2019-06-06 理化学研究所,東京大学
理化学研究所(理研)開拓研究本部Kim表面界面科学研究室の木村謙介実習生(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻博士課程3年、日本学術振興会特別研究員)、三輪邦之客員研究員、今田裕研究員、金有洙主任研究員らの国際共同研究グループ※は、有機エレクトロルミネッセンス(有機EL)デバイスにおいて重要な役割を担う三重項励起子[1]を低電圧で選択的に形成する新たな機構を発見しました。
本研究成果は、有機ELデバイスのエネルギー効率の向上や、発光材料の選択肢を広げることにつながると期待できます。
有機ELは有機分子に電流を流すことで発光する現象です。有機ELデバイスでは、電子と正孔が有機分子上で束縛されることで生成される励起子からの発光が用いられており、スマートフォンの画面などに応用されています。つまり、発光源となる励起子の形成は、有機ELデバイスの動作原理の中核をなす物理現象であり、新たな励起子形成方法の発見は有機ELデバイスの革新につながります。
今回、国際共同研究グループは、独自に開発した走査トンネル顕微鏡(STM)発光分光装置[2]を用いて、マイナスに帯電した分子の発光特性を単一分子レベルで詳しく調べました。その結果、分子内に余剰電子が存在することで電子間の相互作用が働き、スピン選択的な電子伝導が生じて三重項励起子が低電圧で選択的に形成されることを突き止めました。
本研究は、英国の科学雑誌『Nature』(6月13日号)の掲載に先立ち、オンライン版(6月5日付け:日本時間6月6日)に掲載されます。
図 PTCDA分子のSTM単一分子発光測定のイメージ
※国際共同研究グループ
理化学研究所 開拓研究本部 Kim表面界面科学研究室
実習生 木村 謙介(きむら けんすけ)
(東京大学大学院 新領域創成科学研究科物質系専攻 博士課程3年、日本学術振興会 特別研究員)
客員研究員 三輪 邦之(みわ くにゆき)
(研究当時カリフォルニア大学サンディエゴ校 博士研究員、現ノースウェスタン大学 博士研究員)
研究員 今田 裕(いまだ ひろし)
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時) 今井 みやび(いまい みやび)
(現理化学研究所 特別研究員)
研修生(研究当時) 河原 祥太(かわはら しょうた)
主任研究員 金 有洙(きむ ゆうす)
東京大学大学院 新領域創成科学研究科物質系専攻
教授 竹谷 純一(たけや じゅんいち)
分子科学研究所
所長 川合 眞紀(かわい まき)
(東京大学名誉教授)
カリフォルニア大学サンディエゴ校
准教授 マイケル・ガルペリン(Michael Galperin)
※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金 基盤研究A「THz-可視STM発光分光を用いた単一分子におけるエネルギー散逸過程の研究(研究代表者:金有洙)」、同特別研究員奨励費「テラヘルツ光パルスを用いたSTM超高速単一分子発光分光法の開発(研究代表者:木村謙介)」、同若手研究A「単一分子STMフォトルミネッセンス法の開発及びエネルギーダイナミクスの解明と制御(研究代表者:今田裕)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「共鳴吸収と熱ゆらぎの協奏による固体基板上に吸着した分子の光マニピュレーション(研究代表者:今田裕)」、同挑戦的研究(萌芽)「スピン偏極STM発光分光法の開発及び二次元半導体におけるスピン-光変換の解明(研究代表者:今田裕)」、同特別研究員奨励費「分子・プラズモンの発光過程における『多体量子ダイナミクス』の理論領域の開拓(研究代表者:三輪邦之)」、同若手研究B「表面吸着単一分子系の電気伝導特性・発光特性に現れる電子相関効果の定量解析(研究代表者:三輪邦之)」、同基盤研究S「プローブ顕微鏡を用いた単分子スペクトロスコピー(研究代表者:川合眞紀)」、U.S. Department of Energy「Molecular Optoelectronics(研究代表者: Michael Galperin)」による支援を受けて行われました。
背景
有機分子に電流を流すことで発光させる有機エレクトロルミネッセンス(有機EL)は、スマートフォンの画面に応用されるなど、次世代ディスプレイや照明技術として注目されています。有機ELでは、電極から注入されたマイナスの電荷を持つ電子とプラスの電荷を持つ正孔が、有機分子内で互いに束縛されて「励起子」を形成し、その形成された励起子が発する光を利用しています。
有機分子からの発光には、一重項励起子(S1)が発光する「蛍光」と三重項励起子(T1)が発光する「りん光」の2種類があります(図1)。S1とT1では、フロンティア軌道(HOMOとLUMO)[3]を占有しているそれぞれの電子スピン[4]の向きが異なっています。S1では二つのスピンの向きは反平行で、T1では平行です。S1に比べてT1の形成効率が高いため、りん光を用いた有機ELデバイスが主流となっています。しかし、りん光を用いた有機ELデバイスでは、蛍光を利用したデバイスより駆動電圧が高くなることや、青色のりん光材料[5]が商用化できていないという問題がありました。
