2023-02-14 弘前大学,日本原子力研究開発機構,北海道大学
【発表のポイント】
- 基礎細胞実験で扱われる均質な培養細胞と放射線による殺傷効果の関係は、数学的予測モデルにより表現することが可能だが、体内のがん組織は不均質な細胞集団であるため、患者さんの治療効果予測に応用することが不可能(下図)。
- 本研究では、不均質性をもたらす原因であるがん幹細胞の定量的な測定法を利用し、その割合を考慮した新たな予測モデルを開発することで、細胞実験で得られるがん細胞の殺傷効果と患者さんの治療成績を同時に再現することに世界で初めて成功(下図)。
- 今回は、肺がんの放射線治療効果についてのみ検討したが、今後は、様々ながん組織への応用や、がん幹細胞の含まれる割合が異なる患者さんに合わせたオーダーメイド治療への発展にも期待。
基礎生物研究における細胞殺傷効果と臨床データをつなぐ開発した予測モデル
【本件の概要】
国立大学法人弘前大学(学長 福田眞作)大学院保健学研究科の嵯峨涼助教、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 小口正範)原子力基礎工学研究センターの松谷悠佑研究員(現職:国立大学法人北海道大学(総長 寳金清博)大学院保健学研究院、職位:講師)らは、“がん幹細胞を考慮することで臨床の放射線治療効果の再現が可能な予測モデルの開発”に世界で初めて成功しました。
放射線治療は、手術や抗がん剤治療と並ぶがんの3大治療法の一つです。放射線治療によるがんの治療効果は、培養細胞を用いた生物実験に基づき開発された細胞応答モデル(予測モデル)を使用して、放射線の量(線量)と細胞殺傷効果(細胞死)の関係を推定することにより評価可能です。しかし、基礎細胞実験では均質な細胞集団を使用した実験が多い一方、臨床で取り扱うがん組織は不均質な細胞集団であるため、細胞実験により決定されるモデルパラメータでは臨床の治療効果の再現は不可能でした。
この課題を解決するため、細胞実験などの基礎研究と臨床研究をつなぐ橋渡し研究が希求されてきました。従来の細胞実験において治療効果を予測する際は、生体内の腫瘍が均質な細胞集団である仮定に基づき治療効果の予測モデルが開発されてきました。しかし、臨床において治療されるがん組織は、放射線に対して様々な細胞応答を示す不均質な細胞集団で構成されています。そこで、我々は、不均質な細胞集団の中でも高い抵抗性を示すがん幹細胞に着目し、その割合を測定し、不均質な細胞集団を考慮した細胞殺傷効果予測モデル(integrated microdosimetric-kinetic (IMK) モデル)を開発することで、細胞実験データから臨床の治療効果が再現できると考えました。
我々は、がん幹細胞の存在を考慮した新たな細胞応答モデルを開発し、その有用性を検証するために、肺がん(非小細胞がん)の治療効果の解析を進めました。その結果、開発したモデルを用いることで、細胞実験で測定される肺がん細胞の細胞殺傷効果、ならびに臨床における肺がん患者さんの治療効果を同時に再現することに成功しました。これらの成果により、共通のモデルパラメータを用いて細胞実験による基礎研究成果と臨床成果を再現するためには、腫瘍組織に約8%存在するがん幹細胞の存在の考慮が重要な鍵であることを明らかにしました。
本研究では、肺がんの放射線治療効果について検討しましたが、今後は、肺がん以外のがん組織に対しても適用し、不均質な細胞集団の考慮に対する重要性を明らかにする予定です。また、この技術を応用することで、がん幹細胞の含まれる割合が異なる患者さんに合わせたオーダーメイド治療への発展につながると考えています。本研究成果は、2023年2月15日に『Radiotherapy and Oncology』 (インパクトファクター 6.901) に掲載されます。
【これまでの背景・経緯】
放射線治療は、外科手術や抗がん剤治療と共にがん治療を支える3本の柱の一つです。放射線によって引き起こされる細胞殺傷効果は、細胞にエネルギーが与えられることにより引きおこされます。放射線によるがんの細胞殺傷効果は、放射線の量(線量)と細胞殺傷効果(細胞死)の関係を定量的に予測できる細胞応答モデル(予測モデル)を使用することで予測することが可能です。放射線生物学や放射線治療学分野において、この関係性を表現する予測モデルとして、直線二次曲線(LQ)モデルやUniversal Survival Curve(USC) モデルが存在し、これらの予測モデルは培養細胞を用いて測定された腫瘍細胞の細胞生存率データを良く再現することが知られています。そのような特徴から、LQモデル等の予測モデルを活用した放射線治療計画の作成が世界中で行われています。
LQモデル等を活用して放射線による生物効果を推定する場合、推定に必要なモデルパラメータの数値は細胞実験によって得られる細胞生存率データから決定することができます。しかし、臨床においては、そのような細胞実験データではなく、治療成績を再現するよう経験的に決定されるため、細胞実験研究と臨床研究ではモデルパラメータの決定手法と数値に大きな違いがあります。つまり、細胞実験などの基礎研究手法から得られるモデルパラメータでは臨床の治療効果の再現は不可能なのが現状です。
