植物から得ている栄養素を明確化・特殊な遺伝子構造を発見
2018-07-10 自然科学研究機構 基礎生物学研究所,科学技術振興機構(JST)
ポイント
- 植物の根に共生するアーバスキュラー菌根菌(AM菌)は、リンを吸収し植物の生育を促進するが、この共生現象には未解明な部分も多かった。
- AM菌の代表的な菌種のゲノムを世界で最も高精度に解読した。植物に依存する栄養素を明確にし、種の同定などに使われる遺伝子マーカーの特殊な性質を発見した。
- AM菌研究の基盤情報として、今後、リン肥料節減に向けた研究への活用が期待される。
アーバスキュラー菌根菌注1)(以下AM菌)は植物の根の中に菌糸を発達させるとともに、土中にも菌糸を張り巡らし、植物の根が届かない場所のリンなどを植物に届け、代わりに糖などの光合成産物を受け取る共生関係を築いています。この共生関係は植物の生育を促進する効果があり、将来的に、リン肥料などの消費を押さえる生物資材としての活用が期待されています(図1)。
今回、基礎生物学研究所の前田 太郎 研究員、重信 秀治 特任准教授、川口 正代司 教授らを中心とした研究グループは、代表的なAM菌であるRhizophagus irregularis(図2)のゲノムを従来よりも格段に高精度に解読することに成功し、AM菌が脂肪酸やビタミンB1などの栄養素の合成に関わる遺伝子を欠損していることを明確にしました。AM菌は植物との共生なしでは胞子増殖できませんが、今後これらの栄養素を人為的に投与することによってAM菌を単独で大量培養できる可能性があります。さらに、AM菌の種の同定や植物への効果の評価に使われてきた遺伝子マーカー注2)であるリボソームDNA遺伝子注3)が、他の生物では見られない特殊な性質を持つことを明らかにしました。
本研究成果は「Communications Biology」に2018年7月10日付けで掲載されます。
本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 ACCEL 研究開発課題名:「共生ネットワークの分子基盤とその応用展開(JPMJAC1403)」、研究代表者:川口 正代司(基礎生物学研究所 共生システム研究部門 教授)、プログラムマネージャー:齋藤 雅典(科学技術振興機構)の一環として実施されました。
<研究の背景>
植物の根には多くの真菌や細菌が共生しており、植物の成長や陸上生態系において重要な役割を果たしています。アーバスキュラー菌根菌は植物と共生する真菌類の中でも最も歴史が古く、植物が海から陸に進出した4億年以上前には、すでに共生していたと考えられています。AM菌は宿主植物の根に菌糸を発達させると同時に、土中にも菌糸を張り巡らし、植物の根が届かない場所のリンやミネラルを効率よく吸収し植物に届けます。代わりに、植物は糖などの光合成産物をAM菌に与えることで共生関係を成立させています(図1)。この古くから続く共生関係は、陸上生態系に重要な役割を果たしてきたと考えられており、進化学的にも生態学的にも重要な微生物です。さらに、コケ植物から種子植物まで多くの陸上植物と共生関係を結び、作物の生育を促進することから、将来的にリン肥料の消費を押さえる微生物土壌改良剤注4)としての活用も期待されています。
<研究の結果>
今回、基礎生物学研究所の前田 太郎 研究員、重信 秀治 特任准教授、川口 正代司 教授らを中心とした研究グループは、長鎖型次世代シーケンサー注5)を用いることで、代表的なAM菌であるRhizophagus irregularis(図2)のゲノムを従来よりも格段に高精度に解読することに成功しました。解読されたゲノムからは、植物との共生に関わると考えられる情報伝達に関わる酵素注6)の遺伝子がAM菌で大幅に増えている一方で、脂肪酸やビタミンB1などの栄養素の生合成に関わる遺伝子を欠損しており、それらの必須栄養素を100%植物に依存している共生様式が見えてきました。従来はAM菌は植物と共生させた状態でしか培養することができませんでしたが、今後これらの栄養素を人為的に投与することによってAM菌を単独で大量培養できる可能性があります。
さらに、AM菌の種類の同定や、植物への効果の評価に使われてきた遺伝子マーカーであるリボソームDNA遺伝子が、普通の生物では見られない特殊な性質を持つことを明らかにしました。リボソームDNA遺伝子は、形態からの識別が難しいAM菌の種を同定したり、土壌中にどのようなAM菌種がどのような割合で存在するかを調べる菌叢構造解析によく使われる重要なマーカー遺伝子です。従来の解析は、AM菌の1菌体には1つのタイプのリボソームDNA遺伝子しかないことを前提としていました。これは生物学の常識として、1個体には1つのタイプのリボソームDNA遺伝子しかないと考えられていたからです。しかし、今回のゲノム解読によって、AM菌は例外的に1菌体が10タイプのリボソームDNA遺伝子を持つことを発見しました。このような1個体に多様なリボソームDNA遺伝子を持つ生物はマラリア原虫などごくわずかしか存在しません。従来から、AM菌のリボソームDNA遺伝子がマーカー遺伝子として不可解な挙動を示すことが報告されていましたが、今回の発見により、この原因の1つがゲノムレベルでの配列の多様化にあることが明らかになりました。今後、この知見をもとにAM菌の種同定法や、植物への接種効果の評価法を改善することで、フィールドでのAM菌の種構成をより正確に評価できるようになると期待されます(図3)。
また、1菌内に複数型のリボソームDNA遺伝子が存在することは、細胞生物学的にも興味深い事柄です。リボソームDNA遺伝子はたんぱく質の製造工場であるリボソーム注7)の重要部品の設計図です。本研究によって、AM菌は1菌内に10タイプのリボソームを発現し翻訳を行っていることが示唆されました。将来的に、このような例外的な特徴がAM菌でのたんぱく質生産に与える影響を調べることで、AM菌が多様な環境で生育でき、さまざまな植物種と共生できる仕組みが明らかになるかもしれません(図4)。
この他にも本研究グループのゲノム解読からはAM菌のリボソームDNA遺伝子が、他の真核生物と異なり直列反復構造を形成せず、これによりコピー間の多型が蓄積することで複数タイプのリボソームDNA遺伝子を持つようになったと考えられることなどが示され、今後のAM菌利用の基礎となる多くの情報を得ることができました。
<今後の展望>
リン肥料の原料であるリン鉱石は有限な資源であり、世界的にその有効利用が求められています。AM菌と植物の共生現象の活用は、リン肥料節減の有望な手法であり、農業を変える可能性があります。一方で、この共生現象は未解明な部分も多く、特にフィールド環境での挙動や、共生状態での栄養やシグナルのやり取りの解明にはいまだ多くの研究が必要です。
今回のゲノム解読により、AM菌の基本的なゲノム構造と遺伝子レパートリーが明確になり、AM菌の遺伝学的研究の基盤情報を整備することができました。またマーカー遺伝子における多型の発見は、従来からフィールド研究を悩ませてきたAM菌でのマーカー遺伝子の特殊な挙動の一部を説明するものです。
従来のAM菌研究の障壁として、胞子を形成するには宿主との共生が必須で、単独培養ができないことがありました。植物との共存培養には手間がかかるため、播種資材が高価となり、農地での利用価値を減少させていました。また、育種や生理学的研究にも、単独培養が行えないことは障壁となっています。単独培養には、植物から与えられる栄養素やシグナル分子を補うことが必要と考えられ、今回明らかになった欠損代謝系を基にした培養実験から、単独培養が可能になるかもしれません。
<参考図>
図1 アーバスキュラー菌根菌と植物の共生現象の概念図
アーバスキュラー菌根菌は、植物の根の中に菌糸を発達させると同時に土壌中にも菌糸を張り巡らし、リンやミネラル、水分を宿主植物に届ける役割をする。一方、植物は光合成によって生産された糖や脂肪酸をAM菌に与える。この共生はほとんどの植物で見られ、陸上生態系に重要な役割を果たしている。
図2 アーバスキュラー菌根菌と植物根
