生きた動物脳内の乳酸可視化センサーの開発~乳酸は「みにくいアヒルの子」なのか?~

ad

2023-10-27 東京大学

キャンベル ロバート (化学専攻 教授)
那須 雄介(化学専攻 助教/科学技術振興機構 さきがけ研究員)
上條 由貴(化学専攻 学術専門職員)
リ ジャン(研究当時:化学専攻 学部生)

発表のポイント

  • 細胞外の乳酸を観るバイオセンサーeLACCO2.1および、細胞内の乳酸を観るバイオセンサーR-iLACCO1を開発した。
  • 遺伝的にコード可能なセンサーとしてeLACCO2.1およびR-iLACCO1は世界最高感度を有し、生きているマウス神経細胞内外の乳酸動態を捉えることに成功した。
  • 今回開発された一連の乳酸センサー「LACCO(ラッコ)シリーズ」を利用することで、神経活動を支えるエネルギーとしての乳酸の新しい役割を明らかにすることが期待される。


乳酸バイオセンサーLACCOシリーズ

発表概要

東京大学大学院理学系研究科の那須助教、上條学術専門職員、キャンベル教授らは、タンパク質工学の手法を駆使することで、細胞外の乳酸(注1)を観るバイオセンサーeLACCO2.1および、細胞内の乳酸を観るバイオセンサーR-iLACCO1を開発しました(図1)。遺伝的にコード可能(注2)なこれらの乳酸センサーLACCOシリーズは世界最高感度を有し、生きているマウス神経細胞内外の乳酸動態を低侵襲かつ高時空間分解能で観察可能であることが実証されました。今回開発された一連の乳酸センサーLACCOシリーズは神経活動を支えるエネルギーとしての乳酸の新しい役割を明らかにするための強力なツールとなります。血流のブドウ糖(グルコース)が神経細胞の主要なエネルギー源であるとする脳科学の常識が覆されるかもしれません。


図1:乳酸バイオセンサーLACCOシリーズ
(上段)緑色蛍光細胞外乳酸バイオセンサーeLACCO2.1、(下段)赤色蛍光細胞内乳酸バイオセンサーR-iLACCO1。右図は乳酸の有無による励起・蛍光スペクトルの変化を示す。

発表内容

ヒトの脳は全重量の約2%を占めるに過ぎませんが、摂取した全エネルギーの約20%も消費しています。これまで長い間、グルコースが神経細胞の主要なエネルギー物質であり、乳酸はグルコースの単なる代謝副産物と考えられてきました。しかし近年、この乳酸が神経細胞でエネルギー物質として利用されているのではないかという説が提唱され、乳酸の役割が見直されつつあります。この乳酸の新たな役割を検証するためには、細胞内外の乳酸動態を観察する必要があります。そこで、本研究グループは細胞外の乳酸バイオセンサーeLACCO1.1をこれまでに開発しましたが(関連情報:プレスリリース①参照)、生きている動物に応用できるほど十分な乳酸感度がありませんでした。また、細胞内の乳酸動態を高い感度で可視化可能なセンサーはこれまでに報告がなく、生体内での細胞内の乳酸動態可視化は困難でした。

この度、本研究チームは指向性進化法(directed evolution)(注3)と呼ばれるタンパク質工学手法を用いて、細胞外乳酸センサーeLACCO2.1と細胞内乳酸センサーR-iLACCO1を開発しました。細胞外の乳酸を可視化するために、eLACCO2.1ではセンサー分子を細胞膜表面に発現するよう工夫しました。これら乳酸センサーLACCOシリーズは、乳酸濃度変化に対する蛍光シグナル変化においてeLACCO2.1乳酸感度:eLACCO1.1比で3.5倍、R-iLACCO1乳酸感度:既報の細胞内乳酸センサーLaconic比で100倍という世界最高乳酸感度を有し、生きているマウス脳内の神経細胞内外の乳酸動態を可視化することに成功しました(図2)。また、異なる蛍光波長のeLACCO2.1(緑色)とR-iLACCO1(赤色)を同時に利用することで、細胞外(緑色)と細胞内(赤色)の乳酸動態を同時に可視化することにも成功しました(図3)。

