リズムを刻む体内時計によるノイズキャンセル機構
2019-02-06 京都大学
本田直樹 生命科学研究科准教授、松井貴輝 奈良先端科学技術大学院大学准教授らの研究グループは、体内時計が細胞どうしを協調させて、動物のからだを正確に形作る仕組みを明らかにしました。
受精卵からからだが正しく形作られるためには、生体内の現象が正確にコントロールされている必要があります。しかし、からだを構成する一つ一つの細胞は機械のように精密ではなく、いいかげんでノイズに満ちており、同じ条件でも常に全く同じように働くわけではありません。
どのように動物のからだは正確に作られるのかという問題において、本研究グループは、数理モデルと実験を組み合わせた研究を行いました。その結果、体内時計の働きによって、発生過程で体軸に沿って繰り返し作られる構造で将来できる背骨などの元となる「体節」が、再現性よく作られるメカニズムを解明しました。
本研究は、体内時計の刻むリズムがノイズをキャンセルし、オーケストラの指揮者のようにバラバラに振る舞う細胞たちを協調させることで、発生過程が正確にコントロールされていたことを見出しました。
本研究成果は、体節形成の高い再現性を保証する仕組みの一端を初めて明らかにしたものですが、今後、ヒトの発生疾患(脊椎肋骨異常症など)の予防や治療につながることが期待されます。
本研究成果は、2019年2月4日に、国際学術誌「PLoS Computational Biology」のオンライン版に掲載されました。
図:本研究の概要図
書誌情報
【DOI】https://doi.org/10.1371/journal.pcbi.1006579
【KURENAIアクセスURL】http://hdl.handle.net/2433/236297
Honda Naoki, Ryutaro Akiyama, Dini Wahyu Kartika Sari, Shin Ishii, Yasumasa Bessho, Takaaki Matsui (2019). Noise-resistant developmental reproducibility in vertebrate somite formation. PLOS Computational Biology, 15(2):e1006579.
詳しい研究内容について
―リズムを刻む体内時計によるノイズキャンセル機構―概要
受精卵からからだが正しく形作られるためには、生体内の現象が正確にコントロールされている必要があり ます。しかし、からだを構成する一つ一つの細胞は機械のように精密ではなく、いいかげんでノイズに満ちて おり、同じ条件でも常に全く同じように働く訳ではありません。そのような状況でどのように動物のからだは 正確に作られるのでしょうか?この問題に取り組むため、京都大学大学院生命科学研究科 本田直樹 准教授お よび奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 松井貴輝 准教授の研究グル ープは、脊椎動物の体節形成に注目しました。体節とは発生過程で体軸に沿って繰り返し作られる構造で、将 来できる背骨などの元となるものです。これまでの研究によって、体内時計 分節時計)のリズムに合わせて 均一な体節が作られること、また時計が機能しないと体節の大きさが不均一になってしまうことが知られてい ました。しかしながら、時計の働きで体節が再現性よく作られるメカニズムは不明でした。本研究では数理モ デルと実験を組み合わせることで、時計の刻むリズムがノイズをキャンセルする効果を持つことを示しました。 そして、時計がオーケストラの指揮者のようにバラバラに振る舞う細胞たちを協調させることで、発生過程が 正確にコントロールされていることが明らかとなりました。本研究成果は、体節形成の高い再現性を保証する 仕組みの一端を初めて明らかにしたものですが、今後、ヒトの発生疾患 脊椎肋骨異常症など)の疾患の予防 や治療につながることが期待されます。
本研究の理論的成果は、2019 年 2 月 4 日に米国の国際学術誌「PLoS Computational Biology」にオンライ ン掲載されました。また、実験的成果に関しては、2018 年 3 月 12 日に米国の国際学術誌 「Scientific Reports」 にオンライン掲載されました。
1.背景
受精卵から始まって複雑な形態へと至る発生過程は非常に正確に制御されており、実際、全く同じ遺伝情報 を持つ一卵性双生児が極めて似た容姿を持つことはよく知られています。一方で、細胞一つ一つは揺らぎに満 ちており、機械のように決まった働きをする訳ではありません。そもそも細胞内では、限られた数の分子同士 が偶然出会うことで化学反応が引き起こされることから、細胞にとってノイズを避けることはできません。つ まり、動物のからだはあまり信頼のできない素子である細胞から構成されているのです。これまで多くの研究 者たちは、多細胞からなるシステムがノイズを巧みにキャンセルすることで、からだを正しく形作ると考えて きました。しかしながら、そのメカニズムは発生生物学における大きな謎の一つでした。この問題に取り組む ため、私たちは脊椎動物の体節形成に着目しました。体節とは発生過程の途中で頭の方から尻尾の方へ、順々 に繰り返し作られる細胞の塊で、これが将来できる背骨や筋肉、皮膚などへと変化していきます。また、一つ の個体において何度も同じ現象を観測することができるため、体節形成は発生過程の正確性や再現性を調べる のに大変優れています。
体節が作られる場所では一定の時間間隔で活性化する遺伝子が 「時計」の役割を果たし、この時計が生み出 すリズムによって体節ができるタイミングが決められています。また時計の働きを止めると、体節の繰り返し 構造が失われ、その後の発生が異常をきたします。このことから、この時計は体節形成に必須であると広く信 じられてきました。それに反して、時計の働きが止まった発生過程をよく観察すると、実際には体節が作られ ているのです。一方、体節の大きさはバラバラになっており、再現性は失われてしまいます。この事実は、時 計は体節の“形成”には必須ではなく、むしろ“再現性”にとって重要であることを示しています。そこで私たち は、時計による体節の再現性の役割を解明するためには、その前に 「時計のない条件でノイズがどのように不 均一な体節を生み出すのか?」を理解することが先だと考えました。そうすることで初めて、「時計がどのよ うにノイズをキャンセルして、体節の再現性を保証しているのか?」を問うことができるのです。
