被ばくによるがん死亡早期化のリスクはヒトとマウスで約100倍異なる~加齢、がん発生、被ばくの関連性を、数理的に解析することで解明~

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2024-05-01 放射線医学研究所

発表のポイント

  • 従来のリスク指標である「被ばくしない場合と比較してがんの確率が何倍になるか」ではなく、発がん率が加齢に伴って自然に増加することに着目した指標である「被ばくによる突然変異の上乗せによってがん死亡が何年早期化するか」を用いてリスクを解析しました
  • 発がんメカニズムの数理モデル1) を用いた解析により、同量の被ばくでもヒトとマウスのがん死亡の早期化リスクは約100倍異なり、この違いはヒトとマウスの体で遺伝子変異速度が約100倍異なることに起因することを発見しました
  • 放射線や化学物質による発がん実験の様々なマウスデータをこの数理モデルで解析し、この発見の一般性を確認することにより、マウスで得られた数値をより合理的にヒトのリスク評価に利用可能となることが期待されます

成果の概要

量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)放射線医学研究所放射線影響研究部の今岡達彦グループリーダー、日本文理大学(学長 橋本堅次郎)の甲斐倫明教授らは、環境科学技術研究所(理事長 島田義也)、電力中央研究所(理事長 平岩芳朗)、広島大学(学長 越智光夫)、長崎大学(学長 河野茂)との共同研究により、同じ量の放射線によるがんリスクがマウスとヒトで異なる理由を解明しました。

マウスは、放射線や化学物質の発がん影響を評価するために用いられますが、ヒトとは異なるため、マウスで得た数値をヒトのリスク評価にうまく利用する方法が求められています。これまで被ばくによるがんのリスクは、「被ばくしない場合と比較して確率が何倍になるか」で表されてきましたが、その指標ではヒトとマウスにおいてリスクが違う原因を合理的に説明できないという問題がありました。我々は、発がん率が加齢に伴って自然に増加することに着目し、放射線が自然の発がんを促進すると考え、その発がんメカニズムを記述した数理モデルを用いてリスクを解析することで、この問題を解決することを考えました。

被ばく線量はヒトでもマウスでも同じように物理的に測定でき、放射線ががんを起こすメカニズムは体細胞の遺伝子変異という比較的単純なものだと考えられます。発がんメカニズムの数理モデルに基づくと、がんのリスクは「被ばくによる突然変異の上乗せによってがん死亡が何年早期化するか」で表すことが順当と考えられます。そこで、これを指標とし、ヒト(原爆被爆者疫学研究)とQSTと環境科学技術研究所が所有する豊富なマウス実験のデータを数理モデルから導き出される数式を用いて解析しました。

その結果、ヒトもマウスも加齢に伴ってがん死亡リスクが増加しますが、1Gy2) の放射線に被ばくすることで、ヒトでは7.8年分、マウスでは0.046年分だけ、がん死亡が早期化することがわかりました。また文献データを解析し、放射線1Gyがヒトとマウスの細胞に起こす遺伝子変異の量はほぼ等しく、細胞に自然に遺伝子変異が蓄積する速度はヒトの方がマウスの約1/100倍と遅いことを確かめました。数理モデルは、この変異蓄積速度の違いこそが、がん死亡早期化のほぼ100倍の違いを決めていることを示しました。今後、この発見の一般性を確かめることを通して、放射線やそれと同様の作用機序を持つ化学物質のマウスデータを、より合理的にヒトのリスク評価に利用可能となることが期待されます。

本研究は、がんに関する論文が数多く発表されている国際誌International Journal of Cancerに2024年4月30日にオンライン掲載されました。本研究は、QST放射線医学研究所が設置している放射線リスク・防護研究基盤(略称PLANET)3) 運営委員会において行われました。


研究開発の背景と目的

マウスは、放射線や化学物質のヒトへのリスクを評価するために不可欠ですが、放射線や化学物質の曝露量と健康に現れる影響の関係に動物種による違いがあるため、マウスの実験で得られた数値をヒトに直接適用することはできません。マウスで得た数値をヒトのリスク評価にうまく利用する方法が求められています。

被ばく線量はヒト、マウスの違いに関わらず同じように物理的に測定できます。このことは、体内動態や代謝が複雑な化学物質と対照的であり、ヒトとマウスを比べる上で、放射線の研究が持つ利点です。また、放射線ががんを起こすメカニズムは体細胞の遺伝子変異という比較的単純なものだと考えられますので、数理的にモデル化しやすいという利点もあります。さらに、放射線による発がんについて、我が国には原爆被爆者研究という大規模な研究が存在し、一方でQSTは豊富なマウスの実験データを蓄積してきました。このように、ヒト、マウスの両方において利用可能なデータが多いことも、放射線の研究が持つ利点です。

そこで我々は、放射線ががんを起こす過程を記述した数理モデルによってヒトとマウスのデータを解析することにより、マウスで得た数値をヒトのがんリスク評価にどのように利用するべきかという問題の解決に貢献できると考えました。

研究の手法と成果

数理モデルは、発がんの分野ではすでに確立されたものを用い、正常細胞がいくつもの突然変異を獲得してがん細胞になるまでの時間的変化の過程(図1)を、連立微分方程式で表現しました。この方程式を解くことで、次のことが理論的に導かれました。すなわち、放射線被ばくによってがん死亡までの年数が短くなるが、その早期化の年数は「放射線が生成した変異の総量」を「自然に変異が蓄積していく速度」で割ったものになる、ということです(図2)。