そのような課題から、基礎生物研究と臨床研究をつなぐ橋渡し研究が要求されています。近年の科学技術の進歩により、生体内のがん組織は、放射線に対して様々な細胞応答を示す不均質な細胞集団であることが分かってきました。しかし、LQモデル等を使用した従来の治療効果予測法は、生体内の腫瘍が均質な細胞集団である仮定に基づいています。そこで、我々は、腫瘍が不均質な細胞集団であることに着目し、その中でも放射線に対して高い抵抗性を示すがん幹細胞を考慮した細胞応答予測モデルの開発をすることで、細胞実験データから臨床の治療効果の再現が可能になると考えました。
本研究では、不均質な細胞集団の代表であるがん幹細胞の定量的な測定に成功し、その割合を考慮した新たな予測モデルを開発し、その有用性を検証するために、肺がん(非小細胞がん)の治療効果の解析を進めました。これにより、がん幹細胞が臨床の治療効果に与える影響の正確な理解、これに基づく治療効果の予測技術の高精度化を目指しました。
【今回の成果】
◎研究手法:
本研究で開発のベースとなっている予測モデルは、integrated microdosimetric-kinetic (IMK) モデルと呼ばれ、放射線照射後に誘発するDNA損傷ならびにその修復過程に基づくレート方程式を解くことにより、放射線の線量と細胞殺傷効果の関係を予測することが可能となっています。このIMKモデルには、さらに、放射線照射に対して感受性の高い子孫細胞と放射線に対して抵抗性を示す幹細胞の2種類の細胞集団が明示的に考慮されており、不均質ながん細胞集団の細胞殺傷効果の予測が可能となっています。本研究では、さらに、この予測モデルを拡張し、臨床において患者さんの治療成績を反映した指標である腫瘍制御率(Tumor Control Probability, TCP)の予測を可能としました。本研究では、開発したモデルの有用性を検証するために、肺がん(非小細胞がん)の治療効果の解析を進めました。まず、開発されたIMKモデルを細胞実験により得られた細胞殺傷効果(生存率)データにフィッティングさせ、モデルパラメータを決定しました。その後、細胞実験により決定されたモデルパラメータを使用してTCPを予測し、弘前大学において2003年より近年までに報告された肺がん患者さんのTCP(臨床データ)と比較しました。
◎結果:
図1左図に、従来モデルであるLQモデルやUSCモデル、図1右図に、本研究で開発したIMKモデルを使用して推定された線量と細胞殺傷効果の関係を示します。LQモデルは、約6 Gy以下の線量範囲でのみ肺がん細胞の実測値の再現が可能である一方、USCモデルは広い線量範囲で実測値の再現が可能となっています。その一方で、開発したIMKモデルは、がん幹細胞を含む不均質な細胞集団を考慮することで、USCモデルのように、広い線量範囲における細胞殺傷効果の実測値の再現に成功しました。肺がんの幹細胞の含有率は、細胞実験においてがん幹細胞特異的に発現するマーカーを使用して測定され、同じ細胞実験により取得された細胞殺傷効果の実測値を再現するよう含有率を定量化しました。これら3種類の予測モデルを用いた予測値の比較から、基礎生物実験においては、USCモデルとIMKモデルが、肺がんの細胞殺傷効果に関する実験データの再現に適していることがわかりました。
図1.肺がん細胞を使用した基礎細胞実験に対する予測モデルを用いた解析結果
(左図) 従来モデルを使用した解析、(右図) 本研究で開発したがん幹細胞を考慮したモデル
次に、細胞実験データの再現に成功したUSCモデルやIMKモデルを使用して、臨床の治療効果を意味するTCPの推定を行いました。図2に、両モデルを使用して推定されたTCPと臨床データの比較を示します。その結果、本研究で開発したIMKモデルのみが臨床の肺がんデータを再現しました(図2右図参照)。このことから、がん幹細胞を考慮して開発された予測モデルを用いることで、細胞実験で測定される肺がん細胞の細胞殺傷効果、ならびに臨床における肺がん患者さんの治療効果を同時に再現できることがわかりました。つまり、細胞実験により得られる基礎研究データと臨床成果を同じモデルパラメータで推定するためには、腫瘍組織に約8%存在するがん幹細胞の存在を考慮することが重要な鍵であることを解明しました。
図2.臨床における肺がん患者さんの治療データに対する予測モデルを用いた解析結果
(左図) 従来モデルを使用した解析、(右図) 本研究で開発したがん幹細胞を考慮したモデル
【今後の展望】
本研究では、放射線に対して抵抗性を示すがん幹細胞に着目し、その割合を測定し、その数値を考慮した新たな予測モデルを開発することで、基礎細胞実験で得られる細胞死と臨床の治療効果の再現に成功しました。今後は、本研究で開発した予測モデルを肺がん以外のがん組織に対しても適用し、不均質な細胞集団の考慮に対する重要性を明らかにする予定です。また、この技術を応用することで、がん幹細胞の含まれる割合が異なる患者さんに合わせたオーダーメイド治療への発展につながると考えています。
【掲載論文】
Radiotherapy and Oncology (IF = 6.901)
【各機関の役割】
- 国立大学法人弘前大学:
論文執筆(嵯峨)、研究計画(嵯峨)、細胞実験(嵯峨、長谷川、佐藤、小原、駒井、細川)、臨床データ集計(嵯峨、佐藤、長谷川、青木) - 国立研究開発法人日本原子力研究機構:
論文執筆(松谷)、研究計画(松谷)、シミュレーション計算(松谷) - 国立大学法人北海道大学:
研究計画(松谷)、予測モデル開発(松谷)