2020-04-23 京都大学
網田英敏 霊長類研究所特定助教、井上謙一 同助教、高田昌彦 同教授は、彦坂興秀 米国国立衛生研究所(NIH)博士らと共同で、価値あるものを見つけるための神経回路メカニズムを解明しました。
ヒトを含む動物は、日常、価値の高いものに対して、より素早く、より頻繁に、より長く目を向けることが知られています。しかし、脳がどのようにして価値の高いものに目を向けるよう眼球運動をコントロールしているかについては明らかになっていませんでした。
今回、本研究グループは、サルを用いた光遺伝学的手法により、価値に基づく行動に関与する大脳基底核の神経回路を人為的に操作しました。価値情報を伝達していると考えられる線条体(特に尾状核)から黒質網様部への神経回路を光照射により選択的に活性化させたところ、眼球運動を調節する中脳の上丘で神経活動が亢進し、それに伴って、ターゲットへの眼球運動が誘発されました。このメカニズムは、価値に基づく効率的な視覚探索をおこなうことに寄与していると考えられます。
本研究成果は、2020年4月20日に、国際学術誌「Nature Communications」のオンライン版に掲載されました。
図:本研究の概要図
詳しい研究内容について
価値あるものを見つける神経回路機構を解明
―価値情報を眼球運動に変換する仕組み― 概要
京都大学霊長類研究所の網田英敏 特定助教、井上謙一 同助教、高田昌彦 同教授は、米国 NIH(国立衛生研究所)の彦坂興秀博士らとの共同研究により、価値あるものを見つけるための神経回路メカニズムを解明しました。
我々ヒトを含む動物は、日常、価値の高いものに対して、より素早く、より頻繁に、より長く目を向けることが知られています。しかし、脳がどのようにして価値の高いものに目を向けるよう眼球運動をコントロールしているかについては明らかになっていませんでした。本研究グループは、今回、サルを用いた光遺伝学注1的手法により、価値に基づく行動に関与する大脳基底核注2の神経回路を人為的に操作しました。価値情報を伝達していると考えられる線条体(特に尾状核注3)から黒質網様部注4への神経回路を光照射により選択的に活性化させたところ、眼球運動を調節する中脳の上丘注5で神経活動が亢進し、それに伴って、ターゲットへの眼球運動が誘発されました。このメカニズムは、価値に基づく効率的な視覚探索をおこなうことに寄与していると考えられます。
本成果は、2020 年4月 20 日に、英国の国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。
1.背景
私たちは絶えず目を動かしながら、外界の視覚情報を取得していますが、一方で、視野に入ったものに一様に視線を動かしているのではなく、価値の高いものに対して、より頻繁に目を向ける傾向があることもわかっています。このような眼球運動の特徴は有益な視覚情報を効率的に探索するうえで極めて重要です。しかし、脳がどのようにして価値の高いものに目を向けるよう眼球運動をコントロールしているかについてはこれまで明らかになっていませんでした。本研究では、眼球運動の調節に関与することがよく知られている大脳基底核に着目し、複雑な基底核ネットワークのうち、価値情報を伝達すると考えられている特定の神経回路のみを選択的に操作することにより、この問題にチャレンジしました。
2.研究手法・成果
本研究グループは、光照射により神経細胞を活性化させるイオンチャネル(チャネルロドプシン2)を発現するウイルスベクター注6を線条体(特に尾状核)に注入するとともに(図1A)、光ファイバーを尾状核の投射先のひとつである黒質網様部に刺入し、尾状核から黒質網様部に投射する神経細胞の軸索末端を光刺激しました(図1B)。その結果、黒質網様部の神経活動が抑制されたのに対して、黒質網様部からの入力を受ける上丘の神経活動は亢進しました(図1C)。このことは尾状核から黒質網様部への神経投射、および黒質網様部から上丘への神経投射がどちらも抑制性であり、光刺激により尾状核の神経活動が惹起されると、脱抑制注7によって上丘の神経活動が亢進するためであると考えられます。
さらに、これらの神経投射が実際にどのような情報を担っているかを調べるため、報酬(ジュース)と結びついた視覚図形をサルに提示したときの神経活動を調べました(図1D)。その結果、より多くの報酬が得らえる視覚図形を提示したときに、黒質網様部の神経活動は抑制され、逆に尾状核と上丘の神経活動は亢進することが確認されました(図1E)。このことから、尾状核から黒質を介して上丘に至る神経回路は報酬と結びついた価値の高い視覚図形に関する情報を伝達していることが示唆されました。
最後に、光刺激をおこなった際のサルの眼球運動を調べました。サルに映像を見せ、自由に視覚探索しているときにランダムなタイミングで刺激したところ(図2A)、光刺激したときには、光刺激していないときに比べて受容野(神経細胞が応答する視野領域)への視線移動が増加していることが明らかになりました
(図2B)。
以上のことから、尾状核から黒質網様部を介して上丘に投射する神経回路は、(1)価値の高い視覚図形に関する情報を伝達し、(2)脱抑制により上丘の神経活動を亢進させ、(3)その結果、価値の高い視覚図形への視線移動を促進している、と結論付けることができます(図2C)。このような神経回路は、さまざまな視覚情報のなかから価値あるものを効率よく見つけることに寄与していると考えられます。
3.波及効果、今後の予定
本研究では大脳基底核が価値情報を眼球運動に変換する仕組みを解明しましたが、同様のアプローチを用いることにより、運動機能だけでなく、認知機能や情動機能など大脳基底核が司る多様な高次機能のメカニズム解明が可能になると期待されます。また、今後は、本研究で明らかにした価値に基づく探索行動がパーキンソン病などの大脳基底核疾患の際にどのように障害されるかを解析し、当該疾患の病態生理の一端に迫りたいと考えています。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、下記の研究機関、助成金の支援を受けて行われました。
U.S. Department of Health & Human Services NIH National Eye Institute (NEI) 文部科学省 科学技術振興機構(JST) さきがけ 研究課題番号 JPMJPR1683 文部科学省 科学技術振興機構(JST) CREST 研究課題番号 JPMJCR1853
<用語解説>
注1)光遺伝学 :光によって活性化されるタンパク質を特定の細胞に発現させ、細胞の機能を光で操作する技術。チャネルロドプシン2を発現させた神経細胞に青色光を照射すると、神経活動を一過性に亢進させることができる。
注2)大脳基底核 :大脳皮質下にある複数の神経核で構成され、運動機能だけでなく、認知機能や情動機能など多様な機能を担っている脳領域。パーキンソン病は代表的な大脳基底核疾患である。
注3)尾状核 :大脳基底核の主要な入力核。大脳皮質、視床、ドーパミン細胞などから入力を受け取り、黒質網様部に投射しており、軸索末端から抑制性伝達物質であるγ-アミノ酪酸(GABA)を放出している。
注4)黒質網様部 :大脳基底核の主要な出力核。上丘、脳幹、視床などに出力している。軸索末端から GABA を放出している。
注5)上丘 :中脳の背側部にある領域。網膜から視覚情報を受け取るとともに、大脳皮質や黒質網様部から入力を受けて眼球運動や定位行動を制御している。
注6)ウイルスベクター :ウイルスが持つ病原性に関する遺伝子を取り除き、遺伝子の「 運び屋」として利用できるようにしたもの。本研究では、病原性のないアデノ随伴ウイルスのベクターを利用した。
注7)脱抑制 :抑制を解除することで神経活動を亢進させるメカニズム。とくに大脳基底核では、抑制の抑制(二重抑制)により、適切なタイミングで必要な行動を生み出せるよう制御していると考えられる。
<研究者のコメント>
眼球運動をコントロールする大脳基底核の神経回路の存在は、1980 年代から彦坂博士らによって提唱されていましたが、我々が世界に先駆けて開発したウイルスベクターを用いた霊長類脳への遺伝子導入技術と光遺伝学を組み合わせた手法により、今回、価値に基づく効率的な視覚探索を担う神経回路を明らかにすることが
できました。今後は大脳基底核疾患の際にこの探索行動がどのように障害されるかを調べたいと思っています。
<論文タイトルと著者>
タイトル:Optogenetic manipulation of a value-coding pathway from the primate caudate tail facilitates saccadic gaze shift(価値情報を担う尾状核神経回路の光遺伝学的操作は視線移動を促進する)
著 者:Hidetoshi Amita, Hyoung F. Kim, Ken-ichi Inoue, Masahiko Takada, Okihide Hikosaka
掲 載 誌:Nature Communications
DOI:10.1038/s41467-020-15802-y
<参考図表>
図1 光遺伝学的手法を用いた神経活動操作と価値に基づく神経活動
ウイルスベクターを線条体( 特に尾状核)に注入し( A)、黒質網様部における軸索末端に光照射したところ( B)、黒質網様部の神経活動が抑制されるのに対して( C 上)、上丘の神経活動は脱抑制された( C 下)。報酬( ジュース)量の多い視覚図形( 価値の高いターゲット)が出たときには( D)、光刺激のときと同様に、黒質網様部の神経活動が抑制され(E 上、赤線)、上丘の神経活動は脱抑制された(E 下、赤線)。
