2019-02-15 理化学研究所
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター高次認知機能動態研究チームの渡部喬光副チームリーダーらの国際共同研究チーム※は、高機能自閉症スペクトラム(ASD)[1]当事者の症状が、脳内の「感覚関連脳領域」や「尾状核[2]」における局所的な神経情報処理特性と関連していることを発見しました。
本研究成果は、ASDの多様な症状の統一的理解の発展に貢献し、将来的にはASDの早期診断・早期介入の手がかりになると期待できます。
ASDは、コミュニケーションの困難さやこだわりの強さなどを特徴とする発達障がい[3]の一つです。これらASDの症状と脳内の情報処理に関わる神経ダイナミクスの関係について、これまで脳全体では研究されていましたが、局所的な脳領域ではほとんど調べられていませんでした。
今回、国際共同研究チームは、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)[4]を用いて、「神経活動の時間スケール[5]」をヒトの脳全体にわたって調べました。その結果、高機能ASD成人当事者の神経時間スケールは、一次体性感覚野[6]や視覚野[7]では定型発達者よりも短く、尾状核では長いことを発見しました。これにより、感覚関連領域では入力情報に対して敏感である一方、認知機能と関係する尾状核では安定した情報統合が行なわれていると推測されます。さらに、この非定型[8]的な神経時間スケールの傾向は、16歳以下の小児発達段階でも一貫していること、症状の重症度および解剖学的非定型性とも関係していることを明らかにしました。
本研究は、オンライン科学雑誌『eLife』(2月5日付け)に掲載され、同誌のオンライン広報誌eLife Science Digestsにも取り上げられました。
図 局所的な神経活動の時間スケールの違い
※国際共同研究チーム
理化学研究所 脳神経科学研究センター 高次認知機能動態研究チーム
副チームリーダー 渡部 喬光(わたなべ たかみつ)
ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン
教授 ギャラン・リース(Geraint Rees)
ブリストル大学
上級講師 増田 直紀(ますだ なおき)
※研究支援
本研究は、先進医薬研究振興財団精神薬療分野一般研究助成「自閉症の認知的硬直性を引き起こす神経ダイナミクスの同定(研究代表者:渡部喬光)」、日本学術振興会科学研究費助成事業 科研費研究活動スタート支援「Investigation and intervention of brain dynamics underpinning autistic cognitive rigidity(研究代表者:渡部喬光)」、福原心理教育研究振興基金、Marie-Curie Individual Fellowship、Wellcome Trust、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST「BigData統合利活用のための次世代基盤技術の創出・体系化」(研究統括:喜連川優)の研究課題「複雑データからのディープナレッジ発見と価値化(研究代表者:山西健司)」による支援を受けて行われました。
背景
自閉症(自閉症スペクトラム:ASD)は、コミュニケーションの困難さや、特定のものへのこだわりの強さなどを特徴とする発達障がいの一つです。これらの症状は対症療法によって和らぐ場合もありますが、生涯にわたり現れ続けます。 理論的には、ASDの症状は脳内の「非定型的な情報処理」の結果として現れることが多いと推察されます。脳における複雑な情報処理には、神経活動のダイナミックで精緻な協調が必要なことから、この理論的推察は、「ASDの症状の神経生物学的基盤の一つには非定型的な神経ダイナミクスがある」と言い換えることができます。近年、理研の渡部副チームリーダーらは、大脳全体にわたる神経ダイナミクスが非定型的に安定していることが、高機能ASDの特徴の基盤になっていることを突き止めました注1)。しかし、局所的な神経情報処理のダイナミクスと、ASDの症状との関係については、これまでほとんど調べられていませんでした。
そこで国際共同研究チームは、「神経活動の時間スケール」(以下、神経時間スケール)という指標に注目し、この課題に取り組みました。神経時間スケールは、ある神経領域が神経情報入力をどの程度の時間保持し、処理・統合できるかを示しています。例えば、サルを用いた電気生理学的研究では、時間をかけてさまざまな情報を統合する「前頭葉」では神経時間スケールが長いのに対し、短い時間差の入力を区別して敏感に反応する必要がある「感覚関連領域」では短いことが知られています注2)。この神経情報処理特性は、それが局所のものであるにもかかわらず、全脳レベルの情報処理の階層性の基盤となっていることが知られています注3)。
このような知見に基づき、国際共同研究チームは、ASD当事者の中でも言語機能に困難がなく、知能も平均もしくは平均以上のグループ(高機能ASD当事者)に対して、全ての脳領域における神経時間スケールの算出を試みました。
注1)Watanab. and Rees, Brain network dynamics in high-functioning individuals with autism. Nat Commun, 2017. 8. p.16048.
