2020-06-04 京都大学,基礎生物学研究所
京都大学大学院生命科学研究科 日野直也 助教、松田道行 同教授、同医学研究科 平島剛志 講師らの研究グループは、Institute for Bioengineering of Catalonia(スペイン)のXavier Trepat教授、基礎生物学研究所の青木一洋教授らと共同で、集団運動時に細胞同士が引っ張り合うことでERK分子の活性波が生み出されることを明らかにしました。以前私たちの研究チームは、細胞増殖を促進する「分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ(Extracellular Signal-regulated Kinase、以下ERKと略します)」の活性が、創傷治癒過程において波として伝播することを報告しましたが、その制御機構については多くの謎が残されていました。本研究では、細胞が生み出す機械的な力に着目し、分子活性の可視化・操作技術、力の測定、数理モデルを組み合わせ、その謎に挑みました。その結果、細胞の引っ張り合いという力学的なシグナルがERK活性波を生成することがわかりました。細胞における力学-生化学の連成作用を明らかにした本研究は、今後の多細胞動態メカノバイオロジー研究の基盤になると期待されます。
本成果は、2020年6月4日に米国の国際学術誌「Developmental Cell」にオンライン掲載されます。
1.背景
皮膚の一部が欠損するとそれを修復するべく、傷口を取り囲む正常の細胞が前進します。この創傷治癒という現象は古くから研究されていますが、なぜ、細胞が集団として協調的に移動するのかは未だ明らかではありません。傷口から遠く離れた細胞が、なぜ、傷ができたことを知り、それを埋めるべく協調して前進を開始するのでしょうか?以前私たちは、マウスの皮膚や培養細胞を用いて創傷治癒を模した実験系をつくり、細胞増殖を制御するタンパク質ERKの活性が傷口で上昇し、後方へ向かって大きな波として、しかも何度も繰り返して伝播していく現象を発見しました(2015, Hiratsuka et al., eLife; 2017, Aoki et al., Dev Cell)。しかし、どのような制御機構で隣の細胞にERK活性が伝わるのかについては不明な点が数多く残されていました。
近年、メカノバイオロジーという研究分野において、細胞が生み出す機械的な力に着目する研究が数多く報告されています。私たちは、細胞における機械的な力とERK活性との相互作用に焦点を当て、協調的な集団運動を生み出す制御システムの解明に取り組みました。本プロジェクトでは、力学と生化学という異なる研究分野の統合に取り組む必要があったため、京都大学SPIRITSの支援を受け(プロジェクト名:細胞集団運動の統合的理解に向けたメカノバイオロジー研究の国際共同ネットワーク構築)、細胞の力測定に詳しいXavier Trepat教授らのグループ(Institute for Bioengineering of Catalonia:IBEC、スペイン)と協働し、研究を進めました。
2.研究手法・成果
本研究では、イヌの腎臓由来の上皮細胞株であるMDCK細胞を用いて、集団運動時の細胞形状とERK活性をタイムラプスイメージングし、両者の相関を定量的に解析しました。また、基礎生物学研究所の青木一洋教授らが確立した青色光によるERK活性操作法とIBECのXavier Trepat教授らの牽引力顕微鏡法(Traction Force Microscopy)を組み合わせることで、ERK活性変化に対する細胞変形や力の変化を測定しました。その結果、細胞が隣の細胞に引っ張られることでERKが活性化し、ERK活性化に応じて細胞が収縮することがわかりました。ERKの活性化は、細胞収縮を介して接着している隣の細胞への引張力の作用につながり、ERK活性伝播が起こると考えられます。さらに、これらの実験結果を数理モデル化することで、細胞集団運動の再現と予測に成功しました。この細胞における力学-生化学の連成作用は、新たな多細胞動態メカノバイオロジー研究の基盤となることが期待されます。
3.波及効果、今後の予定
本研究により、細胞の引っ張り合いに起因するERK活性の多細胞時空間パターンを制御する機構が明らかとなりました。ERK活性は、創傷治癒時に観察される協調的な細胞集団運動を司る重要なタンパク質です。また、ERKを含むシグナル伝達経路は、腫瘍形成に深く関与することが知られています。今後、力の受容とERK活性応答の制御システムの解明を進めることで、疾患の理解や新たな治療法の開発に役立つ基礎知見を積み上げる予定です。
4.研究プロジェクトについて
日本学術振興会 科学研究費(17J02107および15H05949577)、科学技術振興機構(CREST JPMJCR1654)、および京都大学SPIRITS 2018の支援を受けて実施されました。
Institute for Bioengineering of Catalonia (IBEC、スペイン)と基礎生物学研究所(岡崎)との共同研究です。
<研究者のコメント>
論文として成果報告することができ、一安心しました。プロジェクト開始当初は、研究分野や国境の垣根を越えて共同研究を進めていくことに少々の不安を感じていましたが、バルセロナでの短期滞在やテレビ電話会議を重ね、着実にデータを積み上げていくうちに自信や悦びが高まっていった感覚を思い出します。
<論文タイトルと著者>
タイトル:ERK-mediated mechanochemical waves direct collective cell polarization(ERKを介したメカノケミカル波が細胞の集団極性をつくる)
著 者:Naoya Hino, Leone Rossetti, Ariadna Marín-Llauradó, Kazuhiro Aoki, Xavier Trepat, Michiyuki Matsuda, Tsuyoshi Hirashima
掲 載 誌:Developmental Cell
<お問い合わせ先>
平島剛志(ひらしまつよし)
京都大学大学院医学研究科・講師
<参考図表>
図:細胞集団におけるERK活性の波紋(左は実験、右は数理モデルの結果)。赤色はERK活性の高い細胞を示す。