保水性能を有する生物試料用マイクロチップを開発

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微小生物の動きを抑えて生きたまま長時間観察できる麻酔要らずの夢のチップ

2018-06-14 量子科学技術研究開発機構,Biocosm株式会社

発表のポイント
  • 培養細胞や微生物、微小動物などを生きたままの状態で長時間培養または麻酔なしで収容保定するための高い保水性能を有するPDMSマイクロチップの開発に成功。
  • チップの厚さをイオンマイクロビームが透過可能な1ミリ以下とすることで、ヒットしたイオンの正確な検出と照射後の生物試料の観察を可能に。
  • 限られたスペースでの各種微小生物の長時間観察などにも広く応用可能。

保水性能を有する生物試料用マイクロチップを開発 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」という。)とBiocosm株式会社(代表取締役 平塚哉)は共同で、高い保水性能を有する生物試料用PDMSマイクロチップ1)を開発し、5月24日付けで日本国特許「生物試料用マイクロチップ」(特願2018-099452)の出願を行いました。
本マイクロチップは、高い保水性能により、動植物の培養細胞や血球細胞、ミドリムシなどの微生物、線虫などの微小な動物(卵、幼虫、成虫)といった各種生物試料を生きたままの状態で長時間培養または収容保定することを可能にしました。麻酔を使わずに微小生物の動きを止めることができ、細胞や組織の一部を狙い撃ちするイオンマイクロビーム局部照射2)実験や長時間の蛍光イメージング観察が可能になるため、神経科学研究をはじめとする生命科学、医学、農学分野の研究にイノベーションをもたらすものと期待されます。
本成果のうち、モデル動物である線虫(Cエレガンス)3)専用に開発した切手大のPDMSマイクロチップ「Worm Sheet(ワームシート)」の詳細が、神経科学分野の研究手法の国際的な専門誌であるJournal of Neuroscience Methods誌の2018年8月1日号に掲載予定で、オンライン版に2018年5月31日に先行掲載されました。また、Worm SheetがBiocosm株式会社より国内向けとして発売されます(6月14日より予約受付開始)。

1 開発の経緯

X線やガンマ線、重粒子線(イオンビーム)などの放射線は、がんの診断や治療、イオンビーム育種などに広く利用されています。同時に、放射線の影響を調べるための研究や技術開発も精力的に進められています。
イオンマイクロビーム局部照射は、生体内の特定の部位を正確に狙って照射することによって、その部位の機能の推定や、生体中で放射線感受性の高い部位の特定、さらには放射線の生体影響機構などを調べる手段です。量研高崎量子応用研究所では、種々のイオンビームを数ミクロン(1000分の数ミリ)のサイズまで細く(マイクロビーム化)し、顕微鏡観察下で一つひとつの細胞や組織を狙って照射する技術を世界に先駆けて開発し、植物から微生物、線虫、カイコ、メダカなどのモデル動物に至るまで、多様な生物試料へのイオンマイクロビーム局部照射を実現してきました。
この局部照射、特に、モデル動物の線虫のようなごく微小な生物を対象とする場合では、いかにして、生きたままの状態でその動きだけを抑え、特定の部位だけへの正確な照射を実現するかが課題となります。さらに、運動機能や高次神経機能に対するイオン局部照射の影響を解析する場合には、麻酔せずに動きを抑制する必要がありました。
そこで研究チームは、近年、線虫の研究に使われ始めたポリジメチルシロキサン(PDMS)製のマイクロチップに注目し、微細加工技術によりPDMSマイクロチップの表面に形成された直線状のマイクロチャネル(溝)に緩衝液と共に線虫を収容することで、その生理活性を損なわず動きだけを抑え、特定の細胞や組織を狙ったイオンマイクロビーム局部照射や細胞などの顕微鏡下での観察が容易に行えると考えました。しかし、照射実験や観察には最低でも30分程度かかるため、従来の疎水性のPDMSマイクロチップでは収容した線虫が実験や観察の最中に乾いてしまうことが頻繁に起こり、問題となっていました。また、脱水予防性能を有するPDMSマイクロチップは存在せず、時間のかかるイオンマイクロビーム照射や顕微鏡下での細胞や組織の観察には限界がありました。

