2021-10-12 東京大学
【発表者】
米田 穣(東京大学総合研究博物館 教授)
中沢 道彦(長野県考古学会 会員)
田中 和彦(長野県立長野西高校 教諭)
高橋 陽一(小諸市教育委員会 事務主任)
【発表のポイント】
・長野県小諸市七五三掛(しめかけ)遺跡で発見された古人骨で放射性炭素年代測定を実施し、15点中13点が縄文晩期末に、2点が古墳時代に属すると明らかになりました。
・縄文時代晩期末の資料で、炭素同位体比が高いという雑穀食に由来する特徴が確認されました。日本の先史時代人骨における雑穀食の確認は、長野県更埴市の生仁(なまに)遺跡につづき国内2例目。これまでに、雑穀を食用にしていた縄文人集団は見つかっていません。
・中国の新石器時代集団と比較すると、雑穀は主食とはなっておらず、縄文人が伝統的な狩猟採集を維持しながら、水田稲作ではなく雑穀栽培を主体的に選択したと考えられます。伝統的な食料獲得と食料生産が併存した、縄文文化の新たな一面が明らかになりました。
【発表概要】
東京大学総合研究博物館の米田穣(よねだ みのる)教授らの研究チームは、長野県小諸市七五三掛(しめかけ)
遺跡(注1)出土人骨からコラーゲンを抽出し、放射性炭素年代を測定することで、15点中13点が縄文時代晩期末頃の人骨であることを発見しました。さらに炭素・窒素安定同位体比(注2)の特徴から、縄文時代晩期末の集団が渡来文化の一部である雑穀(アワ・キビ)を食べていたことも明らかにしました。縄文終末期に中部高地に伝来した渡来文化には水田稲作だけではなく雑穀栽培が含まれていましたが、それらの穀物を利用したのが縄文人だったのか、渡来人だったのか、また食生活における雑穀の重要性などの詳細は不明でした。今回の研究成果では、雑穀は食生活の一部のみを占めることから、狩猟採集による伝統的な生活を継続しつつ、縄文人(注3)が渡来文化を主体的に受容した様相が示されました。土器表面の圧痕研究(注4)ではイネ(籾)に加え、アワ、キビの雑穀種子も見つかっていることから、縄文人集団は中部高地の環境に適した雑穀を選択して生業に取り入れたと考えられます。
【研究の背景】
縄文時代と弥生時代の境界は、九州北部に朝鮮半島から水田稲作を中心とした農耕文化が約2800年前に伝来したことを契機に、本格的な食糧生産を基盤とする社会に移行した時点とされます。大陸由来の農耕文化は、水田稲作を中心にアワ・キビの畠作や他の文化要素が複合して、文化のパッケージとして受容されたと考えられてきました。これは、農耕・牧畜の開始にともなう「農業革命」や「新石器革命」とよばれる大きな社会変化と、それに続く文明発展につながる重要な画期と対応すると考えられています。
一方で、縄文時代終末期の土器表面の詳細な調査からは、中部高地や関東でイネ(籾)が存在するものの、アワ、キビ種子の検出数が上回る傾向が見いだされています。多様な自然の食料を利用しながらも、最近では植物の管理や栽培が議論されている縄文人が、大陸由来のイネや雑穀(アワ・キビ)をどのよう受容し、栽培を開始したのか、穀物栽培が当時の生業中でどの程度比重を占めていたのか、その実態を考古学的証拠から復元することは困難でした。
【研究内容】
本研究では、長野県小諸市七五三掛遺跡から発見された古人骨からコラーゲンを抽出して、時間ともに減衰する放射性炭素と、食生活によって存在比が変化する炭素と窒素の安定同位体比を測定しました。砂利採取で発見された七五三掛遺跡出土人骨は、その帰属年代や考古学的な背景は不明でしたが、縄文時代後晩期から弥生時代にみられる風習的抜歯が施術された頭骨が含まれており、縄文時代後晩期~弥生時代前期の資料である可能性が考えられました。
本研究では、別個体に属すると考えられる上腕骨、大腿骨、下顎骨と頭骨の合計18点を分析して、15点で放射性炭素年代測定に成功しました。そのうち13点の年代は2750~2500年前に集中しており、中部高地の文化編年では縄文時代晩期末(氷I式期)に相当します。残りの2点は、1300年前と1600年前ごろの古墳時代の人骨とわかりました。 七五三掛遺跡人骨の炭素・窒素安定同位体比は極めて特徴的で、これまでに類似した縄文人集団は報告されていません(図1)。比較的低い窒素同位体比から、海産物や淡水魚の利用は少ないと考えられ、シカ・イノシシなど森林にすむ動物よりも明らかに高い炭素同位体比からは、特殊な光合成をおこなうC4植物(注5)を利用したと考えられます。
【研究の意義】
2010年代から行われた土器表面の圧痕の研究で、長野県では縄文時代晩期末にあたる氷I式土器からアワ・キビの圧痕が発見されており、C4植物のなかでも弥生文化とともに伝来したアワ・キビを食用にした結果、古人骨の炭素同位体比が上昇したと考えられます。長野県千曲市の生仁(なまに)遺跡から出土した上顎骨1点でも同様の結果が得られていますが(設楽ら 2020)、これは破片人骨であり形態学的な特徴から縄文人か渡来人かを断定できていません。
