世界初となるマルチイオンを用いた重粒子線がん治療を開始~骨軟部腫瘍のような難治性がんの治療効果の向上に期待~

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2024-03-15 量子科学技術研究開発機構

発表のポイント

  • 骨軟部腫瘍に対する世界初のマルチイオン治療(*1)照射をQST病院において実施
  • 炭素イオン線と酸素イオン線の同日照射を複数回繰り返し、腫瘍内の放射線の質の分布を最適化することに成功
  • マルチイオン治療は、炭素イオン線のみでの治療に比べて、難治性がんに対する治療効果の向上が期待

概要

量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)QST病院(病院長 山田滋)治療診断部今井礼子治療課長らの研究グループは、骨軟部肉腫に対するマルチイオンを用いた重粒子線(*2)がん治療(特定臨床研究 jRCTs032220609)を開始しました。1例目となる治療は、2023年11-12月に実施しました。

重粒子線がん治療は手術非適応の骨軟部肉腫に良好な治療成績を示してきましたが、一方で悪性度の高いものは30%程度の局所再発例があります。今までの研究から腫瘍径が大きいものにおいて再発率が高いことがわかってきました。

放射線治療において体内組織に与える効果を決定する指標は、放射線の「量」(線量)と放射線の「質」(線質)です。このため、放射線治療はできる限り腫瘍の線量を高くし、周辺組織・臓器の線量を低くするように照射を行います。また、重粒子線がん治療は光子線や陽子線治療に比較し、線質を示すLET(Linear Energy Transfer:線付与エネルギー)(*3)を高くすることができるので、高い殺細胞効果を有します。一方で、従来の重粒子線がん治療におけるLETの分布を見てみると、大きい腫瘍ではLETが部分的に低くなりやすい傾向があることがわかりました。

正常組織の線量やLETは今までより高めることなく、腫瘍全体の線量やLETを高くすることにより、大きい腫瘍でも治療効果の向上を図れる可能性があります。現在重粒子線がん治療に用いられている炭素イオン線のみではLETを増加させるには物理的に限界がありますが、炭素イオン線に加えて、より重くLETが高い酸素やネオンなどのイオン線を照射すれば、正常な周辺組織のダメージを増やすことなく、腫瘍内のLETを増加させることができます。

QSTでは、複数種のイオン線を用いた治療を行うため、ヘリウムからネオンまでの多価イオン(*4)を出力できるマルチイオン源を2022年に世界で初めて開発しました。マルチイオン源を用いた臨床研究の1例目となる治療では、骨軟部肉腫に対して炭素イオン線と酸素イオン線の2種類のマルチイオン(重粒子線)を同日に用いて、4週間で16回の照射を行いました。治療後早期の副作用は認められず、現在は腫瘍縮小効果を確認するため経過観察を行っています。

複数種の重粒子線の照射により腫瘍内の線量分布とLET 分布を最適化するマルチイオン治療は、従来の重粒子線がん治療に比べて、難治性がんに対する治療成績の向上が期待されます。今後、骨軟部肉腫の患者さん計10例に対して臨床試験を行い、マルチイオン重粒子線がん治療の安全性と有効性を確認します。

研究の背景と目的

重粒子線がん治療は放射線医学総合研究所(当時、現QST)において1994年6月から開始され、2023年3月までに約1万5千人のがん患者さんに実施されています。重粒子線がん治療施設は、世界に16施設、そのうち7施設が日本にあります。最先端の放射線治療として、がんや肉腫などの悪性腫瘍性疾患を対象に炭素イオン線が用いられてきました。

手術非適応の骨軟部肉腫に対する炭素イオン線を用いた重粒子線がん治療は良好な治療成績を示してきましたが、一方で30%程度の局所再発例があります。これは、LETが低くなると、酸素濃度の低い細胞に対する殺細胞効果が低下するという基礎的研究の結果を反映していると考えられます。大きな腫瘍では、酸素濃度が低い部分が増える傾向があり、そのために治療効果が低下することがあります。QSTの臨床研究においても腫瘍径が大きい症例において再発率が高いこと、400cc以上の大きな腫瘍では部分的にLETが低くなりやすいことが明らかになっています。

これらの理由から、腫瘍全体の線量だけでなくLETを高くすることにより、大きい腫瘍でも治療効果の向上を図れる可能性があります。炭素イオン線のみでLETを増加させるには物理的に限界がありますが、炭素イオン線に加えて、より重くLETが高い酸素やネオンなどのイオン線を照射すれば正常な周辺組織のダメージを増やすことなく、腫瘍内のLETを増加させることができます。