2 成果の詳細

本研究では、マイクロチャネル(溝)を形成したPDMSマイクロチップの母材自体に親水化処理を施すことによって保水性能を付与し、生物試料の脱水を防いで、生きたままの状態で長時間培養または収容保定することを可能にしました。
(1)保水性能の付与と線虫を用いた性能評価
モデル動物の線虫専用に切手大のPDMSマイクロチップ「Worm Sheet(ワームシート)」を開発しました。このWorm Sheetの表面には、線虫の体の幅とほぼ同じサイズの直線状のマイクロチャネルを25本形成し、複数の線虫を同時に収容保定できるようにしました。マイクロチップの表面に緩衝液を滴下し、その中に白金線で捕捉した線虫を1匹ずつ入れ、上から透明なカバーを被せると、線虫がスムーズにマイクロチャネルの中に収容されます(図1)。PDMSは自己吸着性の高い素材であるため、特別な接着剤や固定具を使わずにカバーを被せるだけ密着できます。カバーはめくれば簡単に剥がれ、実験や観察の後、カバーを剥がしたPDMSマイクロチップに緩衝液の液滴を滴下すると、その中に線虫が泳ぎ出てくるため、線虫を容易に回収できます。



図1 Worm Sheetのマイクロチャネル(溝)に収容した線虫の成虫

上)Worm Sheetに線虫を収容保定する方法(断面図)
下)マイクロチャネルに収容保定した線虫の成虫とイオンマイクロビーム照射エリアの例(上から)
PDMSマイクロチップの保水性能を評価するために、脱水を生じやすい塩濃度の高い緩衝液と共にマイクロチャネルに線虫を収容して1時間置き、その後の線虫の運動を調べる試験を行いました。その結果、親水化処理を施さなかった2種類のPDMSマイクロチップに収容した線虫の運動がいずれも著しく低下したのに対して、親水化処理を施したWorm Sheetに収容した線虫の運動は1時間自由に運動させた線虫との間に差がありませんでした。つまり、PDMSマイクロチップの母材自体の親水化処理により保水性能が付与され、線虫の脱水が完全に防止できたのです。同様の保水性能は、PDMSマイクロチップの表面のみをプラズマ処理して親水化する方法では実現できなかったことから、PDMSマイクロチップの母材自体の親水化が保水性能の付与に重要であることが明らかとなりました。また、母材自体に親水化処理したWorm Sheetに塩濃度の高い緩衝液と共に線虫を3時間収容した試験でも、収容後にも線虫の運動が低下せず、長時間の実験や観察に適用可能であることが確かめられました。さらに、10回反復して使っても保水性能が劣化しないことも確かめられました。
(2)保水性能および細胞接着性能の付与と細胞を用いた性能評価
動植物細胞専用に切手大のPDMSマイクロチップを開発しました。Worm Sheet同様にマイクロチップの母材自体に親水化処理を施したうえで、さらに表面処理を加えて細胞接着性を付与しました。
動植物細胞用PDMSマイクロチップにヒト由来の培養細胞を播種した実験では、播種後数時間で、市販の培養細胞用シャーレと同等に細胞が接着し増殖することを確認しました。このPDMSマイクロチップは、表面処理無しで非接着性の細胞、有りで接着性の細胞のいずれにも適用可能であること、顕微鏡ステージなどの限られたスペースでの長時間観察にも適用可能であることなどから、培養細胞を用いた生命科学、医学、農学等の各分野の研究に広く応用できるものと期待されます。このため、培養する細胞の種類や特性によって表面処理の条件をどのように変えるかなどについて、さらなる研究を進めていきます。
(3)イオンマイクロビームが透過可能な薄さの実現
一般的なPDMSマイクロチップの厚さは2.5ミリ以上でしたが、本研究では厚さを種々のイオンマイクロビームの水中飛程(概ね1ミリ以下)より薄くすることで、生物試料を収容固定または培養したPDMSマイクロチップをイオンが透過できるようにしました。上述のWorm Sheetの厚さは300ミクロン(1000分の300ミリ)、動植物細胞用PDMSマイクロチップの厚さは100ミクロンです。これにより、生物試料にヒットしたイオンの数をPDMSマイクロチップ下部に配置した照射装置の検出系で検出して正確に計数することができるようになりました。
(1)~(3)の成果は、イオンマイクロビーム局部照射実験の精度の向上のみならず、照射実験に限らない応用範囲の拡大に大きく貢献するものと期待されます。

