2021-03-27 東京大学
北川 智久(研究当時:生物科学専攻 修士課程2年)
松本 惇志(生物科学専攻 博士課程3年)
寺島 一郎(生物科学専攻 教授)
上園 幸史(生物科学専攻 助教)
発表のポイント
- 抗マラリア薬のキナクリンとクロロキンが薬効を失う原因を解明しました。
- 抗マラリア薬が脂質膜に作用する機構と、薬物耐性が患者側の健康状態(pH)の変化で生じる機構を初めて示しました。
- 病原菌側の変異に影響されない抗菌・抗ウィルス薬の開発に役立つことが期待されます。
発表概要
抗マラリア薬には抗原虫作用以外に、抗菌、抗ウィルスや免疫抑制など、多面的な薬理作用が知られていますが、その作用と耐性の機構は未だに不明です。東京大学大学院理学系研究科の北川智久大学院生(研究当時)、松本惇志大学院生、寺島一郎教授と上園幸史助教のグループは、抗マラリア薬が、pHの上昇で塩基性両親媒性薬剤(CAD)構造(注1)に変化し、酵母の脂質膜に局在して単糖輸送体機能を阻害し、抗菌作用を示す機構を初めて明らかにしました。この機構に基づけば、わずかなpHの低下でCAD構造の割合が減少すると抗マラリア薬は効力を失い、見かけ上耐性になると考えられます。この成果は、薬物耐性の機構に新たな視点を与え、適切な薬物の選定・探索法を提供するとともに、病原菌側の膜タンパク質変異に影響されない抗菌・抗ウィルス薬の開発にも役立つことが期待されます。
発表内容
抗マラリア薬には抗原虫作用だけでなく、免疫抑制作用を示すものもあり、臨床薬として使用されてきました。細胞レベルでは、さまざまな微生物への抗菌や抗ウィルス作用、また抗がん作用も知られていますが、なぜこのような多面的な薬理作用があるのかわかっていません。また、新型コロナウィルスに対する、抗マラリア薬クロロキンの曖昧な臨床作用でも知られるように、これら細胞レベルの作用の多くは臨床では確認できません。このような細胞と臨床レベルの作用の不一致は、抗マラリア薬に限らず、薬剤開発に莫大な費用がかかる原因の一つでもあります。さらに、クロロキンは、卵形、三日熱、四日熱マラリア原虫の3種には現在でも有効ですが、最も致死率の高い熱帯熱マラリア原虫には効きません。そのため、世界中の研究者が原虫側の要因に着目して研究していますが、未だ解明には至っていません。
今回、従来の原虫側からの視点ではなく、pHに応じた抗マラリア薬の構造変化に着目して生物作用との関係を解明することにしました。そこで、抗マラリア薬の抗菌作用に着目し、出芽酵母を用いて解析を行いました。人工合成のマラリア薬として1932年に初めて開発されたキナクリン(QC)の構造は、抗精神病薬のクロルプロマジン(CPZ)とよく似ています(図1)。
図1:抗マラリア薬キナクリンのpHに応じた構造変化
しかし、QCは酵母の酸性液胞内に蓄積しますが、CPZは脂質膜に局在します。なぜ局在が違うのか、その原因を構造側から調べることにしました。CPZは疎水性部位と正に帯電した親水性部位を持つ塩基性両親媒性薬剤(CAD)構造なので、同じ両親媒性構造の脂質膜に局在すると考えられます。同様なCAD構造がQCにもあるのではと考え、計算化学で構造変化を推定して解析したところ、QCはpH上昇に応じた窒素の脱プロトン化で、親水性(HP)型、CAD型、脂溶性(LP)型と、物性が異なる構造に変化することが判明しました(図1)。QCの酵母への抗菌作用は、pH 5からpH 8へのCAD型の増加に応じて指数的に増強したため(約600倍)、CAD型が抗菌作用を示すと考えられます。このCAD型QCは酵母の脂質膜にも局在し、CPZと同様に、単糖輸送体の機能を基質認識以外の部位で阻害して糖飢餓を誘発し、高濃度では膜自体を破壊することがわかりました。したがって、脂質膜の配向に沿って非特異的に局在したCAD型QCが、さまざまな膜タンパク質の機能を阻害することで多面的な薬理作用を示すと思われます(図2)。
図2:抗マラリア薬キナクリンの作用と毒性の機構
pH上昇に伴うCAD型の増加と指数的な抗菌作用の増強は、クロロキンでも確認できたため、これら抗マラリア薬の薬理作用にはCAD構造が重要と結論しました。これは逆に、正常な血中pH 7.4からのわずかな低下でCAD構造が減少すると、薬効が大きく低下することを示しています。つまり、熱帯熱マラリアやCOVID-19患者は体液の酸性化を併発するため、これらの抗マラリア薬は酸性化の度合いに応じて薬効が低下し、重症化すれば効力を失うことになります。これは単一のpH(7.4)で評価した細胞レベルの薬物作用が、複雑なpHの臨床レベルでは合致しない原因とも考えられます。さらに、本研究はCAD型を形成するpH域が薬剤種で異なることも明らかにしました(図3)。これに基づいて患部のpHでCAD 型となる薬剤を選定すれば、効力を示す可能性があります。
図3:さまざまな抗マラリア薬のCAD構造のpH分布
今回の成果から、薬物耐性は耐性菌(細胞)の出現だけでなく、薬剤によっては患者側の健康状態(pH)の変化でも生じうると考えられます。そのため、感染症の場合、患者や感染部位のpH状態を把握した上で、薬剤を選定・探索する必要があります。例えば、肺炎で体液が酸性化しているCOVID-19重症患者に敢えて抗マラリア薬を投与する場合、クロロキン系ではなく、pH低下でCAD構造が減少しないキニーネやプリマキンが適切かもしれません(図3)。このようなpHに応じた構造と物性の変化は、抗マラリア薬に限らずさまざまな化合物でも確認できるため、薬物の耐性機構に新たな視点を提供すると思われます。また、CAD系薬剤は脂質膜を標的とするため(図2)、上手く設計すれば、病原菌側の膜タンパク質の変異に影響されない、優れた抗菌・抗ウィルス薬となる可能性があります。
発表雑誌
- 雑誌名
Journal of Medicinal Chemistry論文タイトル
Antimalarial quinacrine and chloroquine lose their activity by decreasing cationic amphiphilic structure with a slight decrease in pH著者
Tomohisa Kitagawa, Atsushi Matsumoto, Ichiro Terashima, and Yukifumi Uesono*DOI番号
10.1021/acs.jmedchem.0c02056論文URL
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用語解説
注1 両親媒性構造
一分子中に、水分子と馴染みやすい親水部と、馴染みにくい疎水部を持つ化合物の総称です。アルコール、界面活性剤などの化合物や生物の脂質膜が知られています。