2025-01-30 理化学研究所,神戸大学
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター 触知覚生理学研究チームの村山 正宜 チームリーダー、齋藤 喜仁 リサーチアソシエイト、神戸大学 大学院理学研究科の森田 光洋 准教授らの共同研究グループは、楽しい体験など情動にひもづいた記憶が、睡眠中における脳の扁桃体と大脳皮質という領域の協調した活動によって強化される仕組みを解明しました。
本研究成果は、記憶と情動の関係を明らかにする新たな知見を提供するとともに、依存症や心的外傷後ストレス障害の克服に向けた神経基盤の理解に貢献すると期待されます。
共同研究グループは、マウスの情動をつかさどる扁桃体と感覚情報処理を担う大脳皮質の神経活動を同時に記録し、情動的でない中立的な体験に比べ、楽しい出来事を体験することで、これらの領域間で神経細胞間の協調的な活動である同期発火が増強することを発見しました。特に、体験直後の深い眠り(ノンレム睡眠[1])のときに、扁桃体を起点として領域間の同期発火が強まることが確認されました。また、この時期に扁桃体から大脳皮質への活動の伝搬を抑制すると、本来は楽しい体験により長期間覚えていられるはずの記憶が短期間でなくなってしまうことが分かりました。この結果は、ノンレム睡眠時における扁桃体-大脳皮質間の協調活動が、情動にひもづいた記憶を強く定着させるのに重要であることを示しています。
本研究は、科学雑誌『Neuron』オンライン版(1月29日付:日本時間1月30日)に掲載されました。
楽しい体験とともに感じた床面の記憶を強化する神経メカニズム
背景
私たちは日々、外界からの刺激を知覚し、その情報を基に記憶を形成しています。特に、うれしい、楽しい、あるいは恐怖といった心が大きく揺さぶられる感情状態である「情動」が伴う体験ほど、そのときに感じた知覚情報が強く記憶に刻まれ、より長く記憶を保持できます。しかし、情動が伴う体験時に知覚した情報の記憶がどのようにして長く残るのか、その詳しい脳の仕組みはまだ十分に解明されていませんでした。
また、記憶を定着させる上で睡眠は欠かせません。睡眠にはノンレム睡眠とレム睡眠[2]の二つの状態があり、これまでは、特にレム睡眠が情動的な記憶の処理に重要だと考えられてきました。ところが最近では、ノンレム睡眠も情動的な記憶の定着に大きな役割を果たしている可能性が指摘されています。しかしながら、どちらの睡眠状態が情動による記憶の強化に関わっているのかは不明でした。
研究手法と成果
共同研究グループはまず、オスのマウスにおいて情動を伴わない中立的な床面記憶の保持期間を床面学習課題という方法で調べました。具体的には、両サイドにカップを配置した縦横25cmのアリーナの中で、1日目にツルツルした床面を体験させ、2日目にツルツルとデコボコの2種類の床面を提示し、どちらの床面の上でカップにより長く接触するかを測定します(図1A左上)。マウスは新しいものを好む性質があるため、ツルツル床面を記憶していれば、新しく提示されたデコボコ床面のカップをより長く探索します。実験の結果、2日目に試験したマウス群では、デコボコ床面の上をより長く探索する行動が観察されたことから、床面の記憶が保持されていることが分かりました。しかし、5日目に試験したマウス群では探索時間の偏りが消失したことから、床面に関する記憶は失われていることが分かりました(図1B左、図1C左)。
これに対して、オスのマウスにとって情動的で”楽しい体験”と考えられる条件として、カップの中に入れたメスのマウスと床面上で対面させる床面-メス連合学習[3]課題を行いました(図1A左下)。2日目にメスがいない状態でツルツルとデコボコの両方がある床面を用いて試験を実施すると、オスは新しいデコボコ床面よりも、前日にメスがいたツルツル床面を好んで探索しました(図1B左)。また、両方のカップへの接触時間が増加しており、これはメスの記憶の保持に基づくと考えられます(図1B右)。さらに、5日目に試験したマウス群においても、同様にツルツル床面を好んで探索していたため、メスとの対面という楽しい体験が、床面の記憶を長く維持させることが分かりました(図1C)。
図1 メスの提示による床面の記憶の強化
(A)床面学習課題(上)および床面-メス連合学習課題(下)。1日目にツルツルの床面の上を探索させ、2日目または5日目にデコボコ/ツルツルの床面の上を探索させ、各床面上のカップへの接触時間を計測した。
(B)2日目で試験したマウス群の記憶成績。探索時間の偏りは床面の記憶があることを示している(左)。また、探索時間の偏りの逆転とカップへの合計接触時間の増加は、メスの記憶が定着したことを示す(右)。
(C)5日目で試験したマウス群の記憶成績。メスを提示された群では床記憶(左)とメス記憶(右)が保持されていた。