3 今後の予定

・本成果に基づいて線虫専用に開発されたPDMSマイクロチップ「Worm Sheet(ワームシート)」が、Biocosm株式会社より国内向けとして発売されます(平成30年6月14日に予約受付開始)。
・その他の微小生物に対するニーズ調査を行い、細胞や各種微生物、動植物用のラインナップを拡充していく予定です。各製品の海外展開も見据えています。
・本技術および製品について、JASIS 2018(平成30年9月5~7日、幕張メッセ)にてPRします。

4 用語解説

1) PDMS生物試料用マイクロチップ
ポリジメチルシロキサン(PDMS)を母材とし、型取りによって数ミクロン(1000分の数ミリ)から数十ミクロンの任意の構造のマイクロチャネル(溝)を表面に転写して形成したデバイスです。PDMSは自己吸着性がある素材のため、生物試料を微量の緩衝液と共にマイクロチャネルに播種または収容した後、ポリスチレンなどの割れにくい素材でできた薄いカバーを被せるだけで密封できます(図1)。また、PDMSは生体適合性に優れ、培養または収容保定した生物試料への悪影響はありません。さらに、無色透明であり、自家蛍光も極めて低いことから、生物試料を長時間収容保定しての蛍光イメージング観察などにも適用できます。
2) イオンマイクロビーム局部照射
イオンビームは、原子から電子を剥ぎ取った原子核(イオン)を加速器によって光速の数十分の一から数分の一程度にまで高速に加速したもので、重粒子線がん治療やイオンビーム育種などに幅広く応用されています。イオンのヒットが生体にもたらす影響を解析するには、照射する生体試料中のどの細胞にいくつのイオンがヒットしたかを正確に制御することが不可欠です。量研高崎量子応用研究所のイオン照射研究施設(TIARA)には、AVFサイクロトロンで加速した種々のイオンビームを数ミクロンのサイズまで細く(マイクロビーム化)し、顕微鏡観察下で一つひとつの細胞や組織を狙って照射できる世界最先端のマイクロビーム照射装置があります。
3) 線虫(Cエレガンス)
体長約1ミリ、細胞総数959個(雌雄同体)の多細胞生物で、神経系や筋、消化器や生殖器などの基本的な組織を備え、ヒトと共通の運動機能や高次神経機能を有しています。受精卵から成虫になるまでの全細胞の分裂過程が明らかにされている他、細胞同士の接続構造も完全に明らかにされており、発生や神経生物学のモデル動物として世界中で使われています。実験室では、大腸菌を餌として寒天平板上で飼育します。

5 関連論文掲載情報

掲載誌
Journal of Neuroscience Methods誌(Elsevier), Vol. 306(2018年8月1日号),pp. 32-37.
題名
Development of ultra-thin chips for immobilization of Caenorhabditis elegans in microfluidic channels during irradiation and selection of buffer solution to prevent dehydration
執筆者
Michiyo Suzuki*, Tetsuya Sakashita, Yuya Hattori, Yuichiro Yokota, Yasuhiko Kobayashi, Tomoo Funayama
*Corresponding Author
所属
Department of Radiation-Applied Biology Research, Takasaki Advanced Radiation Research Institute, National Institutes for Quantum and Radiological Science and Technology, 1233 Watanuki, Takasaki, Gunma 370-1292, Japan.
URL
https://doi.org/10.1016/j.jneumeth.2018.05.025

生物工学一般
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