植物の根(ニンジン毛状根)とそれに共生しているAM菌Rhizophagus irregularis DAOM181602株の実体顕微鏡像
図3 AM菌リボソームDNA遺伝子のマーカーとしての特徴
通常の真核生物は、複数個のリボソームDNA遺伝子を持つが、塩基配列は全て同じであるため、シーケンサーなどで解析をすると、1個体につき1つの遺伝子型が検出される。しかし、AM菌では、ゲノム内のリボソームDNA遺伝子間で配列に違いがあるため1個体から複数の遺伝子型が検出されてしまい、従来の1個体=1遺伝子型を前提としている多様性解析と齟齬をきたすことがわかった。(シーケンサーの図は© 2016 DBCLS TogoTV / CC-BY-4.0より改変)
図4 まとめと展望
AM菌ではリボソームDNA遺伝子の散在化によりコピー間の多型が蓄積し、それは1菌内で異なった型のリボソームRNAおよびリボソームを生み出していることが示唆された。
<用語解説>
- 注1)アーバスキュラー菌根菌
- 植物の根に菌糸を介して共生し、皮層細胞内に栄養交換器官であるアーバスキュル(樹枝状体)を形成する菌類の総称。コケ植物から種子植物まで多様な陸上植物と共生することができる。
- 注2)遺伝子マーカー
- ある生物個体に特有のDNA配列を言う。形態や性質で個体を識別することが難しい場合によく使われる。
- 注3)リボソームDNA遺伝子
- リボソームの重要部品であるリボソームRNAの設計図として働く遺伝子のこと。通常生物のゲノム中には数十から数千個のリボソームDNA遺伝子が並んで存在している(直列反復構造)。
- 注4)土壌改良剤
- 土の酸性・アルカリ性の度合いや保水性や微生物の量・活性などを変化させ栽培植物に適した環境に変えるもののことで、一般的なものに苦土石灰などがある。
- 注5)長鎖型次世代シーケンサー
- DNAの塩基配列を読み取る機器をDNAシーケンサーと呼び、さまざまな読み取り技術が開発されているが、中でも次世代シーケンサーは配列解読を高度に(数千〜数億処理)並列化することで塩基の読み取りを爆発的に効率化させた機器である。従来の次世代シーケンサーは読み取り可能な配列の長さが数十〜数百塩基対であるのに対し、近年開発された長鎖型次世代シーケンサーは数千〜数万塩基対もの長いDNA断片を解析することが可能である。今回の研究では、基礎生物学研究所 生物機能解析センターが運用するPacBio RSII(パシフィックバイオサイエンス社製)を利用した。
- 注6)酵素
- 化学反応を促進する生物由来の触媒のこと。多くはアミノ酸が特定の形で並んだたんぱく質からなり、生命活動に必要なさまざまな化学変化を担っている。身近なものに消化酵素などがあり、食べた物を吸収しやすい形に変化させる。
- 注7)リボソーム
- 遺伝子情報をもとにアミノ酸をつなぎ合わせ適切な酵素活性を持つたんぱく質を合成する細胞内小器官。リボソームRNAとたんぱく質などから形成される。
<論文情報>
タイトル:“Evidence of non-tandemly repeated rDNAs and their intragenomic heterogeneity in Rhizophagus irregularis”
著者名:Taro Maeda, Yuuki Kobayashi, Hiromu Kameoka, Nao Okuma, Naoya Takeda, Katsushi Yamaguchi, Takahiro Bino, Shuji Shigenobu, Masayoshi Kawaguchi
<お問い合わせ先>
<本研究に関すること>
川口 正代司(カワグチ マサヨシ)
基礎生物学研究所 共生システム研究部門 教授
重信 秀治(シゲノブ シュウジ)
基礎生物学研究所 生物機能情報分析室 特任准教授
<JST事業に関すること>
寺下 大地(テラシタ ダイチ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
<報道担当>
基礎生物学研究所 広報室
科学技術振興機構 広報課