2024-01-16 理化学研究所,佐竹マルチミクス株式会社
理化学研究所(理研)開拓研究本部 鈴木糖鎖代謝生化学研究室の植木 雅志 専任研究員、佐竹マルチミクス株式会社 撹拌技術研究所の加藤 好一 所長らの共同研究チームは、上下動撹拌[1]による動物細胞培養装置(VMFリアクター)を用いて、2L規模の培養でヒトiPS細胞(多能性幹細胞)を100億個培養する方法を開発しました。
本研究成果は、十分な量の目的細胞を生産する技術が欠かせない多能性幹細胞由来の疾患治療に向けた再生医療分野に貢献すると期待されます。
共同研究チームでは、上下動撹拌方式を備えた動物細胞培養装置を用いて、ヒトiPS細胞で未分化の状態を維持しながら大量培養する技術開発を行いました。撹拌速度や培地の種類、細胞の種類など、さまざまな培養条件を検討した結果、2Lの培養規模から約100億(1010)個の細胞を得ることができました。
本研究は、科学雑誌『Journal of Bioscience and Bioengineering』オンライン版(1月6日付)に掲載されました。
背景
動物細胞の大量培養には、一般的に回転動撹拌翼を内部に備えた培養槽が使われます。回転動撹拌[1]の場合、槽底中央部に撹拌されにくい部分が生じるため、その解決を目指して各種形状の撹拌翼が開発されています。効果的な撹拌のためには撹拌速度を高めなくてはなりませんが、撹拌速度とともに剪断応力(せんだんおうりょく)[2]が高くなり、細胞への傷害が避けられません。撹拌による均一性維持と、剪断応力による細胞傷害は相反関係にあります。
一方、上下動撹拌は、培養槽内に水平に設置した楕円形のプレートを上下に動かし、培養液を均一に保つ手法で、剪断応力を低く抑えつつ、高い分散性を示します(図1)。これを今回、ヒトiPS細胞の大量培養に適用しました。
多能性幹細胞(iPS細胞)は、再生医療の重要な細胞ソースであり、さまざまな疾患領域での臨床応用が期待されています。臨床応用には、十分な量の目的細胞を生産する技術が欠かせません。ヒトiPS細胞の浮遊培養[3]では、細胞凝集塊(spheroid)を形成させる必要がありますが、spheroidを均一に分散させるのが困難です。そこでわれわれは、実用化を目指した上下動撹拌培養装置注1、2)を使って、未分化を維持しながらヒトiPS細胞の大量培養が行える方法を開発しました。
図1 上下動撹拌培養装置(200mL)の概要
培養槽内に設置した楕円形の撹拌翼を上下に動かし、培養液を均一に撹拌する。剪断応力が小さく、細胞へのダメージは低く抑えられる。
注1)Improved cultivation of Chinese hamster ovary cells in bioreactor with reciprocal mixing. Masashi Ueki, Noriyuki Tansho, Makoto Sato, Hisayuki Kanamori, Yoshikazu Kato,J. Biosci. Bioeng. 132, 531-536 (2021).
注2)2015年8⽉12⽇お知らせ「今までにない新しい動物細胞培養撹拌装置を製品化」
研究手法と成果
まず、回転動撹拌と上下動撹拌の比較のために、流体解析(Computational Fluid Dynamics: CFD)シミュレーションと疑似粒子を用いた分散試験を行いました(図2)。回転動撹拌で十分な撹拌を実現するには、速い速度で撹拌翼を回転させなければなりませんが、翼周辺に高い剪断応力が発生し、細胞にダメージを与えてしまいます。これがspheroidの形成も阻害します。その上、形成されたspheroidは沈降しやすく、回転動撹拌の場合は、底部中心部に集積します。一方、上下動撹拌では、少ない投入動力で全体を均一に緩やかに撹拌することができ、発生する剪断応力も低く抑えられました。沈降しやすいspheroidも全体に浮遊して、底部への集積は見られませんでした。
次にヒトiPS細胞の培養を行いました。平面培養で培養したヒトiPS細胞を200mLの培地に懸濁(けんだく)して、培養槽(小)で培養を開始しました。ヒトiPS細胞は、浮遊の条件では、会合してspheroidを形成し増殖します。そのspheroidは徐々に大きくなり、培養6日目で直径300μmを超えました。培養6日目で形成されたspheroidを回収し、酵素処理をして細胞単位に分散させました。その後、1.0Lの培地に再懸濁して培養槽(大)で培養を始めました。培養開始24時間後に培地を1.0L追加し、2.0Lとしてさらに6日間培養しました。撹拌速度、培地の種類、細胞の種類などさまざまな条件を検討した結果、約100億(1010)個の細胞を得られました。