金主任研究員らは、ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)スケールの空間分解能を持つ走査トンネル顕微鏡(STM)をベースとした発光分光法(STM発光分光法)を開発し、近年、さまざまな現象を単一分子レベルで観測しています注1-3)。今回、国際共同研究グループは、分子を占める電子間の交換相互作用[6]という量子力学的な効果から、S1とT1にはエネルギー差があり、T1の方がエネルギー的に低いことに着目し、T1の形成過程を単一分子レベルで詳細に調べました。
注1)2016年10月4日プレスリリース「分子間エネルギー移動の単分子レベル計測に成功」
注2)2017年7月5日プレスリリース「新原理に基づく単一分子発光・吸収分光を実現」
注3)2019年3月1日プレスリリース「単一分子電界発光の機構解明」
研究手法と成果
国際共同研究チームは、独自に開発したSTM発光分光装置を用いて、単一分子の発光測定を行いました。実験の概念図を(図2a)に示します。この実験系は、STM探針と金属基板が正・負の電極になっており、その間に有機分子が存在して電流が流れるという有機ELデバイスの最もシンプルなモデルです。実験対象として、電子を受け取りやすい性質を持つ3,4,9,10-ペリレンテトラカルボン酸二無水物(PTCDA)[7]分子を(図2b)、分子を吸着させる基板として、銀基板上に成長した塩化ナトリウム(NaCl)絶縁体膜を選びました。PTCDA分子がこの基板に吸着されると、金属基板から一つ電子を受け取りマイナスに帯電した状態になります。
3.5Vの電圧をかけて実験した結果、(図2c)に示す発光スペクトルが得られました。図の1.33eV(933nm)に見られる発光ピークがPTCDA分子からのりん光(T1からの発光)で、2.45eV(505nm)に見られる発光ピークが蛍光(S1からの発光)です。
次に、これらの発光について詳しく調べるために、加える電圧を変えて発光測定を行いました。りん光、蛍光ともに電圧を大きくしていくと、発光強度が大きくなっていく様子が観察されました(図3a,b)。この実験結果を、横軸に印加電圧、縦軸にりん光と蛍光の発光強度としてプロットしたところ、りん光は2.1Vから、蛍光は3.3Vから発光が始まり、りん光の源であるT1が低電圧で選択的に形成されたことが示されました(図3c)。
上述のように、PTCDA分子は-1価になっていることから、HOMOに2個の電子、LUMOに1個の電子(不対電子)を持っていて、初期状態は(図3d左)のように書くことができます。その状態からHOMOの電子を一つ引き抜けば、HOMOとLUMOに電子が1個ずつ存在する励起子を形成できますが、LUMOの不対電子の存在により引き抜く電子に選択性が生じます。分子を占める電子間の交換相互作用により、LUMOの電子に対してスピンが反平行な電子の方が先に抜けやすいため、T1が低電圧で選択的に形成されると考えられます(図3d中・右)。
さらに、三輪客員研究員らが2019年に発表した発光過程を記述する理論注3)を発展させて解析に用いることで、今回明らかになったT1の選択的形成機構を理論的に証明しました。
今後の期待
本研究ではSTM発光分光装置を用いて、マイナスに帯電した分子の発光特性を調べることで、T1を選択的に形成できることを示しました。その要は、不対電子が分子中に存在することで生じる交換相互作用であり、そのような有機ELデバイスを設計・開発すればエネルギー効率が高いデバイスが作製できることを示しています。
さらには、T1を低電圧で形成できることから材料選択の幅が広がり、これまで実現できなかった青色のりん光材料を実現できる可能性があります。単一分子発光測定という基礎研究で得られた発見ですが、有機ELデバイスへの応用研究に新たな知見を与えられると期待しています。
原論文情報
Kensuke Kimura, Kuniyuki Miwa, Hiroshi Imada, Miyabi Imai-Imada, Shota Kawahara, Jun Takeya, Maki Kawai, Michael Galperin, Yousoo Kim, “Selective triplet exciton formation in a single molecule”, Nature, 10.1038/s41586-019-1284-2
発表者
理化学研究所
主任研究員研究室 Kim表面界面科学研究室
実習生 木村 謙介(きむら けんすけ)
(日本学術振興会特別研究員、東京大学新領域創成科学研究科博士課程3年)
客員研究員 三輪 邦之(みわ くにゆき)
(研究当時 カリフォルニア大学サンディエゴ校 博士研究員、現 ノースウェスタン大学 博士研究員)
研究員 今田 裕(いまだ ひろし)
主任研究員 金 有洙(きむ ゆうす)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学大学院新領域創成科学研究科 広報室担当
補足説明
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- 三重項励起子
- 励起子とは、電子と正孔の対が束縛状態となったもの。有機分子の場合、一重項励起子(S1)と三重項励起子(T1)の2種類があり、それぞれからの発光が蛍光、りん光と呼ばれる。従来の有機ELデバイスでは、S1とT1が1:3の割合で形成されることが知られており、多く形成されるT1が重要な役割を果たしている。