複数種のイオン線を用いて、腫瘍内の線量だけでなくLETの分布を制御する治療法をQSTではマルチイオン治療と呼び、その実施に必要な技術を研究開発してきました。2022年には、住友重機械工業株式会社と共同で、ヘリウムからネオンまでの多価イオンを出力するマルチイオン源の開発に成功しました。また、腫瘍内の線量は炭素線のみと同等に保ちながら、複数のイオン種でLETの分布を最適化するための計算技術の開発や複数のイオン種を照射する制御技術の開発を行ってきました。これらの技術の治療計画装置や照射制御装置への実装が完了し、さらに、照射システムの品質保証方法の確立も進み、マルチイオン治療を実施できる環境が整ったことから、骨軟部肉腫に対して、腫瘍内の線量だけでなくLETの分布を最適にするマルチイオン治療が安全かつ有効であることを臨床的に確認するため、臨床研究を開始しました。

研究の手法

この臨床研究は、脊索腫を除く、腫瘍の体積が400cc以上の骨軟部肉腫の患者さん計10例に対して行います。

1例目となる治療は、4週間で計16回(4回/週)照射を行いました。各回の治療は準備を含め約30分、そのうち照射時間は約15分でした。今回のように、炭素イオン線と酸素イオン線を用いて同日に治療することは初めての試みでしたが、2種のイオン線の切り替えも順調でした。

患者さんは治療終了翌日に無事に退院し、まもなく治療2か月となりますが、早期副作用はなく経過しています。放射線による抗腫瘍効果は一般的に3か月の観察期間を経て評価されますが、晩期放射線合併症とあわせて十分に留意して外来で慎重に経過を見ていく予定です。

今後の展開

QSTでは、開発に成功したマルチイオン源を用いた骨軟部腫瘍に対するマルチイオン治療の臨床研究を進め、さらに膵臓がんや頭頸部腫瘍などの難治性疾患にも適用を拡大し治療成績の向上をはかります。

また、マルチイオン照射の実用化を目指して、QST千葉地区において、マルチイオン源を備えた第4世代量子メス実証機を設置する量子メス(*5)棟(仮称)の建設を2023年より開始しています。現在、QST病院が用いている治療用重粒子線加速器(HIMAC:Heavy Ion Medical Accelerator in Chiba)、および今後完成する第4世代量子メス実証機でのマルチイオン治療の臨床実績を蓄積し、重粒子線がん治療の高度化と普及加速を目指します。

用語解説

1)マルチイオン治療
 マルチイオン治療は、炭素イオンだけでなく、電荷や重さの異なる様々なイオンビームを用いて照射する方法です。従来の重粒子線がん治療よりも治療効果が高くなることが期待されます。例えば、放射線抵抗性の強いがん内部の低酸素領域には酸素やネオンといった炭素よりも重いイオンのビームを照射して、がん細胞のDNAにより多くの致命的な損傷を与え、それ以外の領域は炭素イオンビームを照射することも可能となります。逆に放射線がよく効くがんにはヘリウムなどの軽いイオンを使えば、がん周辺の組織へのダメージが軽くなることが期待されます。このように様々なイオンビームを用いるマルチイオン照射技術により、重粒子線がん治療の更なる治療成績の向上が期待されます。

2)重粒子線
 重粒子線とはヘリウム(He)以上の原子番号をもつ原子の原子核(重イオン)ビームを指します。日本では重粒子線の一つである炭素イオン線が代表的で、30年近くにわたり“がん治療”に用いられていることから、「重粒子線」イコール「炭素イオン線」と考えても良いでしょう。陽子の12倍の重さをもつ炭素の原子核(炭素イオン)を光速の約70%まで加速して照射するため、高い線量集中性と生物効果を持ち合わせ、がん治療に適した性質と言えます。

3)LET(Linear Energy Transfer:線エネルギー付与)
 放射線が単位長さあたりに平均して失うエネルギー量。放射線が細胞核サイズの局所に与えるエネルギー量の違いを表し、線質の違いを表す指標となります。X線は低LET放射線、炭素線は高LET放射線です。LETが高くなるにつれて生物効果が高まり、低LET放射線には抵抗性を示す低酸素がん細胞に対しても殺傷効果が高くなります。

4)多価イオン
 中性の原子または分子から電子を剥ぎ取ることで生成される電荷を帯びた原子・分子をイオンと呼び、そのうち、多くの電子が剝ぎ取られたイオンの総称。多価イオンをイオン源で生成することにより、後段の加速器において、より低い加速電場でイオンを加速することができることから、加速器の小型化・省電力化につながります。

5)量子メス
 量子メスは次世代の重粒子線がん治療装置であり、超伝導技術やレーザー加速技術による装置の画期的な小型化と、マルチイオン治療をはじめとした治療の高度化を目指しています。第4世代装置は超伝導シンクロトロンとマルチイオン治療装置を備え、さらに進んだ第5世代装置はレーザー加速装置を備える計画です。

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