2024-01-15 理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター 環境応答研究ユニット(研究当時)のリョン・シン(Ryoung Shin)ユニットリーダー(研究当時)、ウェン・ディー・オン(Wen Dee, Ong)特別研究員(研究当時、現 合成ゲノミクス研究グループ 特別研究員)、宮崎 崇枝 テクニカルスタッフ(研究当時)、合成ゲノミクス研究グループの松井 南 グループディレクター、蒔田 由布子 上級研究員(研究当時、現 客員研究員)は、シロイヌナズナを用いて、植物のセシウム[1]に対する耐性と成長を制御する重要な情報伝達経路を突き止めました。また、生命情報学と変異体解析を組み合わせ、アブシジン酸(ABA)情報伝達経路[2]に関わる特定因子の不活性化によりセシウム存在下での根の成長が促進されることを明らかにしました。
セシウムは、主にカリウムチャネル[3]を通して取り込まれます。カリウムは植物の健康維持に不可欠です。従って、カリウムチャネルを改変すると、植物体内のカリウム濃度が変化し、間接的に成長に影響を与える可能性があると考えられてきました。一方、本研究では、セシウム存在下ではABA情報伝達経路に関わる遺伝子の発現が特異的に変動し、ABA情報伝達経路の負の制御因子を欠損した、つまりABAに対する応答を促進した植物ではセシウムストレス耐性が向上することを明らかにしました。今後、ABA情報伝達経路を調整することで、カリウムの取り込みを損なうことなく、有毒化合物ストレスに対する耐性を高められる可能性があります。
本成果により、土壌の有毒化合物汚染がもたらす困難な条件下でも生育できる植物を開発し、より柔軟性の高い農業を実現することが期待されます。
本研究は、科学雑誌『Planta Journal』オンライン版(1月15日付:日本時間1月15日)に掲載されました。
低カリウムおよびセシウムストレス下におけるシロイヌナズナの生育の特徴
背景
植物は環境に対する感受性を持ち、特定の生育条件に適応するための細かい調整能力を持っています。ある条件に対応する特定の情報伝達経路が、ストレス耐性、成長、発育機能に重要な役割を果たしています。
2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故で放射性セシウムが環境中に放出されてから、植物のセシウムに対する反応を解明する努力が進められてきました。セシウムは主にカリウムチャネルを通して取り込まれることから、セシウムが土壌に存在すると植物のカリウムの取り込みが阻害され、成長が抑制されると考えられてきました。セシウムの取り込みを阻害するためにカリウムチャネルを改変すると、植物の必須栄養素であるカリウムの取り込みも同時に阻害されることになり、成長に影響を与えると考えられます。しかし、セシウム存在下で栽培された植物は、カリウム欠乏下の植物に比べて生育が悪化することが知られています。この成長の様子の違いは、セシウム蓄積に特有の重要な情報伝達経路の存在を示唆していました。
トランスクリプトーム・プロファイリング[4]は、遺伝子から転写されるRNAの解析によって、植物体内の現象を調べる手法として注目されています。イネや茶のトランスクリプトーム解析から、カリウム欠乏への適応には植物ホルモン(オーキシン、ジャスモン酸、エチレン)の合成経路や、カリウムチャネル以外のさまざまなトランスポーター[3]やチャネルが関与することが明らかになりました。カリウムの取り込みとセシウムの蓄積を対象としたカラシナとソラマメのトランスクリプトーム比較解析でも、カリウムチャネルとトランスポーター関連タンパク質の関与が結論付けられています。ただ、セシウム蓄積に関わる情報伝達経路は明らかになっていませんでした。
そこで本研究では、低カリウム下とセシウムストレス下における植物の生育や遺伝子発現を比較し、トランスクリプトーム・プロファイリングを行いました。さらに、本解析によってセシウム蓄積における重要性が明らかになったABA情報伝達経路について、その阻害因子を欠損した植物を用いてセシウムストレス耐性を解析しました。
研究手法と成果