七五三掛遺跡では、(1)集団が雑穀を利用していたこと、(2)縄文人に特徴的な顔面形態(図2)や抜歯風習をもつ縄文人が雑穀を食用・栽培していたことが重要な発見です。しかし、雑穀栽培の起源地である中国北部の新石器時代人骨と比較すると、七五三掛遺跡の縄文人による雑穀利用は食生活の一部を占めるにすぎず、中国新石器時代の雑穀農民とは大きく異なることも分かりました(図3)。
植物の栽培や家畜の飼育による食料生産は、肥沃な三日月地帯として知られるメソポタミアで始まり、文明の誕生に結びつく「農業革命」という人類史の重要な画期に位置づけられていました。しかし、近年の考古学的な成果から世界の10カ所以上で独自に食料生産は発生しており、食料生産が低水準のまま狩猟・採集・漁撈による食料獲得と並存した社会が、文明発生の理解の鍵を握ると注目されています。今回は大陸から新たな穀物が伝播、受容しはじめた頃の事例ですが、中部高地では縄文時代の伝統的な食文化の一部に雑穀が加わったが、生産量は低水準であり、日本列島でも時期や地域によって多様な食料生産の形態があったと考えられます。
参考文献:
設楽博己・近藤 修・米田 穣・平林大樹 (2020)「長野県生仁遺跡出土抜歯人骨の年代をめぐって」『物質文化』100号, pp. 95-104
田中和彦 (2003)「長野県七五三掛遺跡出土の縄文時代人骨」『Anthropological Science』111号, pp. 69-85 中沢道彦 (2012)「氷I式におけるアワ・キビ栽培に関する試論-中部高地における縄文時代晩期後葉の選択的受容と変化-」『古代』128号, pp. 71-94
発表雑誌:
雑誌名:日本考古学協会機関誌「日本考古学」53号(2021年10月13日発行、25-40頁)
論文タイトル:長野県七五三掛遺跡出土人骨の同位体分析で示された、縄文時代晩期後葉の雑穀栽培を伴う低水準食料生産
著者:米田 穣*・中沢道彦・田中和彦・高橋陽一
問い合わせ先:
東京大学総合研究博物館
教授 米田 穣(よねだ みのる)
用語解説:
(注1)七五三掛(しめかけ)遺跡:
長野県小諸市に所在。千曲川支流の松井川左岸の崖面に2つの洞穴からなる遺跡。成人8体、小児2体、別個体11体以上の人骨が出土。人骨の他、獣骨、カワシンジュガイ貝殻が出土したが、人工遺物は不明。1994年にセメント用砂利採取中に人骨が発見され、当初は事件性を調査されたが、野沢南高校教諭(当時)の田中和彦(共著者)が人骨に風習的抜歯を認め(田中 2003)、遺跡と認定されました。
(注2)炭素・窒素同位体による食生活の復元:
骨コラーゲンを構成するタンパク質と、食料に含まれるタンパク質の炭素同位体比(13C/12C)と窒素同位体比
(15N/14N)が比例することを利用して、食生活を復元する方法。炭素同位体比に特徴がある雑穀(アワ・ヒエ・キビ・トウモロコシ)や、窒素同位体比に特徴がある海産物について、定量的に食生活を復元できるので、縄文時代をはじめ様々な時代の人骨で広く応用されている。
(注3)縄文人:
弥生時代は日本に水田稲作が伝来した約2800年前に始まるが、日本各地に弥生文化が到達までには時間差がある。中部高地では、約2400~2300年前に水田稲作の遺跡が現れるので、文化編年ではそれまでを縄文晩期文化としており、縄文文化の持ち主を縄文人としている。顔面形態などの特徴からも在地の縄文人の子孫であり、渡来系の影響は少ないと考えられる(田中2003)。
(注4)土器の圧痕:
土器の表面や内部には、材料の粘土に混入していた有機物が圧痕とよばれる空隙として残されている。2000年代になって、圧痕にシリコンを注入して作ったレプリカを電子顕微鏡などで観察すると、植物組織や細胞まで観察が可能であり、種実などで詳細な種同定が可能となった。中沢道彦(共著者)は大陸に由来する穀物(イネ・アワ・キビ)の圧痕が中部高地では縄文時代晩期末の土器に認められることから、この時期に大陸由来の栽培技術が伝播することを見出しています(中沢 2012)。
(注5)C4植物:
樹木など通常の植物とは異なる光合成回路(ハッチ・スラック回路)をもつ草本類のこと。重たい炭素同位体(炭素13)を多くふくむ特徴がある。日本列島の植物種ではススキやエノコログサなど10%と少なく、そのままで食用になるものはほとんどない。黄河流域で1万年前ごろに栽培化された雑穀(アワ・キビ)や中米で栽培化されたトウモロコシはC4植物であり、古人骨の炭素同位体比によって、食生活で占める割合を推定できる。
図1.七五三掛遺跡と中部高地の縄文時代人骨におけるコラーゲンの炭素同位体比(δ13C値)と窒素同位体比(δ15N値)の比較。縄文時代晩期末の七五三遺跡の人骨では、縄文時代早期から後期の人骨よりも炭素同位体比が高い特徴があり、これは雑穀を含むC4植物を食べた影響と考えられる。
図2.典型的な縄文人の特徴を示している七五三掛遺跡出土A-2人骨の頭骨。上顎の犬歯と下顎の切歯を人工的に抜去する風習的抜歯が認められる。
図3.中部高地縄文晩期後葉の人骨と山東半島省新石器・青銅器時代人骨におけるコラーゲンの炭素・窒素同位体比の比較。生仁遺跡の縄文時代晩期後葉人骨は、山東半島の新石器時代前期の人骨と類似した炭素同位体比を示しており、それ以降の雑穀農民とは大きく異なることが分かった。