社会情緒的行動と他者との心理的距離の変化
2022-01-24 東京大学国際高等研究所
概要
2020年から現在に至るまで、新型コロナウイルスは変異を続けながら世界中で猛威を振るっています。新型コロナウイルスによるパンデミックは、不安定な社会情勢を通して精神的健康に影響を及ぼすことが相次いで報告されています。このような社会情勢は子どもの発達にどのような影響を与えるのでしょうか。特に、子どもの将来の経済的状態や健康状態などと関連するとされる、子どもの社会情緒的行動や子どもと他者(親、友達など)との心理的距離などの社会性の発達にどのような変化が生じているのでしょうか。
京都大学大学院文学研究科の森口佑介准教授、同大学院生の山本希、坂田千文、王珏、渡部綾一、東京大学 (国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)/ 日本学術振興会PD)の萩原広道特別研究員、大阪大学大学院人間科学研究科の孟憲巍助教の共同研究グループは、日本の0歳から9歳の子どもを持つ保護者を対象に、パンデミック下の子どもの社会情緒的行動や他者との心理的距離の変化を、2020年4月から2021年2月まで縦断的に調査しました。その結果、この期間を通じて子どもの社会情緒的行動はほとんど変化しないことが示されました。また、他者との心理的距離については特に小学生において、最初の緊急事態宣言が発出された2020年4月から、感染者数が減少し比較的落ち着いた時期であった2020年10月頃にかけて親との心理的距離が遠くなる一方で友達との距離は近くなることも示されました。このことは、新型コロナウイルスによるパンデミックが子どもの社会情緒的行動にはあまり影響を及ぼさないものの、他者との心理的距離には影響を及ぼした可能性を示唆しています。
本成果は、2022年1月24日に英国の国際学術誌「Scientific Reports」にオンライン掲載されました。
図. 子どもの社会情緒的行動(左)と他者との心理的距離(右)の縦断的変化。心理的距離は得点が高いほど距離が近いことを意味する。T1=2020年4月、T2=2020年10月、T3=2021年2月
1. 背景
新型コロナウイルスが2020年に報告されてから、2022年の現在に至るまで、変異を繰り返しながら世界中に広く蔓延しています。このウイルスは感染率が高いこと、潜伏期間が比較的長いこと、高齢者や基礎疾患を持つ人の死亡率が高いことなどから、世界保健機関は、家にいることや人ごみを避け他者との距離を置くことなどを推奨しています。わが国でも何度も緊急事態宣言が発出され、その結果として、子どもの社会生活にも大きな変化が生じました。最も大きな変化は、感染の急速な拡大を防ぐために、幼稚園・保育園や学校が閉鎖され、子どもたちが一定期間、自宅に閉じこもらなければならなくなったことだと考えられます。これまでの研究で子どもの社会性の発達は社会的隔離によって阻害される可能性が示唆されてきましたが、今回の休園・休校およびソーシャルディスタンス(他者と距離を取ること)が子どもたちの社会性の発達に影響を与えているかどうかについては十分に検討されていませんでした。
本研究では、パンデミックが子どもの社会情緒的行動と他者との心理的距離に及ぼす影響について検討しました。社会情緒的行動とは、向社会的行動(思いやり)や自制心を伴う行動を指し、子どもの将来の経済的状態や健康状態などと関連することが報告されています(文献1)。また、他者との心理的距離とは、子どもと家族や家族以外の人(例えば、友達)との親密さや社会的関係性のことを指します。一般に、子どもの社会的関係性は発達に伴い、家族から友達などの他者へと拡大していきます。親子関係は他者との社会的相互作用の発達の基礎となりますし、友達との関係も子どもの社会性や情緒の発達に影響を与え、友情の質が学校生活の改善を予測します(文献2)。パンデミックによる休園・休校およびソーシャルディスタンスは、子どもたちが社会的な場で他者と対面で接触することに直接的に影響し、子どもたちの社会情緒的行動や他者との心理的距離に影響を及ぼした可能性があります。
本研究では、パンデミック下において最初に緊急事態宣言が発出され、多くの保育・教育施設で休園・休校がなされた時期(2020年4月、T1)と、その後休園・休校が解除されており、かつ、パンデミックが比較的落ち着いた時期(2020年10月、T2)、およびふたたび緊急事態宣言が発出されたものの休園・休校はなされなかった時期(2021年2月、T3)に収集した縦断データを用いて、休園・休校およびソーシャルディスタンスが子どもの社会情緒的行動や心理的距離に及ぼす影響について検討しました(図1)。
図1 日本における新型コロナウイルス感染状況と本研究におけるデータ収集時期
2. 研究手法・成果
本研究では、T1の時点で、0歳から9歳の子どもを持つ保護者700名が参加しました。そのうち、社会情緒的行動の調査には4歳から9歳の子どもの保護者420名、他者との心理的距離の調査には0歳から9歳の子どもを持つ保護者700名が参加しました。T2時点の社会情緒的行動の調査には、T1の調査に参加した420名のうち、260名が再び参加しました。また、他者との心理的距離の調査には、T1の調査に参加した700名のうち、425名が参加しました。さらに、T3時点の調査には、4歳から9歳の子どもを持つ保護者のみが参加しました。具体的には、T2の調査に参加した260名のうち、130名が参加しました。