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- 走査トンネル顕微鏡(STM)発光分光装置
- STMは、先端を尖がらせた金属の針(探針)を測定表面に極限まで近づけたときに電流が流れるトンネル現象を測定原理として用いる装置。試料表面をなぞるように探針をスキャン(走査)して、その表面の形状を原子レベルの空間分解能で観測する。探針と試料間に流れる電流をトンネル電流と呼び、トンネル電流を検出し、その電流値を探針と試料間の距離に変換させ画像化する。このSTMのトンネル電流によって誘起される発光を分光計測する実験装置がSTM発光分光装置。励起源であるトンネル電流が原子スケールの狭い領域に流れることから、単一分子の発光特性を調べることが可能である。STMは、Scanning Tunneling Microscopeの略。
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- フロンティア軌道(HOMOとLUMO)
- フロンティア軌道とは、分子の反応性や光学的な性質を支配している分子軌道を指す。電子が占有している分子軌道のうち、最もエネルギーの高い軌道を最高被占軌道(HOMO)、占有されていない分子軌道のうち、最もエネルギーの低い軌道を最低空軌道(LUMO)という。フロンティア軌道に関する理論は福井謙一博士が提唱し、1981年にロアルド・ホフマンとともにノーベル化学賞が与えられた。
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- 電子スピン
- 量子力学において、電子はスピン角運動量を持つことが知られている。電子が持つスピンは、ある方向の成分に着目すると2種類の値を示すため、それぞれに対応する状態を上向きスピンの状態、下向きスピンの状態などと呼ばれる。
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- 青色りん光材料
- 有機ELデバイスでは、三重項励起子(T1)からの発光であるりん光が重要な役割を果たしているが、青色のりん光材料はまだ商用化されていない。光の三原色を構成するRGB(赤緑青)のうち、赤や緑に比べてエネルギーが高い青色を作るには、それだけ高い電圧が必要であるが、その結果材料劣化しやすいことが理由と考えられている。
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- 交換相互作用
- 異なる分子軌道上を占める電子間に働く量子力学的な相互作用。ニつの電子は、原理的には区別することができない。そのため、ニつの電子を交換した際に、波動関数(状態を記述する関数)が満たさなければならない条件が存在する。この量子力学的な要請から生じる相互作用であり、S1とT1のエネルギー差や、物質の磁気的な性質を決める。
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- 3,4,9,10-ペリレンテトラカルボン酸二無水物(PTCDA)
- 炭素・酸素・水素原子から形成される有機化合物。電子を受け取りやすい性質があるn型の有機半導体として広く知られている分子。
図1 蛍光とりん光の説明図
一重項励起子(S1)、三重項励起子(T1)からの発光を、それぞれ蛍光、りん光と呼ぶ。S1はフロンティア軌道(HOMOとLUMO)を占める電子スピン(図上部の上向き、下向きの青矢印)が反平行で、T1は平行となっている。各励起子と基底状態のエネルギー差が、発光の色(波長、エネルギー)を決める。
図2 実験の概念図とPTCDAのSTM発光スペクトル
(a) STM発光分光計測の概念図。STM探針と銀(111)基板が電極、間に分子が存在する構成になっており、有機ELデバイスの最もシンプルなモデル実験系になっている。この実験系では、PTCDAとNaCl絶縁体膜を用いた。
(b) PTCDAの分子模型。茶色い丸が炭素原子、赤い丸が酸素原子、白い丸が水素原子を示している。
(c) PTCDAからの発光スペクトル。印加電圧3.5Vのとき、左上のSTM像中に示した赤点の位置で測定したスペクトルを示しており、2.45eV(505nm)に蛍光(青矢頭)が、1.33eV(933nm)にりん光(赤矢頭)由来のピークが現れている。
図3 STM発光スペクトルの印加電圧依存性とT1の選択的形成機構
(a) 発光スペクトル(りん光)の印加電圧依存性。2.0Vではりん光が現れていないが、2.1Vからりん光ピークが現れ始める。
(b) 発光スペクトル(蛍光)の印加電圧依存性。3.2Vでは蛍光が現れていないが、3.3Vから蛍光ピークが現れ始める。
(c) りん光・蛍光の各印加電圧に対する発光強度依存性(りん光の強度が左側の縦軸、蛍光の強度が右側の縦軸)。りん光は2.1V、蛍光は3.3Vが発光閾値となっており、低電圧領域ではりん光のみが観測される。これは、T1が選択的に形成されていることを示している。
(d) T1の選択的形成機構の説明図。PTCDAは-1価になっているため、HOMOに2個、LUMOに1個電子が入っているのが初期状態である(左)。分子を占める電子間の交換相互作用から、LUMOの電子に対して反平行なスピン(青矢印)の電子が抜けるため、T1のみが形成される(中央、右)。