代謝副産物や筋肉疲労物質など、乳酸は長年ネガティブな分子として見られてきました。本研究で開発されたLACCOシリーズは生きている動物の中で乳酸の役割を解明することを可能にします。LACCOシリーズを用いた研究により、乳酸が実は我々の脳活動に極めて重要なエネルギー源であることを実証することが期待されます。乳酸は「みにくいアヒルの子」なのかもしれません。


図2:生体試料におけるLACCOシリーズのパフォーマンス
(上段)緑色蛍光細胞外乳酸バイオセンサーeLACCO2.1。生きたマウスでは、インシュリン刺激により神経細胞外で乳酸濃度が低下する様子を捉えている。(下段)赤色蛍光細胞内乳酸バイオセンサーR-iLACCO1。生きたマウスでは、空気によるヒゲへの刺激が神経細胞内の乳酸濃度を変化させる様子を捉えている。


図3:細胞内乳酸と細胞外乳酸の同時イメージング
(A)同時イメージングの模式図。細胞膜表面にeLACCO2.1(緑色)を、細胞内にR-iLACCO1.2(赤色、R-iLACCO1の乳酸親和性変異体)を発現させる。(B)細胞内外乳酸の二色同時観察の蛍光画像(左)とその蛍光強度経時変化(右)。飢餓状態(グルコースなしの状態)で培養した生細胞に、グルコースを添加して乳酸産生を促した。細胞内で乳酸が産生されると同時に、細胞外へ乳酸が放出される様子を捉えている。

〇関連情報:
「プレスリリース① 細胞外乳酸バイオセンサーの開発」(2021/12/6)

論文情報
雑誌名
Nature Communications論文タイトル
Lactate biosensors for spectrally and spatially multiplexed fluorescence imaging

著者
Nasu Y.*, Aggarwal A., Le G.N.T., Vo C.T., Kambe Y., Wang X., Beinlich F.R.M., Lee A.B., Ram T.R., Wang F., Gorzo K.A., Kamijo Y., Boisvert M., Nishinami S., Kawamura G., Ozawa T., Toda H., Gordon G.R., Ge S., Hirase H., Nedergaard M., Paquet M.-E., Drobizhev M., Podgorski K., Campbell R. E.*

DOI番号
10.1038/s41467-023-42230-5

研究助成

本研究は、科研費「第三世代蛍光乳酸センサーの開発(課題番号:21K14738)」、「Directed Evolution of a Palette of Optogenetic and Chemi-Optogenetic Indicators for Multiplexed Imaging of Cellular Metabolism(課題番号:19H05633)」、科学技術振興機構(JST)さきがけ「生体透明化技術の開発による脳深部神経代謝の解明(課題番号:JPMJPR22E9)」、精密測定技術振興財団、サントリー生命科学財団等の支援により実施されました。また本研究は、ハワードヒューズ医学研究所(Janelia Research Campus)、アレン研究所、ラーバル大学、コペンハーゲン大学、鹿児島大学、カルガリー大学、モンタナ州立大学、筑波大学との共同で行われました。

用語解説

注1  乳酸
1780年、スウェーデンの化学者Carl Wilhelm Scheeleがサワーミルクから発見した有機化合物。解糖系と呼ばれる代謝経路でグルコース(ブドウ糖)が分解されたときに最終的に発生する物質である。

注2  遺伝的にコード可能
今回開発されたバイオセンサーはタンパク質でできている。生体へバイオセンサーを導入する際はセンサータンパク質の代わりにそのタンパク質をコードするDNA(もしくはそのDNAを内包するウイルス)を導入する。このようなバイオセンサーはgenetically encodable(遺伝的にコード可能)と呼ばれ、生体のさまざまな組織に低侵襲で導入可能である。

注3  指向性進化法(directed evolution)
我々ヒトを含む生命体は、その生存に有利になるよう進化(evolution)してきた。この自然進化の仕組みを模してタンパク質の性能を向上させるタンパク質工学手法が指向性進化法である。本研究では、指向性進化法を研究室内で何世代も行うことで、高性能乳酸センサーの開発に成功した。

ad


生物工学一般
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました