4億7千年前、淡水域から陸地に進出した植物は、乾燥、細菌感染、強い光など、陸上環境の厳しい条件に直面しました。これらの過酷な環境下で植物は、主にワックスやクチンからできているクチクラ(注1)と呼ばれる疎水性の膜を発達させてきました。このクチクラは、植物の表面を覆い、体内部の水分の蒸発を抑制し、強い太陽光や細菌感染などから体を守る役割を果たしてきました(図1)。一方、植物のクチクラは、伸び縮みにより一定以上の力がかかると破損するため、組織や器官の成長を制限する一因ともなります。昆虫にも、主にキチンからできている硬いクチクラが存在し、体の表面を守っていますが、脱皮により最外にあるクチクラを脱ぎ捨て成長することができます。植物は脱皮することができないため、クチクラで覆われた組織や器官がどのように成長するのか、その仕組みはよく分かっていませんでした。
基礎生物学研究所のLiechi Zhang特任専門員、長谷部光泰 教授、石川雅樹 助教らと、東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の佐々木(関本)結子 博士(研究当時)、下嶋美恵 准教授、太田啓之 名誉教授らによる共同研究チームは、コケ植物であるヒメツリガネゴケの葉に着目しました。ヒメツリガネゴケの葉は、ほぼ一層の細胞から作られており、成長に伴い、内側から外側に向かって展開します。そこで、成長中の葉を詳細に調べたところ、葉の表側に新たにクチクラを作り出すことで葉の表側を伸長させ、結果として葉が内側から外側へ向くように成長させるという新たな仕組みを発見しました。研究チームはさらに分子レベルで解明を試み、成長中の葉に存在するPpABCB14と名付けたタンパク質が、細胞の表面にクチクラの材料を送り出すことで、その場所で新しいクチクラを作り出し、葉細胞の表側を伸ばすというメカニズムを明らかにしました。
植物の葉は、光合成によりエネルギーを生産するための主要な器官です。本研究で発見したクチクラによる細胞を曲げる仕組みは、光合成の効率を向上させるとともに、葉が展開する際に太陽光の影響を受けても水分の損失を抑える陸上環境への適応メカニズムの一つと考えられます。
本研究成果は2023年10月22日に、New Phytologist誌のオンライン版に掲載されました。
ポイント
- クチクラは、植物の表面に光沢を与えている疎水性の膜で、陸上植物の表面に形成されて、風雨、乾燥、病原菌などの陸上環境の様々なストレスから体を守っています。また植物のクチクラを構成する分子は、組織や器官の成長に伴って細胞外に供給される必要がありますが、そのしくみは詳しくわかっていませんでした。
- 本研究では、コケ植物ヒメツリガネゴケの葉の展開に着目し、PpABCB14タンパク質の働きにより葉の表側に新しいクチクラを作り出し、葉の表側を伸長させることで外側へと展開させるという仕組みを発見しました。
- この仕組みは、葉を展開させることで光合成効率を向上させるとともに、陸上の乾燥した環境で体から水分が損出するのを防ぐ役割も持つ、陸上環境に適応したメカニズムの一つと考えられます。
図1 植物のクチクラには、太陽光や細菌などから植物の体を守る働きがある。
【研究の背景】
植物が陸上に進出するときに克服しなければいけない問題として乾燥があります。陸上に進出した植物は、露出した細胞表面にワックスやクチンなど物質を分泌して疎水性のクチクラの膜を作り、体表からの水分蒸散を防いできました。このクチクラの発達により陸上植物は、乾燥だけでなく、強い太陽光や細菌などの様々なストレスから体を守ることができるようになりました。同時にクチクラは、伸び縮み等により一定以上の力がかかると破損してしまう性質があるため、細胞の成長を機械的に制限してしまいます。植物の体作りには、それぞれの細胞の分裂方向に加えて、各細胞が方向性を持った成長を示し、組織や器官に応じた細胞の形を作り出す必要があります。そのため、細胞が方向性を持って成長するためには、成長する場所にクチクラの材料を供給してクチクラが破損しないように広げる必要があります。しかしながら、細胞の特定の場所にクチクラの材料を送り込む因子は見つかっていませんでした。
【研究の成果】
コケ植物の一つヒメツリガネゴケは、陸上進出後の最も早い時期に他の植物から別れて独自に進化しました。ヒメツリガネゴケの葉は、先端にある茎頂から作られ、ほぼ単層の細胞からできています。若い葉は、茎頂を覆い隠すように内側に向いていますが、成長とともに、内側から外側に向かって展開し、数十枚の葉をつけます(図2)。Zhang特任専門員は、偶然にも、物質輸送に働いているATP結合型トランスポーター(注2)の一つであるPpABCB14遺伝子を壊してPpABCB14タンパク質が作られないようにしたヒメツリガネゴケでは、葉の形が異常になることを発見しました(図2)。そこでZhang特任専門員は、PpABCB14タンパク質が葉細胞のどこに存在するのかを調べたところ、葉細胞の表側に多く存在し、PpABCB14タンパク質量と葉細胞の伸長スピードに関連があることに気づきました(図3)。このことから、PpABCB14が細胞伸長を促進させる働きがあることが予想されたので、PpABCB14遺伝子を壊したヒメツリガネゴケをさらに詳しく調べました。その結果、葉の形が異常になるだけでなく、葉が内側から外側へと展開できなくなることが分かりました(図3)。さらに、電子顕微鏡でPpABCB14遺伝子を壊したヒメツリガネゴケの葉細胞を観察してみると、本来あるべき細胞表面上にクチクラが無くなったり薄くなったりしていました(図4)。逆に、PpABCB14タンパク質を葉細胞内にたくさん作らせると、クチクラが厚くなるとともに、葉細胞の形を変えることが分かりました。これらの結果から、PpABCB14タンパク質がクチクラ形成を進めて、その場所を拡大させる働きがあることが考えられました。
