小さな海馬CA2領域が記憶の固定に果たす大きな役割~記憶情報の精度を調節する~

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2021-10-11 理化学研究所

理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター神経回路・行動生理学研究チームのガ・コウシンリサーチアソシエイト、トーマス・マックヒューチームリーダーらの共同研究チームは、マウスを用いて、記憶の保存や想起に関わるとされる海馬の神経活動の「再生(リプレイ)[1]」の精度に、海馬CA2領域[2]の活動が重要な役割を果たすことを発見しました。

本研究成果は、記憶の神経メカニズムの解明に貢献すると期待できます。

今回、共同研究チームは化学遺伝学的手法[3]を用いて、マウス脳内の海馬CA2領域の神経細胞の活動を抑制し、海馬の各領域への影響を調べました。その結果、CA2領域が不活性化されたマウスでは、海馬のリップル波[4]と呼ばれる高周波の脳波に同期した海馬CA1領域の神経細胞のリプレイの時間的精度および情報の精度が減少していることが分かりました。これにより、CA2領域の活動が海馬の局所回路全体の働きを調整することで、体験に基づく海馬のリプレイが正確に起こることが明らかになりました。

本研究は、科学雑誌『Neuron』オンライン版(9月22日付)に掲載されました。

海馬局所回路におけるCA2不活性化の影響の図

海馬局所回路におけるCA2不活性化の影響

背景

脳の海馬は、空間記憶や「いつどこで何が起こった」といったエピソード記憶の保存や想起に関与しています。マウスが空間を探索するとき、空間の場所に応じて異なる海馬の神経細胞が順番に活動します。その後、マウスが休息しているときに、探索の体験に基づいた海馬の神経細胞の活動が時間的に圧縮された形で「再生(リプレイ)」され、それが記憶として保存されると考えられています。

この海馬のリプレイは、約100ヘルツ(Hz)の高周波の脳波である「リップル波」と同期して起こりますが、どのようなメカニズムで海馬の神経活動が正確にリプレイされるのかはまだ分かっていません。特に、海馬はCA1、CA2、CA3、歯状回といった領域に分かれており、各領域が相互に結合して局所回路を形成しています。リプレイはCA1で行われますが、どのように各領域が相互作用して、リップル波に同期したリプレイが正確に起こるのかよく分かっていませんでした。

そこで、共同研究チームは海馬局所回路の中でCA2に着目し、CA2の神経活動を抑制すると、リップル波とCA1神経細胞のリプレイがどのような影響を受けるのか調べました。

研究手法と成果

まず、共同研究チームは化学遺伝学DREADD法[5]を用いて、マウス脳の海馬CA2の神経細胞の活動を抑制し、その影響を調べました。DREADD法では、DREADD受容体をマウス脳内の目的の神経細胞に発現させておき(DREADDマウス)、リガンドのクロザピンNオキシド(CNO)を投与すると、素早く標的の神経細胞の活動を抑制できます。

実験では、海馬CA2にDREADD受容体と赤色蛍光タンパク質mCherry[6]を発現するDREADDマウスと、赤色蛍光タンパク質mCherryだけを発現する対照群マウスを用いました。2匹のマウスの海馬の神経活動記録をCNO投与前の休息中(プレCNO期)から取り始め、直線トラック1(LT1)を探索させた後にCNOを投与し、今度は直線トラック2(LT2)を探索させた後休息する(ポストCNO期)まで記録しました。その結果、プレCNO期とポストCNO期を比較すると、DREADDマウスでは海馬CA2の活動が減少したのに対し、CA1やCA3の活動には変化がありませんでした。これにより、DREADDマウスではCNOの投与に伴い、期待通りに海馬CA2特異的に神経活動が抑制されていることを確認しました。

次に、CA2の神経活動の抑制が海馬の各領域におけるリップル波の性質や発生にどのような影響を与えるかを調べるため、最初の休息時のプレCNO期と最後の休息時のポストCNO期とで、海馬各領域におけるリップル波の四つの要素(帯域パワー・周波数・発生時間の長さ・発生頻度)の差分を取り、対照群マウスとDREADDマウスで比較しました(図1)。するとCA1では、リップル波の周波数、発生時間の長さや発生頻度の差分は両者で違いは見られなかったのに対し、帯域パワー[7]の差分がDREADDマウスでは増加していました。CA3では、帯域パワー、周波数、発生時間の長さの差分は両者で違いは見られませんでしたが、発生頻度の差分がDREADDマウスでは減少していました。