まず、カリウム欠乏下とセシウムストレス下での植物の生育を比較しました。十分なカリウムを供給した培地(対照;0.5mM(mmol/L)塩化カリウム)で生育させたシロイヌナズナは、シュート(茎とそれに付いている葉)が緑色で健全であり、主根および側根がよく発達していました。一方、カリウム欠乏(低カリウム;0.025mM塩化カリウム)の条件下では、対照に比べてシュートおよび根の生重量が減少しました(図1)。セシウムストレス(0.5mM塩化カリウムおよび0.3mM塩化セシウム)下では、8日齢のシロイヌナズナの成長度合いにばらつきがありました。対照と同程度のもの、低カリウム下と同程度のもの、そして、白化しシュートの成長が阻害されたものの三つに分かれ、その比率は1:1:4.5でした(図1)。しかし、シュートの成長が阻害された植物においても、根の成長は、低カリウム下での植物と類似しており、主根の長さや根の生重量には有意差はありませんでした。
図1 低カリウムおよびセシウムストレス下におけるシロイヌナズナの生育の特徴
生重量の平均は、1回の実験当たり8日齢のシロイヌナズナ60本から算出し、3回繰り返した。
次に、低カリウム下とセシウムストレス下における植物の遺伝子発現を比較するため、それぞれの条件下のトランスクリプトーム解析を行いました。セシウムとカリウムの取り込みは主に根の組織を通して行われることと、根の生重量と主根の長さが二つの条件下で同程度であることから発現の類似が予測され、差異が見いだしやすいと考え、解析においては根の組織を対象にしました。
低カリウム下と対照の遺伝子発現を比較したところ、有意な発現変化を示した1,907個の遺伝子が同定され、その約半数は対照よりも発現が低下していました(図2a)。セシウムストレス下では、対照と比べて有意な発現変化を示した1,690個の遺伝子のうち、約3分の2が低発現を示しました(図2a)。また、これらの条件下で発現が変動した遺伝子のうち、両方の条件で重複していたのは一部のみでした(図2b)。この結果は、セシウムによる成長阻害は、単にカリウムの低取り込みによるものだけでなく、他の分子メカニズムが働いていることを示唆しています。
図2 低カリウムとセシウムストレス下でのトランスクリプトーム解析結果
発現量が対照に対して2倍または1/2倍を超える変化を示し、かつ、有意水準としてp値が0.05未満の遺伝子は、発現変動遺伝子とみなした。
次に、各条件において発現が変動した遺伝子を、どの代謝、情報伝達経路に関与しているかに基づいて分類し、それぞれの代謝、情報伝達経路の相互作用の予測マップ(インタラクティブマップ)を作成しました(図3)。インタラクティブマップから、セシウムストレス下ではABA代謝、情報伝達経路に関連する遺伝子の発現が変動し、他の代謝、情報伝達経路と独立したクラスターが形成される一方、低カリウム下ではそのような応答は起こらないことが分かりました。
図3 低カリウムまたはセシウムストレス下での代謝経路の相互作用
低カリウムまたはセシウムストレス下において発現が変動した遺伝子を、関連する代謝、情報伝達経路に基づき分類し、さらにそれぞれの代謝、情報経路の相互作用を示した。図形の大きさは関与する遺伝子の数を表す。セシウムストレス下では、植物ホルモンの情報伝達経路、中でもABA情報伝達経路、MAPK(細胞内シグナルシステムの一つ)経路の独立したクラスター化が誘導された(赤・緑)。
ABAは、土壌の悪化や水・日照不足などのストレスに適応するために重要な植物ホルモンだと考えられています。そこで、遺伝子改変により、ABA情報伝達経路のネガティブレギュレーター(負の制御因子)である「Highly Abscisic Acid Induced Protein 3 (HAI3)[5]」をコードしたHAI3遺伝子とそれに関わる遺伝子(AHG1遺伝子、MPK3遺伝子)のいずれかまたは二つを欠損した、つまりABAに対する応答を促進した変異体を作成し、各条件下での生育を野生型と比較した結果、セシウムストレス下ではこのHAI3遺伝子を欠損した個体の方が野生型より根の成長が増大することが分かりました。しかし、低カリウム条件下では根の成長に有意な変化は認められませんでした(図4)。この結果から、セシウムストレス耐性にはABA情報伝達経路が関与していることが分かります。また、セシウムストレス下での成長制御に不可欠な遺伝子を突き止めたことになります。
図4 低カリウムまたはセシウムストレス下におけるABA応答調節因子の変異体の根の成長
