2021-05-17 国立極地研究所
国立極地研究所の安達大輝特任研究員(現:英国セントアンドリュース大学研究員)、高橋晃周准教授を中心とする国際共同研究グループは、小さな深海魚を餌とするキタゾウアザラシの雌(図1)が、繁殖に必要な脂肪を体内に蓄えて「太る」ためには、1日のほとんどを餌採りに費やさなければならないことを明らかにしました。
研究グループは、キタゾウアザラシの雌の下顎に加速度計を、頭にビデオカメラを取り付け、一定期間後に回収してデータを取り出すという調査を8年にわたり実施しました。得られたデータから体脂肪の増加率を計算して採餌時間との関係を調べたところ、キタゾウアザラシが体脂肪を増やして「太る」ためには、1日約20時間以上を深海での餌採りに費やす必要があったことが分かりました。350kgという巨体でありながら10gほどの小さな深海魚を主食にするという、海棲哺乳類の中でも特殊な食生活は、高い潜水能力により一日中深海へ潜ることによって成り立っていたのです。
餌採りの時間を現状よりも長くする余裕のないキタゾウアザラシは、餌量の減少に脆弱であり、気候変動が深海の生物相に及ぼす影響を捉える上で重要な指標動物になると考えられます。
図1:キタゾウアザラシの雌(撮影場所:アメリカ・カリフォルニア州アニョ・ヌエボ州立公園。撮影:安達大輝)
研究の背景
水深200-1,000mの深海には、重さにして推定で最大200億トンという莫大な量の魚が棲んでいます。そしてその大半を、1匹10g以下の小さな魚が占めていることが分かっています(文献1)。
深海に大量の魚がいるにも関わらず、ほとんどの海棲哺乳類はこの小さな深海魚を主食としていません。例えば、潜水能力(ここでは、潜ることのできる最大の深さ)の高いマッコウクジラを代表とする大型のハクジラ類(体重2,000~50,000kg)は、深海で大きなイカを食べると言われています。一方、潜水能力でこのマッコウクジラに勝るとも劣らないのが、キタゾウアザラシの雌(体重約350kg)です。そして近年、生体組織の脂肪酸解析から、キタゾウアザラシは深海に棲む小さな魚(ハダカイワシ)を主に食べていることが分かってきました。
しかし、10g程の小さな魚を食べて、どのようにして350kgという巨体を維持しているのでしょうか。
研究の内容
深海での動物の行動研究は直接観測ができないという厳しい制約があります。この制約を打破しようとする試みが、バイオロギング手法(動物に小型記録計を装着し「動物自身」に行動や周囲の環境などを測定・記録してもらう手法)を用いた野外研究です。これまで30年間で蓄積されたキタゾウアザラシの潜水深度の記録から、キタゾウアザラシは1日中絶えず休まず(数分間水面で息継ぎする以外は)深海へ潜水し続けるという他の動物では見られない特異な行動をしていることが分かっています。
そこで、安達特任研究員らの研究グループは、「餌が小さいから、ずっと潜ってたくさん食べないと大きな体を維持できないのではないか?」という仮説を立てました。この仮説を検証するために、新しく2つのバイオロギング機器(加速度計、ビデオカメラ)を開発し、カリフォルニア大学サンタクルーズ校と共同で、野生の雌キタゾウアザラシの行動を調査しました。
キタゾウアザラシの雌は出産後、次の繁殖に向けて、2ヶ月半の間、北東太平洋を採餌のために回遊します。この回遊が始まる前に、新たに開発した加速度計をキタゾウアザラシの下顎に装着しました(図2)。この加速度計は取得した加速度データをその場で処理し、口の開閉回数(餌採り回数)を記録することができます。さらに、新たに開発した赤外光LEDフラッシュ付き小型ビデオカメラをキタゾウアザラシの頭に装着しました。このビデオカメラは、余分な電池消耗を減らし効率的に撮影するために、餌採り行動(ビデオカメラに搭載された加速度計から検出)が起こった時のみビデオを録画するようプログラミングしました。調査は2011-2018年にかけて、米国カリフォルニア州のアニョ・ヌエボ州立公園内の海岸で実施し、合計で48個体のゾウアザラシから3,500日超に及ぶデータを得ることができました。
図2:下顎に加速度計を、頭部に衛星発信機を装着したキタゾウアザラシ(提供:Daniel Costa教授)
まず、ビデオカメラに記録された動画を解析し、キタゾウアザラシが主に深海400-600mでハダカイワシなどの小さな魚を主に食べていることを確認しました(図3)。次に加速度計の記録をもとに、餌採り行動のある潜水サイクル(1サイクル=潜水時間と息継ぎのための水面滞在時間)が1日に占める割合を「1日の餌採り時間割合(%)」と定義しました。その結果、1日の餌採り時間割合が増えると、指数関数的に餌採り回数が増えることが分かりました(図4左)。中には、餌採り時間割合が100%、つまり丸々24時間を餌採りに費やしている日もありました。さらに、潜水中の深度の変化率を解析して得られたアザラシの浮力変化(体脂肪が増えるほど浮きやすい)から毎日の体脂肪の増加率を計算したところ、「太る」ためには1日の80%以上、つまりおよそ20時間以上を、深海での餌採りに費やす必要があることが分かりました(図4右)。これらの結果は、小さな餌で大きな体を維持することがどれほど大変かを物語っています。
図3:(上左)アザラシの潜水深度とビデオ取得期間の例。ビデオカメラは、400m以深(深度トリガー)に餌採り行動(加速度トリガー)が合った時のみ、1潜水につき1分間だけビデオが記録されるようにプログラミングされている。(上右)記録計を装着したゾウアザラシのイメージ画(©Danielle Dube)と実際の餌採りの様子(1秒間を0.5倍速:ハダカイワシの他に、アザラシの鼻先・ヒゲも写る)。(下)餌取りの様子(動画)。
図4:(左)1日の餌採り時間割合は80-100%にデータが集中している。(右)太るためには1日の80%以上を餌採りに費やす必要がある。
考察と今後の展望
北太平洋で餌を採る海棲哺乳類は30種類知られていますが、小さな深海魚の豊富な400-600mまで潜ることができる種は限られており、その代表例がキタゾウアザラシと、マッコウクジラなどの大型ハクジラ類です(図5左)。一般的に体が大きいほど潜水能力が高くなる傾向があることが知られていますが、キタゾウアザラシの雌はマッコウクジラ(約50,000kg)に比べると体が小さい(約350kg)にも関わらず、同等の潜水能力を持っています(図5右)。キタゾウアザラシは、「体の大きさの割に潜水能力が高い」からこそ、小さな深海魚を主食にするというユニークな環境適応ができたと考えられます。
図5:キタゾウアザラシは1桁以上体重が大きいマッコウクジラと同等の潜水能力を持つ(北太平洋で餌を採る全海棲哺乳類を比較)。
キタゾウアザラシには餌採りの時間を現状より長くする余裕がほとんどないことから、餌量の変動に脆弱だと考えられます。つまり本研究は「餌が減ったから、餌採り時間を伸ばす」という柔軟な対応がキタゾウアザラシには難しい、ということを示唆しています。最新の海洋気候モデルによると(文献2)、キタゾウアザラシが餌を採る深海(200-1,000m)は海の中でも特に気候変動の影響を受けやすい領域とされています。今後もキタゾウアザラシの餌採り行動や太り具合を追跡し、さらに研究を発展させることは、キタゾウアザラシの保全だけでなく、気候変動が深海の生物相に与える影響をいち早く捉えるためにも重要だと考えられます。
発表論文
掲載誌:Science Advances
タイトル:Forced into an ecological corner: Round-the-clock deep foraging on small prey by elephant seals
著者:
安達 大輝(研究当時:国立極地研究所 特任研究員、現:英国セントアンドリュース大学 研究員)
高橋 晃周(国立極地研究所 生物圏研究グループ 准教授)
Daniel P. Costa(カリフォルニア大学サンタクルーズ校 教授)
Patrick W. Robinson(カリフォルニア大学サンタクルーズ校 講師)
Luis A. Hückstädt(カリフォルニア大学サンタクルーズ校 研究員)
Sarah H. Peterson(カリフォルニア大学サンタクルーズ校 研究員)
Rachel R. Holser(カリフォルニア大学サンタクルーズ校 研究員)
Roxanne S. Beltran(カリフォルニア大学サンタクルーズ校 助教)
Theresa R. Keates(カリフォルニア大学サンタクルーズ校 博士課程)
内藤 靖彦(国立極地研究所 生物圏研究グループ 名誉教授)
DOI:10.1126/sciadv.abg3628
URL:https://advances.sciencemag.org/content/7/20/eabg3628
論文公開日:2021年5月12日
研究サポート
本研究はJSPS科研費(JP23255001、JP15K14793、JP20H00650、JP12J04316、JP16J02935、JP15H06824)の助成を受けて実施されました。
文献
文献1:
X. Irigoien, T. A. Klevjer, A. Røstad, U. Martinez, G. Boyra, J. L. Acuña, A. Bode, F. Echevarria, J. I. Gonzalez-Gordillo, S. Hernandez-Leon, S. Agusti, D. L. Aksnes, C. M. Duarte, S. Kaartvedt, Large mesopelagic fishes biomass and trophic efficiency in the open ocean. Nat. Commun. 5, 3271 (2014)
文献2:
I. Brito-Morales, D. S. Schoeman, J. G. Molinos, M. T. Burrows, C. J. Klein, N. ArafehDalmau, K. Kaschner, C. Garilao, K. Kesner-Reyes, A. J. Richardson, Climate velocity reveals increasing exposure of deep-ocean biodiversity to future warming. Nat. Clim. Chang. 10, 576–581 (2020).
お問い合わせ先
(研究内容について)
セントアンドリュース大学 研究員 安達 大輝
国立極地研究所 生物圏研究グループ 准教授 高橋 晃周
(報道について)
国立極地研究所 広報室