CA2神経活動抑制によるリップル波への影響の図

図1 CA2神経活動抑制によるリップル波への影響

対照マウス(青)とDREADDマウス(赤)のCA1、CA2、CA3領域において、CA2神経活動の抑制によるリップル波の帯域パワー、周波数、発生時間の長さ、発生頻度への影響をプレCNO期とポストCNO期の差分(Δ)で比較した。DREADDマウスのCA1では帯域パワーが増加し、CA3では発生頻度が減少した。なお、CA2では帯域パワー、周波数、発生頻度が減少、発生時間の長さが増加した。


また、対照群マウスでは、海馬の鋭波[4]リップル(約1Hz程度の大きな振幅を持つ脳波)のピーク近くに、CA1、CA3のリップル波のピークのタイミングがそれぞれそろい、逆にCA2のリップル波は鋭波リップルのピークの少し前にピークが現れた後に抑制されました(図2左)。これに対し、DREADDマウスでは海馬の鋭波リップルのピークのタイミングに対してCA1、CA3のリップル波のピークのタイミングはそろっていましたが、ピーク近辺の神経細胞の活動頻度は有意に減少していました。また、CA2のリップル波のピークはCNO投与後に観察できませんでした(図2右)。

CA2抑制によるリップルへの影響の図

図2 CA2抑制によるリップルへの影響

(左)対照群マウスでは、海馬の各領域のリップル波のピークの海馬鋭波リップル(縦黒破線)に対するタイミングは、CA1、CA3は非常に近接しているのに対し、CA2は海馬鋭波より少し前にあり、その後抑制されている。

(右)DREADDマウスでは、CA1、CA3のリップル波のピークは海馬鋭波リップルにそろってはいるが、活動頻度は有意に減少している。またCA2のピークは消失している。


さらに、海馬各領域内の個々の神経細胞の活動パターンを調べたところ、対照群マウスでは直線トラック(LT1+LT2)を探索する体験前と比較して、体験後では細胞同士の活動の相関が高まり、一定の構造ができたのに対し、DREADDマウスでは直線トラックを探索する体験に依存した細胞同士の活動の相関の増加は見られず、活動パターン構造は消失していました。このことから、CA2の神経活動の抑制により、CA1、CA3での体験に依存したリップル波に同期した神経活動の調節が阻害されたことが分かりました。

最後に、リプレイされた神経活動の情報の質について調べました。CNO投与前に探索したLT1の位置情報とCNO投与後のLT2の位置情報のリプレイを、対照群マウスとDREADDマウスで比較しました。その結果、対照群マウスではLT1とLT2の位置情報をリプレイする神経細胞の活動に相関はほとんど見られませんでしたが、DREADDマウスでは、LT1とLT2の位置情報をリプレイする神経細胞の中に活動が相関するものが観察されました(図3)。これは、CA2の神経活動が抑制されたDREADDマウスでは、LT1とLT2の位置情報を区別できず情報が混在してしまい、それぞれの情報の正確さが失われていることを示しています。

CA2抑制による二つの体験情報の混在の図

図3 CA2抑制による二つの体験情報の混在

縦軸はLT1における体験に対応する神経細胞の活動、横軸はLT2における体験に対応する神経細胞の活動を示す。数字は細胞のIDナンバー。LT1細胞とLT2細胞との間での神経活動の相関を示している。左の対照群マウスでは、LT1細胞群の活動とLT2細胞群の活動には相関関係がほとんど見られないが、右のDREADDマウスでは、強い相関を示す細胞が見られる。これはDREADDマウスの海馬ではLT1の体験に対応する情報とLT2の体験に対応する情報に一部重複が見られ、二つの情報が混在していることを示す。


以上の結果から、CA2の神経活動の抑制は、CA1の神経細胞のリプレイにおけるタイミングやリプレイされる情報の正確さを減少させることが分かりました(図4)。

CA2神経活動は海馬のリプレイの正確性に関与の図

図4 CA2神経活動は海馬のリプレイの正確性に関与

(左)対照群マウスでは、リップル波に同期して起こる体験に基づくCA1神経活動のリプレイが正確に行われているが、DREADDマウスではCA1神経活動のリプレイは不正確である。