多能性を示す指標となるNanog[4]やOct4[4]、Sox2[4]、Podocalyxin[4]の発現は高く維持されていました。培養槽(小)での培養後、槽内で直接、心筋細胞への分化誘導を行ったところ、同方向に整列する細胞が観察されました。今後、さまざまな方向への分化誘導を行い、多能性を検証する予定です。
図2 上下動撹拌と回転動撹拌の比較
同じ投入動力で撹拌したときの樹脂ビーズの拡散の状態(A)と、CFDシミュレーションでの剪断応力の分布(B)。回転動では、局所的に高い剪断応力が発生し、回転軸直下の底部に粒子が集積しているのが分かる。一方、上下動では、弱い剪断応力で、全体を均一に撹拌できている。
今後の期待
再生医療に用いる細胞の供給に当たっては、高品質な未分化細胞の供給が求められます。その安定的な供給のためには、技術的な問題点が多く残されており、それらを解決する必要があります。
共同研究チームは、槽内での直接的分化誘導方法も検討しています。それによって細胞を取り出すことなく、均質で分化した細胞材料を供給することが可能になります。
今回の研究では、一つの細胞株について検討を行いました。すでにいくつかの細胞株は浮遊培養(3D培養)に適していないことも分かりました。ヒトiPS細胞は細胞株によって性質が異なりますが、より多くの細胞株に適応できる手法を開発することによって、本成果の応用範囲が広がることが期待されます。
補足説明
1.上下動撹拌、回転動撹拌
内部の培養液を均一に保ち、ガス(酸素や二酸化炭素)交換を行うため撹拌を行う。その際、内部に設置された撹拌翼を回転させ、洗濯機のように混ぜる方式を回転動撹拌という。本研究では、内部で水平方向に設置した楕円形の板を上下に動かすことによって全体を均一に保つ撹拌方法を用いており、これを上下動撹拌という。回転動撹拌では、撹拌翼の周囲に渦巻く流れの場が発生し、細胞に大きな力(剪断応力)がかかる。それによって、細胞が壊される。一方、上下動撹拌では、この剪断応力を低く抑えながら、全体を撹拌することができる。
2.剪断応力(せんだんおうりょく)
二つの物質が接しながらすれ違うときに互いが受ける力のことで、本研究の場合、撹拌翼が動くときに培養液が受ける力のこと。培養液側に細かい流れが発生し、これが強いと細胞を破壊する。
3.浮遊培養
動物細胞には、シャーレやフラスコに接着させて培養する接着細胞と、接着せずに増殖する浮遊細胞がある。ヒトiPS細胞は、接着細胞であるが、細胞同士が塊(spheroid)を形成して、このspheroidを浮遊させることによって増殖させる浮遊培養が可能である。しかし、spheroidは細胞の塊のため、沈降しやすく、これをいかに培養液全体に均一に浮遊させながら培養できるかが、うまく培養する鍵になる。
4.Nanog、Oct4、Sox2、Podocalyxin
Nanog/Oct4/Sox2は、転写制御因子(細胞核内で遺伝子の発現を制御するタンパク質)で、細胞が未分化を維持しているときに発現が見られ、未分化の指標としてよく用いられる。Podocalyxinは、細胞表層に発現しているムチン糖鎖を持つタンパク質で、最初は腎臓のPodocyteで見いだされたが、未分化を維持しているときも細胞表層に現れており、未分化を示す指標として用いられている。いずれも、未分化が維持されなくなると発現が消失する。
共同研究チーム
理化学研究所 開拓研究本部 鈴木糖鎖代謝生化学研究室
主任研究員 鈴木 匡(スズキ・タダシ)
専任研究員 植木 雅志(ウエキ・マサシ)
佐竹マルチミクス株式会社 撹拌技術研究所
所長・常務取締役 加藤 好一(カトウ・ヨシカズ)
研究支援
本共同研究は、理研融合的連携研究制度で採択された「動物細胞培養装置研究チーム」(2011-2014年度)の助成を受けて行ったものです。また、未分化マーカーの発現解析に関して、理研脳神経科学研究センター生体物質分析支援ユニットの支援を頂きました。
原論文情報
Masashi Ueki, Tadashi Suzuki, and Yoshikazu Kato, “Large-scale cultivation of human iPS cells in bioreactor with reciprocal mixing”, Journal of Bioscience and Bioengineering, 10.1016/j.jbiosc.2023.12.008
発表者
理化学研究所
開拓研究本部 鈴木糖鎖代謝生化学研究室
専任研究員 植木 雅志(ウエキ・マサシ)
佐竹マルチミクス株式会社 撹拌技術研究所
所長・常務取締役 加藤 好一(カトウ・ヨシカズ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
佐竹マルチミクス株式会社 企画室