注2)Murray et al., A hierarchy of intrinsic timescales across primate cortex. Nat Neurosci, 2014. 17(12): p.1661.
注3)Honey et al., Slow cortical dynamics and the accumulation of information over long timescales. Neuron, 2012. 76(2): p.423.
研究手法と成果
国際共同研究チームは、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)によって取得したヒト安静時fMRI脳データ(rsfMRIデータ)[9]を解析することで、神経時間スケールを評価することにしました。まず、rsfMRIデータ向けの神経時間スケール算出方法を開発し、rsfMRIと脳波[10]の同時測定データを用いて、その方法が妥当であることを確認しました。 次に、この方法を、①高機能ASDの成人当事者群(25人)と②性別・年齢・知能指数(IQ)などをそろえたコントロール群(26人、発達障がいでない定型発達者)からそれぞれ得られたrsfMRIデータに適用し、比較しました(図1A)。その結果、高機能ASD当事者群では、一次体性感覚野や視覚野などでは神経時間スケールが定型発達者よりも短く、尾状核では長いことが分かりました(図1B)。ここから、高機能ASD当事者の感覚関連領域は入力情報に対して敏感である一方、認知機能と関係する尾状核では安定した情報統合が行なわれていると推測されます。
さらに、高機能ASDの成人当事者間で比較したとき、一次体性感覚野と視覚野の神経時間スケールが短い当事者の方がASDの中核症状(コミュニケーションの困難さ、こだわりなど)の程度が強く(図2A)、尾状核の神経時間スケールが長い当事者の方が、常同性(こだわりなど)の程度が強いことから、神経時間スケールはASDの症状の重症度とも関連していることが分かりました(図2B)。
次に、このようなASDに特異的な局所神経情報処理特性は、成人だけに見られるのか、それとも小児期の発達で既に現れているのかを調べるために、思春期の縦断データ[11]を解析しました。その結果、これら一次体性感覚野・視覚野・尾状核における神経時間スケールの非定型性は、思春期以前(10~12歳)に既に現れ、さらに思春期発達の間(12~16歳)にも維持される、もしくは拡大する傾向があることが分かりました(図3)。また、この思春期における神経時間スケールの変化は、同期間におけるASD症状の重症度変化とも相関していました。
最後に、この非定型的な局所神経ダイナミクスの解剖学的な基盤を調べました。理論的推測に基づき、神経密度の指標の一つである灰白質[12]密度が大きいほど、その領域の神経時間スケールが長いのではないかと考え、rsfMRIデータと解剖学的脳画像データを比較することで、この仮説を実証しました。
今回の研究で得られた知見は、全く異なる場所・被験者を対象に得られた完全に独立したニつのデータセットを解析しても再現することができました。
今後の期待
今回の発見は、局所の神経ダイナミクスが、より高次で複雑な認知機能や行動に大きな影響を与えていることを示しています。また、神経時間スケールの短さが、情報入力に対する脳領域の敏感さを示しているとすれば、感覚関連領域は、ASDの症状の一つである感覚過敏(物音がうるさい、光がまぶしい、匂いに過剰に反応するなど)の神経基盤の一端を担っている可能性があります。
本研究成果により、コミュニケーションの困難さ、こだわりの強さそして感覚過敏まで、ASDの多様な症状に対する統一的な生物学的理解が進むと期待できます。さらに、一次体性感覚野の局所的神経時間スケールは脳波計などで比較的容易に計測できることから、将来的にはより負担の少ない早期診断法の開発にも貢献する可能性があります。
今後は、神経生物学的・臨床的発展のためにも、今回観察された局所的神経ダイナミクスが脳全体の神経ダイナミクスにどのように関連しているのか、そしてASDの他のサブグループ(言語機能の障がいを持つグループなど)や統合失調症といった精神神経疾患ではどうなのかなどを解明する必要があると考えられます。
原論文情報
Takamitsu Watanabe, Geraint Rees, Naoki Masuda, “Atypical intrinsic neural timescale in autism”, eLife, 10.7554/eLife.42256.001
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 高次認知機能動態研究チーム
副チームリーダー 渡部 喬光(わたなべ たかみつ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
補足説明
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- 自閉症スペクトラム(ASD)