根の長さの平均が、同条件の野生型の根の長さより有意に増加している場合にaのラベル、根の長さの平均が、同条件の野生型の根の長さより有意に減少している場合にbのラベルをした。HAI3遺伝子の機能欠損を含む変異体の根の長さは、セシウム条件でのみ同条件の野生型の長さより有意に増加した。
今後の期待
近代化が地球の汚染につながっていることは疑いの余地がありません。セシウムに限らず、反応性の高い有毒化合物の消費は、エネルギー生成や物質生産の増加により、時間の経過とともに増大すると予想されます。これらの汚染物質が環境中に流出されることは、植物の生存に多大な影響を及ぼすことになります。
植物にとってカリウムは不可欠な栄養素であるため、カリウムチャネルを介したセシウムの取り込みを阻害することは現実的な解決策ではありません。従って、植物が有毒化合物ストレスを克服するのに効果がある他の情報伝達経路を改変することが、より可能性のある選択肢になります。本研究は、セシウムストレス耐性の向上にはABA情報伝達経路が鍵であることを発見しました。ABA情報伝達経路に関わる遺伝子の発現を変化させることで、有毒化合物ストレスに対する作物の耐性を高めることが期待されます。
本研究成果は、国際連合が定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[6]」のうち、「2.飢餓をゼロに」「3.すべての人に健康と福祉を」「15.陸の豊かさも守ろう」に貢献するものです。
補足説明
1.セシウム
自然環境中に微量に存在する有毒な化学元素で、原子炉から発生する廃棄物である。
2.アブシジン酸(ABA)情報伝達経路
植物体内でABAの存在を検知し、シグナルを伝える経路。ABAは植物ホルモンの一種で、植物の成長、発育、ストレス応答など、さまざまなステージを制御する。ABAはabscisic acidの略。
3.チャネル、トランスポーター
細胞膜に存在するタンパク質で、どちらも細胞内外への物質の移動を制御する役割を持つ。チャネルは細胞膜を貫通しており、常時物質が移動している。トランスポーターは特定の物質と結合することによって開閉し、物質を移動させる。
4.トランスクリプトーム・プロファイリング
共に発現が変動する遺伝子を同定するために、転写(RNA)レベルでの遺伝子発現を定量化する研究の一種。
5.Highly Abscisic Acid Induced Protein 3(HAI3)
2C型プロテインホスファターゼ(PP2C)の一つ。PP2Cは、ABA受容体との相互作用を通して、ABA情報伝達経路の負の制御因子として働く。PP2Cは、さまざまな環境ストレス応答や発生過程に関与している。
6.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された、2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。SDGsはSustainable Development Goalsの略。
研究支援
本研究は、理化学研究所環境資源科学研究センター研究基金(研究代表者:リョン・シン)による助成を受けて行われました。
原論文情報
Wen-Dee Ong, Yuko Makita, Takae Miyazaki, Minami Matsui, Ryoung Shin, “Arabidopsis transcriptomic analysis reveals cesium inhibition of root growth involves abscisic acid signaling”, Planta Journal, 10.1007/s00425-023-04304-y
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 環境応答研究ユニット(研究当時)
ユニットリーダー(研究当時)リョン・シン(Ryoung Shin)
特別研究員(研究当時)ウェン・ディー・オン(Wen Dee, Ong)
(現 合成ゲノミクス研究グループ 特別研究員)
テクニカルスタッフ(研究当時)宮崎 崇枝(ミヤザキ・タカエ)
合成ゲノミクス研究グループ
グループディレクター 松井 南(マツイ・ミナミ)
上級研究員(研究当時)蒔田 由布子(マキタ・ユウコ)
(現 客員研究員)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当