次に、メスとの対面がどの神経回路を介して床面の記憶を強化するのかを解明するため、情動的な記憶を処理すると考えられている扁桃体と、感覚情報の処理に重要な大脳皮質との神経回路を可視化しました注1)。特に、村山チームリーダーらは、これまでの研究で床面記憶の定着には大脳皮質の第二運動野(M2)から第一体性感覚野(S1)へのトップダウン入力が重要であることを示しています注2)。本研究では、扁桃体がM2およびS1と接続しているかを解析しました。その結果、扁桃体はM2に入力する一方で、S1には直接入力せず、「扁桃体→M2→S1」という神経回路が存在することが分かりました(図2A)。
さらに、M2に入力する扁桃体の神経細胞の活動が実際にメスの存在による床面記憶の強化に関わるのかを検証するため、1日目の連合学習終了後に化学遺伝学的手法[4]を用いてこの回路の活動を抑制しました。2日目に試験したところ、抑制群ではカップへの接触時間が減少し、新しい床面を好んで探索するようになりました。これは回路の抑制により、メスの記憶が阻害された一方で、床面の記憶は定着していることを示します。また、5日目に試験したところ、抑制群では床面の記憶が失われていました。つまり、M2に入力する扁桃体の神経細胞の活動は情動的な記憶(ここではメスの存在の記憶)を定着させるだけでなく、連合学習した記憶の強化において重要な役割を担っていることが示されました(図2B)。
図2 M2に入力する扁桃体神経細胞の抑制によるメス記憶と床面記憶の強化の阻害
(A)扁桃体から大脳皮質への軸索投射。M2では扁桃体の軸索(白い繊維状の構造)が観察されるが、S1では観察されない。
(B)化学遺伝学的手法によるM2に入力する扁桃体神経細胞の抑制。床面とメスの学習後にこの回路を抑制すると、2日目で試験した抑制群では探索時間の偏りが逆転し、カップへの接触時間も減少した。これは、床面記憶は定着したがメス記憶が定着しなったことを示す。一方、5日目に試験した抑制群では、探索時間の偏りが見られなかった。これは床面記憶の強化が阻害されたことを示す。
次に、床面記憶の強化がいつ、どのような神経活動によって起こるのかを明らかにするため、扁桃体・M2・S1に電極を配置し、学習中と学習後の睡眠中の単一細胞レベルの活動を同時に記録しました。学習中の神経活動を解析したところ、メスの近くでこれら領域間の神経細胞の同期活動が顕著に増加することが分かりました(図3A)。さらに、メスを提示した場合にのみ、この同期活動が学習後の早期ノンレム睡眠中に強く再活性化[5]した一方、レム睡眠中にはこのような再活性化の増強は見られませんでした(図3B)。
外部からの刺激がないノンレム睡眠中の同期活動は、どのように駆動されるのでしょうか。共同研究グループはこの疑問を解明するため、扁桃体内で発生する高周波オシレーション(HFO)[6]に注目しました。解析の結果、メスが提示されたマウス群では、学習直後の早期ノンレム睡眠中に扁桃体でHFOが起こるタイミングで、扁桃体-M2-S1間での同期活動が再活性化されることが分かりました。扁桃体がノンレム睡眠中に領域間の再活性化を駆動し、情動による記憶強化を引き起こす可能性が示唆されました(図3C)。
図3 メスの提示による早期ノンレム睡眠時の扁桃体-M2-S1間の同期発火増強
(A)扁桃体-M2-S1間の同期発火の空間パターン。メスの近くで同期活動が強まることが分かった。
(B)ノンレムまたはレム睡眠時の領域間同期活動の再活性化。メスの提示はノンレム睡眠の早期において、再活性化頻度を顕著に上昇させた。
(C)扁桃体で見られる高周波オシレーション(HFO)と領域間同期活動の再活性化。メスの提示により、学習後の早期ノンレム睡眠時にHFOを起点とした再活性化の増強が見られた。
最後に、早期ノンレム睡眠中の扁桃体からM2への入力を光遺伝学的手法[7]によって抑制し、その因果関係を検証しました。その結果、メスの存在による床面の記憶強化が阻害された一方で、メスの記憶や床面記憶の定着自体は阻害されませんでした。また、レム睡眠中にM2への入力を抑制しても、記憶の強化は阻害されませんでした。以上のことから、早期ノンレム睡眠中の扁桃体からM2への入力が、情動的な体験と同時に知覚した情報の記憶強化に不可欠であることが明らかとなりました(図4)。
図4 早期ノンレム睡眠時の扁桃体→M2入力の抑制による床面記憶の強化のみの阻害
(A)光遺伝学的手法を用いた、扁桃体からM2への入力の抑制。早期ノンレム睡眠に特異的に光を照射することで、神経活動の伝達を抑制した。
(B)2日目または5日目での記憶成績。2日目の試験では抑制群で探索時間の偏りや接触時間に変化は見られず、床面の記憶もメスの記憶も保持されていた。一方、5日目の試験では抑制群において、カップへの接触時間は維持されているものの、探索時間の偏りが見られないことが分かった。つまり、床面の記憶の強化のみが阻害された。
注1)2015年5月22日プレスリリース「“感じる脳”のメカニズムを解明」
注2)2016年5月27日プレスリリース「睡眠不足でも脳への刺激で記憶力がアップ」
今後の期待
本研究によって、情動が記憶を強化する脳内メカニズムの一端として、情動を伴う学習時に同期発火した扁桃体-大脳皮質の神経細胞集団が、ノンレム睡眠時に、扁桃体を起点として再び同期発火することが重要であることを示しました。従来の定説ではレム睡眠が情動記憶の処理において中心的な役割を担うと考えられてきましたが、今回の結果はむしろノンレム睡眠の重要性を支持する結果となりました。