図2 光刺激による眼球運動の変化と大脳基底核回路のシェーマ
(A)サルに映像を見せ、自由に視覚探索しているとき(自由視覚探索課題実行中)に光刺激をおこなった。(B)光刺激後に受容野( 神経細胞が応答する視野領域)への眼球運動が亢進された。(C)視覚情報は尾状核
から黒質網様部を介して上丘に伝達され、その過程で価値情報が眼球運動に変換されると考えられる。
―価値情報を眼球運動に変換する仕組み― 概要
京都大学霊長類研究所の網田英敏 特定助教、井上謙一 同助教、高田昌彦 同教授は、米国 NIH(国立衛生研究所)の彦坂興秀博士らとの共同研究により、価値あるものを見つけるための神経回路メカニズムを解明しました。
我々ヒトを含む動物は、日常、価値の高いものに対して、より素早く、より頻繁に、より長く目を向けることが知られています。しかし、脳がどのようにして価値の高いものに目を向けるよう眼球運動をコントロールしているかについては明らかになっていませんでした。本研究グループは、今回、サルを用いた光遺伝学注1的手法により、価値に基づく行動に関与する大脳基底核注2の神経回路を人為的に操作しました。価値情報を伝達していると考えられる線条体(特に尾状核注3)から黒質網様部注4への神経回路を光照射により選択的に活性化させたところ、眼球運動を調節する中脳の上丘注5で神経活動が亢進し、それに伴って、ターゲットへの眼球運動が誘発されました。このメカニズムは、価値に基づく効率的な視覚探索をおこなうことに寄与していると考えられます。
本成果は、2020 年4月 20 日に、英国の国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。
1.背景
私たちは絶えず目を動かしながら、外界の視覚情報を取得していますが、一方で、視野に入ったものに一様に視線を動かしているのではなく、価値の高いものに対して、より頻繁に目を向ける傾向があることもわかっています。このような眼球運動の特徴は有益な視覚情報を効率的に探索するうえで極めて重要です。しかし、脳がどのようにして価値の高いものに目を向けるよう眼球運動をコントロールしているかについてはこれまで明らかになっていませんでした。本研究では、眼球運動の調節に関与することがよく知られている大脳基底核に着目し、複雑な基底核ネットワークのうち、価値情報を伝達すると考えられている特定の神経回路のみを選択的に操作することにより、この問題にチャレンジしました。
2.研究手法・成果
本研究グループは、光照射により神経細胞を活性化させるイオンチャネル(チャネルロドプシン2)を発現するウイルスベクター注6を線条体(特に尾状核)に注入するとともに(図1A)、光ファイバーを尾状核の投射先のひとつである黒質網様部に刺入し、尾状核から黒質網様部に投射する神経細胞の軸索末端を光刺激しました(図1B)。その結果、黒質網様部の神経活動が抑制されたのに対して、黒質網様部からの入力を受ける上丘の神経活動は亢進しました(図1C)。このことは尾状核から黒質網様部への神経投射、および黒質網様部から上丘への神経投射がどちらも抑制性であり、光刺激により尾状核の神経活動が惹起されると、脱抑制注7によって上丘の神経活動が亢進するためであると考えられます。
さらに、これらの神経投射が実際にどのような情報を担っているかを調べるため、報酬(ジュース)と結びついた視覚図形をサルに提示したときの神経活動を調べました(図1D)。その結果、より多くの報酬が得らえる視覚図形を提示したときに、黒質網様部の神経活動は抑制され、逆に尾状核と上丘の神経活動は亢進することが確認されました(図1E)。このことから、尾状核から黒質を介して上丘に至る神経回路は報酬と結びついた価値の高い視覚図形に関する情報を伝達していることが示唆されました。
最後に、光刺激をおこなった際のサルの眼球運動を調べました。サルに映像を見せ、自由に視覚探索しているときにランダムなタイミングで刺激したところ(図2A)、光刺激したときには、光刺激していないときに比べて受容野(神経細胞が応答する視野領域)への視線移動が増加していることが明らかになりました
(図2B)。
以上のことから、尾状核から黒質網様部を介して上丘に投射する神経回路は、(1)価値の高い視覚図形に関する情報を伝達し、(2)脱抑制により上丘の神経活動を亢進させ、(3)その結果、価値の高い視覚図形への視線移動を促進している、と結論付けることができます(図2C)。このような神経回路は、さまざまな視覚情報のなかから価値あるものを効率よく見つけることに寄与していると考えられます。