正常細胞がいくつもの突然変異を獲得してがん細胞になるまでの時間的変化の過程の数理モデル

図1 発がん過程の数理モデルの概念図

数理モデルから導かれた被ばくによるがん死亡の早期化を求める数式

図2 数理モデル(図1)から理論的に導かれた予想

次に、放射線に被ばくした後のがん死亡に関するヒトとマウスのデータ(原爆被爆者疫学研究及びQSTで過去に行ったマウス実験によるもの)を、この数理モデルを用いて解析しました。その結果、放射線1Gyあたりヒトでは7.8年、マウスでは0.046年、がん死亡までの年数が短くなることがわかりました(図3左)。これは、物理的には同じ量の放射線でも、ヒトとマウスに与える早期化の影響が約100倍も異なることを意味します。

上述(図2)のように、この早期化の年数は、「放射線が生成した変異の総量」((1)とします)を「自然に変異が蓄積していく速度」((2)とします)で割ったものになることが予想されます。そこで、(1)については、ヒトとマウスの細胞に放射線を照射した過去の実験を調べ、突然変異を生じた細胞の量を比較しました。その結果、同じ量の放射線がヒトとマウスの細胞に突然変異を作る効率は、ほとんど同じであることが確かめられました(図3右上)。(2)については、様々な年齢のヒトとマウスの体から採った細胞のDNAを解析して変異の蓄積速度を調べた過去の文献を調べました。その結果、自然の変異が蓄積する速度が、ヒトではマウスの約100分の1であることが確かめられました(図3右下)。すなわち、物理的に同じ量の放射線によるがん死亡の早期化がヒトとマウスで約100倍異なることは、(1)の種差ではなく、(2)の種差が約100倍であることによって説明できました。

数理モデルおよび文献データの解析結果

図3 数理モデルによるヒト及びマウスのデータの解析結果(左)と放射線誘発及び自然の変異に関する文献的データの解析結果(右)


なお、ヒトとマウスの寿命は大きく異なります。ヒトの寿命は、国や性別等によって異なりますが、我が国の平均寿命は80年以上です。一方、管理された飼育環境下におけるマウスの平均寿命は約2年で、野生ではもっと短いと考えられます。このようにヒトとマウスの1年が持つ意味の違いを考えると、同じ量の放射線によるがん死亡の早期化の年数が約100倍違うとしても、その数値は必ずしも危険性の違いを表すわけではありません。

今後の展開

多くの放射線や化学物質には、ヒトが曝露された場合のがんリスクのデータがなく、マウス等の動物実験のデータのみが存在します。ヒトでの安全性が不明な場合には、たとえば放射線医療で使う量を制限したり、化学物質の規制でマウスのみの知見をヒトに当てはめる場合に保守的な基準値を定めたりするなどのことを行わざるを得ません。今後、QSTが有するほかのマウスの放射線実験データやがんの部位別のデータなどを用いた解析、化学物質の毒性の評価のために蓄積されたデータを用いた解析等によって今回の発見の一般性を確認することを検討中です。QSTが放射線の安全性に関して行った科学的研究は、放射線の基準を作る国際組織等に貢献して来ました。こういった国際組織等に、今回開発した数理モデルによる評価方法が採用されることや、新規の医薬品・工業製品等の安全性の評価手順の中に本方法が取り入れられることを通して、安全な社会の実現に貢献することが期待されます。

用語解説

1)数理モデル

現実世界の特定の現象を数学的に表したもの。現象の本質をとらえて理解するため、あるいは現実世界の現象の予測を行うために用いられます。

2)Gy(グレイ)

物に吸収される放射線の量を表す物理的な量。人体のガンマ線全身均等被ばくの場合は、グレイはシーベルトと同じです。シーベルトは、人間を放射線被ばくの影響から守るために被ばく量を管理する目的で用いられる単位で、人体への被ばくの影響の大きさの目安となるように調整されており、純粋に物理的な量を表す単位ではありません。そのため、放射線影響の研究ではグレイを用いるのが普通です。

3)放射線リスク・防護研究基盤

略称PLANET(プラネット)。低線量・低線量率の放射線被ばくのリスク推定の不確かさを減少させるために構築された、アカデミアや研究機関のネットワーク。PLANET運営委員会は、QST放射線医学研究所に設置されています。今回の研究は、PLANET運営委員会の下に設置されたワーキンググループにおいて実施されました。PLANETについては、こちらもご参照下さい。https://www.nirs.qst.go.jp/usr/radeff/PLANET.html

掲載論文

タイトル:Human–Mouse Comparison of the Multistage Nature of Radiation Carcinogenesis in a Mathematical Model

著者:Tatsuhiko Imaoka1,2 , Satoshi Tanaka3 , Masanori Tomita4 , Kazutaka Doi5 , Megumi Sasatani6 , Keiji Suzuki7 , Yutaka Yamada1 , Shizuko Kakinuma1 , Michiaki Kai8

所属:

  1. Department of Radiation Effects Research, Institute for Radiological Science, National Institutes for Quantum Science and Technology, Chiba, Japan
  2. Institute for Quantum Life Science, National Institutes for Quantum Science and Technology, Chiba, Japan
  3. Department of Radiobiology, Institute for Environmental Sciences, Rokkasho, Japan
  4. Sustainable System Research Laboratory, Central Research Institute of Electric Power Industry, Chiba, Japan
  5. Department of Radiation Regulatory Science Research, Institute for Radiological Science, National Institutes for Quantum Science and Technology, Chiba, Japan
  6. Department of Experimental Oncology, Research Institute for Radiation Biology and Medicine, Hiroshima, Japan
  7. Department of Radiation Medical Sciences, Atomic Bomb Disease Institute, Nagasaki University, Nagasaki, Japan
  8. Department of Health Sciences, Nippon Bunri University, Oita, Japan

雑誌名:International Journal of Cancer

DOI:https://doi.org/10.1002/ijc.34987

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