私たちの研究では、社会情緒的行動を、強さと困難さのアンケート(Strength and Difficulties Questionnaire, SDQ)を用いて検討しました。SDQは社会情緒的行動のスクリーニング尺度で、世界中で広く使われています(文献3)。25項目の質問から構成されるSDQは、情緒の問題、行動の問題、多動性、仲間関係の問題、向社会的行動の5つの下位尺度に分けられます。保護者は、それぞれの項目が子どもに当てはまるかどうかを、「あてはまらない」から「あてはまる」の3段階で回答しました。また、他者との心理的距離は、子どもにとっての他者との親密さや社会的関係性を測定するために、自己における他者の包含スケール(IOS, Inclusion of Other in the Self)尺度を用いました(文献4)。特に本研究では、保護者から見た、子どもと保護者の心理的な距離と、子どもと他者 (友達など) の心理的な距離をこの尺度によって調べました。図2は、保護者と子どもの心理的な距離を調べるものです。保護者と子どもの円が重なっていれば心理的な距離は近いと考えられますし、保護者と子どもの円が重なっていなければ、心理的な距離は遠いと考えられます。
図2 自己における他者の包含スケール(あなた=保護者の場合)
その結果、社会情緒的行動に関しては、T1からT3を通じて、ほとんど違いが認められませんでした(
図3)。また、子どもと保護者の心理的距離は、T1と比べてT2には遠くなることが示されました。一方、子どもと友達などの他者との心理的距離は、T1と比べてT2には近くなることが示されました。T2とT3には違いがみられませんでした(図4)。興味深いのは、この傾向が児童においてのみ見られたことです。生活の中心が家庭にある乳幼児期では、緊急事態宣言が発出されていようがいまいが保護者との関係がより中心的であり、保護者との関係も他者との関係もあまり変わらないのかもしれません。一方で、児童期においては、家庭だけではなく友達との関係がより大きなウェイトを占めるようになっていきます。T2時点では新型コロナウイルスの脅威が一時的に去り、つかの間の平穏が訪れた時期でした。そのため、子どもは親との心理的距離が離れ、園や学校で家族以外の他者と交流する時間を得ることによって、他者との心理的距離を近づけていた可能性があります。
図3 社会情緒的行動の変化
図4 他者との心理的距離の変化
3. 波及効果、今後の予定
本研究の結果は、子どもの社会性の発達に関しては、保護者や保育者、教師はパンデミックの影響を過剰に心配しなくてもよいかもしれない、ということを示唆しています。パンデミックは成人や青年における心理的健康には深刻な影響を及ぼしているという報告はありますが、乳幼児期および児童期の子どもの社会性にはそれほど大きな影響を与えていないかもしれません。ただし、これは全体的な傾向であり、リスクの高い家庭、たとえば、パンデミックで経済的に深刻な影響を受けた家庭や虐待があるような家庭では子どもの社会情緒的行動や他者との心理的距離は深刻な影響を受けている可能性があります。今後はこのようなリスクの高い家庭についても検討していく必要があります。
4. 研究プロジェクトについて
●今回の研究は、科学研究費補助金18H01083、日本心理学会助成金「新型コロナウイルス感染拡大に関連した実践活動及び研究」、前川財団などの支援を受けて実施されました。
<論文タイトルと著者>
タイトル:COVID-19 school and kindergarten closure relates to children’s social relationships: A longitudinal study in Japan
(COVID-19による休園・休校は子どもの社会的関係性に関連する:日本の縦断研究)
著 者:萩原広道・山本希・孟憲巍・坂田千文・王珏・渡部綾一・森口佑介
掲 載 誌:Scientific Reports
DOI:10.1038/s41598-022-04944-2
5. 参考文献
文献1 森口佑介(2021) 子どもの発達格差 将来を左右する要因は何か PHP新書
文献2 Newcomb, A. F. & Bagwell, C. L. (1995) Children’s friendship relations: A meta-analytic
review. Psychol. Bull. 117, 306–347.
文献3 Matsuishi, T. et al. (2008) Scale properties of the Japanese version of the Strengths and
Difficulties Questionnaire (SDQ): A study of infant and school children in
community samples. Brain Dev. 30, 410–415
文献4 Aron, A., Aron, E. N. & Smollan, D. (1992) Inclusion of other in the self scale and the
structure of interpersonal closeness. J. Pers. Soc. Psychol. 63, 596–612
<お問い合わせ先>
森口佑介(もりぐち ゆうすけ)
京都大学大学院文学研究科・准教授
萩原広道(はぎはら ひろみち)
東京大学特別研究員(国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)/ 日本学術振興会PD)
山本希(やまもと のぞみ)
京都大学大学院文学研究科・修士課程
<報道・取材に関するお問い合わせ先>
京都大学 総務部広報課国際広報室
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
広報担当