クチクラはワックス(炭化水素)とクチン(ポリエステル)を主成分としています。これらは、脂肪酸から派生した分子が細胞壁の外側に運び出されて形成されます。そこで、PpABCB14遺伝子を壊したヒメツリガネゴケでは、このような分子の量がどのように変化しているのかを、質量分析装置と呼ばれる機器を使用して調べました。その結果、PpABCB14遺伝子を壊したヒメツリガネゴケでは、ワックスやクチンを構成する主要な分子をはじめとして、全体的に量が減少していることが分かりました。これらの研究結果と、PpABCB14タンパク質が物質を輸送させるATP結合型トランスポーターということを考慮すると、葉細胞の表側に存在するPpABCB14タンパク質が、細胞内で作られたクチクラの材料である様々なワックスやクチンを細胞表面上へと送り出してクチクラ形成を促進し、葉の表側だけを伸長させることで、葉を内側から外側へと展開させるという仕組みが考えられました(図5)。
植物の葉は、光合成によりエネルギーを生産するための主要な器官なので、葉をどのように伸長させ展開させるのかは、植物の成長と繁殖に影響を与えます。そのため、本研究で発見したクチクラによる細胞の形を変える仕組みにより、効率的な光合成を可能にします。同時に、強い太陽光を浴びても、クチクラのおかげで水分損失を抑えることができるようになります。従って、このような仕組みは、植物の陸上進出を可能にした原動力の一つであると考えられます。
図2 正常なヒメツリガネゴケとPpABCB14遺伝子を壊したヒメツリガネゴケの茎葉体と、下から順に並べた葉。一番右側の写真は、蛍光試薬で細胞壁を染色したときの若い葉の蛍光像。蛍光試薬により、細胞の形が見えるようになっている。
図3 若い葉の成長に伴うPpABCB14タンパク質の変化。
白く見えるのがPpABC14タンパク質。葉細胞の表側にPpABCB14タンパク質が増加すると、その領域が成長する。その結果、葉細胞の表側が伸びて、外側に展開する。オレンジ色の矢印は葉の成長方向を示している。一方、PpABCB14遺伝子を壊したヒメツリガネゴケでは、葉が外側へと展開せず、内側に丸まりキャベツのような形状になる。
図4 ヒメツリガネゴケの葉細胞の電子顕微鏡写真
正常の葉細胞では、細胞表面にクチクラが存在するが、PpABCB14遺伝子が壊れた葉細胞ではクチクラが無くなっている。
図5 PpABCB14タンパク質を介したクチクラ形成による細胞の形を変える仕組み
【今後の展望】
PpABCB14遺伝子は、ヒメツリガネゴケだけでなく、シロイヌナズナや様々な農作物にも存在しています。しかし、シロイヌナズナのABCB14は、クチクラの材料を運び出すのではなく、リンゴ酸や植物ホルモンを輸送することで、体作りに貢献しています。一方、シロイヌナズナでは、クチクラの材料は別のタイプのABC結合型トランスポーターによって輸送されます。そのため、さまざまな植物でABCB14を含むATP結合型トランスポーターの役割を解明することで、植物の体作りの進化や陸上環境への適応メカニズムの理解が進むでしょう。また、細胞の表面にクチクラの材料を送り出すことで新しいクチクラを作り出し、その領域を広げるという仕組みは、これまで知られていませんでした。そのため、PpABCB14タンパク質がどのような物質を細胞内から細胞外へと輸送し、さらには、PpABCB14によって形成されたクチクラが、どのように細胞成長を促進するのか、その仕組みを分子レベルで明らかにすることで、農作物の果実の大きさや皮の厚さを変えるといった品種改良につながる可能性が期待されます。
【語句説明】
注1:クチクラ
陸上植物の表面を覆い、葉から水分の蒸発を防ぎ、細菌や強光などの陸上環境の様々なストレスから体を守る働きがあります。その主要な成分としてワックスとクチンが挙げられますが、それらを構成する分子の種類は植物間で異なっています。
注2:ATP結合型トランスポーター
細菌から植物、さらには人間に至る生物に広く存在する細胞膜に局在するタンパク質です。ATPをエネルギー源として様々な物質を細胞内あるいは細胞外に輸送させる働きがあります。
【論文情報】
掲載誌名:New Phytologist
掲載日:2023年10月22日
論文タイトル:An ABCB transporter regulates anisotropic cell expansion via cuticle deposition in the moss Physcomitrium patens
著者:Liechi Zhang, Yuko Sasaki-Sekimoto, Ken Kosetsu, Tsuyoshi Aoyama, Takashi Murata, Yukiko Kabeya, Yoshikatsu Sato, Shizuka Koshimizu, Mie Shimojima, Hiroyuki Ohta, Mitsuyasu Hasebe, and Masaki Ishikawa
DOI:http://doi.org/10.1111/nph.19337
【研究サポート】
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(S)、文部科学省 科学研究費助成事業 新学術領域研究「植物の生命力を支える多能性幹細胞の基盤原理」「細胞システムの自律周期とその変調が駆動する植物の発生」などの支援を受けて行われました。
【本研究に関するお問い合わせ先】
基礎生物学研究所 生物進化研究部門
助教 石川 雅樹(いしかわ まさき)
教授 長谷部 光泰(はせべ みつやす)
東京工業大学 生命理工学院
准教授 下嶋 美恵(しもじま みえ)
【報道担当】
基礎生物学研究所 広報室
東京工業大学 総務部 広報課