私たちは以前の研究によって、ERK と呼ばれる分子の活性変化が体節を作る場所を決めていることを明ら かにしてきました。まだ体節になっていない細胞集団は ERK が活性化しており、一定の細胞集団が次々と、 ERK 不活性化を引き起こすことで体節へと変化します。また時計のリズムによって、ERK が一定の時間間隔 で不活性化していくことで、均一な大きさの体節が作られます。しかしながら、時計がない場合における、不 規則な体節形成と ERK 活性の挙動との関係は全く分かっていませんでした。2.研究手法・成果
発生過程に対する細胞内のノイズの影響を調べるためには、ノイズの大きさを人為的に操作する必要があり ます。しかし、現在の実験技術でこれを行うのは難しいため、本研究では ERK に制御される体節形成をコン ピュータでシミュレーションするための数理モデルを作りました。数理モデルではノイズの大きさを自由自在 に調節することができるため、ノイズの影響を調べることができます。
まずは時計がない状況でシミュレーションを行うと、ERK の不活性化が不規則なタイミングで引き起こさ れ、その結果、不均一な体節が作られることが予測されました。この現象を解析すると、細胞内のノイズの影 響が細胞同士のコミュニケーションによって空間的に伝播していくことで、細胞全体の協調性が失われ、不均 一な体節が作られることが分かりました。次に時計が一定のリズムを刻んでいる状況でシミュレーションを行 うと、ノイズの影響を受けているにも関わらず、ERK の不活性化が一定間隔で正確に引き起こされ、均一な体 節が作られました。この結果は、私たちの以前の実験結果を説明するものでした。また、時計がない場合に起 こるノイズ伝播が、時計の働きで一時的にシャットアウトされることで、ノイズの影響を最小限に留め、細胞 たちの協調性を高めていることを明らかにしました。
さらに、この数理モデルの妥当性を実験的に検証するために、ERK 活性を可視化することのできる特殊な分 子 FRET バイオセンサー)をゼブラフィッシュに入れて、体節形成における ERK 活性を顕微鏡で観測しまし た。そして数理モデルの予測どおり、時計が働いている場合は ERK 不活性化が一定間隔で引き起こされる一 方で、時計が止まっている場合はその間隔が不規則になることを確認しました。この結果は、数理モデルの妥 当性を強く支持するものでした。
3.波及効果、今後の予定
これまで広く考えられてきた時計の役割は、その時間的周期性を体節の空間的周期性へと変換するというもの でしたが、時計がない場合の不規則な体節形成を説明することは不可能でした。本研究では、不規則な体節形 成を説明する初めてのモデルを提唱し、実験的にその妥当性を確認しました。さらには、時計が細胞たちを協 調させる指揮者の役割を果たすことで、体節形成がノイズに影響されずに再現性よく作られることを明らかに しました。
今後は、他の器官形成においても時間的に変動するシグナルが再現性に重要な役割を果たしているのか研究 する予定です。また、体節形成の異常はヒトの発生疾患 脊椎肋骨異常症など)を招くことから、今回の成果 をもとに疾患の予防や治療の開発につながることが期待されます。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、京都大学大学院生命科学研究科および奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 バイオ サイエンス領域による共同研究で、科研費 「若手 B 16K16147)」, 科研費 「基盤 B 15H04322)」および武 田科学振興財団「ライフサイエンス研究奨励」の資金的支援を受けて、実施されました。
<研究者からのコメント>
博物館で恐竜の標本骨格を観察すると、背骨が整然と並んだ美しい繰り返し構造に見惚れてしまう方は少な くないと思います。この正確な規則性はどこからくるのでしょうか?実は、動物のからだが形づくられる発生 過程を顕微鏡で拡大してみると、細胞たちは常に揺らいでおり、機械仕掛けのように動いているのではないの が観察できます。そのような状況にも関わらず、どのようにからだが正しく形作られるのかは、生物学にとっ ての大きな問題でした。そこで私たちは、背骨の元になる体節と呼ばれる繰り返し構造の正確性の謎に挑みま した。そして、リズムを刻む体内時計がオーケストラの指揮者のような役割を果たすことで、いい加減に振る 舞おうとする細胞たちを協調させ、体節形成を正確にコントロールしていることを明らかにしました。
<論文タイトルと著者>
タイトル:Noise-resistant developmental reproducibility in vertebrate somite formation. 体節形成の再現性維持のためのノイズ耐性メカニズム)
著 者:Honda Naoki, Ryutaro Akiyama, Dini Wahyu Kartika Sari, Shin Ishii, Yasumasa Bessho and Takaaki Matsui
掲 載 誌:PLoS Computational Biology
DOI:https://doi.org/10.1371/journal.pcbi.1006579
<関連する先行研究>
タイトル:Time-lapse observation of stepwise regression of Erk activity in zebrafish presomitic mesoderm. ゼブラフィッシュ体節形成において観測される ERK 活性領域の段階的後退)
著 者:Dini Wahyu Kartika Sari, Ryutaro Akiyama, Honda Naoki, Hannosuke Ishijima, Yasumasa Bessho and Takaaki Matsui
掲 載 誌:Scientific Reports 2018 年 3 月 12 日公開)
DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-018-22619-9