3.波及効果、今後の予定
本研究では大脳基底核が価値情報を眼球運動に変換する仕組みを解明しましたが、同様のアプローチを用いることにより、運動機能だけでなく、認知機能や情動機能など大脳基底核が司る多様な高次機能のメカニズム解明が可能になると期待されます。また、今後は、本研究で明らかにした価値に基づく探索行動がパーキンソン病などの大脳基底核疾患の際にどのように障害されるかを解析し、当該疾患の病態生理の一端に迫りたいと考えています。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、下記の研究機関、助成金の支援を受けて行われました。
U.S. Department of Health & Human Services NIH National Eye Institute (NEI) 文部科学省 科学技術振興機構(JST) さきがけ 研究課題番号 JPMJPR1683 文部科学省 科学技術振興機構(JST) CREST 研究課題番号 JPMJCR1853
<用語解説>
注1)光遺伝学 :光によって活性化されるタンパク質を特定の細胞に発現させ、細胞の機能を光で操作する技術。チャネルロドプシン2を発現させた神経細胞に青色光を照射すると、神経活動を一過性に亢進させることができる。
注2)大脳基底核 :大脳皮質下にある複数の神経核で構成され、運動機能だけでなく、認知機能や情動機能など多様な機能を担っている脳領域。パーキンソン病は代表的な大脳基底核疾患である。
注3)尾状核 :大脳基底核の主要な入力核。大脳皮質、視床、ドーパミン細胞などから入力を受け取り、黒質網様部に投射しており、軸索末端から抑制性伝達物質であるγ-アミノ酪酸(GABA)を放出している。
注4)黒質網様部 :大脳基底核の主要な出力核。上丘、脳幹、視床などに出力している。軸索末端から GABA を放出している。
注5)上丘 :中脳の背側部にある領域。網膜から視覚情報を受け取るとともに、大脳皮質や黒質網様部から入力を受けて眼球運動や定位行動を制御している。
注6)ウイルスベクター :ウイルスが持つ病原性に関する遺伝子を取り除き、遺伝子の「 運び屋」として利用できるようにしたもの。本研究では、病原性のないアデノ随伴ウイルスのベクターを利用した。
注7)脱抑制 :抑制を解除することで神経活動を亢進させるメカニズム。とくに大脳基底核では、抑制の抑制(二重抑制)により、適切なタイミングで必要な行動を生み出せるよう制御していると考えられる。
<研究者のコメント>
眼球運動をコントロールする大脳基底核の神経回路の存在は、1980 年代から彦坂博士らによって提唱されていましたが、我々が世界に先駆けて開発したウイルスベクターを用いた霊長類脳への遺伝子導入技術と光遺伝学を組み合わせた手法により、今回、価値に基づく効率的な視覚探索を担う神経回路を明らかにすることが
できました。今後は大脳基底核疾患の際にこの探索行動がどのように障害されるかを調べたいと思っています。
<論文タイトルと著者>
タイトル:Optogenetic manipulation of a value-coding pathway from the primate caudate tail facilitates saccadic gaze shift(価値情報を担う尾状核神経回路の光遺伝学的操作は視線移動を促進する)
著 者:Hidetoshi Amita, Hyoung F. Kim, Ken-ichi Inoue, Masahiko Takada, Okihide Hikosaka
掲 載 誌:Nature Communications
DOI:10.1038/s41467-020-15802-y
<参考図表>
図1 光遺伝学的手法を用いた神経活動操作と価値に基づく神経活動
ウイルスベクターを線条体( 特に尾状核)に注入し( A)、黒質網様部における軸索末端に光照射したところ( B)、黒質網様部の神経活動が抑制されるのに対して( C 上)、上丘の神経活動は脱抑制された( C 下)。報酬( ジュース)量の多い視覚図形( 価値の高いターゲット)が出たときには( D)、光刺激のときと同様に、黒質網様部の神経活動が抑制され(E 上、赤線)、上丘の神経活動は脱抑制された(E 下、赤線)。
図2 光刺激による眼球運動の変化と大脳基底核回路のシェーマ
(A)サルに映像を見せ、自由に視覚探索しているとき(自由視覚探索課題実行中)に光刺激をおこなった。(B)光刺激後に受容野( 神経細胞が応答する視野領域)への眼球運動が亢進された。(C)視覚情報は尾状核
から黒質網様部を介して上丘に伝達され、その過程で価値情報が眼球運動に変換されると考えられる。