- 自閉症スペクトラム(自閉症)は、コミュニケーションの困難さと、限定された興味やこだわりを中核症状とする発達障がい。100人に1人の割合で見られる。本研究では特に、言語機能に困難がなく、知能も平均もしくはそれ以上のグループ(高機能ASD)を対象としている。ASDはAutistic Spectrum Disorderの略。
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- 尾状核
- 脳の深部にあり、運動調整から種々の記憶、抑制コントロールまで幅広い認知機能と関係する脳部位。パーキンソン病や強迫性障害において、特異的な活動パターンが見られる。
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- 発達障がい
- 小児期に現れて生涯続く、非定型的発達に起因する状態。言語や運動、学習能力、社会的コミュニケーション能力など、さまざまな能力の非定型的発達が報告されている。
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- 機能的磁気共鳴画像法(fMRI)
- 核磁気共鳴画像法(MRI)によって血流動態反応を検知することで、脳の局所的な神経活動を計測する方法の一つ。
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- 神経活動の時間スケール
- ある神経領域が神経情報入力をどの程度の時間保持し、処理・統合できるかを示すとされる指標。
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- 一次体性感覚野
- 頭頂葉の最も前にあり、帯状に広がる大脳皮質の脳部位。触覚や温感覚、痛覚といった皮膚感覚と、筋や腱、関節などに由来する深部感覚情報からなる体性感覚を処理すると考えられている。
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- 視覚野
- 後頭葉に存在し、視覚情報を大脳の中で初期に処理すると考えられている脳部位。
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- 定型、非定型
- 非定型とは、自閉症スペクトラムを「発達障がい」としてではなく、「標準的な発達ではない状態」として表現するために主に使われ出した用語であり、年齢とともに標準的な発達をしていないことを指す。定型とは、そうでない状態、すなわち神経学的に明らかな差のない状態を指す。
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- 安静時fMRIデータ
- 特定の心理課題はせず、ただ開眼状態でなるべく何も考えずに安静にした状態の機能的脳活動データ。機能的な基盤・バックボーン(脳活動の癖や傾向など)を表していると考えられている。
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- 脳波
- 脳の内外で観測される電気信号で、さまざまな周波数帯域を持つ。神経細胞の集団の同期活動を反映している。
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- 縦断データ
- 同じ被験者を時間的に追って、異なるタイミングで複数回取得したデータ。
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- 灰白質
- 脳の組織のうち、神経細胞の細胞体が主に存在している部分。
図1 神経時間スケールの全脳分布と自閉スペクトラム症(ASD)成人当事者での特徴
A:高機能ASD成人当事者における神経時間スケールの大脳分布。前頭葉(右側領域)や頭頂葉(左上領域)で長く、感覚関連の領域(中央や左下の領域)で短いことが分かる。
B:一次体性感覚野や視覚野では、神経時間スケールは高機能ASD当事者群の方が定型発達者よりも短かった(左)。反対に、尾状核では、高機能ASD当事者群の方が定型発達者よりも長かった(右)。t valueは独立二群の差の検定の結果を示しており、tvalueが大きい方がASD当事者と定型発達者間で差が大きいことを意味する。
図2 神経時間スケールとASDの症状との関連
A:ASDの中核症状(コミュニケーションの困難さ、こだわりなど)の重症度は、右一次体性感覚野、左一次体性感覚野と右視覚野ともに、神経時間スケールが短い高機能ASD当事者の方が強い。RhoはSpearmanの相関係数を表す。
B:ASDの常同性(こだわりなど)の重症度は、尾状核の神経時間スケールが長い高機能ASD当事者の方が強い。
図3 神経時間スケールの思春期における発達
高機能ASD当事者(赤線)における一次体性感覚野(右・左)、視覚野(右)、尾状核における神経時間スケールの非定型性は、思春期以前(10~12歳)に既に現れている。さらに思春期発達の間(12~16歳)も、左一次体性感覚野や右視覚野では維持され、左一次体性感覚野や尾状核では拡大する傾向が見られた。