(右)対照群マウスでは、リップル波の外ではリプレイが起こらず、内でリプレイが起こるようにタイミングが制御され、また体験ごと(LT1、LT2)に情報が混ざらずに正確な情報がリプレイされている。それに対し、DREADDマウスでは、リップル波の外でもリプレイが起きてしまったり、異なる体験の情報が混じってしまったり(LT1&LT2)して、リプレイの正確性が減少している。

今後の期待

本研究により、海馬CA2の活動が海馬局所回路内を調節することで、鋭波リップルに同期した正確なタイミングと情報がリプレイされることが示されました。海馬におけるリプレイは、記憶の固定や想起に重要な役割を果たしていると考えられています。今後さらに海馬局所回路の作動原理の解明が進むことで、記憶の保存や想起のメカニズムが明らかになると期待できます。

補足説明

1.再生(リプレイ)
動物が休息中に、それ以前に体験した際に活動した海馬のCA1領域の神経細胞の活動を時間的に圧縮して繰り返し再活性する現象。

2.海馬CA2領域
海馬のCA1とCA3の間にある比較的狭い領域。海馬歯状回から入力を受け、CA1領域の深層に出力することが示されている。近年、社会的新規性の伝達などを担うことが明らかになってきている。

3.化学遺伝学的手法
遺伝子工学を用いて、特定の化学物質に反応するタンパク質を標的の細胞に発現させ、化学物質を投与すると、化学・生物反応により細胞の活性などを制御できる実験手法。

4.リップル波、鋭波
リップル波はSharp wave ripple(SWP)とも呼ばれる。海馬で見られる150~250Hzの高周波の脳波で、鋭波(sharp wave)と呼ばれる1Hz程度の大きな振幅を持つ脳波に幾重にも重なって発生する。

5.DREADD法
生理学的に不活性な合成リガンドと人工的に手を加えられた遺伝子改変Gタンパク質共役レセプターを用いる手法で、リガンドはレセプターに鍵と鍵穴のように結合するため、この手法を用いると生体内の情報伝達系の影響を排除しながらシグナル伝達ができる。DREADDは、Designer Receptors Exclusively Activated by Designer Drugsの略。

6.mCherry
サンゴ(Discosoma sp.)に由来する赤色蛍光タンパク質DsRedを改変した赤色蛍光タンパク質。安定で退色しにくい。

7.帯域パワー
ある周波数帯における波の強さを示す指標。

共同研究チーム

理化学研究所 脳神経科学研究センター 神経回路・行動生理学研究チーム
チームリーダー トーマス・マックヒュー(Thomas J.McHugh)
リサーチアソシエイト ガ・コウシン(He Hongshen)
テクニカルスタッフⅠ(研究当時) ロマン・べーリンジャ―(RomanBoehringer)
テクニカルスタッフⅠ アーサー・ジーイェン・ファン(Arthur J.Y.Huang)
研究パートタイマーⅠ 辻井 エリック(Eric T.N.Overton)
テクニカルスタッフⅠ デニス・ポリガロフ(Denis Polygalov)

東京大学大学院 総合文化研究科広域科学専攻 認知行動科学大講座
教授 岡ノ谷 一夫(おかのや かずお)

研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)特別研究員(D2)、同科学研究費補助金基盤研究(S)「Elucidating the Dynamics of Memory(研究代表者:Thomas J. McHugh)」同新学術領域研究(研究領域提案型)「Multiscale analyses of dynamic states in the schizophrenic brain(研究代表者:Thomas J. McHugh)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

Hongshen He, Roman Boehringer, Arthur J.Y. Huang, Eric T.N. Overton, Denis Polygalov, Kazuo Okanoya, Thomas J. McHugh, “CA2 inhibition reduces the precision of hippocampal assembly reactivation”, Neuron, 10.1016/j.neuron.2021.08.034

発表者

理化学研究所
脳神経科学研究センター 神経回路・行動生理学研究チーム
チームリーダー トーマス・マックヒュー(Thomas J. McHugh)
リサーチアソシエイト ガ・コウシン(He Hongshen)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

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