今後は、ノンレム睡眠時の脳領域間の同期性の調節により、老化マウスおいても記憶を強化することが可能かどうかや、依存症モデルマウスにおいて依存対象に関連する記憶を減弱させることができるかを検討することで、臨床応用に向けた研究が展開されることが期待されます。
また、今回着目した脳領域だけでなく、より網羅的に複数の脳領域から同時に神経活動を記録することで、脳内の記憶処理過程や疾患メカニズムを包括的に理解できるようになると期待されます。その実現には大規模計測法の開発が不可欠であり、今後さらに重要性が増すと考えられます。
補足説明
1.ノンレム睡眠
深い眠りの状態で、脳波が徐波(ゆっくりとした大きな波)を示す。
2.レム睡眠
急速眼球運動(rapid eye movement)が起こる睡眠状態で、脳波は覚醒時に近いパターンを示す。ヒトにおいては、夢を見ることが多いとされ、これまで情動的な記憶の処理に重要だと考えられてきた。
3.連合学習
ポジティブな経験(報酬)やネガティブな経験(罰)をそのときの感覚情報と関連付けるような学習過程。
4.化学遺伝学的手法
特定の受容体を神経細胞に発現させ、その受容体に選択的に作用する化合物を投与することで、神経活動を人為的に抑制・活性化する手法。
5.再活性化
学習や経験を通じて形成された神経活動のパターンが、後の睡眠や休息時に再び現れる現象を指す。近年、このプロセスによりシナプス結合を強化・維持することで、記憶の定着が起こると考えられている。
6.高周波オシレーション(HFO)
扁桃体の神経細胞集団の同期活動を反映した、高周波の深部脳波。同期した発火により下流の脳領域の神経活動を駆動すると考えられる。HFOはhigh-frequency oscillationの略。
7.光遺伝学的手法
光感受性イオンチャネルやポンプを神経細胞に発現させ、光刺激により神経活動を活性化・抑制できる技術。これにより、特定の神経回路を特定のタイミングに操作することができる。
共同研究グループ
理化学研究所 脳神経科学研究センター
触知覚生理学研究チーム
チームリーダー 村山 正宜(ムラヤマ・マサノリ)
リサーチアソシエイト 齋藤 喜仁(サイトウ・ヨシヒト)
研究員 大石 康博(オオイシ・ヤスヒロ)
テクニカルスタッフⅠ 小田川 摩耶(オダガワ・マヤ)
テクニカルスタッフⅡ 松原 智恵(マツバラ・チエ)
客員研究員 大迫 優真(オオサコ・ユウマ)
学習・記憶神経回路研究チーム
チームリーダー ジョシュア・ジョハンセン(Joshua P. Johansen)
神戸大学 大学院理学研究科 生物学専攻
准教授 森田 光洋(モリタ・ミツヒロ)
福島県立医科大学 附属生体情報伝達研究所
教授 小林 和人(コバヤシ・カズト)
准教授 加藤 成樹(カトウ・シゲキ)
研究支援
本研究は、理研CBS-花王連携センター、日本医療研究開発機構(AMED)「脳とこころの研究推進プログラム(革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明)(Brain/MINDS 1.0)中核拠点(研究開発分担者:村山正宜)」、同「脳神経科学統合プログラム(Brain/MINDS 2.0)中核拠点(研究開発分担者:村山正宜)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業学術変革領域研究(A)「大脳皮質における効率的なネットワーク構造の創発機構(研究代表者:村山正宜)」、同学術変革領域研究(B)「脳状態毎の超広域神経活動記録とクラスタ/ハブ細胞の選択的操作法の開発(研究代表者:村山正宜)」、同若手研究(A)「触覚記憶の固定化メカニズム(研究代表者:村山正宜)」、理研ジュニアリサーチアソシエイトによる助成を受けて行われました。
原論文情報
Yoshihito Saito, Yuma Osako, Maya Odagawa, Yasuhiro Oisi, Chie Matsubara, Shigeki Kato, Kazuto Kobayashi, Mitsuhiro Morita, Joshua P. Johansen, Masanori Murayama, “Amygdalo-cortical dialogue underlies memory enhancement by emotional association”, Neuron, 10.1016/j.neuron.2025.01.001
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 触知覚生理学研究チーム
チームリーダー 村山 正宜(ムラヤマ・マサノリ)
リサーチアソシエイト 齋藤 喜仁(サイトウ・ヨシヒト)
神戸大学 大学院理学研究科
准教授 森田 光洋(モリタ・ミツヒロ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
神戸大学 総務部 広報課